【3行要約】
・高市政権の圧勝後、「高市鬱」という言葉が広まる一方、嫌悪の言葉による応酬が続いています。
・ 臨床心理士・村中直人氏によれば、叱る行為はドーパミンを分泌し依存・エスカレートを招くため、政治への怒りも同様の回路に乗っている可能性があります。
・ リベラル側は怒りや断罪ではなく、賃金・生活問題など具体的な議論を淡々と発信し、熟議の姿勢で政治をチェックすべきです。
言語化ブーム、2年で出版点数が倍増した理由
西村志野氏(以下、西村):ここからは前半レギュラーの「ラジマガコラム」。水曜日は、勅使川原真衣さんの『勅使川原真衣の「今日もマイペースで」』。今日はどんなお話でしょうか?
勅使川原真衣氏(以下、勅使川原):今日は猫も杓子も言語化ブームということで、言語化ブームの光と影を見たいと思います。
元ネタは日経新聞3月2日付の電子版です。おもしろい記事がありました。「何でも言語化する社会、関連本ブーム。あうんの呼吸、通じぬ時代に」ということでした。
武田砂鉄氏(以下、武田):確かに、大きな本屋に行くと、書名に「言語化」とつく本が多くなった感じがしますよね。
勅使川原:2024年と2025年を比較すると、倍増の30点に達しているそうです。もともと学術用語だったそうですが、今は「思っていることをうまく言葉にする」「文章にする」という意味で日常化して、SNS時代には「目下売れ筋」ということになっているようです。
武田:確かに、曖昧な感情や不安は言葉にすることで整理されることはありますよね。
勅使川原:「AI、AI」と言いますけど、プロンプトを書く時は自分で考えて指示を出さないといけないわけで、やはり考えを明確化する力は不可避かと思います。
思うんですが、やはりこのコラムは物事の両面性や多義性を考えてきましたので、ぜひ言語化ブームも「何を得て、何を失うの?」という話をしたいと思います。
武田:よろしくお願いします。
勅使川原:私は教育社会学と組織開発を仕事にしてきて、人の選抜と評価に約20年間関わってきました。思い出すのは、やはりうまいことを言える人は評価されやすい場面は確かにあるなと思います。
他方で、そういう曖昧かつ問題を個人化したような指標を使っているからこそ、うまくいかない組織もあるような気がするんですよね。
そもそも何のために私たちは言葉を交わしているんでしょうか。仕事で言うと、みんな違う人間なので、少しでも頭の中身をすり合わせながら仕事をしないと物事が進みません。
なんですが、仕事ができるとされる人の中には、確かに言語化がうまい人もいらっしゃると思いますが、言語化がうまければ仕事がうまくいくかというと、それはちょっと違くないですかと思うわけなんです。
なぜなら仕事は分業だからです。個人の能力の話だけをしても仕方がありません。なので、自分と相手との違いを起点に変容していくのが、本来のコミュニケーションの目的のはずです。
なのに、もっとお互いに違いがなかったら楽に仲良くなれるのにな、「あうんの呼吸」でやれたらなとか。
逆にチームメンバーみんなが「言語化の鬼」みたいな人だったらもっとスムーズなコミュニケーションなのになと思ってしまうのは、組織の実態からすると若干非現実的な妄想かなと言わざるを得ません。組織の分業の実態を踏まえるならば、違いのある個人を前提として、組み合わせて活かす発想は避けられないと思います。
「言えない」のは個人の問題ではなく、組織構造の問題
勅使川原:なんですが、言語化ブームは先にお伝えしたとおり、この点には切り込まないんですよね。問題をあくまで個人化させて、個人の能力向上を謳うというきらいは指摘しておきたいなと思います。
しかも「言語化能力」と言いますが、個人には良し悪しのない持ち味、パーソナリティはありますよね。即時的なやり取りが得意で立て板に水のごとくしゃべる人もいれば、時間をかけて考えるほうが持ち味を発揮できる方ももちろんいます。書くほうが向いているなという方もいれば、対面はちょっと苦手だなという方もいますよね。
それなのに今の社会で何が起きているかというと、即時的で、端的で、わかりやすい言語化、これを基準にして能力を勝手に測りがちだな、測りすぎだなということが私の懸念だと思っています。
武田:そういう評価軸の組織の中にいる人は、嫌だなと思いながらも、その評価を得るためには、自分は言葉にするのは苦手だけど、言葉にしなきゃいけないからこそ、そういった本や記事を読んだりすることになってはいきますもんね。
勅使川原:本当にそうなんですよね。評価されないことには始まらないとなってしまいますよね。本当は組織の側も一人卒の仕方、工夫できるところがあるはずなんですけどね。
あと、まだこの言語化ブームが心もとないなと思う点がありまして、それは「思ったことをその場でうまく言えない」という悩み、この言語化ブームで多いと思うんですが、これ本当に個人の能力の問題なのかというのは、まだまだ問えると思っています。
言える・言えないって、組織の構造によるところが大きくないですか? 多くの組織には権力の勾配があります。上司と部下であるとか、正規と非正規とか、ベテランと若手とか、多数派と少数派とか、いろいろありますよね。
端からそういう場合って、権限・裁量の非対称性が組織の中にあります。そしたら当然、階位にいるとされる方は言葉を出しにくいですよね。時には口を塞がれるようなこともあると思います。
これは言語化能力の問題じゃなくて、組織の構造の問題だと思います。
ちなみにこの潮流を下支えしていると考えられるのが、SNSを中心としたタイパ社会なんじゃないかなと思います。
SNSはとにかく即時性を要求しますよね。短く、強く、わかりやすく。さらにアルゴリズムは反応の多い投稿を優先的に拡散しますので、怒りとか、根拠不明の断定とか、キャッチーな言い回し、これが報酬を得やすい設計になっちゃっています。
一方で、よく考えて熟慮するとか熟考する人とか、逡巡して考えるようなタイプの人は、なかなか発信が難しいですよね。
SNSが加速させた「即答できない人は能力が低い」という幻想
武田:先ほどニュースで「早苗トーク(※高市早苗氏の発言)」の話をした時に、僕が反面教師的に『Real Value』というYouTubeチャンネルをちょっと見てみた話をしましたが。
経営者の人たちがバーっと並んで、新たなプロジェクトを持ってくるような経営者とかいろんな人に対して、そのプランがちゃんとうまくいくかいかないかみたいなことを経営者の人たちがジャッジするエンターテインメントの番組なんです。
とにかくまさにプレゼンする人が何を言おうとしているのかというのがモヤっとした瞬間に、経営者の人たちが「お前が言ってること、ぜんぜんわかんないんだけど」とか、「そんなんでうまくいくと思ってんの?」みたいな、かなりこれまでの説明を一発で切るみたいな、それに快感を覚えさせるみたいなことが起きています。
それがYouTubeだけじゃなくて、そこからまた切り抜きのYouTubeとかになっていって、そこに出ている経営者の人たちが拡散させていく。
ビジネスをするんだったら、問われた時にスパッと答えられないと、そのビジネス自体は大したビジネスじゃないんだぞと断定するような動きですよね。それにみんなスカッとしてるとしたら、ちょっと問題だなと思いながら見ましたけどね。
勅使川原:見世物化しているところ、確かにありますよね。SNSは特定のコミュニケーションの様式を優遇してしまっていると思います。かつ、それを標準にしてしまう、人間としてこれぐらい、人としてどうなんだみたいな形で標準化する動きも持っていると思います。
これ、SNSの話だけだったらいいんですが、私が懸念しているのは教育の現場でもあります。
教育は理念でやっているんだからタイパ社会は関係ないんじゃない? と思われるかもしれませんが、意外とそうじゃないんじゃないかなと思います。
実社会を見ないと教育も成り立たないので、そうすると最近は「主体的に学ぶ」。主体的って言葉もいろいろあるわけなんですが。
あと怖いのは「自己発信できる子ども」を目指しているんですよね。何かあるなら自分から言えよと。これも大丈夫かなと思います。発信の速さ、明快さだけが知性ではないのに、SNSのみならず教育の現場なんかでもこれが重用されることを懸念しております。
やはりパーソナリティであるとか、組織構造の問題は残されたままになってしまうので。