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2020年の自分へ─「働く」をデザインする時代に向けた怒濤の5時間生討論 - ニコニコ生放送(全1記事)

YOSHIKI、働くことについて語る 「若者は、出る杭を打たせないぐらい出ちゃえばいい」

アメリカ大使館×クーリエ・ジャポンの討論企画において実施された、YOSHIKIさんの特別インタビューが素晴らしかったので書き起こしてご紹介。YOSHIKIさんにとっての「働くこと」についての考えが凝縮されています。海外で働くとは? 日本人であることとは? そして最後は"ロック"で締め。仕事に行き詰まっている人は必見です。

YOSHIKIが海外を拠点にした理由

: 堀です。今日はありがとうございます。

Y: こちらこそ。

: いやあ、まさかYOSHIKIさんにこうしてお会いすることができるなんて、中学生のときの僕に自慢したいです、本当。ははは(笑)。スーパースターですから。よろしくお願いします。

Y: どうもよろしくお願いします。

: YOSHIKIさんのお話っていうのは、いろんな場面で聞くことが多いんですけれども。今日は「働く」とはいったいどういうことなのか。もうずばり、そこのお話をですね、いろいろ伺っていこうかなと。単純明快なインタビューではあるんですけれども。結構みんな迷っているんですよね。今。

Y: ああ。

: まずは、YOSHIKIさんといえばですね、日本からロサンゼルスに拠点を移されて。で、そこからさらに世界各地でいろいろ活躍されていますけれども。どうして日本を出て行こう、というふうに。海外でまず拠点を設けようという風に思われたんですか?

Y: そうですね。まず僕の場合は、なんか「どこまでが仕事で、どこまでが趣味なのか」とか、「働く」っていう感覚でもないんですよね。なんか、「夢を追っている」って感じで。それで、ひとつ夢を達成したら、また次、次……っていっているうちに、海外に出ようと。そして「アメリカに行こう」っていうふうに思ったわけですね。

: アメリカを選んだ理由っていうのは、何だったんですか?

Y: 最初は、やはり、イギリスとアメリカで結構悩んだんですけど、あとフランスも悩んだのかな。僕フランス語も結構、好きだったりするので。ただやはり、音楽の世界というか、まあ映像も含めて、勝負するには、やはりハリウッドかな、というふうに思いまして。最初はそんな長くいるつもりもなかったんです。

: そうなんですか。

Y: とりあえず行ってみて、どうなのかな、と。自分の実力が、自分で思う自分の実力が、通用しないと思うんであれば戻ってきてもいいし、っていう。行ってみなきゃわかんないじゃないですか。で、結局通用しない、とは思えなかったので、もう15年以上いるんですけど。

: 最初に飛び込んで行くときには、怖さであったりとかね、不安であったりとかいうのが、どんな立場の人でも、少しはあると思うんですけれども。そのあたりは、やはりその「自信」というのが、克服していったことなんでしょうか?

Y: そうですね。結局日本にいても、自分の生まれた、「市」であったり、そこから「県」に行って、県から、そこの「日本」に行くっていう。それが広がっているっているだけのような気がするんですけどね。

: なるほど。

Y: 最初とりあえず、僕なんか学校の文化祭で演奏して。「認められたい」とか、「あ、ウケた」とかって。今度は何かそういうコンテストがあったり、また東京に出てきて、ライブハウスでやって。それでもっと大きなところでやってみたい。そのうちいつか東京ドームでやってみたりして。次どこでやるんだろうと。まあもちろん、そのあたり、地方のツアーに回ったりもしましたけど。そしたらまあ、自然の流れで海外っていう。

: まったく別世界っていうことよりかは、自分の人生の延長線上に広がっている、「ひとつのフィールド」っていうようなイメージなんですかね?

Y: そうですね、あまり特別その「海外へ行くんだ!」とかではなく。たとえば、「東京に出て行くんだ!」みたいな、そのノリと近いんじゃないかと思うんですけどね。

「不可能なことはない」=「Nothing is impossible」

: 働くってことでいうと、実を言うとYOSHIKIさん、もう早い段階から自分たちのレーベルを立ち上げたりとかしてますが、今ではビジネスというカテゴリーにも入ってくると思うんですけれども、音楽をやりながら、自分たちのレーベルもひとつ運営していってというのは、非常に若くからやられてましたよね。

Y: やはり、音楽っていうのは一応芸術じゃないですか。それを作るからには、人に聞いてほしいって思いがあったので。単純に自分で作って自己満足ではなくて、人に聞いてもらって、どう思うか、とか。いろんな意見も聞きたかったですし。そうしているうちに、じゃあまあ必然と、ビジネスに繋がっていってしまったってことですかね。

10人に聞いてもらうよりも100人、100人よりも1000人、1万 、10万、100万人……って考えたら、じゃあどうやって自分たちのその音を広めていこうかっていう。それがビジネスになっていった、いうことですけどね。

: 非常にブランド化されているというか。やっぱりそのカリスマ性が、僕ら本当に子どものころから、もう特別な存在だったんですよ。ぜんぜん他のアーティストとは違う芸術性であったりとか。ライブに行ったら本当に異空間にいるような。ああいったことも、ただ、僕は音楽が好きなんだ、だけではなくて。いろんな仕掛けがあったり、いろんな思いがああいったものを形にしていったのかな、と思うんですけれども。そのあたりはいかがでしたか?

Y: 普通のビジネスマンの方でも、スポーツ選手のなかでも一緒だと思うんですけど、結局は「気合い」っていうか。もうそのときに、全力を尽くす。やはりそのジャンルのなかで、頂点を極めるって言い方、どうかわからないんですけど。「やるならとことん、やらなきゃいけない」っていう。甘くはないじゃないですかどんな世界でも。

いつも思っているのは、英語で言う「Nothing is impossible」。あのもう、「不可能なことはない」っていう。自分に言い聞かせているっていう。実際にそう思うとない。「空を飛べ」って言われたら、飛べるかどうかわかんないですけど。そのくらいのことはできる、くらいの意識を持っちゃっているんですよね。

: そうですよね。まさに破滅に向かって、じゃないですけど、破滅に向かうものを、でも出し切る、っていうことだったわけでしょう……?

Y: そうなんですよね。結構、「破滅に向かって」っていうそういう言葉が僕、好きだったり、使ったりするんですけど(笑)。それっていうのは、そのくらい頑張らなきゃいけない。そのくらい覚悟していれば、怖いものがなくなっちゃうんですよね。

: やはりこう、体を壊してもね、ドラマーを、ドラムを叩き続けてね、倒れてもね、起きあがってね。そういう姿を、本当にみんなで共有したことによって、やはり鼓舞されていったものが、僕らの世代もあるんですよね。

アメリカに行って外国人になろうとしたわけじゃない

: アメリカに渡ったことによって、そういう日本のフィールドでやっていたものから、すごくこう、発見したこと。もしくは新たに気づいたこと。どんなことありましたか?

Y: そうですね。そういう日本での生活があったから、海外でも生活があったというか、そういう流れがあったんで、海外でも耐えられるんじゃないかっていう意味と。特にハリウッドに僕がいるんで、世界中の人たちが、そこに集まってきているわけですね。

: そうですよね、世界中のトップクリエーターたちが、自分たちの最大限のパフォーマンスを発揮しようと思って来ていますよね。

Y: そうですね。すごい「メルティング・ポット(人種のるつぼ/melting pot)」とかって言いますけど、いろいろ人種の人たちが集まっているんですけど。そういう意味だと、ハリウッドに行くことによって、アメリカにいることによって、結構、世界がそこから見えたりするっていうことも、とても刺激的ですね。

: 具体的には、どんな世界が新しく見えてくるんですか?

Y: やはり、あらゆる人種の方たちがいるじゃないですか、それはもう、アジア人も多数いますし、ヨーロッパから来ている人たちも、いろんな人たちがいるので。特に音楽業界は人種の壁が最初から少なかったと思うんですね。

一番人種の壁がないところに入ったので、結構、自然に入れていけたっていうことと。あと、それぞれのロックアーティスト、イギリスから来ているロックアーティストとか、ラップアーティストとか、考え方の違いだったりとか、そういうとこにも巻き込まれていって。かといって、僕はアメリカに行って海外に行って外国人になろう、と思ったわけじゃないんですね。

日本人として出て行って、自分の音楽を試したいっていう。あと日本の文化も広めたい。でも日本の文化を広めたい、イコール、アメリカの文化も吸収したいっていう。最初に僕が行ったときには、向こうの文化を知るために、僕はバイブルを読んだんですよ、必死に。英語の勉強しながらそうしないとわからないなっていう。あとはまあ、本当に、契約ごとがものすごく多いので。弁護士社会じゃないですか。そこもすごく勉強しました。

: それは大変でしたね。

Y: 音楽的にピュアであるために、ある程度知っておく必要があると思ったんですね。

: というのは?

Y: すべて契約契約なんで。弁護士も僕も何人もいるんですけど。そういう著作権ひとつにとってもね。

: 逆にいう、そのYOSHIKIさんはアメリカに渡って、アメリカ人になろうと思ったわけじゃない。外国人になろうと思ったわけじゃない。ある種、日本のものを伝えたい。日本人でいたい。っていうことですね。

日本人はシャイでいい

: つまり日本っていうのは、具体的にはどんなものなんですか?

Y: それは何て言うんですかね(笑)。「日本人はこうだ!」とかじゃないんですよね。育った環境っていうか、今まで生まれたときのお母さんの味じゃないですけど、そういうことが日本人として生きてきたということだったり。時には、恥ずかしがり屋の面があったり、几帳面な面があったり。そういう感覚を失わないで、そのまま地でいこうかなと思った、っていう。

日本人は結構シャイだって言われますけど、僕はそれでいいと思うんですね。シャイって別に悪い面だけじゃないじゃないですか。アメリカの立食パーティーとか行くじゃないですか。そういうときの、立ってる、この間(ま)とかも。

: 難しいですよね。ついつい、自由に振る舞わなきゃいけないんじゃないかとか、アメリカっぽく振る舞わないといけないんじゃないかと思って。それがある種、ハードルになって疲れて「あーもういいよ。やっぱり馴染まないな、アメリカは…」っていう人もいますよね。

Y: そうですね。僕は人より半歩ぐらい離れちゃうんですけど。

: あえてですか。

Y: 僕はシャイなんですけど、やはりステージに立っちゃうと、海外もアメリカも周りましたけど、そのときだけはもう「最強」になるわけですね。でもそれを、普段の生活に出してる必要もないじゃないかっていう。やっぱり勝負するときは、そのときは最強である必要はありますけど。人と接するときは、我がままで……あるがままでいいんじゃないかって、僕は思うんですけど。

: 今、その日本もですね、日本のいろんな文化であったりとか、いろんな仕組み、慣習というのを世界各地に広げていきたい、という思惑で、様々な活動が始まっているんですけれども。一言で言うと、最近ではクールジャパンとかね。そういった活動っていうのは、YOSHIKIさんにとってみると、逆に海外から、そういう日本の発信っていうのは、どうご覧になっていますか?

Y: すごくいい試みだと思いますし。僕が思うのは横並びで「みんながこう思っているから、こうしよう」とか「みんなで一緒に力あわせて!」って、それはそれで大切だと思うんですけど。僕は、突っ走っていく人が何人かいてもいいと思うんですね。

: 突っ走る。

Y: 自分はひとりだと思っているんですけど。結局、誰かが壁を突き破らなきゃいけないというか。たとえば、水に石を落とすにしても、ひとつの石が広がっていくじゃないですか。そういう感覚が僕は近くて。その人数が増えると増えるほどいいと思うっていう。

“革命起こし”じゃないですけど。もっと優しいものだと思うんですが、文化を伝えるというのは。

音楽を、僕がやっているときっていうのは、自分のメロディーを聴いてほしいとかっていうときは、もちろんステージのパフォーマンスも含めて。何て言うんですかね、あのバンドがこうしてるとか、あのアーティストはこうしているとかって、あんまり考えなくて。とりあえず、ひとりだけでもいいから突っ走っていこう、っていう考えのもとに。その気持ちが僕らの後輩であったり、仲間に伝わればいいんじゃないかっていうふうに思ってるんですね。

まだ日本人のお手本がいない

: 日本を見ると、海外に出て行く若者が少ないとか。非常にこう、開拓精神フロンティア・スピリットが弱っている、とか言われますけれども、YOSHIKIさんからご覧になってみると、若い世代の、そういった精神状態っていうのはどう見えますか?

Y: みんな意欲はあるけど、どっかに吹っ切れないところがあったりするんじゃないですかね。それを振り切っちゃうのが僕であって。振り切っちゃうことの素晴らしさ。夢を与えられるように、僕なんかはもっと頑張らなきゃいけないと逆に思いますけどね。ミュージシャンでお手本になる日本人の人いないじゃないですか。

: そうですよね。

Y: その意味だと、まあ自分がお手本になるかどうかわからないですけど。素晴らしいミュージシャンはいっぱいいると思うんですね。僕なんかが、少しでも夢を与えられるような存在になれればと思っていますけどね。ただ最初に宣言して「海外に行くぞ!」って言ってから、もう10何年経ってるんですけど。僕の場合「ローマは一日にしてならず」じゃないですけど。持久戦なんですね。

: 僕はそこがすごいと思ったんですよ。あのときには「えー本当に成功するの?」「レコード何枚、売るの?」「知名度は?」「同じ名前のアーティストがいるんでしょ?」とかね。いろいろありましたけど。

Y: 詳しいですね。

: (笑)。ファンでした。

Y: そのとおりなんです。

: それでもずっとやって。しかもYOSHIKIさんがもう現地にいて。ハリウッドのいろんな仕事したりとかして。並大抵の努力じゃなかったと思ったんですよ。

ゴールデングローブのテーマ制作の依頼がきた

: いろいろ苦労もあったんじゃないかな?

Y: そうですね。まだ本当に成功したとは言い切れない。まだまだ先の遠くに向かって僕は目指してると思うんですけど。去年、一昨年とゴールデングローブのテーマ曲とかも手がけさせていただいたんですけど。努力していると「あ、そういうことも起こるんだ」みたいな。

: ゴールデングローブの音楽は、2回手がけられてますよね?

Y: 去年、一昨年とひとつの曲を使われてるので。

: あのときには、どんな気分でしたか?

Y: なんで、なんで僕にきたんだろう? って思ったんですけど。やはり、それは、外国人記者クラブという、ハリウッド・フォーレン・プレス・アソシエーション(HFPA)というのがあるんですけど。そこがゴールデングローブ賞をやっているんですが。そこの人たちっていうのは、外国から来ている記者がハリウッドに集まっているって人たちなんですね。

だから基本的にアメリカの外から来ている人たちが、ハリウッドに住んで作っている記者の団体で、すごく影響力がある。そこでのインタビューは世界にも行く。でも、みんなアメリカに住んでいるっていうところで海外のアーティストたちを選びたかった、って言われてですね。

あとはそうですね、僕はロックもクラシックもやるっていうので。それが効いたみたいっていうか。なんか、認められたようで…。そういうアカデミー賞とか、ゴールデングローブ賞とかって、とても権威がある。どこかロックの尖った、エッジの効いたところが必要だっていうので。で、たぶん両方表現できるんじゃないか、というので。ものすごく悩みましたけど作曲のときは。

: どれぐらいの期間かけて、作られたんですか?

Y: 1ヶ月ぐらいですかね。1ヶ月かからなかったかな? 3曲書いて、「どの方向ですか?」みたいな感じで。で、「この方向で」っていうのを、どんどん詰めていったんですけど。

: それがゴールデングローブの会場に流れた。演奏されてどんな気持ちでしたか?

Y: ちょっと酔っぱらっちゃってたんで、そのとき。

: あはは(笑)。うれしくて?

Y: 会場で「本当に流れてんのかな?」「ちょっと酔いすぎたかな?」みたいな。

: 夢心地……。

Y: ゴールデングローブはパーティー形式で、グラミー賞はこう座っているんですけど。ゴールデングローブってテーブルで、ハリウッドの方たちとかシャンパン飲みながら見てるんで、みんな後半は酔っぱらっているんですよ。僕も3回ほど行かせていただきましたけど。去年の2回目はちょっと緊張してて。「本当に流れるのかな?」とかって思いながら……。

: 流れましたね。

Y: はい。そうですね。

: 僕もあの、現地で地元のニュースを見ていたんですけど、「YOSHIKI」って名前が出て。「はーっ! YOSHIKIさんだ……」って。あんなに誉れはなかったですよ本当に。

Y: 嬉しかったですね。

「人を救うことによって自分が救われる」

: 2010年に財団を作られたり、今その子どもたちに教育の機会を与えてあげたりとかされてますが、ここに重きを置いているというのは一体どういう理由からなんですか?

Y: やはり「人を救う、それによって、自分が救われる」っていうのが、すごくありまして。ロックとかクラシックとかって、結構攻撃的であったり。作曲の課程っていうのは「狂気の世界」に近いんですね。ただ、どっかに安らぎを求めていたりします。

10歳の時に自分が父親を亡くしたり、メンバーを亡くしたとかっていうことがあったり。ミュージシャンとして長くやっているその間に神戸震災があったり。そのときにはチャリティーコンサート開いてピアノを寄付したり。

そうやって子どもたちの笑顔を見たりしていたら、本格的に自分でチャリティー・ファンデーションを立ち上げて定期的にやっていきたいなと思い始めたんですね。

: 日本から出てアメリカに行って、そのシリコンバレーの界隈のみなさんの様子を見ていると、シリコンバレーのIT起業家たちが、移民で入ってきた貧しい子どもたちに一生懸命ITの技術を無償で教えたりしてます。その子たちが将来また起業して、その子たちがまた次の世代に教えていたり、本当にいい循環が生まれていると思うんですね。

日本では、そうした子どもたちをどうやって教育するのか、救うのか、いろんな機会を与えるのかっていうのはまだまだだと思うんですよ。だから、YOSHIKIさんがやられているメッセージは非常に重要だなと思います。もっとグローバルな観点から日本が変わっていくにはどんなことが必要だというふうに思われますか?

Y: 僕はさっき言った、「横を見てるんじゃなくて、前を見ればいい」と思うんですね。たとえば、誰か目の前で人が倒れていたら、「あの人が助けんのかな、私が助けんのかな」じゃなくて、助ければいいだけじゃないですか。だから、最初に僕がファンデーションを立ち上げたいと思ったとき、何もわからなかったんですよ。「501(C)3(※寄付税制上の優遇措置などの対象となる正式な非営利公益法人)」っていう、国に認められている、「YOSHIKIファンデーション」っていうのができたんですけど。それはやっぱり勉強して、弁護士さんに相談しました。

同じように日本でも、皆さんがそういうチャリティー活動でもなんでもしていけばいい。それが、著名な方がやっていたりすると、「売名行為じゃないか」とか言われたりするじゃないですか。別に言われてもいい。それによって人が助かるんであれば何でもいいと僕は思っているんですね。そういう純粋な気持ちでやっていけばいいだけだっていう。それによっていい循環ができてくると思うんですけどね。

: そうですね。あと、本当にYOSHIKIさんが、こう…赤い、すごいYOSHIKIさんらしい色だな、と思って見てたんですけど、ヘッドフォンをデザインされたりとか。本当に音楽だけに留まらず、いろんなクリエーターとしての活躍もされていますよね。日本でこれから活躍したいと思っているクリエーターたちの卵にはどんなメッセージがありますか?

Y: メインは音楽なんですけど、今はライフスタイルを伝える時代になってきているのかなって気もするんですよね。生き方とか。だから自分の場合、結構いろんなことをやっていますけどね。ファンデーションもヘッドフォンとは違いますけど、そのひとつであるんではないかっていう。

僕みたいな人が海外にきても、日本でもいいですけど、どんどんチャリティーを立ち上げるっていいんじゃないですかっていう。

: アメリカにいるほうが、活躍しやすかったりするんでしょうかね。

Y: どうでしょう。

: 日本って「出る杭は打つ」じゃないですけど、若手のクリエーターにとってみると大変かなあと。

Y: うん。でも、出る杭を打たせないぐらい、出ちゃえばいいんじゃないすか?

: なるほど。「突っ走れ!」と(笑)。

Y: これ以上どんなに打っても、打たれない、無理だ、くらい出ちゃえば。「アメリカンドリーム」って言いますけど、自分はまだまだその欠片にも達してないと思うんですけど、そこに向かってますね。

: 最後に、スタジオの論者の皆さんにも向けて、2020年、7年先の働き方を考えるにあたって、キーワードになるであろう言葉を、ぜひYOSHIKIさんからいただきたいんですけれども。

Y: キーワード……。

: ま、今のインタビューの中でも随分たくさんのキーワード、もう既に出ていますけれどもね。

Y: 変な字体になっちゃいましたけど。「Nothing is Impossible」。不可能なことは何もない。あともう一個、書いちゃおうかな。

: 嬉しいなあ。これ僕も実践します。

Y: 「Keep on Rocking!」

: あははは。ロックスター!(笑)

Y: 次の7年って言いますけど、結局、毎日の積み重ねですね。僕は今、「今、一瞬一瞬を思いきり生きる」ことによって、将来っていうか、その夢が叶っていくんじゃないかなって思っているんで。「7年後だから、じゃあ、1年後にあれをやればいいや」とかっていうよりも、本当に「今からやってく」っていうことだと思いますね。

: 今まさに。

Y: そうですね、「明日からがんばろう!」っていう……。はい。

: ありがとうございました。

【拍手】

: YOSHIKIさん、本当にありがとうございます……。YOSHIKIさんに持っていだいてもいいですか?(笑)

Y: あ、そうですね、そうですね、本当に書いたのか、みたいなね(笑)。

: もう本当に、涙がでますよ、YOSHIKIさん……。

Y: 自分で書いた字、たまに読めないんですよ。

: あははは(笑)

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