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シリコンバレー・スタートアップ最前線(全2記事)

日本の起業家はシリコンバレーで通用するか? WiL伊佐山元×SearchMan柴田尚樹

WiL伊佐山元、SearchMan柴田尚樹氏の2名が、日本人がシリコンバレーで起業することのリアルを伝えつつ、現状の日本スタートアップの課題と将来の展望について議論を交わしました。(IVS 2013 Fallより)

シリコンバレーで戦う2名の起業家

藤田功博氏(以下、藤田):今回はシリコンバレー・スタートアップ最前線ということで、対談をお届けしたいと思います。まずは簡単に自己紹介と取り組んでおられることの内容について、お一人ずつお願いいたします。

伊佐山元氏(以下、伊佐山):伊佐山元と申します。シリコンバレーには2001年から住んでおりまして、この10年間はベンチャーキャピタルというところで、主にアメリカのハイテク、TMT、テレコムとメディアとテクノロジーといういわゆるIT業界のベンチャーへの投資と、私の場合は日本への展開というのをやって参りました。

今年の夏から独立して私と2人の創業メンバー、(元サイバーエージェントの)西條、(元ヤフーの)松本という日本側のメンバーと一緒になって「日本のベンチャーを外に連れて行く」ということと、「海外で日本のファンを増やす」という双方向の大きな流れを作るような活動を来年以降展開したいというふうに考えておりまして。今は会社設立準備段階で動いております。

WiLという会社なんですけれど。この活動をちゃんと立ち上げることによって、まさに柴田さんに続くような、日本から海外に出てシリコンバレーの猛者と戦えるような、日本人起業家がもっと将来的に増えなければいけないと思いますし。増えるにあたって、日本の中から簡単に出ていくという意味で言うと、まだ色んな壁があるので、その壁を取っていってそういった方がもっと気軽に、というと言い方が悪いんですけど、海外のグローバルベンチャーになるきっかけを作るような支援ができるような体制にしたいなというふうに思っています。

柴田尚樹(以下、柴田): 柴田尚樹と申します。私はシリコンバレーに2009年に行きまして、最初2年間はスタンフォード大学の研究員をしていました。2011年に本当は日本に帰ってこないといけなかったんですけれど。帰るのやめようと決めて会社を作りました。会社はSearchManというサービスをやっていまして、アプリの開発者向けに、検索やキーワード関係のソリューションを提供しています。

具体的には二つありまして、一つはAppleストアの中の検索エンジンの最適化のためのツール。もう一つはキーワードターゲティング広告を売るという、その二つのキーワードを使ったマーケティングはすべてSearchManでできるというような状態にしています。

日本の起業家はシリコンバレーで通用するか?

藤田:ありがとうございます。お二人共今回共通するキーワードとして「シリコンバレー」というのがあると思うんですけれど。スポーツの世界に例えると、メジャーリーグというのがアメリカにありますと。野茂英雄から始まって、日本人がちょっとずつ行き出すと、実際に通用するということがちょっとずつ(分かってきて)、今やプロ野球選手のほとんどがメジャーリーグというのを意識しながら出て行ったり、サッカーもそうですけど流動性がかなり高まってきたと思うんですね。

かたやビジネスの世界ではちょっとずつ距離が近づいてきたとはいえ、そんなに頻繁に事例も聞かないのかなと思うんですけれども。スポーツの世界では意外と出てみると実力差ってそんなになくて日本のプロ野球選手が十分通用したということだと思うんですけれども。お二人から見て、日本のビジネスマンあるいは日本のエンジニアが、シリコンバレーに出ていった時に通用するかどうかということについて、どういうふうに見ておられているのでしょうか?

柴田:野球の場合もそうだと思うんですけど、通用する部分と通用しない部分があると思っていまして。例えば「ピッチャーは意外とイケルけど内野手はダメじゃん」っていう話があるじゃないですか。伊佐山さんみたいにシリコンバレーの中のトップティア(一流)のVC(ベンチャーキャピタル)ファームで10年もやられてパートナーまでやるっていうのは、今の状態では例外だと思っていまして。ビジネスサイドのほうが辛いと思います。

やっぱり「言葉がわからない」ということがものすごく影響してきちゃうというところが現実としてあると思うので。私はどちらかというとエンジニアサイドで、エンジニアに関しては通用する部分もあるのかなと思います。ただやっぱり一番違うのは「競争の厳しさ」が全然違うなというのはすごくあって。サバイブする能力が足りないと、ここが欠けていると本来行けるところまで行けないという、人間としてのサバイバル能力の強さみたいなところが問われるところがあるかなという気はしますね。

エンジニアリングのクオリティという意味では日本のきちんと教育を受けた人であれば全く問題なくいけると思いますし。日本ってわりとサバイブしなくても生きていけちゃうところがあると思うので、そこでずっと長くいると……。向こうは本当に勝ち負けで負けたら出て行かないといけない世界なので、メジャーリーグもそうだと思うんですけど。そこの違いかなという気はしますね。

日本人がアメリカに出るには"覚悟"が必要

伊佐山:すごく同感で、日本人が海外のITという業界で日本人が全部劣っているかというと、そんなことは全然ないと思うんですね。ただ環境によって人のポテンシャルってどんどん変わってしまうと思っていて、日本というのはあまりにも居心地が良い環境で、かつ、国内市場が中途半端にまだ大きくて海外に積極的に出る必要性がない。

なのでどうしても起業家は苦しい生活をしているので、楽な生活をしたいという人は、「まず国内である程度稼いで、うまくいってから海外に行こう」という。半分言い訳になっちゃうんですけれど。人間は誰しも完璧に強いわけではないので、そういう判断をして日本国内に留まると、せっかくポテンシャルがあるにも関わらず、日本国内があまりにも居心地が良いので、最終的にはせっかくポテンシャルがあった人がポテンシャルを発揮せずに終わってしまうということに繋がると思うんですね。

逆に思い切って出て行けば、まさに修羅場なんですけれども。シリコンバレーって外から見ると天気が良くて、皆前向きで、お金が天から降ってきて、好き勝手ベンチャーがやっていて皆ちやほやされるというイメージがある。確かにそういう面もあるんですけれども。その裏にとてつもない数の失敗者と悲惨な目にあってる人がいるということが現実であって。そういう環境の中で本当に勝ち組になれるのか、本当に生きるか死ぬかの環境で(挑戦)できる。

日本人でも行ってそれに耐えて、そこでビジネスのセンスを磨いていく。日本はかなり性善説で話が進められるけれども、アメリカに行ったら完全に性悪説側にまわって全てをやっていかなきゃいけないので。そういう世界での戦い方のルールや世界の常識というのをちゃんと身につければ、僕はできると思うんですね。

野球にしてもサッカーにしても結局は同じで、野球だってベーブ・ルースが日本に来て、一生懸命アメリカのメジャーリーグ教えて、王さんが一生懸命頑張って、海外に渡ったスターが生まれて彼が学んだことを伝承していった。それこそイチローが出て松井が出てという循環ができたわけで。それはサッカーでもゴルフでも全部同じだと思うんですよね。全く同じことをビジネスの世界でも本当はしなくてはいけなくて。まさに柴田さんみたいな方が、色んな意味で競争して揉まれて勝つということがものすごく今後の日本にとっては大事なことだなというふうに思ってます。

アメリカに行ったのは、他人と違うことがやりたかったから

藤田:柴田さんが2009年に行かれて、戻らずに現地で起業しようと思われたきっかけというものは何だったんですか?

柴田:いくつかあるんですけれど、一つはちょうど2011年3月に大きな地震があって。私は実家茨城県なんですけれど、家族が亡くなるということはなかったんですが、仙台の津波をアメリカからテレビで見ていたんですけれど、あの津波が私の実家の近くの海岸に来たら、全部(持って行かれた)わけですよね。それであまり遠い将来のことを考えてもしょうがないのかなと思ったのが一つ。

もう一つは我々の先輩の世代、私は81年生まれなんですけれど、ナナロク世代とかその前の人たちというのは、大体日本で大きく稼いで、そのお金を使って海外に出て海外の会社を買っていくというやり方だと思うんですけれど。それはそれで非常に素晴らしいことだと思うんですけれど、そういう人達とそういうやり方しても勝てないなあと思っていたので、一人くらい外で頑張るやつがいてもいいかなということで、ちょっと飛び出してやってみようということで始めました。

やっぱり明治維新の時とか見ていても、最終的に改革は中から起こるんでしょうけど、外に出てる人がいるはずなんですよ。そういう、人より先に外に出てヤンチャするというのもいいかなということで思い切ってやってみました。

藤田:先ほどサバイバル能力が重要だと仰いましたけど、2009年から行かれてて初めてカルチャーショックを受けた出来事はどんなことだったんですか?

柴田:カルチャーショック受けたことは色々なところであるんですけど、まず免許証がとれないですよね。免許証をとるのに「社会保障番号をとれ」と言われるんですよ。でも社会保障番号がとれないビザっていうのがあるんですよね。そうすると免許証がとれないんですよ。なんとかして免許証をとらないと常にパスポートを持ち歩かなきゃいけない。そういう細かいトラップがいっぱいあってですね。

アメリカって誰でも入れるイメージあるんですけれども。入ったあとにフィルタリングがちゃんと免許証レベルでもあるんですよね。それがもちろん投資家から投資を受けるとかいうともっと全然高いレベルのハードルがありますし。ビザをとるとかですね、一個一個(トラップに)全部引っかかって、それを一個ずつ何とかして問題を取り払って乗り越えて行かなければいけないという感じですね。

伊佐山:僕はクレジットカード。クレジットカードの上限が500ドルとか言われて「5万円かよ、どうやって生活するんだよ」と。日本でクレジットカード持ったりした時に、特に大企業に勤めてたら、僕なんか上限無制限のカード持ってたから、それが当たり前だと思って海外に行くと、「お前は信頼できないから上限は500ドルだ」と言われて「クレジットカードの意味ないじゃん」と。飛行機のチケットも買えないし。

そこから何年かしてやっとまともな上限で100万円まではいいというふうになって。住宅ローンも当然おりないわけですよ。いくら「日本に金ある」っていったところで。「お前はアメリカに来て間もないから銀行は金を貸さない」って。何もない状態ですよね。これって現地に住んでみないと分からない苦労ですよね。

10年分の学びを1年で得られる

藤田:伊佐山さんの例でいうと色々大変なこともあったかと思うんですけれど、それでもチャレンジを続けようというモチベーションはどこにあったのでしょうか?

伊佐山:僕は昔から、日本で中高大と行ったんですけど、性格的には日本の中だけで言うと、どちらかというと易しいほうに流されちゃうかなというのがあったんで。親にも「あなたはいつも楽なほうにいっちゃう」と言われてたので。それはマズイなというのがどっかにあって、それを強制的に止めて変えるためには悲惨な環境に(身を)置き続けるしかないなという。完全に逆張りというか、それしかないかなと思ったんですよね。

だけどやってみると、結局楽な環境で色々と勉強や努力はしていたんですけど、それよりも辛い環境で一年やることのほうがものすごく得られるものが多いと分かったんですね。すごいストレスフルなんですけど、その中で得られる学びとか発見というものは10年かけたものに匹敵するということが結構あって。一年で10年のことが経験できるんだったら絶対そっちのほうがいいんじゃないかなと思って。

だけどボーダーラインというのがあって。それで胃潰瘍になっちゃったり死んじゃったりすると元も子もないので。自分のボーダーラインというのをある程度見極めながら自分にプレッシャーをかけるということはしなきゃいけない。日本ってさっきの意味でいうと起業家もそうなんですけど、やっぱり楽なんですよね。学校のブランドが使えたりとか前職のブランドが使えたりとか、親が使えたりとか親戚が使えたりとかって、色んな支援があってやりたいことが何となくできてしまう。

アメリカに行った瞬間に、日本の大学の名前が通用しないし、日本で就職していた会社の名前が通用しないし、「お前は何者だ、今お前は何ができるんだ」というところで勝負しなきゃいけないので、ある意味究極のサバイバルレースじゃないですか。その環境ってものすごい緊張感とプレッシャーがあるんですけど、逆に学ぶ環境としてはこれ以上のものはないんですよね。だから、くだらない「クレジットカードがとれない」とか、「家買いたいんだけど住宅ローンが借りれない」とかいう日常の困難から、仕事上で言うと、僕はアメリカで生まれ育ったわけではないので契約とか交渉で失敗するわけですよ。

すると外人から罵倒されるわけですよ。「お前は馬鹿か! こんな基本的なことでミスコミュニケーションして、何でこんな不利な契約になってんだ」って。失敗も重宝するわけですよね。だけどそれやったら、「なるほど、交渉したときはこれに気をつけなきゃいけないんだ、もう二度とこの失敗はしてはいけないんだ」と。やったら完全に首が無くなっちゃうので。

そういう修羅場と失敗をいっぱい繰り返したことが今の自分に繋がっているので。よく言われてるように「苦労は金を払ってでもやれ」というのは、聞こえとしてはいいんですけど本当に実践するというのはすごい大変だと思うんですよ。なぜならやっぱりシンドイし、基本的に人間は面倒くさいこととか辛いことなんて好んでやる人なんているわけないんで。

だけどアメリカに残るということは、好むと好まざるとに関わらず、強制的に自分をそういう状況に追い込むことだったので、このまま日本に戻るよりはアメリカにいたほうが、自分の成長機会という意味ではいいかなということで、気づいたら13年経ってるということですね。

「自分が身近で困っていること」から始める

藤田:ありがとうございます。実際にシリコンバレーというものにITベンチャーだったら憧れは基本的にあると思うんですよね。ただやっぱりAppleもある、Googleもある。シリコンバレーではないですけれどAmazonもある。つまりどのジャンルでももうすでに「IT業界の巨人」と呼ばれるプレイヤーがいて、切り込み方がなかなか見つかってないのかなと思うんですね。

なのでシリコンバレーに行ったところで、各巨人に対して、それぞれのマーケットで色んなサービスで有名企業がある中で、よく分からないと。だからとりあえず国内で自分が目に止めたマーケットだったりジャンルで起業しようかなというパターンが結構多いのかなと思っているんですけれども。

ここからはアドバイスとして、シリコンバレーにチャレンジしようというときに、まずどういうふうに考えのスケールを広げたり切り込み方を見つけるといいのかと思うんですけれども。

柴田:そうですね、私も昔から起業したいと思っていたわけではなくて。シリコンバレーのスタンフォードに二年くらいいたときに、僕は昔からイタズラッ子みたいな性格なので、向こうではHackerと言うんですけれど。色んな人に「君は起業したほうがいい」と言われるわけですよ。皆無責任に言うわけですけれど。

起業したらいいと言われても何をやったらいいか分からないわけですよね、最初は。それで色んな成功した人に聞きに行ったんですね。「どうやってあなたは成功したのか」ではなくて「どうやってあなたはそのビジネスを見つけたのか、なんでそれを始めたのか」ということを聞きに行ったら、皆同じこと言うんですよね。「自分の身の周りにある問題点を捜しなさい。そしてそれを自分のテクノロジーで解決しなさい、それがビジネスだ」と言うわけですよ。

当時、2009年から2011年にかけて私が一番困っていた問題は、スマートフォンってすごいんですけれど「アプリが探せない、探してもらえない」という問題があって。これは自分の人生、あるいは今まで日本でやってきたことを全て捨ててでも数年かけてやる価値があるかなと思って始めました。

なので一番おすすめなのは自分の身の周りで困っていることを本当に見つけて、自分がそこに対して勝てるテクノロジーがあるという状態で始めるのがいいと思いますね。すごくニッチなことでも構わないと思うんですよ。それがいずれ大きくなるというパターンがすごく多いんですけど。

最初からAmazonと戦おうとかGoogleと戦おうとか考えないでですね、ほんとに今自分が困っていることを見つけて、それを自分のテクノロジーで直すということを突き詰めると、いつの間にか会社になっていつの間にかお金が集まるんじゃないかなというふうに思いますね。

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