「バカ」「目が死んでる」と言われても部下はどうしようもない フィードバックと暴力の境界線
武田:フィードバック。これもよく聞きますね。
勅使川原:そうですよね。まあ我々はあまりもらえてないのかもしれないですけど。
武田:フィードバックもらえてないんですよ。フィードバックくださいよ、本当に。
勅使川原:ね、フィードバック。まあ聴取率とかそういうところでね、あれかもしれないですけども。
フィードバックも、ただ「よく聞くよね」と砂鉄さんおっしゃったとおりでいろいろ聞くんですが、これまた誤解もあるような気がするので、ちょっと老婆心ながらお話ししたいんですが。
フィードバック、確かに耳の痛いことを言う必要がある場面もあると思います。「しっかりやっているよ」って言うんですけども、こう耳の痛いことを言うにしても、やっぱり言い方大事で、「行動変容につながることのみ」をていねいに言葉にしているかどうか。これはちょっと胸に手を当てたほうがいいんですよね。
例えば山中さんじゃないですけど、「バカ」とか「頭悪いな」とか「ダチョウ」とか言って、相手って何をどうしたらいいかわかりますかね。
武田:ダチョウの真似するとかね。
勅使川原:(笑)。「目が死んでる」もね、どうしていいかわからないわけですよ。
武田:そうですよね。
勅使川原:そうなんです。何をどうすべきか見えてこない、ないしはすぐにそうすることが非現実的なものというのは、やっぱりただの暴力なんですよ。
武田:これを言われたら、うつ向いて聞くしかないですもんね。それに対して「お前のがバカだよ」というふうにはなかなか言えないわけですからね。
勅使川原:そう、権力勾配上言えませんので。人事評価というのは「相互変容の起点」になっているのか、それとも単なるレッテル貼りであるとか暴言であるとか、つまりハラスメント、ないしはいじめに近いカタチで終わってしまうのか、この差は大きいですよ。
ちなみに、お気づきのとおりこのお話というのは人事評価の話だけじゃないんですよね。学校、それから実は家庭も関わっていますよ。パートナーシップもですし、親子とかもね。ご自分を思い出してみてください。子どもの頃はあったんですよね、砂鉄さんもね。
武田:何がですか。
勅使川原:砂鉄さんも、生まれた時から砂鉄じゃないですもんね。
武田:そりゃそうですよ。生まれた時から砂鉄じゃないです。
勅使川原:小さい頃もありました、と(笑)。小さい頃ってやっぱり権力がないので、うん、やっぱ評価される側に一方的に追いやられることもあったと思うんです。評価する側と評価される側という関係、当たり前のものに思いやすいんですけども。
これまた「お前なあ」とか、「あんたね」とか、「君はまったく」って始まるような会話が、果たして相互変容を前提としているのか。自戒を込めて申し上げたいと思います。
武田:難しいですよ、でもそこからこうコミュニケーションを築き上げていくっていうことってのはね、どのシチュエーションでも難しいことですけど。その自分の会話の、この発話の出発点が、何か決めつけるようなことになってないかというのは、これやっぱり仕事の現場だけじゃなくてね、いろんな場所で問われるということですよね。
勅使川原:本当にそうですね。くれぐれも人事評価というのは、他者だけを一方的に変えるためでも支配するためでもありません。互いに学び合うための入り口です。
今日「相互変容」って言葉を何回か使ったんですけども、なんかちょっとしっくり来ないなという方もいらっしゃるかもしれないので、よかったらというあれで、「我以外皆我師(われいがいみなわがし)」という言葉。
武田:「我以外皆我師」。どういう意味でございましょうか。
勅使川原:それは小説家の吉川英治さんが大事にした言葉だそうで、まあご自身の『
宮本武蔵』という作品で主人公に語らせている言葉。つまり「自分以外みんな学びのある相手だよ」ということですよね。すごいちょっと言うとダサくなっちゃうんですけども。
あの、「相互変容」という言葉が難しい方はぜひですね、「我以外皆我師」と、はたして自分は思えてるかなっていうのを考えてみるといいんじゃないかと思います。山中さん聞いてないと思いますけども、どの程度思っていらっしゃいますか。
私自身もなんですけどね、今回の告発とその後の説明というのは、単なるパワハラ問題じゃなくて、評価とは何か。これもね、社会全体に問うきっかけになっている気がしますので。
どうかね、私たちは本当に忘れっぽいじゃないですか。いろんな政治と金含めてね、いろんなことあってもすぐ忘れちゃうんだけど、これちょっと覚えておきましょうよ。注視していきたいと思っています。
数値データがかえって「感情論」の隠れ蓑になる 「我以外皆我師」の精神で目指す双方向の評価
武田:その評価、まあ会社で働かれている人が評価をされるということの中に、これまでだとすごくなんというか、感覚的な評価。「あいつ頑張ってる」とか、「あいつなんかイマイチだな」みたいなものを、その働き方が良かったとも思いませんけれど。
今おそらくそういったこう1on1みたいなのをやる時に、おそらくいろんなデータ的に示されるわけじゃないですか。「君の働きっていうことがどれぐらい働いているか」というと。そうすると、なんかそれがもう数値として出てしまっていると、けっこう逆らいにくかったりするじゃないですか。
その数値を見せられた上に「いや、お前だめだよ」というふうに、A君はここ10なのにお前3だぞと言われた時に、その言葉の乱暴さを、まあ保障は本当はしちゃいけないんだけど、なんか保障される空間になりがちみたいなね、ところってあるんじゃないかなと思う。
勅使川原:そうですね。だけど、まあどこまで行っても客観的な評価って難しくて、数字にしている時点でかなりスナップショット的に切り取っているんですよね。だから余計ややこしくなっていますよね。
感情論以上に、実は数字に見せかけた感情論かもしれないのに、ツッコミにくくなっているというのは、評価される側、特に知っておいたほうがいいと思います。
武田:そうね、その感情論を出すための、なんか前哨戦としての数字だと、ちょっときついですよね。
勅使川原:そうなんですよ。実際に訴訟もけっこう起きています。何年か前にアメリカン・エキスプレスの女性社員の方が育休から戻ろうとした時に、いきなり降格させられたという時も、リーダーシップ・アセスメントみたいなのを受けさせた結果であるというふうに会社側は言ったんですよね。
能力の評価だともう何も言えなくなっちゃうっていう、まあ勝訴してますけども。はい。
武田:まあそういうことっていうのが多分、本当にいろんなところにこれから広がっていくんだろうなと思うとね、なんだかなと思いますけれど。まあ「双方向性」ということをあらためて大事に考え直しましょうってことですね。
西村:このコーナーはポッドキャスト「
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