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勅使川原真衣の今日もマイペースで(全2記事)

20年間「企業が求める能力1位」のコミュ力、でも… 組織コンサルが危惧する「なんちゃって対話」の正体 [1/2]

【3行要約】
・「対話」という言葉が重視される一方で、その本質的な難しさが見過ごされ、表面的な「なんちゃって対話」が広がっているという問題が指摘されています。
・勅使川原真衣氏は「権力勾配や情報格差を是正せずに対話を促すことは、強者に有利なゲームになりかねない」と警鐘を鳴らしています。
・真の意思疎通には徹底した並列関係と持続可能な温度感が必要であり、形式的な対話より雑談のような自然なやり取りこそが信頼関係を育むと語ります。

「対話」の前に使われていた言葉

西村志野氏(以下、西村):ここからは前半レギュラーの「ラジマガコラム」。水曜日は、勅使川原真衣さんの『勅使川原真衣の今日もマイペースで』。今日はどんなお話でしょうか?

勅使川原真衣氏(以下、勅使川原):「わかり合えないな、私たち」という話を考えてみたいと思います。そこには「なんちゃって対話」の構造もあるかなという話になるかと思います。

年明け早々、不穏なニュースが世界中から飛び込んでくるなと思います。(高市首相が)トランプ大統領と電話を行ったと語った矢先の話でしたよね。1月3日ですかね、アメリカがベネズエラを攻撃するということで。

ちょっとびっくりしたのが、世界の(本田)圭佑さんがX(旧Twitter)で「世界の警察、再始動か」みたいなことを書いていて、波乱の予感だなと思います。

ちなみに何を会談されたのかなというのも気になりますし、審議とか議論とか、また対話のような柔らかな表現に至るまで、私たちは意思疎通が大事だということは当然わかっていますよね。わかっているんだけども、私たちがわかり合うことに本当に近づいているのかなというのは、甚だ疑問かなと思います。

「意思疎通」と今申し上げたんですが、今でこそ「対話が大事だ」とか「対話的にほにゃらら」という言い方をしますが、一昔前はそんなに使っていなかったと思うんです。もっと使われている言葉があったんですが、何だかわかりますか?

武田砂鉄氏(以下、武田):確かに、対話・会話はもちろん大事ですしね。それがいろんなところで使われるようになりましたもんね。

勅使川原:一昔前で言うと、たぶん「コミュニケーション」という言葉が使われていたんじゃないですか?

武田:ありましたね。

勅使川原:そうなんですよ。これはビジネス的には「通信」の意味合いで発展してきた言葉だそうです。「ほにゃららコミュニケーションズ」みたいな会社もありますよね。

それから学問的には、当然「人と人はわかり合うのが難しいよね」という立場から、哲学であるとか、部族を超えた理解という意味での人類学とか言語学の分野、また国際政治学も「国際コミュニケーション」という言い方で、かなりこの分野になってきているんですよ。

昨今で言うと、「コミュニケーション」単体よりも、もしかしたら「コミュニケーション能力」のほうがよく耳にするかもしれませんよね。

武田:よく聞く言葉ですよね。

勅使川原:特に砂鉄さんや私が大学3年生だったのは、おそらく2004年の話なんですけどね。あれ、2004年って「コミュニケーション能力元年」って言われているんですよ。

武田:そうなんですね。我々が就職活動するぐらいの頃は、ちょうど問われ始めたんですね。

勅使川原:ちょうど、厚労省が発表する若年者の就職能力に関する実態調査であるとか、経団連が発表する「企業が社員採用時に求める資質ランキング」みたいなもので、いわゆるやり取りが進むことを「コミュニケーション能力」として求める資質の選択肢に入ってきたんですよね。

それはもう約20年間にわたってトップに君臨し続けてきた能力になっています。ただちょっと水を差すようですが、端から「意思疎通」って双方向的な話じゃないですか。だから個人の能力にするのはどうなのかなという思いはありつつ、一般的には意思疎通は通信手段としてまず発達して、その後に個人の能力へと還流しながら定着してきているというのを、まず押さえておきましょう。

誰とでもうまくやれる人のほうが怖い

武田:「コミュニケーション能力」という言葉には、僕は警戒心が強いですけども。だから、どんな人とでもコミュニケーションをする能力が高い人って、僕は逆に不安とか心配ですよね。

やっぱり「この人とはなかなかうまくいかないな」とか「わかり合えないな」みたいなことがあるのが、別にスタンダードだと思うんですけどね。どんな方とでもうまくやるって、僕はその人のほうが怖いですけどね。

勅使川原:いや、本当そうですね。それはあるような気がします。「意思疎通」は大事だ大事だと言ってきていますが、はたしてわかり合うことはうまくなっているんですかね? ここはまだちょっとわからないなと思うんです。うまくいっていないから、世界規模でいざこざが絶えないようにも思います。

ベネズエラのロドリゲス副大統領(暫定大統領ですかね)が、「我々の国民と地域には戦争ではなく平和と対話がふさわしい」というコメントをしていましたけども。なんとなくそうは言っても、対話ができるような気がしないのは私だけでしょうか。「あ、私だけ」、今日のテーマですね。

武田:急にリズムが変わりましたけれども(笑)。

勅使川原:私だけかなと思います。なぜ今後もその重要性が宣伝され、難しい現状になってしまっているのか。これ、意思疎通の成立する要件から考えてみたいと思います。

まずどういう人同士に対して、意思疎通が重要だと語られるでしょう。これはもう端から、ほっておいてもわかり合うような人たち、つまり仲間内とかいうことではなく、そもそも理解が容易ではない「違いのある相手」に向けられた言葉なんですよね。

民族・部族が違うとか、国が違うはもとより、地理的に離れた人、普通にちょっとおしゃべりするのが難しい人が、通信という言葉で話せるようになってきた歴史がありますので。そもそも違いがある人たちに向けていると。

「話せばわかる」モードで突っ走ると何がまずいか

勅使川原:しかもその違いの中でも、意思疎通にあたって特に難しいとされるのは、両者の権力関係が不均衡な場合ですよね。バランスが取れていない、権力に勾配がある時だと考えられています。大国と小国とか、政治家と国民とか。

権力に差があるのがそもそもおかしいというのもあるんですが、今のところそうなってしまっているかなと思うんですよね。他にも医者と患者とか、経営者と一般社員とか、先生と生徒、それから親と子なんかも、良いか悪いかは別として、権力に若干の勾配があると思います。

そういう人たち同士において権力勾配が存在していると、双方向的な理解、意思疎通というのは難しいよねという前提があるがゆえに、あえて必要性を叫んでいる。これが本来の意思疎通なんですよね。

逆に言うと、対話とかコミュニケーションとか呼び方は何でもいいんですけど、意思疎通やわかり合いというのは、権力勾配そのものをできるだけなくして、相当慎重にやらないと端から難しいはずなんですよ。「話せばわかる」とよく言っちゃいますけど、そんなものじゃないですよね。

だからこそ、最近しばしば耳にするかなと思うんですが、医療的な「オープンダイアローグ」って聞くことはないですか? 「開かれた対話」というやつですけど、あれって精神疾患の急性期でもやるというふうに、斎藤環さんなんかがおっしゃっていますよね。

でも、あれはちゃんと仕掛けがあります。権力勾配に加えて、専門家と一般人はもとより、医療者の中でも医師と看護師とかソーシャルワーカーとか、間に若干の権力勾配とか情報格差がありますので、そういうものを徹底的に排除した上で、かなり慎重に行うのがオープンダイアローグなんですよね。

そのはずが、専門的にやっている人たちもそこまで注意しているのに、私の専門でいうと職場だと思うんですが、職場の話で言っても、先ほどの社会情勢で言っても、こともあろうに対話が誰でもできるような感じで宣伝されすぎてしまったのかなと思うんですよね。

「話せばわかる」モードのまま突っ走っているケースが散見されます。突っ走ると何がまずいかというと、権力勾配とか情報格差については手をつけられないままなんですよね。それでいて「忌憚なき」とか「闊達な意見交換を」というのを個人に要請されちゃう。これはなかなか厳しいなと思います。

武田:先ほどのニュースの中でも、経済団体の人たちが「大企業と中小企業、共存共栄しましょう」と言っていますけども、それには当然、明らかな力の差があるわけですもんね。中小企業側から大企業側に「今年は共存共栄でよろしく」とはなかなか言えないわけですもんね。

勅使川原:本当にそういうことなんですよね。なので、私はこの意思疎通の件について、いろんな言葉に変えられてきた過程を振り返ってみて、やっぱり本来的な構造的に難しさがあることがだいぶ漂白されちゃったんじゃないかなと思うんです。

「誰でもやろうと思えばできるんだよ」ということは、馴染みがなかった時代には必要な言いぶりだったかもしれないんですけど、それだと構造的な権力勾配の問題が置き去りになってしまいます。

単に「対話、対話」ってポップに、コモディティ化と言いますけど、標準化しているふうにするフェーズはもう過ぎたかなと思いますね。手元に残っているのは、もはや「仮初めの対話」ではないでしょうか。

このまま「やろうと思えばみんなできるんだからやればいいじゃん」みたいなノリで、問題を個人に還元したまま進むと、いよいよ解けない問題になると思いますよ。

最近だと懸念しているのが、「対話がうまい人」というのは、どんな立場・どんな場であっても臆せず、滑らかに言葉のキャッチボールを行い、まして相手の発言や態度に不遜な点とかがあったとしても、驚いたりイラッとする素振りを見せることも無粋とされる。

余裕をまとった微笑みを浮かべながら、どんなボールを投げ込まれても「なるほど」って聞きましょうとか。「なるほど」、やってるやってる。「そう感じているんですね」とかね。

そう、これを傾聴とか寄り添いということの最たるものとして言われているんですけども。こんな小手先の対話が対話並みにされていて、本当に大丈夫かな?これ、誰かが得をして、誰かは割を食っているんじゃないかなと。

特に得している側でいうと、もともと立場が強い人のはずですよ。大国とか大企業側とか強硬派にとって、都合のいい「なんちゃって意思疎通」になっていないといいなと思います。

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