【3行要約】
・被害者が逃げるべきでなく加害者に厳罰をという主張は、実際の運用面で多くの課題を抱えています。
・木村草太氏は将棋の「鉄板の逃げ場」の概念から、いじめやDV対策において立証の困難さと被害者保護の本質を解説。
・被害者が「逃げたい」と思う時には理由があると考え、その意思を尊重する仕組みづくりが最も効果的な対策となると言います。
将棋の対局に学ぶ「鉄板の逃げ場」の重要性
西村志野氏(以下、西村): ここからは前半レギュラーのラジマガコラム。火曜日は木村草太さんの『木村草太の「今朝の一手」』です。今日はどんなお話でしょうか。
木村草太氏(以下、木村):今回の今朝の一手は、1月12日、ALSOK杯王将戦の第1局、藤井聡太王将対永瀬拓矢九段の一戦より、永瀬九段の先手、105手目、5八金打です。
この一手は、右側から激しく攻め立てる飛車と馬の前に金をガチンと当てて、相手の攻撃拠点を取り除くことによって、鉄板の逃げ場である5六地点への退路を作る勝利を完璧なものにする一手でした。
永瀬九段は受けに定評のある棋士ですが、鉄板の逃げ場を確保することが、非常に重要であることをあらためて教えてくれた一手だったと思ったわけです。
ここからいじめ対策の話をしたいのですが、最近はいじめ問題が非常に強く注目されています。いじめ対策でよく最近聞かれるのが、「被害者が逃げなければいけない仕組みはおかしい。加害者に厳罰を。更生プログラムを」という意見がしばしば聞かれます。
おっしゃることは確かによくわかりますし、一定の水準を超えたものについてはきちんと犯罪の一種として、厳罰ということもあり得るでしょう。加害者へのアプローチも非常に重要だと思います。
加害者の厳罰化が、かえって被害を「見逃す」リスク
木村:加害者に責任を取らせるべきという気持ちはよくわかるのですが、一方で加害行為の対策を考える時には、それが実際に機能するかまで考えてほしいと思います。
いじめのような閉鎖空間で起きる加害行為ですと、しばしば加害事実の認定が極めて困難ということが起きます。いじめは教室という、子どもたちと先生しかいない密室で起きるわけですから、そうした中での事実認定は困難を極めます。
重たい制裁を科す場合、多くの場合それに比例して要求される証拠や事実認定のレベルは高いものになっていきます。刑罰を科す場合は刑事裁判で重大な証拠がきちんとあると認められて初めて有罪になりますし、「疑わしきは罰せず」が基本になります。
そうしますと、重たい制裁を科すと被害者側に求められる立証のレベルが高くなり、結果として相当数の問題事例が見過ごされてしまう事態が生じる危険もあるということです。実はこれはDV対策などでも見られる状況です。
最近読んだアメリカのDV対策の論文では、加害者にきちんと制裁を科すためのルールを民法に入れた。それ自体は良いことなのだけれど、やはり制裁となると立証のハードルが上がって、DVもいじめと同じで立証が非常に困難でなかなか立証されない。結果として加害事例が見逃されやすくなる。立証できなかったから白だという方向に行きがちですからね。
「なぜ逃げたいか」の立証よりも、意思の尊重を
木村:一方で、あまりに重たい制裁を科す仕組みにしていると、加害者に逆用されることも出てきます。いじめやDVは、一方的に支配をされていて、耐えかねた被害者側が手を出してしまうことも現場ではあるわけですが、その一場面だけを切り取って制裁を加害の手段として使うことも出てきたりします。加害者側は気持ちに余裕がありますから、証拠集めが簡単であるという状況もあったりします。
加害者への制裁をする時には、実際の現場で立証できるのか、運用できるのか、実装できるのかという自問が重要です。
と、同時に被害者の逃げ場を作るのが重要で、逃げ場に逃げ込む時には厳密な立証は必要ないわけです。「本人が逃げたいと言っているのだから何かあるんだろう」で良いわけですから、厳格な加害事実の認定を要求する必要はなくなって、本人の逃げたいという意思を尊重すれば良いことになっていきます。
被害加害の場面での「逃げる」ポイントですが、通常は逃げたいと思うのは被害者なんです。本人が逃げたいと言っていたらその人は被害者なんだろうと考えて、特に問題はないわけです。
例外的に加害者の側が逃げるのはお金が絡む場合で、泥棒や詐欺師はお金を奪って取り返されたくないから加害者が逃げるのですが、通常のいじめやDV、暴力は被害者が逃げるわけです。
とにかく逃げたい人を逃がすほうが、実際は効果的な被害対策になることも多いので、加害者への制裁とは別に、被害者の鉄板の逃げ場を確保することも併せて考えていただきたいと思うわけです。
SNSの普及で変容する、学校現場の人間関係
武田砂鉄氏(以下、武田):今いじめの立証のレベルが上がるという話をされていましたが、具体的にどういうことが求められるようになるのでしょうか。いろいろなケースによるでしょうけれどね。
木村:例えば蹴る、殴る。本当に蹴りましたか、殴りましたか。こちらの加害者の子は「やっていません」と言い、こちらは「やっている」と言っているレベルでは認定できないので、第三者の証言、誰も見ていなかったらどうするのか、カメラの映像などが求められて、学校現場でそうしたものを揃えるのはすごく難しいですから、どうしようもないということになりがちです。
先生が非常によく見ている教室だとなかなか起きにくいですが、どうしても死角は生じますし、カメラを仮に設置しても見えない場所で行われることはいくらでもあります。
武田:そうか、それがないと「じゃあもうなしよ」ということになってしまう可能性があるわけですね。
木村:加害者に更生プログラムという重たい制裁や措置を取りましょうとなると、当然そうしたものが要求されるので、認定できないからグレーが白になってしまうところもあるんです。
武田:そうすると今、学校などにカメラをどんどん導入していこう。導入すればそうした事実が発覚、把握できるのではないかという議論も起きてきていますよね。
木村:ただ、学校の中でのカメラは非常にセンシティブな問題ですし、カメラの死角はどうしても生じますから万能ではありません。場合によってはカメラの前で被害者がキレるようにする仕組みも取れたりしますから、かなり慎重にやらないといけない話ではあるわけです。
だからこそ本人が「この子とは関わりたくない」と言っている時に「じゃあ引き離そうね」と言える環境を整える道も通っておかないと、被害者を守ることには十分になりにくい。これもDVなんかと同じですね。
例えば、フランスのDV対策などは「結婚していて同居義務があるのだから逃げるな、その代わり守るんだ」というスローガンでやっていると言われるのですが、DV殺人の数はフランスのほうが日本よりも何倍か多いわけです。