憲法13条は「避妊の自由」を保障するか
三輪:ちなみに厚生労働省は「母体保護法の施行について」という通知を出していて、そこではこんなことが書かれています。一部省略して紹介します。
「健康者が経済的理由や、単なる産児制限のため、また出産によって容貌が衰えることを防ぐためなど、この法律の目的以外に利用することを防ぐため、生殖を不能にすることを目的として手術等を行うことを禁止したもの」 というふうに母体保護法について言っているのです。
だから単なる産児制限とか、そういう単純な理由で生殖不能の手術などしてはいけないよという通知も出しているのです。原告としては、いろいろな理由で、自分はもう妊娠しない体にしたい、手術を受けさせてください。そう言ってもできないから、それを受けられる地位の確認を求めたのです。
こんな法律があったら、当たり前ですけれど。日本で不妊手術をしてくれるお医者さんは、いないのではないですか。法律に違反してしまいますから。
武田:はい。
三輪:だけど、その法律はそうなっているけれど「ちょっと待ってよ。憲法があるよね」と。性と生殖に関する自己決定は憲法13条で保障されているのではないですか。だから、この法律はそれを制限しているから違憲ですよね。違憲の法律を執行していたらダメですよね、というふうに訴えたわけです。
結論としては、原告の請求は認められませんでした。ここから、判決の構造、ポイントということで紹介したいと思います。
この裁判については、画期的な指摘もありました。判決理由中で、結論としては原告の請求は認められなかったのですけれどね。
判決理由中の判断に、判決は「憲法13条は女性に対し、人格的生存に関わる重要な権利として、国家から妊娠するように強制されない、あるいは国家の介入干渉なしに妊娠しないという決定ができるという意味での避妊の自由を保障しているものと解するのが相当であり、国家が女性に対し妊娠するように強制すること、あるいは妊娠しないという決定に介入干渉することは、その者の避妊の自由を侵害するものとして、憲法13条に違反する」と指摘しているのです。
これが指摘されたけれど、結論としては原告の請求は認められませんでした。
もう一点指摘があって、母体保護法3条1項所定の要件のうち、原告らが指摘するものについては、同法の目的に照らして合理性に乏しいというふうに、指摘はしたのです。不妊手術に関する制度のあり方については、適切な検討が行われることが望まれるというふうに指摘はしました。
だけど請求は認められませんでした。なぜ請求が認められなかったかという話になるのですが、まず、そういうふうに避妊の自由はあるのだと。
判決への疑問と「母体」という言葉が隠すもの
三輪:だけど、ここから判決は1歩進んで「憲法13条が避妊の自由の一内容として、不妊手術を受ける権利、または自由を保障しているものと解することはできない。不妊手術を受けることができないからといって、子を設けるか否かを自らの意思で決定することができないものではなく、憲法13条が不妊手術を受ける権利、または自由を保障しているものと解することはできない」と言ったのです。
つまり避妊の自由というのは人権だけれど、不妊手術を受ける権利までは、憲法13条では、その手段としての自由を保障しているわけではないから、この法律は、その不妊手術を受ける権利の侵害とは言えない。ということで、憲法判断しなかったのです。
なので、憲法13条に反していると言えないというふうに結論づけました。
ですから、本当はですね、こういう構造で、他の方法で別に避妊する自由とか認めているわけです。ピルを飲んだりとか、器具を子宮の中に入れるやつとか。いろいろな、他の避妊の方法はあって、そういうことはちゃんと保障されているから、この特定の手段による自由というところは、保障の対象ではないという判断だったのです。
だけど私は本当は、避妊の自由があるなら、その規制している手段と目的に照らして、この法律がどうかというふうに正面から判断すべきだったのではないか、というのが私の考えなのです。
こういうふうに、規定は少し合理性に乏しいから考え直したほうがいいよとか言っているのだったら、もう少し正面から検討してもよかったのではないか。これが今回の判決に対する私の感想なのです。
確かに他の方法はあります。毎日ピルを飲むこととか、子宮に入れるとか。でも、例えばピルだったら毎日なのですよね。手術だったら、1発でできるわけです。やはり当事者の方法の選択が本当に自由に選択できて初めて、自由は保障されていると言えるのではないか。
そこも、裁判所はもう少し考えてほしかったな、というのが私の今回の判決の感想なのです。この法律の名前が、もし「女体保護法」だったらどうですか。
武田:女体保護法。
三輪:母体保護法という法律なのですが、母性保護法という法律の名前になる可能性もありました。だけど反対もあって母体保護法に落ち着いたのです。
だけど、これが女体保護法だったら「あれれ」となりますよね。母という言葉が、すごくいろいろなものを見えなくさせたりしているなと思っています。女性に生まれたらみんな母になるわけではないのに。なりたいかどうかも本当は選べるはずなのに。
母ということがいろいろなものを免責させているということを、私はすごく感じていて、モヤモヤするのです。あと、この母体保護法って前身は「優生保護法」なのです。
武田:はい。
優生保護法から続く国家による身体管理の歴史
三輪:優生保護法というのは昭和23年6月28日に制定されました。当時、日本は敗戦後ですごく困窮していて、これから国を立て直していかなければいけないという時代でした。
そういう中で、この母体保護法の前身の優生保護法の目的は「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護すること」 ということを目的としていたのです。これが改正されたのが平成8年なのです。ちょうど30年前です。
さらに優生保護法の前身が、昭和15年にできた「国民優生法」なのです。この国民優生法は「悪質なる遺伝性疾患の素質を有する者の増加を防禦するとともに、健全なる素質を有する者の増加を図り、以て国民素質の向上を期することを目的とする」 というふうになっていて。
こういう時代の流れを考えると、この法律は本当にこのままでいいのか。もっと検討されなければいけないのではないか。ということをみんなで考えられたらいいな、ということでお話をさせていただきました。
武田:これまでの歴史を考えると。むしろ国側がこの妊娠、出産を管理してきた歴史があるわけですね。だけど、今こういった原告の方たちのように「自分の体は自分で判断させてください」となった時に「いやいや、もしかしたらあなたたちも、そのうち妊娠したいと思うようになる体ですよ。妊娠したいと思うようになるかもしれませんよ」 ということが、どこかにずっとベースに敷かれたままなわけですね。
三輪:パターナリズムですね。
武田:原告の方たちは「いや、そういうことではないのです」と言っているのだけれど。ずっとそれが残り続けるという。
三輪:だから今回、本当はそういう手術を受けるか受けないかも自分の問題だから。おおっぴらにしなくていいはずなのに。ここまで原告として、やってこられて、本当に敬意を表するというか、弁護団の先生方も大変だっただろうなという思いとともに、また控訴審について準備されていると思うので、これからもちょっと応援したいなと思っています。
武田:避妊し続ける自由はある。避妊をする自由はある。それは日々どうぞやってくださいと。それは整ってはいる。だけど、その延長線上に自らの意思で不妊手術を受ける、ということはダメですよ、と。ここの境目を、どういうふうに言葉を用意するか、なかなか難しいことだと思います。引き続きということですね。
三輪:引き続きということですね。
西村:このコーナーはPodcastQRでも配信しています。ぜひチェックしてください。ラジマガコラム『記子の気になる日本のほぉ~』でした。