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テーマ「戦後70年 日本にとっての平和とは?」について(全1記事)

日本人がいう「平和」に違和感--戦後70年の歩みを世界はどう見ているか

8月9日、安倍晋三首相が長崎市で行われた平和記念式典のあいさつで非核三原則を堅持する方針を明言しました。このニュースを受け、タレントのフィフィ氏は唯一の被爆国である日本が核問題について発言できることは多いとし、自国の平和だけにとどまらず世界の平和のために貢献していく必要性を語りました。(TOKYO MXとの共同企画でニュース番組『モーニングCROSS』を書き起こしています)

戦後70年、日本にとっての平和とは?

堀潤氏(以下、堀):このコーナーは専門分野に長けた論客の皆様に独自の視点で今、知るべきニュースを角度持って思う存分お話いただきます。

脊山麻理子氏(以下、脊山):改めてゲストをご紹介します。エジプト出身で一児の母でもあります、タレントのフィフィさんです。お願いします。

フィフィ氏(以下、フィフィ):よろしくお願いします。

:フィフィさん、テーマの発表お願いします。

フィフィ:これだ!

(テーマ「戦後70年 日本にとっての平和とは?」について)

脊山:安部首相は9日(8月9日)、長崎市で行われた平和記念式典のあいさつで非核三原則を堅持する方針を明言しました。

:ちなみに、先ほどのドイツの場合は、「ナチスドイツが悪かったんだ」ということで、ナチスドイツに責任を取らせるという形で。

日本の場合は、少し国体の護持というのもあったので、そのあたりがちょっとね。違うっていうのもあるんですよね。

フィフィ:もう少し日本がアジア全体で見ていて、「自分たちのアジア」っていうふうに過去は見ていて。今は、日本がアジアっていう中に入っている意識があんまりないですけど、その時はあって。

多分、欧米列強からの支配とか侵略をすごく恐れていたんだと思う。私たち、アラブ側だからわかるのは、侵略とか搾取とか奴隷制度とかそういうもので成長していこうという国と、日本の考え方の侵略というのは、また全然違ったような気がするので。

私も、日本で戦後の非常に歪んだ歴史教育をされたので。日本は、「悪かった、悪かった」ばっかりだったけど、大人になるにつれて「あの戦争は、なぜ日本が開戦しなきゃいけなかったのか」「どういうふうに終戦に至ったのか」っていうのを、自分で調べる術が出てきて、ネットとかで。

そうなってくると、いかに自分が偏ったというか、歪んだ戦後教育の中にどっぷり浸かりながら、真っ赤っかな中でずっと勉強してきた人なので。それと今になってから、「ちょっと違うんじゃないかな」っていうふうに思えてきたのね。

世界の紛争を対岸の火事として見てきた日本

:今、Twitterでね。

「ドイツはユダヤ人の虐殺に対して謝罪しました。しかし例えば英国が植民地化したインド、香港などに対して謝罪していない。なぜ日本にだけ謝罪を求めるのか? 世界から見たら弱々しく見えるからです。」(「トッド君」)

フィフィ:そうそう、何にも謝ってないもん! パレスチナのやつだって、三枚舌なんて未だにずっと引っ張ってんのに、何の責任も負ってない!

日本人は、「戦後70年ずっと平和を貫いてきた、守ってきた」って言うんだけども、日本人の平和っていうのが、ちょっと私には違和感を感じているんですよ。

対岸の火事、要するに私は、さっきも言ったように、戦後ずっと教育を公立の小学校からずっと受けてきて。

:愛知県ですね。

フィフィ:そうですね。

そうするとね、皆さん知ってるかもしれないけど、いわゆるベトナム戦争の最中っていうか、あとに歌われた「戦争も知らない〜」っていう歌を、私も歌わされました。

「戦争も知らない〜」って歌ってたんですけど、私ある時に、古本屋さんで、私が生まれた後に、イスラエル側がレバノンに侵攻したっていうのを、日本の戦場カメラマンさんが撮ったやつを見て。私、自分で、お小遣いを貯金箱壊してまで買って、親に言いにいったことあるんですよ。

その時って、ネットがないから、調べる術がその資料を出すしかなかったから、私は自分で買って「ねぇ、ママ。戦争起きてたの? 争い起きてんじゃん!」って言って。

「戦争を知らない」んじゃなくて、「知らされてなかった」の。

だから、日本は対岸の火事の。要するに、世界に目を向けたら、今だっていろんなところが侵略されたり争いが起きているにも関わらず、「自分が加担していない」と。

「火の粉が飛んでない」っていうんであれば、「平和を維持した」って言ってるけれども、果たして日本は、本当に平和の中にいたのかっていうと、アメリカの傘の下に平和があっただけで、結局は一緒になって、例えば湾岸戦争やイラク戦争の時には、お金とかで援助とかはしているんですよ。何回私たちはそれに裏切られてきたか。

被爆国だからこそ果たせた役割があったはず

フィフィ:要するに、私が言いたかったのは、さっきの「非核三原則」。本当は、ああいうふうに核っていうものを、原爆を経験した日本は、もっと戦後70年でやるべき使命があったと思うんですよ。

なのに、今回もそうだけれども、あえてそれを安倍さんは言わなかった。でも、私は、もっと核っていうものに関して、日本が訴えられる、アピールできたものや、例えば、武器についてもアピールできるものがあると思うんですね。安保法案とか集団的自衛権とは別で、核のことについてや、そういったものに関しては。

核って言ったって、うちの父親もX-RAYをずっと研究していて、その分からだも壊してしまった人ですけど。ずっとそれに苦しんでいたけれども。彼が作ったのは、X-RAYからの薬を作る、機械を作る。

だから、核の利用っていうのは、一概に全てが悪いわけではなく、平和利用できるはずなんだけれども。要するに、平和的に使われなかった、その歴史の中で一番悲惨な被害を被った日本が、それをもう少しアピールできたのに、「私たちは平和だから」っていうのだけで終わってしまって、その先に私は進んでいなかったような気がするんですね。

:この間亡くなった俳優の加藤武さん。86歳でいらっしゃいましたけども。「戦争を知らない世代なんて、うそだね!」と。「起きてたじゃない!」と。「目を向けてないだけじゃない!」っていうことを残して亡くなっていかれてですね。

フィフィ:もっと言えば、『日本でいちばん長い日』って、私、脊山さんと一緒に見に行ったけど。

:今、公開中ですね。

フィフィ:私、あの1日を、2時間でどういうドラマに仕上げてくかなって思ったんですけど。

:ポツダム宣言受諾のね。

フィフィ:「何も私は、そういう歴史教育を受けてなかったんだな、日本にいて」と思って。

私は、戦後「日本が悪かった」みたいな、要するに例えば昭和天皇に対しての責任とか言われるような教育を受けてきていて、それもどうかと思って。いかに日本人が歴史を知らないで育ったのかっていうのをすごい新鮮に感じて。

私は、今、こういうふうに70年になって、いろいろ安保法案とかもあるから、平和を考える時期だと思うけど、すごく両極端な左とか右とかの人たちの過激なのばっかり目立って、非常に歩み寄りがないっていうふうに思うけれども。

極論を知って、議論を続けることが大事

フィフィ:私は、自分の母親が政治学者だったけど、偏った思想の中では全く育ってなくて。例えば、反米だとか、イスラエルが嫌いだなんて、1回も言われてなくて育ってて。

どうやって育てればいいかっていうのは、教科書とかっていうのは、政府の意向だったり、その時の政府の意向になっているわけじゃないですか。今だったら、すごく右寄りな感じの教科書になっていきそうだ。先生の意向とか。

そういうことではなくどっちの意見も聞けるような人間に育てるのが今の日本の教育に必要だと思うの。教科書はあてにしません、私は。親とか、今の大人の責任として、そういうことはやっていかなきゃなと思います。

:この間、高校生とディスカッションした時に、「公平とか中立とかって何?」って聞いたら、いいこと言っていたんですよ。

「極論を知って、議論を続けることだと思います」

フィフィ:そうだと思います!

:極論を知って、そっから議論をする。

フィフィ:ニュートラルな人間なんていません。中立はいないです。人の意見を尊重して聞けるような人間に育てることが、日本の教育の課題だと思ってます。

:ありがとうございました。

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