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スタンフォード大学 2021 アトゥール・ガワンデ氏(全1記事)

「40歳になるまでは、すべてに対して『イエス』と言え」 “3足のわらじ”をはく医師が得た、自分だけの人生の選択肢

現役医師でありながら、公衆衛生研究者、雑誌『ニューヨーカー』のライターでもあるアトゥール・ガワンデ氏が、スタンフォード大学の卒業式でスピーチを行いました。同氏が複数の肩書を持つに至るまでの苦労や、「自分のやりたいこと」を見つけるため心構えを語りました。

生活を一変させた、パンデミックの1年

アトゥール・ガワンデ:卒業生のみなさん、おめでとうございます。テッサ・ラヴィーン(マーク・テシェール・ラヴィーン)学長、先生方、私を招いてくださった学生のみなさん方に、深く御礼申し上げます。母校の卒業式でスピーチを依頼されるのは、最高の栄誉です。

特に本年の卒業式は格別です。今年の5月には、息子のバークリー音楽大学の卒業を祝いました。こちらのご近所のカリフォルニア大学バークリー校ではないですよ。これはすばらしい記念となりました。でも自宅のファミリールームからオンラインでお祝いするのは、少々残念でした。

息子のハンターはソファに座り、帽子とガウンを身に着けて、バーチャル卒業式典を視聴し、名前が表示されるのを待ちました。音大にも関わらず授業はバーチャルで、合奏もパフォーマンスもままならない大変な1年でした。それを思えば、そのわずか1か月後に、こうして卒業生のみなさんと共に一堂に会することができたことは、喜ばしい限りです。

パンデミックの1年間は、私たちの生活を一変させ、多くの人が苦しみました。何百万人もが命を落とし、何千万人もが病に苦しみ、ただ呼吸するために入院を余儀なくされました。

貧しく治療の機会を得られなかった人や、リモートワークができなかった人は、もっとも苦しみました。誰もが、何らかの損失を被りました。

病の蔓延で飛行機は飛ばず、国境は閉ざされました。職場や学校が閉鎖され、集まったり、音楽を聴いたり、会食したり、挙式や葬式を執り行ったり、さらには単純に子どもを遊ばせることすらできなくなりました。丸1年がこうして過ぎました。

世界の多くの国では、最悪の事態はまだ終息していません。2021年の最初の数か月で、コロナウィルスのパンデミックによる死者は2020年を超えました。予防効果の高いワクチンの充分な在庫があって、何十万回分ものワクチンを各国に譲ることができるこの国に生きる私たちは幸運です。ワクチンが多くの人に行き届いたおかげで、思いがけなくもこのように集まり、みなさんに卒業式を祝う声をかけることができるようになりました。

(会場拍手)

さまざまなキャリアを積んでいるクラスメイトたち

もうずいぶん前になりますが、今日と同じようによく晴れた自分の卒業式を思い出します。友人と共にスタジアムに歩を進め、参列者の中に家族の笑顔を探したことを覚えています。さらには、新卒者がみんなに聞かれる、あのいやな質問も覚えています。「卒業後はどうするの?」。当時の私の答えは「勉強を続けます」というものでした。(※スタンフォード大学卒業後にローズ奨学金を得てオックスフォード大学へ留学)

同じ答えをお持ちの人がいるかもしれませんし、就職する人もいるかもしれません。旅に出る人も、故郷に帰る人もいるかもしれません。しかし、自分の未来をわかっていた卒業生は、当時もひとりもいませんでした。わかるわけがありませんよね。みなさんが今着いている席にいた私のクラスメイトの多くは、1987年当時には存在すらしなかったような職業に就き、キャリアを積んでいます。

クラスメイトたちは、例えば共産政権崩壊後のロシアや東欧の人々への支援や、ポストアパルトヘイトの南アフリカの人々の支援へで有名になっています。卒業当時は、共産政権崩壊もポストアパルトヘイトも、まったく考えられない未来でした。

工学部の友人たちは、アプリ開発技術者、自動運転者開発者、データサイエンティスト、最高情報セキュリティ責任者、ブロガーと呼ばれるような職に就いています。当時存在しなかった職という意味では、(オンライン在宅フィットネスブランドの)ペロトンのインストラクターもいます。

医学部の友人たちは、ゲノミクス、顔面移植、(新型コロナウィルスワクチンなどの)mRNAワクチン開発など、当時は想像もつかなかったような分野で活躍しています。公衆衛生分野でも、それまでは空論にすぎなかった、アメリカの医療保険制度改革に尽力した友人たちのおかげで、アメリカ初の黒人大統領が「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(国民皆保険制度)」の法案にサインし、見事にその法制化が実現しました。

人生計画を変更するほどの衝撃だった、外科の研修経験

クラスメイトたちはプライベートでも、身近な所で予期しなかった経験をしています。結婚したり離婚したり、病気やケガをしたり、家族が増えたり失ったり。余りにも早い死を遂げた人も少なからずいます。

みなさんは、今後も一生「これからどうしよう」と自問し続けることでしょう。卒業後にオックスフォード大学医学部へ再入学した時点では、私にはある計画がありました。私は計画を立てるのが好きなのです。

(会場笑)

それまでは、公衆衛生の研究をして医者になろうと考えていたので、プライマリ・ケアの研修を受けるつもりでした。私の専攻した分野でもありましたし、幸運にも研修期間が一番短くもありました。

しかし、外科で研修を受けた時、綿密に立てていた計画を変更しました。その時に目にしたことが、私の心を捉えたのです。人体を生きたまま切開する術を見ても、不快に思うことはなく、逆にそのすばらしさに引き込まれてしまったのです。

外科医のみなさんも魅力的でした。みながごく普通の欠点を持った人間であり、スキルや知識も完璧なものではありません。それでもなお自信を持って施術にあたり、伴われた結果には責任を持ちます。

「自分の本当にやりたいこと」と出会うまで

卒業時には、よく「自分の情熱に従え」と言われますよね。でも、どのくらいの人が自分のやりたいことをわかっているでしょうか。私にはわかりませんでした。

興味を持って打ち込んでいることはありましたが、みなさんが今いる席に着いていた時には、そのいずれも情熱を注ぐ対象とは思っていなかったのです。打ち込んでいるもののうち、どれを追及してどれを忘れていくかは、わかりませんでした。

しかし時を経て、今で言うTiktokのように単に時間を吸い取るものと、逆に力を与えてくれるものとの違いがわかってきました。違いを見極めるのには時間を要しました。

オハイオの片田舎からスタンフォード大学にやって来た時には衝撃を受けました。これまでに無いほど幅広く、やりたいことやなりたいものの知見を得たのです。

1年生の時には、スタンフォード大学ラジオ局KZSUの深夜放送に、ルームメイトと参加して番組枠をもらい、レコードで音楽を流しました。ビタミンA欠乏症の研究室で教授から仕事をもらいましたし、エレキギターを練習したりもしました。大統領選挙のスタッフとしてボランティアも勤めました。

興味を注ぐ対象が来ては去って行きましたが、真に自分に力を与えてくれるものは、だんだんとわかりました。例えば、ラジオ番組はそうではありませんでした。私たちが受け持った番組は深夜の2時から5時の枠でしたが、オンエアのトークや最新情報を取り上げる楽しさは2〜3回の放送で薄れ、ルームメイトとの番組出演に寝坊して遅刻するようになってしまいました。

その一方で、研究室では時間を忘れて熱中することが続きました。同様に、政治学関連の友人たちと深夜まで討論をしたくて、政治政策理論の選択科目をたくさん履修したため、生物学に次ぐ第二専攻に、政治学を追加しました。

当時の私は未熟でしたが、上を目指して長く打ち込んでいきたいと思えるものに出会えたのです。そうした巡り会いに気づくこともうまくなりました。

「40歳になる前は、すべてにイエスと言いなさい」

先だってカリフォルニア大学サンフランシスコ校医学部長、ボブ・ワッチャー(ロバート・M・ワッチャー医師)の講演を聴きました。助言を求める院生からの質問に対するワッチャーの答えに、私は衝撃を受けました。ワッチャーは言ったのです。

「40歳になる前には、すべてに対してイエスと言いなさい。40歳を過ぎたら、全てに対してノーと言いなさい」。振り返ってみると、実際に自分がやってきたことがそうだと気がついたのです。

人格形成期には、自分にとって本当に大切なものはまだわかりませんし、知るよしもありません。肩を掴んで目覚めさせてくれるもの、後々まで共にいてくれるものが何か、わからないのです。だから、心を開いてさまざまなことに挑戦し、いろんなことにイエスと言うのです。

それにあたって、自分に力を与えてくれるもの、もしくはそうでないものが何かに気を配ってください。自分の経験をよく分析して、その中でも特に自分を高みに上げてくれるものは何か。もしくは疲弊させられるものは何か、考えてください。そして、後者ではなく前者に最大限に打ち込めるよう、生活を整えることに全力を尽くしてください。

自分の例を挙げますと、「私たちが依存しているシステムが機能しなくなる時、その表面下にあるものは何かを分析すること」に、私は無限の興味を抱くということがわかりました。例えば、人体の複雑なシステムの欠陥であったり、社会問題を発生させる社会の内部構造の欠陥だったりします。

そうした仕組みに手を入れ、システムを修復したり、修復できるのは何かを調べるのが大好きだと自覚できる経験をたくさんしました。知識は大切ですが、実践はまた別物です。私には、知識と実践の両方に関心があることがわかりました。また別の経験では、システムの欠陥を修復するにあたって何が起こるのか、つまり成功と失敗の分析に興味があることにも気が付くことができました。

3つのやりたいことが、最終的に力になった

つまり私は長い間、外科、公衆衛生、ジャーナリズムの3つの方向に惹かれていたのです。何度も何度も「この中から一つだけ選べ」と、人から強制されました。「3つを両立させるなど不可能だ」と言われました。長い間、その言う通りであることが続きました。3つは両立できませんでした。

ただわかっていたのは、この3つはそれぞれが独立して、私の力になっていたことでした。最終的にこの3つが合わさって、力となりました。外科医の仕事は、病気の日々の現実や、医療システムの欠陥を明らかにしてくれました。執筆活動は、そのような欠陥を分析したり、世に問う手段を与えてくれました。公衆衛生の研修では、欠陥を解決するためにはどのような社会制度を作る必要があるのか、社会単位で導入するにはどうしたらよいかが明らかになりました。

例えば、執刀医チームにチェックリストを導入することにより、医療ミスを減らして安全な外科手術を実施できるようになりました。このチェックリストは今や世界中で導入されていて、患者の死亡や障害を負うリスクを、自動車事故よりも低く抑えています。また深刻な症例において、臨床医と患者間のしっかりとしたコミュニケーションを確立することで、単なる救命ではなく、患者にとっての優先順位も取り入れた医療を実施できるようになりました。

例えば、新型コロナウィルスワクチンの大規模接種センター設立や、COVID試験プログラムの実施などによって、パンデミック対応が行われています。

研修医として働きながら、引き受けてしまったオファー

数年ごとに、私は心底ひやっとするような、根源的な選択肢に立たされることがあります。内科ではなく外科研修を受ける決断もそれでした。その場合、研修は3年ではなく8年に延びます。

当時、ここスタンフォード大学のオカダハウス寮で出会った妻のキャサリーンは、第一子を身ごもっていました。外科は、当時の私にはあまりなじみのない文化でした。公衆衛生の指導教授たちには、外科をやっても身にはならないと言われました。

しかし、研修の3か月目で強い引力を感じたのです。そこで私は、合わなかったら転向すればよいと考え、外科に「イエス」と言いました。3年後、執筆活動に「イエス」と言いました。その傍ら、ブログの更新にも「イエス」と言いました。

(会場笑)

さらには、簡易な臨床勤務をこなしつつ2年間の研究にも従事しながら、『ザ・ニューヨーカー』への長文コラム連載に「イエス」と言ったのです。

数か月後、私は病院でのフルタイム勤務に戻りました。すると、出版社からこのコラムに加筆して書籍化するオファーが来ました。病院で電話を受け、この契約に「イエス」と言った時のことを覚えています。その日の帰宅は深夜でした。その頃には子どもは3人おり、もう全員上の階で眠っていました。

突如、私はパニックを起こしてリビングルームの床に仰向けにひっくり返ってしまいました。「いったい、何に足を突っ込んでしまったのだろう。研修医をしながら、こんなことができるんだろうか」と。

妻のキャサリーンも、「大変なことになるだろう」とは言いました。でも、「今までも毎晩1〜2時間ずつ遅くまで執筆するエネルギーはあったし、手術の間を縫った執筆もできていたじゃない」と言ってくれました。そこでようやく、上がった心拍が静まってきました。

「40歳を過ぎたら、すべてにノーと言え」

その後は、力と意欲を与えてくれる時間を捻出しつつ、ダメージを負う時間を減らすよう努力しました。自分の計画に合わない行動や、他人が勝手に自分に抱くイメージに合わせた行動を取らなくてはいけなくなりましたが、後悔したことは一度もありません。おかげで、手術をしたり執筆活動をしたり、幸運で光栄たるチャンスを得ました。このような環境下に身を置くことで、他の人にはまずない選択肢を得て、世間に顔も知られるようになりました。

大半の人は、大きな制約を受けて暮らしています。しかし、死に直面し極限の制約下にある患者でも、単に生き延びる以外にも優先順位を置きたいと願い、自分を高める時間を増やし、ダメージを負う時間を減らしたいとする。その様子を目の当たりにしてきました。

ところで先ほどのボブ・ワッチャーのアドバイスの後半はこうでした。「40歳を過ぎたら、すべてにノーと言え」。恐らくは、そのくらいの年齢になれば自分自身のことがある程度わかって来るはずで、わかってきた大事な何かに集中するべきだということでしょう。

大事なことに集中するには、その他のことに「ノー」と言わざるをえません。年齢を重ねるにつれ、実はこれはアドバンテージとなっていきます。自分の能力、キャパシティ、矛盾点、モチベーションが充分にわかってくると、気が付くのに何年、何十年とかかるような「情熱を注げるもの」に向かい合えるようになるのです。自分の生きている間に達成できないような目標の実現にも、力を注げるようになります。

次にやるべきことを決める2つの選択肢

COVID-19の話に戻ります。この疫病により、私たちは生活の見直しを余儀なくされました。危機に追われ、生活上のさまざまなものを切り捨て、放棄せざるを得ませんでした。そして一番大切なものを手元に残しました。新たな方法で生活し、耐え忍ぶ工夫をしたのです。

私が一番こたえたのは、「先が読めないこと」です。流行はどのくらいの期間続くのか、感染拡大はどれほどなのか。一番頭を悩ませたのは、先が読めない原因のほとんどがウィルスではなく、人間にあることでした。パンデミックは、現在でも野火のように拡大を続けています。

専門家たちは、比較的早期に感染拡大を止める方法を見つけ出していました。幅広いテストを行った結果、マスクを装着し、屋内の密を避け、よく換気することがよいとわかりました。ワクチン接種が一番の解決策でしたが、知識として知ってはいても、実践は容易ではありません。政治的路線を超えて団結し、脅威に対抗する知識を備えてこの野火と戦ったコミュニティは、延焼を食い止めることができました。

アメリカは団結に失敗しました。集団として必要な対策を取れなかったのは、鍵となるべきリーダーたちが政治的な機会を優先して対策を骨抜きにしたからであり、これは言い尽くせないほどの損失をもたらしました。

リーダーたちには、選択肢があります。先頭に立って分断を促進して、恐怖を煽るか、団結を促して、みなで恐怖に立ち向かうかの2択です。分断の道を取れば、目立つことができますし、人々を安易に満足させることができます。分断の道を取る政治家は、今後必ずまた出てきます。分断の道の果てでは人々の活力は失われ、団結の道では人々は力を得て、最終的には世界が繁栄すると私は信じています。

この信念は、時に揺らぐこともありました。しかし今日、私たちはこの場に立っています。なぜなら、私たちの多くが政党や国境を超えて団結し、ワクチンを接種し、野火と戦ったからです。

(会場拍手)

2つの道の違いをよく覚えておくとよいでしょう。今後の人生では「これから何をやるべきか」という問いに必ずぶつかるからです。次にやるべきことを決める問いです。

意味のある目標は、人々を団結させる

人はみな、自分の価値を発揮できる手段を求め、当然私たち一人ひとりに価値があります。みなに等しく人間としての価値があり、この世界に生きている、ただそれだけで価値を有しているのです。自分の真価を発揮できる手段を見つけるためには、それを見つけるまでイエスと言い続けなくてはなりません。言い続ければ、いつしか発見できます。

良い選択肢とは、たやすく楽しい道とは限りません。意味のある目標は、なかなか達成できないものです。しかし、そのような目標は人々を分断させるのではなく、団結させます。みなさん個人の目標を達成するのみならず、人々の望みを叶えるものです。

私たち人類の美しい秘密は、他者が真価を発揮する支援をした時に一番輝くという事実です。でもこの事実は、ニュースを見ていたり、他者と隔絶されていると容易に見失ってしまいます。しかしこの事実は、私たちがここに集う理由であり、みなさんを固く信頼する理由でもあります。またこの事実は、みなさんに望みを託し、すべての若い人が、人間の本性の善の部分を繁栄させると確信する理由なのです。(※リンカーンの言葉を引用)

ありがとうございました。

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