【3行要約】
・人事評価は「公平・客観的」と思われがちですが、実際には権力勾配があり、評価者の言葉が暴力に変わるリスクをはらんでいます。
・組織開発の専門家・勅使川原氏は横浜市長のパワハラ疑惑を例に、「人事評価の場」が免罪符として使われる危険性を指摘しています。
・評価は「相互変容のスタートライン」であり、数値データに隠れた感情論ではなく、双方向性を重視した対話の場として再構築すべきです。
「人事評価の場だったから」は免罪符になるのか? 横浜市長のパワハラ疑惑に見る違和感
西村志野氏(以下、西村):ここからは前半レギュラーの「ラジマガコラム」。水曜日は、勅使川原真衣さんの『勅使川原真衣の「今日もマイペースで」』。今日はどんなお話でしょうか?
勅使川原真衣氏(以下、勅使川原):今日は、横浜市長のパワハラ告発が先週ありましたので、そこを元ネタに人事評価の話を意外かもしれませんが、させていただこうと思っています。
武田砂鉄氏(以下、武田):お願いいたします。
勅使川原:2つぐらい誤解があるかなと思うんです。元ネタは1月15日木曜日、横浜市人事部長の久保田篤さんが異例の実名、顔出しで会見をされましたね。山中竹春横浜市長の言動について、パワーハラスメントの疑いがあるという内容をお話ししました。
そこで紹介された具体的な事例は、少なくとも次のようなものがありました。国際会議誘致の報告をした際に、「誘致できなければ切腹だぞ」と言ったり、書類を叩きつけてきたり、「裏切ったらこれだからな」と指で銃の形を取って頭を撃つようなジェスチャーをしたり。
これ「ダッサっ」と思いましたけどね。ちょっとびっくりする。そして、日常的な言葉として「ポンコツ」「バカ」「頭が悪い」「ダチョウ」、ダチョウはちょっとわからないんですけども、「人間のクズ」などと呼んでいたと。
翌日の1月16日に山中市長も会見でこの件についてお話しされていますが、一部は認めるということでした。一部は否認して「極めて残念」という言い方をされました。
真偽はもちろんわかりません。ちょっと友だちではないので。なんですけども、やったやらないの話はしないにせよ、このニュースを見てちょっと違和感があったんです。
武田:ほうほう。
勅使川原:それは山中さんが弁明というか釈明される際に、「人事評価」という言葉を何度かお使いになっているんです。山中さんは「スペックが低い」とか「頭が悪い」といった発言について、会見の時にこう言いました。
「市役所職員との1対1の人事評価の場で、評価対象者を評する際の言葉として使った」。これ、ちょっと引っかかるのは、わざわざ「あれは評価する場だったんで」と言うのって、おそらく「だから仕方がない」みたいなことがセットで文末につくんじゃないかと思うんです。
武田:ちょっとあまりよろしくない評価を下している時に言葉を使っただけなんだから、あたかもその前にいた職員の出来が悪かったんだよと言いたいことなんですかね。
勅使川原:ということなんですよね。と、推察なんですけども、山中さんはおそらく人事評価でのある種の酷評とか罵倒みたいなもの、これに一定の合理性があると未だに思っていらっしゃるんじゃないかなと思うんです。
これは山中さんだけの問題というか妄想ではなくて、けっこう多い。私が組織開発の現場でもしばしば耳にします。「評価対象者の出来が悪いから」、まさに砂鉄さんがおっしゃったみたいな、「出来が悪いから強く言わざるを得ない」とか。
むしろ「悪いのは向こうだ」みたいな言い方をする方がいるんですけども、やっぱりこれ、人事評価の認識としてはかなり危ういぞという指摘を今日したいと思います。
というのも、このパワハラ告発を言った言わないを超えて、人事評価の話までしっかりもんでおかないと、今後もしかすると百条委員会みたいなものが設置されるかもしれないですよね。そうでなくてもそれなりの追求をされるはずですけども、人事評価を隠れ蓑にするんじゃないかなと思うんです。
2つの観点から、世の人事評価への誤解を解いていきます。
上司を評価したら一発アウトな「不問の枠組み」 人事評価に潜む“権力勾配”の罠
勅使川原:1つ目は、人事評価とか評価というと、けっこう自然と「公平にやっているんだろうな」と思いやすいんですけども、実はそもそも権力勾配を前提にした危なっかしさがあると思っています。
できるだけ納得性が高く行われるべきものだというのは共通認識だと思いますし、私もそれは否定はしません。よく人事評価のことを「フラットな」とか「公平に」とか「事実ないしは数値に基づく客観的な指標で」とかいう言い方をよくします。
それはそうなんだと思うんですけども、そもそも論で権力勾配を前提とした評価者・被評価者という非対称な関係にあるという点は、強調しすぎることはないと思うんです。
武田:この人事評価というのは、会社で勤めている方はその会社の中の人事評価がこういう感じで下されているというのはわかるけれど、他の会社でどういうふうに行われているのかってわからないし、あるいは僕みたいに会社に所属しているわけではない人間からすると、なんか人事評価というものがそもそもどういうふうにやられているのがスタンダードなのかさえわからないから。
だからこういうふうに市長が「いや、これ人事評価の時にわりと厳しく言ったんですよ」というふうに言われると、「ああ、じゃあなんかけっこうろくでもない職員がいたら、なんか厳しく言う時もあるのかな」と思ってしまいがちではありますよね。
勅使川原:そうかもしれないですね。ブラックボックス化しやすい領域ですよね、もともと。でも、山中さんが言った例えば「頭が悪い」という言葉ですけども、これツッコミどころしかないじゃないですか。「頭が悪い」ってなんなのかよくわかりません。
だけど、さらに着目すべきは、山中さんのような立場、権力のある人が絶対的に評価者になるわけですよ。で、相手を評価する立場ゆえに、どんな言葉を使うかは自分に全決定権があると、おそらく信じて疑っていないですよね。
武田:なるほどね。
勅使川原:ヒエラルキーの頂点にいる山中さんに対して、例えばどうですか。人事評価の場で、ないでしょうけど、他の職員が「山中さん、頭悪いですね」とか言えますかね。
武田:「市長(社長)、頭悪いんだよ」なんてなかなか言えないですよね。
勅使川原:一発アウトですね、これね。なので、評価という枠組みがやっぱりあるんです。しかもその枠組み自体は問うちゃいけないことになっている、不問に付されている。「なんで私は山中さんの評価できないんですか」とか言ったら一発アウトになっちゃうという。
もうそもそもが、権力のない人は目上の人を一方的に査定してはいけないことになっているというゲームなんですよね。
なんだけども、どうなんでしょう。人事評価とか企業にかかわらず、学校の通知表とかでもいいんですけど、「公平にできているはずだ」と思っても、やっぱりパワーバランスがあって、一方のみが評価することを許可されているということ。
つまり立場を入れ替えたら成り立たないような非対称な概念だということは、知っておいたほうがいいですよね。
武田:やっぱり上司の悪口ってどうしても酒場とかね、そうなってしまいますもんね。「あそこの課長は」みたいなことって、どうしても職場ではなかなか言えないわけですもんね。
勅使川原:言えないですね。正当な訴えであっても言えないです。これを放っておくと、評価者たるもの多少強い言葉を使おうと「事実は事実だから仕方がない」とか、「そもそも相手が悪い、こっちだってこんなこと言いたくない」とか言う人がいるんです。「こっちは本気だから厳しく言うんだ」とかもよく言う。
武田:うわ、なんかあった気がする。
勅使川原:「相手のためを思っているからこそ強い言葉になってしまった、申し訳ない」「そう受け取ったなら申し訳ない」とかね。
武田:「だけどな、こんなこと言いたくないんだけどな」っていうやつね、ありましたよ、それ。会社でもあった気がします。「言わなきゃいいのに」と思った記憶があるけどね。
勅使川原:そういうことなんですよね。今申し上げたようなことというのは、ハラスメント問題を抱える職場に分け入ると必ず出てくる弁明の類なんですけども。
やっぱり納得性を高める営みは、本来こうやって権力勾配を所与のものとして一方的に問うたりとか、「できるようになってから言ってもらえますか」とか言って、相手の口を塞ぐようなものではないということは言っておきたいと思います。
評価は一方的な「査定」ではない 組織開発の専門家が語る「相互変容のスタートライン」
勅使川原:もう1つ誤解がありまして、それは人事評価のことを「査定」、一方的なジャッジ、ないしはもう「引導渡し」みたいな、「はいアウト」「出来が悪い」みたいな感じだと思っている方がいらっしゃるんですけども、結論から言うとこれ、「相互変容」のスタートラインなだけなんです。
武田:相互変容のスタートライン。
勅使川原:お互いに変わっていくための情報収集というふうに思ったほうがいいという話を、最後にして終わりたいと思うんですけども。
人事評価は序列決定の儀式だとか、評価者による一方的なジャッジメントだとか、評価者であることを盾に相手の言動をコントロールして当然だと思っているような人、少なくないような気がするんですが、これ違いますよ。組織開発という私の仕事で言うと、評価ってお互いの進化のための合わせ鏡なんですよ。
武田:うん。
勅使川原:評価面談では「私の目からはごめんね、ちょっとこういうふうに見えているんだけど、やりづらさないかな」みたいなカタチで話し合うべき観点を差し出して、頭の中をお互いに交換するというのが大事な仕事です。
だけど仲良しグループではないので、ちゃんと職責とか事業の目標に対して、到達点はどんな具合かというのは話していくんだけど、あくまでその「答え合わせ」というんじゃなくて「すり合わせ」という感じなんですよね。
仕事ってどうですか。一人が、特に評価者だけが完璧にできていて、他方だけが、被評価者だけが不完全ってこと、そんなにないと思うんですよ。お互いさまな部分がある。
だから相互変容を通じて、お互いがお互いの歩幅で成長・成熟し合いながら、孤高の数学者でもない限り必ず誰かとやっているのが仕事なので、協働的に回していくということ。故に評価というのは相互作用のスタートラインなんだよというふうに還元できるかなと思います。
どうです、こういうふうに「現時点では私の目から見えているんですけども、正直やりづらさないですか」とか聞かれたことありますか。いい面談してもらっていますか。
武田:面談さえ、もう誰ともしなくなっちゃったんですけどね。
勅使川原:このラジオもないしね。
西村:面談の機会、少ないですよね。
勅使川原:そっか、ここで話したらだめだな。パブリックだ。
武田:いやいや、でも勅使川原さんといろいろお話をしていると、やっぱり今企業はそれこそ「1on1」とか、そういうのを定期的にチェックをやって、働きぶりをチェックするということを、まあ本当に20年前、30年前とかと比べると格段に増えてきているわけですけれども。
僕は上司という存在になったことないですけれども、上司側に勝手に想像するとすると、なかなか「もうちょっと頑張って働いてほしいな」と思っている人に対して、どういう言葉を使ったらいいのかという、その言葉のセレクトが、非常に難しくはなっているんじゃないかなということは想像はしますけどもね。
勅使川原:そうなんですけどね。まあ、人事評価をでもジャッジメンタルにやってしまうと、なかなか相手だって人間ですので、動きづらいと思うので。双方のより良い未来のためのすり合わせぐらいに思ってやってほしいなと思っていますよ。
武田:でもその、例えば今、どこまでその出世争いとか出世街道みたいなものが、ある会社・ない会社あると思いますけれども。例えばその出世街道というか出世を目論んでいる人たちが同じラインに4人ぐらいいたとして。
そうすると、その上司は誰が1つ頭抜け出たなという感じを匂わせるわけじゃないですか。Aさん、Bさん、Cさん、Dさんといて、「なんか最近Cはよく頑張ってるな」みたいなことを言うと、なんとなくA、B、C、Dの中でCさんが出てくると。
「本当はDに期待しているんだけど、Cほどの働きぶりではない」という時に、Dをこうなんていうのかな、ケツ引っぱたくというのはあくまでも例えだけれど、「もうちょっと頑張ってくれよ」というふうに言う時に、どういう言葉遣いをすれば良いのでしょうか。
勅使川原:いや、なんか「叱咤激励」には限界あると思うので、やっぱり求めているレベルのこと、期待値をちゃんと言語化して伝えるってことじゃないですかね。ないしは、半期に一度とかの評価面談じゃなくて、まめにですね、1on1で天気の話してるぐらいだったら、「今、現時点だと何ポイント差ぐらいに見えるよ」ってちゃんと言ってあげるとか。
武田:僕、かつて「武田、目が死んでるぞ」と言われたことあるんですけど、これどう対応したらいいんですか。
勅使川原:なんて答えました?
武田:「元からです」とかって答えましたけどね。
勅使川原:そうですね。
武田:「そうですね」とは言われなかったですけどね(笑)。でもそういう多分「抽象論」というのが、今までたぶん仕事の現場って飛び交ってきて、その抽象論なんだけど、それが非常にハラスメント的な性格を持つというか、プレッシャーだったり圧になっているということがあるわけですもんね。
勅使川原:そうだと思います。あたかも正確に能力を評価したような結果のように言ってきたところあると思うんですけど、やっぱり今日お話をしてくる中で、人事評価って双方向性がカギなんだなと思ってもらえるとうれしいんですよね。
能力のジャッジメントってあんまり相手の意見とか意向って踏まえないですよね。「だってこういう人間だから」って言っちゃうので。
そうじゃなくて、双方向性を鍵にして積み上げていくようなものなんだよ、ということをお話ししました。今ここまで話すと、「あ、それうちもやってます」という方もいらっしゃるかもしれません。「フィードバック」っていう言い方でね。