2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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小林:新しい仕事を作るということで、皆さんフロントランナーで、「自分で新しいことをやっている」という自覚を持ってやっていると思うんですけど。それに取り組む上でのメンタリティはどういうものなのかをお話しください。
たぶん、皆さん新しい仕事を作りたいって、そういう職業になりたいですよね? 川村さんちょっと。新しい仕事を作るうえでのメンタル的なものは? 何があったらそうなるんですか?
川村:僕は、経歴的にいろいろ移りまくっていたり、国も変わっていたりするんですけど、内心はめちゃめちゃ縁側でお茶すすったりしたいんで、そういう欲求はなかったんです。でも、ゴールはちゃんと大学の在学中に「物を作っていく」っていうことにしていて。
そのものを作るっていうときに、一番面白いとか、大事にしたいと思っていたのが、ジョブズの言ったことじゃないですけど、ちょっと伝統を作る、クリエイティブで作っているものの可能性を広げるとか、何を作っているか、SEXドールを作っているような活動でも良いんだけど、それを見ている人の頭の中でスイッチが入ったり、そういう世の中の見方があるんだっていうようなものが、作る価値のあるものだと思っていて。
単純にそれを、自分だったり自分の周りの人が量産できるような環境や仕事を作りたいなと思っていました。そうやっていくと色んな会社に入ったときに、企業に入るメリットってたくさんあって、自分で会社をやると余計に感じるんだけど、だから会社ってあるんだと気付いて。みんな会社って辞めて始めればいいじゃん、と思っていたところがあるんだけど、とんでもなく大変だし、やってみないとわからないことがたくさんあると思って。
そういうことはさておき、やっぱりそういうところにいることで自分がスローダウンしちゃったりするので、理想とする新しいもの、面白いものを量産することが、ここにいたらできないとか、ここにいたら10年間ぐいぐい頑張り続けてやっと1個できることが(会社を)辞めれば10か月でできちゃうとしたら、やっぱり辞めて自分の仕事を作るしかないなと。
そのためには昔会社にいたときのコネクションや経験の積み重ねがあって、やっと貯まりきってできるかなと思ったのが3年前くらいのタイミングだったので、そこで「えいや」って。ずっとそこにいて文句言いながらも頑張りつつ、時間を無駄にするよりも早いなって。
そういうタイミングになった人はやれば良いし、既存の会社にはまるビジネスモデルじゃないものを思いついてやりたい人が、出てやれば良いかなという感じですね。会社にいて面白いことができる人もいる。たまに止めることもある、「君はそこの会社にいたほうがメリットある」って。
そうじゃないなって言う人は見ればわかるんで、それは自分の仕事を率先してやる。自分の仕事って言うと、日本だけじゃなくて海外でも活躍できる、というのがキーワードとして出てきていたから、あえて触れると、日本に捉われずに、業態にも捉われずに、新しいことしたい人がどんどん出てきてくれると良いなと思います。
渡邉:今おっしゃっていたことは素晴らしいなと思います。確かに僕たちはたまたまこうやって新しい職種というか、ものづくりの角度からアプローチしているんですけど。すごく大きな企業じゃないとできないこともあるし、我々みたいなところでしかできないことがあって、そうしたバランスの中で、世の中が楽しい方向に動いていくんだろうなって思いますね。
僕たちの場合は、新しい仕事すぎて他の人に理解してもらえないことがすごく多いですね。僕たちはデザインエンジニアって言っているんですけど、デザイナーだったら何を作っているんですか? と聞かれて、普通だったらプロダクトデザイナーはプロダクトを作っているから、自転車とか鉄道とか言えるんですけど、僕たちは結構幅広いんですよ。最近、説明するときに、よく人工衛星から和菓子まで作っていますと言っています。
人工衛星と和菓子って同じ直線上に繋がるのだろうか。なかなか表現が難しいのですけど、芯にあるのは、複数の領域とか情報度とかのオーバーラップするところに新しいものがあるかと。伝統と革新の間に未来の和菓子があるとか、芸術と工学の間にアートサットという地球と交信することで芸術に役立つような人工衛星をつくろうとか、そういうことが我々の得意とするところで。
逆に言うと、同じ場所で同じことをコツコツやるというよりも、1つの考え方のツールや、ものづくりのツールを利用して色んなことに挑戦するというのをやっているなと。
僕自身の話ですけど、ブリュッセルとか香港とかって、2つの文化が衝突する場所なんですね。香港はイギリスと広東という中国の場所がぶつかるコンフリクトがあって、芳醇な文化ができた。ブリュッセルもフラマン地方とワロン地方という、フランス語とオランダ語のぶつかる、それぞれの文化がぶつかると、そこでしかできないものが生まれる。
道路標識も2つの言語で書いてあって、フランス語だけでなくオランダ語でも書いてあるといった、そういう場所でしか生まれないものがあるみたいな。さっきの振り子じゃないけど、波打ち際って言うか、その文化と文化が衝突してオーバーラップするところに突然変異というか、今まで見なかったものが生まれるかもみたいな、そういったことに挑戦した人種だったのかなと。
小林:佐々木さん、僕は不思議なんですけど、東洋経済ってすごい古い会社じゃないですか。なぜネット企業の経営者のように変わってしまったのかと。
佐々木:新しいことを狙うときのメンタリティとしては、おじさんのいないところを狙うというのがあります。それは組織でも個人でも同じことでして、さっき小林さんが編集長になりたかったのかとおっしゃっていましたけど、編集長になりたかったっていうよりも、あんまりおじさんにとやかく言われない仕事をしたかったんです。
そうすると、紙の編集部にいると早くて40代前半ですね、編集長になれるのは。それまでは上の人にずっと言われ続けるじゃないですか。それが嫌だったんで、デジタルの上手くいっていない方に行ったっていうのがあります。
青柳さんがこんないすごい起業家になったのも、当時出てきたばかりのソーシャルゲームにかけたというのがあると思うんです。古い業界のノウハウって絶対大事だと思うんです。私が今色々とできているのも、紙で何年間も伝統的な編集の手法を学んだからなんですけど、ある程度学んだら、おじさんのいないところを狙ってそのノウハウと新しい領域を融合させて何かをやるのが、組織内でも組織外でもありなんじゃないかと。
小林:それが新しい仕事を作ることですね。今、ピンポンですね!
佐々木:ハイ。
青柳:確かに20代の話があって、僕とか佐々木さんとか、そういうところからアプローチしちゃう癖があるなというのがあるなと思って聞いていたんですけど。20代30代って、第一戦略として周辺にいる周辺領域とかエッジの部分とか、何か異質なもののクロスロードのところに誰よりも早く行ってみるっていうのは、自分に良いきっかけやチャンスを与えるなと思いました。
確かに私も金融の会社に入って、金融業だから頭の良い人が沢山いるんですよ。金融とか経済のゼミにいて、そういういわゆる優秀な人たちを小学生ぐらいから見ていました。その中で自分が輝く場所はどこだろうって、卑屈になる必要はないですけど、考えさせられて。
大手の企業で金融のバックグラウンドで、という仕事はたくさんあるし、飛び込む人もいるんですけど、そういうコーポレートファイナンスみたいな、ここ20年くらいでバーっと立ち上がってきたものと、リーマンショック前で立ち上がったものと、ベンチャー企業っていうのはよい狙い目にいるなと。
じゃないと、私は26歳で会社に入ったんですけど、財布を預けますとかなかなか言ってくれない。当時インフィニティ・ベンチャーズの小林さんが取締役でいて、26歳で役員なんてなかなかないじゃないですか。チャンスがあったって言うのはあるかなって思います。
そういうところに行った方が、上の世代がいるからということで詰まっている状況もなければ、自分の後ろがいないっていう状況が生まれて、ポテンシャルが引き出されやすいなって客観的に振り返って思いますね。
小林:なんか聞きたそうですね、佐々木さん。すごい直樹、成長したなって思っているんじゃないですか?
佐々木:大学の1、2年のときから輝いていましたね。プリンスみたいに輝いてモテモテでしたからね。
小林:新しいことをするときに事例がないと、どうやってスキルアップをしているんですか? どういう風に能力を身につけるんですか? 僕も新領域に挑戦したいなと思っていますから。何かヒントがあれば教えてください。佐々木さんはどうですか。
佐々木:実践しかないですね。トライ&エラーしかないんじゃないですか。前例がないので。
小林:アメリカとかでは、さっきの事例とかに実際行ってみて話を聞いてみたりしないんですか?
佐々木:いや、ないですね。想像だけで。
小林:川村さんはどうですか? フロントランナー感が漂っていますけど。
川村:いや、なんでそうなったのかな。僕は、意外とアナログ人間で。渡邊さんもおっしゃっていたことに超同感できて、佐々木さんもおっしゃっていましたけど、紙とか、もともとデザインとかアナログのアニメーションの原理が好きだったので、そこから基礎とかクラフトを覚えていくと、単純に突き詰めていくと、職人的デザイナーになるんですけど。
僕は多方面に、アイデアの方が好きだったので、それを使って色んなメディアだったり、テクノロジーを使ってやりたいなと。自然と僕の好みでやりたいなと思うようになって、徐々に領域を横断するようなクリエイションを意識的にやり始めるステージになったんですね。
スキル的に根底にあったのはデザインシンキングで、何をアイデアで一番大事にするか。シンプリシティーとか気付きといったコアがあるから、それがブレなければ何をやっても一定のものになる。後はその上で、単純に自分が技術を身につけるかということですね。
自分より良いプログラマはたくさんいるんです、でもコーディングも軽くやってわかるからこそ、その言語がしゃべれるかしゃべれないかで、そういう人と仕事ができるかが変わってくる。ある程度のベースラインの共通言語を、英語使えるのと同じようなレベルで話せることが大事かなと。それが基礎になる。
それ以降の、特に物語とテクノロジーをくくり付ける仕事とか、異業種間で新しいことをやろうとしていく人ってまだ少ないんです。教育的にもちゃんと体系つけてできるところがまだ作られていないから、少しずつ増やしていくしかない。現場の会社が増えて、そういうところにいる人が巣立っていってくれるとか。トライアルとしてバスキュールという会社と、BaPAというアートやコーディングを両方やる人を育成するための学校を始めています。
初年度なのでまだどうなるかはわからないので、いきなり芽が出るか、僕らもわからないですけど。そういうラーニングを通して、僕たちも考え方とか仕事の仕方が一般化してくることが良いのではないかなと。みんなが興味を持つものではないし、それがすべてではないから、職人的にやりたい人は超あこがれるし。これから徐々にということですね。
小林:青柳さん、当時グリーって20人くらいだったと思うんですけどアメリカだけでも300人いるじゃないですか。投資銀行にいたとはいえ、自分で買収するとは思わなかったですよね。そういう風に自分の能力開発をするというのは、何をやったら34歳とはいえ、そういう姿になるんですか?
青柳:僕はラッキーだったなと思っていて。自分に刺激を与えてくれる先輩とか同僚に恵まれたし、そういう人たちに好かれるというか、そういう人たちと付き合いの輪を広げることができたのが、振り返ると秘訣だったのかなと思っています。
投資銀行を辞めて、グリーという会社が小さいときに入りました。楽天という会社があって、その会社は僕がグリーに入ったときは大成功していて、すでに球団を持っていたんですけど、そういうところの幹部の人が友達の友達みたいなもので、SFCの先輩が楽天の創業時とかにいるので、それで知り合って、前の証券会社のときに顧客だったんですね。
そういうところから知り合って、そういう人たちと個人的に仲良くして話していると、導かれるんです。楽天の創業メンバーってSFCの人も多いんですけど、三木谷さんのように日本興業銀行の方々って多くて、日本のトップバンクを辞めてハーバードとか行っているんですよ。彼らが上場前の楽天に入って、企業買収で球団を買収するとかを目の前でやっているんですよ。
僕はそういう意味では、野茂秀雄が駆け抜けて行って作っていったところに、後でいってるメジャーリーグの選手みたいなもので。そういう風な考え方を持っています。楽天が6年位前から海外の買収をやり始めていて、僕としてはそういう人たちがいて、そうなろうと思ったときに自分が楽天に入っても仕方がないから、将来そういう会社になれるようなところに、最初から関わっていこうと考えていました。そういう意味で、僕はそういう人たちに若いときに出会って、そうなれるという可能性をそこに見たというのが一番大きいですね。
小林:青柳さんの話を聞いて「俺もそうなろう」と思えるといいですね。渡邊さんは何かありますか?
渡邉:新しい仕事を作るための能力開発ということで言うと、自分の能力だけじゃない、ということかなと。結局それでビジネスをやるということになると、マーケットの人たちと、ビジネスをやる人たちと一緒に新しい仕事のあり方を考えないと、自分だけではできないと思います。
僕たちの仕事って、ものづくりをすることになるんですけど、結局PRをやることもあれば、ビジネスモデルごと提案することもある。1個1個の仕事をするごとに自分たちが育っていると感じることもある。ノウハウが毎回できている。そのノウハウに名前をつけて公開するということをこだわってやっていて、3年位前に『ストーリーウィービング』というタイトルの本を書いたんです。
それは、新しい我々なりの仕事の仕方のメソッドを全部文字にして公開したものです。始めたときは誰にも理解されないで、なんなんだそれは? と否定されていた部分もあったんですけど、今となっては、ストーリーウィービングの研修を全部やってください、という依頼が結構多いです。
それは継続の力もあるし、仕事のことを伝えるだけじゃなくて、エンジンとかノウハウとかメソッドを全部公開すると、オープンソース的にビジネスモデルの作り方として色んな人が共有できるようになっていて、マーケットとか色んなビジネスの人が全体に考え方が広まっていく、ということがあるのかなと。背景にある文脈とかノウハウとかを世の中に出していくことで社会全体が成長できると、一番いいんじゃないのかなと思っています。
青柳:確かに、オープンソース的な考え方で色々発信していく人が面白い機会を得て、そういうものが生まれていくのは、確かに僕らの世代で飛躍的に増えたかなという感じがします。
小林:人が持っているものって、他の人からすると知らないんですね。クリエイターとかも有名なのが出ると、仕事が結構来るじゃないですか。佐々木さんとかも、成功すると講演依頼とかが殺到するわけじゃないですか。だから、記事になってフィーチャー(特集)されるのも良いんだけど、自発的に出していくのも非常に良いなと。
川村:メソッドの共有っていうのは重要。個人的にクリエイティブのプロセスを大事にしていて、全部記録していて、講演とかを依頼をされたときとかも、どういうステップで作られていったかを説明するんです。
個人的には人のアトリエに行くのが大好きで。作っている現場を見たり、「どうやって作ったの?」というのが出来上がったものより面白くて、色んな紆余曲折とかあって、それを知るとバーチャルなことを想像できる。そういう立場になったらそういう考え方があるのかとか、そういう対処法があるのかとか。
逆に、新しいことを作っている人の働き方を見たり、僕らからすると、僕らの働き方をうまく取り入れるのか、言葉が下手なんだけど、もしそういうのが上手くできるようになれば、面白い能力開発ができるんじゃないかと。もちろん、見て学んで盗んで自分のやり方を見つけて欲しいけど、第一歩として、そういうのがもっとパブリックになっていくと面白いですね。
渡邉:メソッドとかノウハウの話になったときに、日本の企業人の多くが教科書を勉強して、それを覚えるっていうだけの人がすごい多くて。世の中に色々なメソッドとかビジネスジェネレーションがあるんだけど、そのメソッド自体が大事なんじゃなくて、それをいかに自分なりに改変して、使いこなすかが一番大事じゃないかと常々思うんです。
あらゆるメソッドは、実際のために発明されていて、発明者が一番良く切れる刀になっている。本当はその人しか上手に振れないのかもしれないから、自分なりの刀に研ぎなおすことが必要。本を読んで知ったつもりになっているとダメで、新しい仕事を作って、自分でそれを使ってやらなきゃいけない。そのちょっと自分で改変したものを公開しながら、全員で育てていくのが一番良いのかなと思います。
小林:わかる。自分で本とか寄稿したりするじゃないですか。難しいですよね。伝えるって。自分が書いてわかったんですけど、本に出ていることは一部でしかなくて、その背景であるとか、その人の考え方を直接聞かないとわからないことが山ほどあるんだなって思いますよね。
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