【3行要約】
・憲法学者・木村草太氏が解散権の乱用問題を指摘。首相の一存で行使できる現行制度に疑問を呈し、国民への説明責任を果たすための「手続法」の制定を提案しています。
・ 樋口陽一氏の研究を引用し、解散権は「君主による懲罰」から「国民が政治的争点を裁定する手段」へと変化したと解説。
・ 解散時に国会で首相が理由を説明する手続きを法制化することで、解散の透明性を高め、国民が争点を理解した上で選挙に臨める環境整備が必要だと訴えています。
憲法学界のレジェンドが語る「解散権」の本質
西村志野氏(以下、西村): ここからは前半レギュラーのラジマガコラム。火曜日は木村草太さんの『木村草太の「今朝の一手」』です。今日はどんなお話でしょうか。
木村草太氏(以下、木村):今朝の一手は、加藤一二三先生追悼の気持ちを込めて、第20期十段戦・加藤一二三十段対米長邦雄棋王より、後手・加藤十段の「5三桂」を紹介します。
1月22日、加藤一二三先生が亡くなりました。数々の記録を打ち立てた将棋界のレジェンドです。明るいキャラクターでバラエティ番組などでも活躍されましたので、ご存じの方も多いのではないかと思います。
本日紹介する5三桂は、ライバル・米長邦雄先生とのタイトル戦の一局。昭和56年12月の十段戦、今は竜王戦というタイトルに改変されていますが、当時あったタイトルの十段戦の一局です。
局面は、先手・米長棋王が中央から攻め立ててきたところ。慌ただしく戦いが始まると、どうしても視野が狭くなってしまって、狭い意味での戦場、駒がぶつかっている場所しか見えなくなってしまうことがありがちです。
ここで加藤先生は、戦場から一歩離れた場所に拠点を作る手を指します。常に、視野の広いところから考えてほしいというメッセージが込められた一手でした。ご本人はこの手を、自戦記の中で「深々とした手」とし、「長い時間考えられたからこそ思いついた手なんだ」ということを強調されています。
昭和の棋譜を並べますと、このような巨匠のメッセージを感じることができて、非常に楽しい気持ちになります。
さて、この流れの中で紹介したいのが、同じく憲法学界のレジェンド・樋口陽一先生の『解散権論議』です。
武田砂鉄氏(以下、武田):『解散権論議』。はい。
木村:樋口先生は、衆議院の解散権の乱用問題について、歴史的沿革から考えるべきだということをしばしば強調されています。
近年、解散権の乱用が話題です。今回の解散についても、厳しい視線が向けられているところです。樋口先生は、議会の解散というのはもともと、君主、国王とか皇帝が、議会に対する「懲罰」として行っていたものなんだというところから筆を起こします。
今日では、そうした懲罰としての解散ではなくなって、選挙民が政治的な争点を裁定するためのものになってきた、と解説されています。こうした考慮から樋口先生は、衆議院を解散する場合、内閣には解散権を乱用せずに、国民に問うべき争点を明確にする責任があると指摘されています。
解散権の乱用を防ぐ「手続法」という提案
木村:では、解散権の乱用を防ぐためにどうするか。まず思いつくのが、憲法を改正して、「争点が明確になるような、内閣不信任が可決した場合に限って解散ができる」と憲法改正をすることが思いつくわけです。
しかし、解散権そのものを制限するために憲法改正をするとなると、時間も手間もかかります。そこで私が、直接的な憲法改正とは別に考えたほうがいいんじゃないかと思っているのが「法律の制定」です。
法律で解散の手続きを定めてしまう。解散をする時に、一方的に首相が解散をするというプロセスではなく、手続きをちゃんと踏んでから解散をするということを法律で定めてはどうかと提案しています。こちらの提案は実は、衆議院の憲法審査会でもお話をしました。
どういうことかといいますと、今、解散は基本的に内閣が解散を決定して、天皇に助言と承認をして解散をしてもらうプロセスになっています。この間、「なんで解散したんですか」ということを、解散される衆議院側から問うたりするプロセスはなく、解散の理由も議事録には残らないわけです。
これだと国民は何のために解散しているのかわからないですし、後々「なんで解散したのか」を議事録で調べてもわからない。もちろん記者会見等は行われますけれど、記者会見の場というのは、必ずしも首相側が答弁義務を負うわけではなく、「時間が来たので打ち切りです」ということもできてしまうわけです。
そこで私が提案しているのは、こういう手続きです。
まず首相は、内閣で解散をしようと考えた場合には、首相から衆議院議長に解散の意向を伝える。次に衆議院で、首相が与野党の議員から解散の理由を問われて、それに答えるという審議を行う。
こうしますと、なぜ解散するのか、理由がきちんと議事録に残ります。また、国民にもわかりやすくなるということです。
このように、解散権を直接制限するだけではなくて、じっと力を溜める、手続きを作る。こういうやり方もまた、解散権のコントロールにはあるんだよということで、これは加藤先生のメッセージにも通じるやり方ではないかなと思います。
武田:これ、実際「解散」というのは、言ってみれば「クビ」ってことですよね。
木村:なので、もともと懲罰だったというのが樋口先生の解説ですね。
加藤一二三先生との思い出
武田:まずこの『解散権論議』の前に、加藤一二三さんが亡くなられたということですけれども、木村さんは加藤さんとは直接的な接点はありましたか?
木村:実は朝日カルチャーセンターというところで、加藤先生の棋譜を振り返る、加藤先生の自慢の棋譜を振り返る時の聞き手を務めました。今でも、アーカイブで見ることができるんじゃないかと思いますけれども。
その時に加藤先生が、名人を獲った時の棋譜とか、ライバルとの対局、例えば羽生(善治)さんとか藤井聡太さんとの対局を、私が局面を並べて解説をしていただいたことがあります。
武田:何か今、お手元に『加藤一二三名局集』っていうんですか、かなり分厚い本が。
木村:その時にいただいた「直感精読」というサイン入りです。
武田:直感精読。
木村:直感も大事だし、直感で得たものをきちんと読み解いて、直感と精読の両方が大事ですと。加藤先生はよくこういう揮毫をされるんですけれど、その時にいただいたお言葉ですね。
加藤先生はその時、非常に印象的だったのが、名人戦の時に「我々は非常に簡単なことで、非常に大きな成果を逃しているということがあるんだ」と。「だからこそ、一手指し一手慎重に精読することが重要なんだ」というお話をしてくださって、非常に印象に残っております。
武田:加藤さんがお亡くなりになって、バラエティでこういうの出てましたとか、こういうトーク番組出てましたみたいなので振り返られることってたくさんありましたけれども。棋士としての加藤さんの凄みというか、突出したところというのはどういうところですか?
木村:いろんなところがありますね。信念を持っているとか、同じ戦法を突き詰めるとか言われたりしますけども、私がすごいなと思うのは「研究の熱心さ」というところですかね。
将棋ってやっぱり研究が非常に重要なんですけれども、昭和時代はAIみたいなものはなくて、将棋の棋譜、プロの対局の記録を見るのも非常に大変だったんです。
そうした中で加藤先生は、中学生で棋士になった天才と言われますけれども、実際その天才的な面と、非常に夢中で努力をして戦法を発展させる、研究をしてそれをライバルたちにぶつけていく。
またそのライバルが対策をするので、その対策をされたから、今度はまたそれを乗り越えるように対策をするという、その研究熱心さが私は非常に尊敬できるなと思っています。
「私の棋譜を3局並べれば天才だとわかる」
武田:ご自分のこれまでの対局を、けっこう頭にずっと覚えているみたいなことは、何かで読みましたけどもね。
木村:そうですね。加藤先生は自分の棋譜にも非常に自信を持っておられまして。「私の棋譜をだいたい3局並べれば、私が天才であることは誰でもわかる」とおっしゃっていますので。
武田:すごいですね。
木村:でもそれは確かにわかります。将棋はある程度ルールをわかってから、加藤先生の棋譜を並べてみると、必ず一局の中で「これは」という手がありますので。確かにというふうに思いますね。
加藤先生は、よく自分のことをモーツァルトに例えておられましたけれども。それもすごいなと思うんですけど、例え負けしないところが加藤先生ですよね。「モーツァルトの曲を数曲聴けば、誰でも天才だとわかるだろう。私の棋譜もそれと同じなんだ」と、そういうことをおっしゃっております。
武田:なかなか言えないですよね。大きく出たなという感じですけど、でも大きく出たなりの説得力があるということですね。
木村:そうですね。やっぱり内容が伴っているからこそ、「あいつ何言ってんだ」ということにはならないということですし。
あとけっこう、自分のことをPRしなきゃいけない場面って人間あると思うんですよ。例えば私の場合ですと、研究費に応募する時に「私の研究計画がいかにすばらしいか」みたいな書類を書かなきゃいけないんですね。
こういう時にどうしても謙虚になってしまって、「こういう面は足りないかもしれませんけど、ここはがんばってるんです」みたいな文章になりがちなんです。でも、加藤先生の文章を読むと、そんなことではなくて「自分は天才でもっとPRしていいんだ」という気持ちが湧いてきて、勇気づけられて、自分の研究がいかにすばらしいかをのびのびと書けたりする。
ぜひこれから企画書を書こうとか、自分のことをPRするために何か推薦を受けたりとか、自分で書く書類の時に、加藤先生の本を一回読んでから入ると、のびのびと自画自賛、自分賛歌が書けるというところもあります。
武田:後々「武田、大きく出過ぎだよ」ってことにならないですかね(笑)。
木村:(笑)。そこに負けないように自分も努力しようということです。
西村:けっこう(自分を)小さく見がちですけど、堂々と書けるということですよね。
木村:それに負けないように自分もがんばると。そういう思いも加藤先生にはあったと思いますね。
西村:なるほど。