「弱いものがさらに弱いものを叩く」構造への指摘
鹿島:東京新聞も、この番組で先日インタビューに出たライターの和田靜香さんの活動を載せています。和田さんは一昨年になるのかな、もう年が明けたから。3月から不定期で街頭での呼びかけやデモ行進を始めたわけですね。
つまり、SNS上の外国にルーツを持つ人への差別的な投稿の数々を見て、これはもうまずいんじゃないか、許せないと感じたのがきっかけだと。ただ和田さんはこんなこともおっしゃっているんです。
「それでもSNS上で差別的な言動を繰り返す人々も、実際には物価高で苦しみ、不満のはけ口を探している中で、外国人が優遇されているといった偽情報を信じてしまった、私たちと同じような普通の人たちなのではないかとも思う」と。
やっぱりこれ、自分の生活とか物価高で、何か昔ブルーハーツが「弱いものがさらに弱いものを叩く」って(いう歌詞が)ありましたけど、そういう状況になっているんじゃないかという和田さんの指摘。13年前には生活保護バッシングもありましたけど、何かそういったものがベースになっているんじゃないかという和田さんの指摘、これも覚えておきたいなとは思いました。
武田:そうすると、先ほどニュースのコーナーで鹿島さんが言っていた、これだけ今中国は強硬姿勢を出してきていても、それに対して高市政権がまたより強硬に行けば、実は支持率が高いままで保たれるんじゃないかと。そうなると、こういった言説を放置していくというか、より栄養分にしていく可能性が出てくるわけですね。
鹿島:だから先ほど長野県の社説で紹介した、長野県に30年以上住んでいる人が煽られて実感しているというのは、それは政治家が率先しているんだからそうですよね、とは思いますよね。
「共生」と言わなくても共生できていた時代があった
鹿島:もう一つ、これも今朝の記事ですが、朝日新聞も「共生を考える」という連載をやっていて。今日なるほどなと思ったのが、元毎日新聞論説委員の野沢和弘さんという方のインタビューです。野沢さんは長男に重い知的障害と自閉症があり、今は知的障害や発達障害のある人たちを支援する社会福祉法人の役員を務めています。
つまり共生の意味で、「野沢さんは著書などで『共生』という言葉はあまり使っていない印象です」という問いから始まるんです。そうすると野沢さんは、「そうですか。よく考えてみれば昔は今のような共生の概念がなかったからでしょう」と。
やっぱり「地域共生社会」という言葉が広がったのは、2010年代半ば、安倍政権が「一億総活躍」を打ち出した頃からです、ということで。
だからある日、昔は共生していた、言わなくても共生していたのかもしれない。他者への気遣いはあったかもしれないけど、そういうことを意識しましょうと掲げているのが最近じゃないかという。なるほどなと思いますよね。
朝日新聞の記者が「きれいな言葉ですが、きれいなだけで済むかといえば」という問いに対して、野沢さんは「もっと泥臭いものだと思います」と。「違う価値観がぶつかり合うわけですし、迷惑をかけない地域共生なんてありえない。迷惑をかけたりかけられたりしながら折り合いをつけていく、そこから学ぶ。そういう価値観を持てるようになるのが理想ですよね」という。
共生の切り口が今回は違うんですけども、お正月にずっと「共生とは」と各紙が問いかけてきた一つの答えがここにもあるのかなと思いましたよね。
武田:でもその、人の気持ちを尊重しましょうとか、人の立場を尊重しましょうとか、共に生きる「共生」という言葉がいろんなところで使われているというのは、本来であればその言葉はもう使わなくてもすんでいたわけですよね。
鹿島:当然だったんですよね。確かにこの野沢さんの言葉を見てそうだなと思いました。「共生、共生」と言わなくちゃいけない今の現実というね。
鹿島:昨年僕が見た映画で良かったのが、『
みんな、おしゃべり!』って映画があったんですよ。これ、コメディ映画なんですけども。どういう映画かと言ったら、手話を使う聾(ろう)者の日本人の家族と、クルド語を話すクルド人一家の間におけるコミュニケーションのすれ違いなんですよ。
で、なるほどな、この映画の見せ方がうまいなと思ったのが、ほんの些細な、本当に笑い話みたいなすれ違いがきっかけでトラブルになるんですけども。で、お互い主張するわけです。手話で主張したりとか、クルド語で主張したりとか。この映画うまいなと思ったのは、クルド語でしゃべっているのを訳さないんですよね。だから観客はだんだんじれったくなるんです。
武田:わからないわけですもんね。
鹿島:当然、リアルの生活でこういうトラブルが起きたらすぐ訳してくれる人はいないじゃないですか。だから当然、トラブルも起きるんだよっていうメッセージが込められているんだなと思って。
そのうち辛抱強く見ていくと、両者がなんかのきっかけでちょっと歩み寄ったりとかっていう。コメディを通じて、やっぱり言葉って大変だよね、一方は手話だし一方は外国語だし。なかなかすんなりこう、「めでたしめでたし」にはいかないんですけど。
ああ、でもそれは現実なんだなっていうのを思い知らされる。でもコメディなんですよ。これ、ぜひまだやっていると思うので見てほしいんですが。
だからやっぱりコメディだからこそ、エンタメだからこそ、こうやって問いかけられる。でも共生って、先ほど砂鉄さんとも話しましたけど、別に今なかなか自分たちから掲げなくちゃわからない現実ってのもあるわけじゃないですか。
武田:そうですね。映画のタイトルは何でしたっけ?
鹿島:『
みんな、おしゃべり!』。
武田:『
みんな、おしゃべり!』。
鹿島:これ、河合健監督ですかね。去年公開されて、僕は12月に見たんでまだやっていると思うんですが。
武田:そうですね。クルドの方たちも本当にあっという間の時間にものすごいターゲット化されてしまっている。そうすると、これからどういったマイノリティが社会的にね、ターゲットにされていくのかっていうのをこう怯えなければいけないっていう社会環境になっちゃってますね。
鹿島:そうなんです。これは言っていいと思うんですけど、映画では聾(ろう)者の方がやっている電気店、そこでたまたま何か破損されたわけですよ。そしたらたまたまクルド人の人が違う用件で来ていて目が合っちゃって、「あいつが怪しいんじゃないか」っていう、そこからのトラブルで。
観客は知ってるわけですよね、誰がそれやっちゃったかっていうのをね。ただ、そこからどう展開していくか。でもなかなか言葉が(訳されて)表に出てこないので、ちょっとやきもきするんですけど。でも現実はそうだろうなと思いましたよね。簡単にはわからないだろうなと。
武田:でも各紙がね、この外国人というテーマで年始からやってました。「競演」したということですからね。
鹿島:そこのご報告でございました。
西村:このコーナーは
PodcastQRでも配信しています。ラジマガコラム『プチ鹿島の「朝からタブロイド」』でした。