「臨機応変さ」を評価するから、その場にいないとダメになる
勅使川原:これを「日本人ってそういう奥ゆかしい人たちだから」とかは、私は言いたくないんですよね。記事にはなかったんですけども、思うに、この休めない問題は日本の雇用慣行と関連していると考えています。
このコラムでも何度かお伝えしてきているんですけども、多くの日本企業は長い間「メンバーシップ型」と呼ばれる雇用慣行であり、人材マネジメントシステムを導入してきました。これだと「ジョブ」と呼ばれる職務要件は、決める必要がなくなってしまうんですよね。
細かく決めないで、会社の一員として、メンバーシップなのでそこにいて、状況に応じて仕事を引き受けてくれたらいいよと。その場その場で動ける人、そういう人が欲しいよね、優秀だよねと考えてきたやり方でもあります。
メンバーシップ型雇用の慣行を持つ我が国で考えると、言い方を変えますと、臨機応変に対応できることであるとか、場の空気を読んで動ける人。これが評価されやすいということでもあるんですよ。この重要な点、「臨機応変さ」って考えたいんですけど、これ、その場にいないとできなくないですか?
武田:そうね。
勅使川原:どういう状況かわかんないと。その場にいないと発揮できない能力を評価してしまっているというのは、ポイントだと思います。そうすると休んだらダメですよね。いないとダメだから。
試合をよく仕事に例える人がいるんですけど、「バッターボックスに立っていない」とかね。「棄権しているじゃないか」とか言う言い方をする人がいます。評価されるためにはそこに居続けないといけないという理屈なんだけど、これ、そもそもおかしいよねというのはあると思うんですよね。
休みにくさの話にもつながりますけども、私は長時間労働も関わっていると思います。その場にいて、よしなに活躍しているふうに対応しないといけないとなると、やっぱり張り付いていないといけないんですよね。日本の長時間労働問題も関わっているような気がします。
武田:新型コロナが感染拡大した頃に、いろんな各社がリモートワークとか働き方を変えるという場面がありましたけども。僕の知り合いの会社で勤めている人が、とにかくいろんな働き方になっているのに、当時の上司がとにかく出社してくるんだと。
「なんで出社をするか」というと、その人の言い方では、「もう、あの人は『居る』ということにも働くということの価値をものすごく置いているから。とにかく何があろうと僕は居るよ」というふうに。それがなんというか、自分の働くことのファーストプライオリティになっているみたいなことがあって。
まったくそういう人が上にいると、柔軟な働き方には絶対にならないという、それを愚痴っている時がありましたけどね。
勅使川原:いや、すごくわかります。「僕は」ってね、僕の話だけしてくれていたらいいですけど、だいたいそこで人間ってやる気を測ってしまったりするものなので。「僕は無理しているからお前はどうなの?」とかね、そういう発想はなかなかなくなりません。
ヨーロッパでは「休ませること」が企業の義務
勅使川原:打開策のヒントを得たいと思っているんですけども、戻りますが、ヨーロッパの事例が紹介されていました。EUでは年休を確実に取らせることは企業の義務だそうです。罰則もあるということでね。フランスでは「休暇カレンダー」というのをあらかじめ1年分決めるんだそうです。なんかゾーン制を導入して、一箇所に混まないように休める期間を変えたりとかもちゃんとしていると。
あとドイツは病気休暇が法律でしっかり保障されているので、保険のようにとっておく必要がなくてちゃんと使えるという仕組みもあるそうです。つまり休むことが、個人が遠慮しながらお願いして取るものということじゃないってことですよね。会社が、社会が、当たり前に整えるもの、という風潮をちゃんと醸成しているということだと思います。
制度があるだけではやっぱり足りないんですよね。実際に使える、使わせてもらう設計が喫緊の課題かなというのは間違いないかと思います。
ちなみに、休むことって生産性と対立する概念ではないんだそうで。これ、記事の中でも調査結果が出てましたけども、休める人が多い職場のほうが生産性が高い傾向があるそうです。
これは推察ですけども、休んでも困らないようにするためには、やはり職務要件、「ジョブ」というものを整える必要があるんですよね。ちゃんと整えて分業してきているから、生産性もひいては上がるという理屈なのかなと思います。
また、休む国、休まない国の違いの背景はですね、義務化のようなヨーロッパの事例以外にも、人生観とか仕事観の違いというのもありそうな気がするんですよね。仕事が人生のすべてではないとか、仕事以外のことで人間の視野は大いに広がるんだとか、そういう社会的なコンセンサス、日本はどうですかね。「仕事にいささか意味を持たせすぎてないでしょうか」。どうかしらね。
武田:まあでも、今回こういうラジオ番組を始めるにあたって、文化放送からも「休むように」言われていますからね。まあそれはいろいろ時期を話し合って、ちゃんと休む、こういう期間を作ってくださいねというふうには言われていますから。
西村:休み期間はとってくださいね、というふうに。
勅使川原:へえー!じゃあ夏季休暇とかも。
武田:どういうタイミングで取るかっていうのは、それは西村さんともいろいろ相談しないと、せーのでいなくなるっていうのは、それはそれでいいのかもしれませんけど。
またそこは相談しつつ、でも「ちゃんと休んでくれ」というふうに言われているから。まあそういう企業は増えてはきているのかなとは思いますけどね。
勅使川原:本当そうですね。他にも記事にあっておもしろいなと思ったんですけども、「つながらない権利」って聞いたことありますか?
武田:大事、大事。
西村:ちょこちょこ言われていますよね
勅使川原:これ、勤務時間外に仕事のメールや電話に対応しなくてもいいという、興味深い労働者の権利です。フランスはもう2016年から法制化されているということで、スペインとかイタリアなんかも導入されているほうです。
休暇を取っていてもね、スマホに通知がきちゃうとどうですか? 休めないですよね。取引先からあれはどうなってる、これはどうなってるって電話が来ちゃっても困ります。結局、頭のどこかで仕事が続いてしまうと、休んだはずなのに休めていないというね。
休みの「日数」だけが問題じゃなくなっちゃうわけですよね。休みの「質」の担保、これをどうしていくかっていうのも大きな課題だと思います。
ちなみに、これも実はジョブを決めることで回避できる部分もあると私は考えていて。だって、つながらない権利とは言っても、終わっていないのに帰られたり、電話に出てもらえないと困るじゃないですか。だけどそれを指摘するとまたパワハラだとか言われちゃうんじゃないかというのが、今の日本の現在地だと思っていて。
だけどこれ、ちゃんとジョブがあれば、事実として「ここまでが職務範囲だよね」「これは終わらせてくれる?」という指摘ができるんですよ。ここは、やったほうがいいんじゃないかなと思います。
私、そういうわけでですね、これからの日本に必要なのは、さらなる特別休暇制度の拡充とか、もっと休みの意識を高めようとか、そういうことじゃなくて、そもそも「その場にいる人が優秀だよね」という考え方、これの転換が求められているということではないかと考えています。
いなくても回る仕組みを作った会社が、大事だよね、偉いよねというふうになっていったほうが健全ではないでしょうか。
ちなみに、こういう話をするとですね、こう思われる方もいらっしゃるかもしれません。「みんな一斉に休めるようにすればいいんじゃないの?」って。この考えがあるみたいで、事実、日本の祝日の多さって先進国でトップなんですよ。2026年で18日もあります。他(の国)は9日とかなんですよね。
なんだけども、どうですかね。業種的にやっぱり同じ休日じゃ休めない。休日こそサービス業なんかは出なきゃいけないというのはあるし、インフラだって止められないしっていうのはあるし。祝日休みによって日本はどうですか。観光地、めちゃめちゃ混雑しますよ。夏休みの同じ時期に取らされるから、もうものすごい旅費の高騰もありますと。
というわけなので、やっぱり休みにくさの構造から変えるというほうに舵を切ったほうがいいと思います。あとは「つながらない権利」のような新しい人権の考え方、このあたりもミックスして考えてはどうかなと思います。
武田:この朝のラジオをやるまでは、わりとどっか遠くに行く時にも、火水木とかでヘラヘラ行っていたんですけど。そうすると、やっぱり各地すごい空いているじゃないですか。
今、月火水木と、あと金曜日も別のとこでラジオをやっていると、まあ土日でどっか行こうとなると、「あ、土日って混んでいるんだ」ということをね、あらためて感じますけどもね。
勅使川原:本当そうなんですよ。
武田:そこがけっこう、いろいろ休み方というか、変わってくると、変動してくると、本来はいいんでしょうけどね。ぎゅっと、そこに詰まっちゃっていますもんね。
勅使川原:そこだけしか休めないとなるとね、ゴールデンウィークとかね、旅行へ行けなくなっちゃいますからね。難しいんですけども。
「休む」と「責任を果たす」は別の話
勅使川原:ちょっと余談なんですけれども、冒頭のニュースでも少し申し上げたんですが、2月1日、『日曜討論』に出演30分前にキャンセルを申し出た高市総理の話。これも「休みにくさ論」と絡んでいるのかなと思って、少し考えたいんです。
持病の関節リウマチを悪化させるような握手だか何だかをしたということで、朝に出演の見送りの申し出があったということですよね。その間しか医務官が来られなかったのかどうかわかりませんが、消炎剤のような塗り薬とテーピングをしたことで、岐阜・愛知ほか遊説できるようになったというのを、ご本人が日曜日の午前10時53分にXにポストしていました。
これ、いろいろ考えさせられるなと思うんです。
一回休むと……まあ一回じゃないんですけど、「#高市逃げた」というのがXのトレンドになってしまいましたし、「テレビで座ったままの討論できないのに、一方的に話す全国各地の遊説はできるの?」みたいな質問もいろいろ投げかけられました。
そのとおりであるなと思う一方で、やっぱり本当に体調不良というのはあることなので。予期せぬことで休まなくてはいけなかった人に、変な心理的負荷が掛からなければいいな、と思うのですが。
ただ、この批判の中で「ひどいな、左派は」みたいなポストも、けっこうあったんですよ。つまり、人の体調不良とか病気のことをこんなに「逃げた」とか言って「人でなし」とか言われていたんですけども、「いやいや」と。違いがあります。一国の長である彼女の話と、我々との違い、やっぱり大きくあるんですよね。
まず責任が違います。責任というのは「レスポンシブル(Responsible)」と言いますけども、レスポンシブルって「レスポンド(Respond)」するっていう語源を持っていますよね。つまり、応答しなきゃいけない。聞かれたことには答えるというのが責任の第一義なんですよ。説明責任を果たす、というのも責任です。
なので、責任をすでに役職としてある立場の人が、選挙前実質最後の『日曜討論』に出てこないというのは、やはりこれ、責任を全うしていない、職責を全うしていないということになると思います。それも、TM特別報告の件であるとか、外為特会の「ほくほく」発言があった直後ですから、国民は聞きたかったですよね。そこに応じない、というのは違うかな、と思います。
どなたかのXで拝見したんですけども、「日曜討論で逃げるなら、この国の一大事があっても真っ先に逃げるだろうね」とおっしゃっていました。そのとおりだなと思ってしまいました。
武田:『日曜討論』の会場は、本当に官邸・公邸から非常に近いところで、もう行けると。そこは出ずに、その後この寒風吹きすさぶ外に出て行って演説は、無事に敢行される、実施されるという。まあこのあたりというのはどうなのかな、と当然思ってはしまいますもんね。
勅使川原:休む休まない問題、ただでさえセンシティブなのに、ここに持病の話も持ってくると、やっぱり余計センシティブになりますよね。ただ、原点に返って「職責を果たしているのか」という見方は一つあるかなと思います。
武田:やっぱりそこは、勅使川原さんがおっしゃるように、応答する、説明するという責任を果たしてもらわないといけない立場だということは、繰り返し強調したいですけどね。
勅使川原:本当にそうです。「コメントを差し控える」はなしですよ。
西村:このコーナーはポッドキャスト「PodcastQR」でも配信しています。ぜひチェックしてください。ラジマガコラム、『勅使川原真衣の「今日もマイペースで」』でした。