2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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ジャパンハート主催のイベントに、同団体の創設者である小児科医の?岡秀人氏と、横浜創英中学・高等学校 元校長の工藤勇一氏が登壇。医療と教育、それぞれの業界で活躍してきた両氏が、「イノベーションが生まれる当事者の作り方」をテーマに対談しました。本記事では、工藤氏がこれまでに教育現場で挑んできた改革の数々を明かします。
工藤勇一氏(以下、工藤):僕なんか本当にかっこ悪い大学生時代でした。ただ、教育に関しては、特に中学校時代から「学校の先生ってのは理不尽だな」というのは日々感じていました。中学校はとにかく理不尽な先生が多いなという思いは、子ども時代からずっとありましたね。
その自分が、なんで学校の先生という職業を選んだかというと、ある種の消去法です。人に使われたくないし、使いたくないし、「高校の先生だったら、子どもたちと人生を語らいながら楽しく生きられるかな」みたいな。最初はそんなつもりで教育の道に入っていった感じですかね。
それで教育実習に自分の母校へ行ったら、またこれがめちゃくちゃ楽しくて。僕は(担当教科が)数学なんですが、高校時代の担任がまだいて。行ったらすぐに「工藤、代わりに授業やってよ」と言われて、2週間全部授業を代わりにやりました。
僕の担任も(授業には)来なかったので、密室の中でと言ったら変ですが、2週間普通に授業をやって。教育学部でもなんでもないので、何も習ったことがないし、家庭教師ぐらいしかやったことがないから、自分の頭で考えて高校生の授業にあちこち行くわけです。
1時間の授業を頭の中にインプットして、そらで今と同じようにプレゼンみたいな授業をして。子どもたちのところを回って「なるほど。こんなことに悩んでるのか」というやり取りをしながら、本当に幼い授業でしたがめちゃくちゃ楽しかったですね。
工藤:それで、「教員に向いてるかもしれない」と思って教員になったんですが、当時の山形ではほとんど採用がなかったので、「じゃあ、山形だけ中学も受けとくか」と。ほかの地域では高校を受けて受かってたんですが、なんとなく東京の水が合わないから田舎に帰ろうかなと思って、中学の教員になった。
中学生はみたことがなかったんですが、行ってみたら、それこそ選ばれた進学校の子どもたちじゃない子たちと出会うわけです。間近で見て、特に中学校1年生なんてほぼ小学生だし、「小学生みたいな子どもたちとつきあうんだ」と思って教育が始まりました。
その中には知的障害の子もいれば、発達障害の子もいれば、自閉症の子もいれば、いろんな課題や家庭環境を抱えた子どもたちがいて。「気楽に教育なんかできないじゃん」と、いきなり専門性を問われました。
リーダーなんかになりたくない、人の上に立ちたくないと思ってた自分が、「子どもたちの前では僕はリーダーなのか」という覚悟みたいなものが急に出てきて。そこから1年やってみたら、「なるほど。教育ってこういう世界か」と思いました。
自分の思ったとおり、嫌なところがいっぱいあるなと思いながらも、2年目ぐらいからは自分の頭で教育を考えようと思って。そこから書物を読み始めて、先輩に倣うというよりも、初めてイチから自分の頭で教育を考える。
1年目でいろいろ失敗を繰り返して、教育をあらためてゼロから考えようと思ったのが2年目だったんですが、今の僕がいるのはたぶん教員2年目の子どもたちとの出会いです。
工藤:僕が漠然と高校時代から思っていた教育の理由は、大げさに言えば「世界が平和になって、幸せな世界が作られるとすれば、それは平常な学校がなければ作られないだろう」というものです。
学生時代も遊びっぱなしで、いい加減な自分の裏側にはそういう思いがあったので、教壇に立った瞬間からは真面目な自分になっていくわけですね。真面目なというか、子どもたちが真面目にしてくれてたんです。
でたらめな生活をしてた僕の身を引き締めてくれたというか、目の前の子どもたちのために、少しでも怒れる自分になろうと思ったというんですかね。だから、子どもたちのおかげですね。偉そうなことを言ったら、その偉そうなことが全部自分に返ってくる。嘘っぱちの言葉を使ってないか、使ったフレーズが自分に問いかけられるんですね。
いつも子どもに何かを言う時には、「これは僕が言わされてる言葉なんだろうか?」ということを考えるようになり、本質をしゃべろう、話そうと。本質は何かを常に自分に問いかけるのが僕のスタイルですかね。
2年目の時、子どもたちに「大げさに言えば、世界が平和になるためには、その世界は自分たちで作るんだよ。もともと何もない空間に誰かが大勢が集まって、ここで社会を作るとなったら、どうやって生活するかでみんなぶつかるじゃない。君たちでこの組織を作ればいいじゃん。だから、この学級を君らにあげるよ」と言ったんですね。
「君たちでこの学級のルールをいろいろと作りながら、良い社会にしないかい? 僕はそれを手伝うから、一緒にやりたい人はいるかい?」という話をしたら、すぐに6人ぐらいからポンポンと手が挙がって。
「じゃあ、君らと一緒にどんな学級にしようかを考えよう」と。それから放課後は残って、子どもたちと「どんな組織を作る?」「朝の会っているかい?」とか言って、社会をゼロから作っていったんですね。
工藤:「小学校時代は朝の会で先生が『今日の予定はなんとかで』と、教えてくれたでしょう。高校になったらそんな先生はいないよ。大学へ行ったら自分で情報を取りに行かなきゃいけないけど、君たちはどうする?」「給食当番ってどうする? 掃除ってどうする? どんなルールにする?」と、みんなに聞いていったんです。
「こんなふうにしたらいいんじゃないの」「あんなふうにしたらいいんじゃないの」と子どもたちが言うから、じゃあそれやろうと言いました。(手を挙げた)6人が6つの会社みたいなものを立ち上げて、その子の会社に生徒たちが集まってチームを作って、そこで話し合ってルールをいろいろ決めていくんです。
それをみんなで学級会にかけて、ああだこうだと言いながら学級のルールを決めていくんです。そんなようなことをやったのが2年目ですね。そうしたら、子どもたちが子どもたちに教えられるわけです。めっちゃくちゃ楽しいですよ。
始めたばかりの頃は、ちゃんとルールを決めた先生たちのクラスのほうがなにもかもうまくいくわけですね。僕のクラスは、給食当番をやっても何をやってもぜんぜんうまくいかないわけです。でも、1ヶ月も経たないぐらいから軌道に乗って、あっという間でした。
1学期の最後には中3よりもぜんぜん(掃除が)うまいクラスになって、教室もいつもきれいでピカピカで、いつも花がある。いろんなルールを全部自分たちでやって、「なんだ。こういうことか」と思いました。
今日のテーマの当事者意識についてですが、子どもたちが社会を作る当事者になっていくわけですね。それを見て「教育ってやっぱりすごいな」と思っていきました。
僕も新米でしたが、子どもたちの成績は伸びるわ、何をやっても「すごい」って言われて、だんだん認められていくわけですよ。若いからいい気になっていて、「俺はすげぇ教員だ」みたいに思ってた時代です(笑)。
工藤:半分はちやほやされて、おだてられながら、教員たちにもかわいがられて。2年目の時には僕に生徒会をくれると言いました。校長じゃなくても学校を動かせるんですよね。それも当時知りました。
学級の運営と同じような方法で生徒会をやっていくと、生徒たちが先生たちから色んな仕事を奪い取っていくんです。子どもたちが試行錯誤しながら作っていくことを嫌いな教員は、誰もいないんですよ。
どんな人でも、子どもが自分たちで自発的にやって大成功させていくことを嫌がる先生は誰もいないんですね。それで、学校全体が(子どもたちの自発的な活動を)支えてくれるようになっていきました。
そんなことをして5年が経って。家庭の事情もあって、山形の学校を1回退職して、東京で試験を受け直して東京に来たんですが、まぁひどかったんですよね。言葉は悪いですが、「あぁ、腐ってる」と思いました。教員がこんなに馬鹿にされる仕事なのかと、本当にがくぜんとしましたね。
1989年、まだバブルだった時ですね。浮かれてた時代というか、学校の先生なんてどこへ行ってもバカにされる時代ですよね。子どもは荒れまくってるし、小遣いもすごくて、ブランド物を身につけてる子どもがいっぱいいたり。
教員たちは高圧的で、「牛耳ってる教員は偉い」みたいに思われている。(東京の学校に赴任するまでは)8割ぐらいが農村地帯の田舎で教員やってたので、まったく違いましたね。山形の時なんか、酔っぱらって目が覚めたら(生徒の)親の家にいたことがあったんですが、そんな時代ですよ。
(生徒が高校に)合格すると、急に朝訪ねてきて「先生! ありがとう。米持ってきたよ」と言ってお米を持ってきたりとか、山形はそんなところだったんです。
工藤:東京へ来たらこんな学校で、先生たちのことを嫌いな子どもがいっぱいいたんですが、子どもたちは牛耳っている先生にびびっと反応してゴマをすりに行くんですね。ゴマをすって、先生たちの顔色を見て生活している子どもたちを見て、がくぜんとしました。「こんなとこで僕は教育をしていくのか」と、辞めたくてたまらなくて。
自分の子どもがまだ2歳で、「僕はこんな公立の学校に子どもを入れるんだろうか」と思ったんですね。その中でも自分のスタイルを崩さずに、学級運営も(以前いた学校と)同じ方法をやっていたら、子どもが変わってくるんですね。
2年目ですかね。また僕に生徒会をくれたんですよ。そこはけっこうでかい学校だったんですが、生徒会をくれると同じことができるので、また教員たちも喜ぶわけですね。自分の仕事は減るし、生徒たちがやってくれるし、楽になる。「いいじゃん、いいじゃん」って僕にどんどん仕事をくれるから、「ラッキー」と思っていました。
ただ、山形から東京に来た時にすぐに悟ったんですよ。山形で正しいと言われたことが、東京へ行くと正しくなかったんですね。場所が変わったら教育の本質がこんなに違うということは、本当に本質を見なきゃいけないと思った。
ちっちゃいことで言ったら、山形で修学旅行と言ったら修学旅行中はみんな漫画を読んでるし、お菓子も自由だし、旅行気分なんです。東京だと学習だと言って、遊び道具は持っていっちゃいけないし、漫画は絶対に禁止。前日にはみんなで持ち物を出して、違反物がないかどうか持ち物検査があるし、めちゃくちゃ叱られまくる。
工藤:あと、置き勉禁止にもびっくりしたね。山形には置き勉の概念がなかったので、「置き勉って何ですか?」って聞いたら、「学校に勉強道具を置いてっちゃいけない」と。
「なんでですか?」と聞いたら、「(置き勉をしたら)うちへ帰って勉強しないじゃないか」と言われて。でも、それは人の自由じゃないですか。だって子どもが決めればいいでしょうって思って。それでもう、手取り足取り……。
先生と話したらだいたいつまんなくて。学期が始まれば1年の目標を立てろといって、それを教室に掲示する。「これは何の意味があるんだ?」と。つまんない目標しか書かないじゃないですか。これを当たり前のように教員たちがやってるのは何なんだって、本当に怒りでしたよ。
その学校に7年いたんですが、いい仲間に恵まれて、だんだん教員たちの意識が変わっていきました。最初は本当に一人ぼっちだなって思ったんですが、会話をしていくうちにみんなが「教育の本質って何だ?」「やっぱり子どもが主体でしょう。今の生徒会や学年委員会のやり方は違うでしょ」みたいになっていって。
30何歳の時だったと思うんですが、その後にまた転勤をしたら、(赴任先の学校が)とんでもなく荒れていて。教室が対面教室なんですが、入学式が終わって1週間するとガラスが1枚もなくなっていて。
2、3年生の教室はジュースでベタベタですね。きれいにしても毎日ベタベタで、タバコがそこら中で燃えていて、タバコとガムの跡で床がなんかまだら模様。中3の授業へ行って、引き出しを開けたら灰皿がありました。
誰も学校に来ないんですよ。保護者も怖くて来られないですね。保護者の目の前でタバコ吸ってピッて(吸い殻を)やりますから。
工藤:その学校の入学式の前の日、始業式の時に校長を先頭に歩いて体育館に行くんですが、ぐちゃぐちゃな状態で誰も並んでいないんです。金髪とか私服で、土足で歩いてる子どもたちがそこら中にいて。
教員が印象的だったんです。女性の先生が「ガムを出しなさい」と言ったら、そこにペッて吐いたんですよ。校長と一緒に壇上に上がったんですが、校長の話なんか誰も聞かないです。「これで(始業式を)もやるのか。なんなんだ」と思いましたね。
今までは相棒がいたんですが、その学校では最初から相棒がいないなと思いました。どんなスタンスで、どうやったらこの学校を立て直せるかを考えました。人間関係を見て、どこから攻めたらいいのか。まずは敵を作らず、味方を作ると敵ができちゃうので、味方を作らないことがすごく大事なんですね。
だからその学校に行った時には、まず最初に孤独になることを考えましたね。孤独になって、どういう順番で、どんなふうに人と信頼関係を作ればいいのか。今はこの延長線上にいるだけなんです。その後もいろいろありますけどね。
ただ、?岡さんとはぜんぜん違うのは、目の前の子どもたちと学校をより良くするために、自分に何の知識やスキルが必要かということを(考えていました)。
今も特にそうですが、まず教員たちがめちゃくちゃだったんです。新しい学校に行ってぜんぜんダメな教員しかいないとか、価値観もぐちゃぐちゃで古くさかったとしても予想どおりだし、何にも思わないですね。
でも、さっき?岡さんと雑談した時もそうだったんですが、目の前の課題を解決するために何が必要なのか、詰め将棋のようにやってるようなイメージですかね。
?岡秀人氏(以下、?岡):はい。
工藤:何かをやる時には準備が必要です。準備が整ってないとハレーションがでかすぎるのでポシャるんですね。ハレーションがでかくてポシャらないようにするための戦略をどう練っていくかのか、経験を通して学んでいきましたね。
司会者:ありがとうございます。
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