自分と社会をアップデートするための倫理観と実践 ~クリエイティブ・エシックス~(全3記事)
炎上広告をめぐる議論に欠けている「本質」 電通コピーライターが語る、本当に変えるべきもの [2/2]
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海外でのマイノリティ経験から学んだこと
なつみっくす:そうですよね。この本でいろんなトピックが挙げられていて、個人的にはジェンダーの章とか、すごく手厚くご紹介されているんですけれども。橋口さんがこういったトピックに関心を持たれたきっかけはありますか?
橋口:最近、いろんな人と話すんですけど、仲良くなる人に共通点があって、子どもの頃に海外にいた経験がある人がすごく多いんですよね。僕は子どもの頃、カナダに住んでいたんです。最近までぜんぜん意識しなかったんですが、その経験が大きく影響していると思います。
要はマイノリティとしての経験があるんですよね。たぶん日本にずっといると、意識の上では、白人だと思うんですよ。僕たちはG7の一員だっていう感じでいると思うんですけれども、海外に住むと嫌でも「んなこたぁない」って思い知らされると思うんですよね。
幸いにも僕は出会いに恵まれているのか、あからさまに酷い人種差別を受けた経験はないんですけれども、やはり周りに、言葉も本当には通じないし、文化も違うし、見た目もぜんぜん違う人しかいない状況で何年か過ごしたことは、僕の物の見方にすごく影響していると思います。
少し前にTwitterで議論になっていた、「日本人に東アジア人としての意識があるか」ってご覧になりました?
なつみっくす:いや、私は見ていないです。
橋口:フランスに滞在している日本人の女性が、「自分は東アジア人としての誇りがある」みたいなことを言ったら、「いや、普通に日本人として暮らしていたら東アジア人なんていうことは意識しない」と言う人が出てきて、「そのとおりだ」「そうじゃない」って賛否が分かれたんです。
僕はその女性の気持ちがすごくわかるんです。やはり海外で1人で暮らしている時に中国人や韓国人の友だちができた時の安心感って、経験した人じゃないとわからないと思います。周りに肌や髪の色が違う人だらけの中、たった1人、自分と同じ見た目の人がいる安心感って、なんかもうね、生物としての本能なんですよ。理屈を超えるんです。
いざという時に頼りになるのは中国人と韓国人というのは、わりと海外赴任者あるある、海外経験者あるあるだと思いますね。
もちろん人種とか関係なくて、見た目がぜんぜん違ってもいいやつはたくさんいるし、友情も生まれます。でも、アジア人同士って、それとは違うつながりがあるんですよね。海外に出るとよく、そう思います。
なつみっくす:なるほど、そうですよね。マイノリティになった経験があるかどうか。ダイバーシティの推進みたいな議論をしていた時も、経営者の方がそういうご経験を持っているとわりとスムーズにひもとけるので、今のお話はすごくよくわかりました。
「世の中には透明化されている人がいる」
橋口:あとはやはり、弟に知的障害があるというのがすごく大きいでしょうね。
なつみっくす:なるほど。広告業界に進んだことと、ご兄弟のことはつながっているんですか?
橋口:これも半分後付けのストーリーなんですけれども、一番気づいたのは、「世の中には透明化されている人がいる」ことなんですよ。
今でもはっきり覚えているのは、小学校に入る前って、自分の弟に障害があるっていう認知がほぼないんですよね。それはやはり、保育園とかの頃って家族が世界のすべてだから、家族の外のことってわからないんですよ。
だから弟に障害があるとかないとかって思ったこともなかったんですけども、やはり小学校に入って自分の外の世界が広がり出したあたりから、「あっ、なんかこういう人、ほかの家にはいないんだな」みたいに思うようになるわけですよ。
テレビとか、それこそ広告を見ても、障害のある人を1人も見ない。最近は随分良くなりましたけれども、出ていないわけですよね。だから、「障害のある人って隠さなきゃいけないんだな」と思うようになっていって。
わりとあっけらかんに話せるようになったのもつい最近の話だったりするんです。なので、「世の中にはいないことにされている人がいるんだな」って思うようになったきっかけは、弟の存在が大きいと思いますね。
例えばハリウッド映画とかでゲイのキャラクターとかが出てくると「わざとらしい」みたいなことを言う人がいますよね。だけどあれって、本来は現実を基準にフィクションを見るべきなのに、フィクションを基準にして現実を見ているからおかしいと思うわけですよ。
現実にはゲイの人がいるのにフィクションの中にはいない。そのフィクションをデフォルトみたいに思ってしまっているから、いざ現実と同じようにゲイの人がテレビとかに出てくると、わざとらしいって思うわけですよね。フィクションとリアルの逆転が起きていると思うんです。
なつみっくす:なるほど、そうですよね。生活者の目線だと透明化されていることになかなか気づかないというか。この本を読んでいて「そういえばそうだったな」みたいな時代の変化というか、いろんな気づきがありましたね。
橋口:そういうことに気づかないのは正直、無理もなくて。普通、人は当たり前のことに気づけないと思うんですよね。僕なんかも何だかんだで中年の男性で、日本社会のデフォルトみたいな設定の属性なので、気づいていないことが山ほどあると思うんですよね。
マイノリティを描写することの重要性
なつみっくす:チャットにも「レプリゼンテーションが大事ですね」という。このキーワードがまさに本にも書いてあって、聞いたことないよっていう方もいらっしゃるかもしれないので、橋口さんから、解説いただいてもよろしいですか?
橋口:社会に存在する多様性を、映画とかドラマとか広告などのメディアの中でも適切に反映させることをレプリゼンテーションって言うようになっていて。
例えばアメリカであれば、白人もいれば黒人もアラブ系もいる社会なわけじゃないですか。現実に、ニューヨークとかに行けば嫌でもわかりますよね。ニューヨークの街を歩いているのが白人だけとか、あり得ないと思うんです。
なんですけども、ニューヨークが舞台のおしゃれなドラマとかを見ると、ほんの10〜20年前まで白人しかいないみたいな状態だったわけじゃないですか。そういうのをやめようっていうのがレプリゼンテーションですね。
なつみっくす:日本のアニメとかも海外で(実写作品として)展開される時に白人の設定になっているとか、あらためて聞くとけっこう衝撃的というか。
韓国人キャスト・制作陣で大ヒットしたNetflix『イカゲーム』
なつみっくす:あと「Netflix」が先進的な表現や、いろんなクリエイティブを出されている背景として、作り手のほうの多様性について書かれていたと思うんですけれども、このあたりもレプリゼンテーションに影響していると考えてよいんですかね? 例えば制作陣のジェンダーバランスをフィフティ・フィフティにするとか。
橋口:そういうことですよね。例えばNetflixの『イカゲーム』って、大ヒットドラマじゃないですか。あれもみんな当たり前のように思っていますけれども、アメリカの企業が全員韓国人のドラマを作って大ヒットさせるって異常事態なわけですよ。
日本のテレビ局が全員黒人のドラマを作って世界中でヒットしたとか、あり得ないじゃないですか。それと同じことをNetflixはやっているわけですよね。
なんですけれども、世界に作品を売ろうとしているんだから、俳優にしろバックステージにしろ、世界中の人がいたほうがいいっていう、シンプルに理にかなったことをやっていると思うんですよ。むしろ商売としてはそうじゃないほうがおかしいと思うんですよね。 続きを読むには会員登録
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