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ハヤカワ五味氏 ログミーオリジナル企画(全1記事)

炎上文化は断ち切れるのか? ハヤカワ五味氏が考える、次世代が持つべきSNSの価値観

大学生にして下着ブランド「feast」を運営していたハヤカワ五味は、前日に投稿したツイートが原因で学校を休んだことがあった。たった140字のツイートに対して、リツイートの勢いが収まらず、程なくして1.5万リツイートの大台に到達していたからだ。今でこそ1万超えのリツイートは珍しくないが、5、6年前には滅多に拝めないような数字だった。 どこまでも広がっていくツイート、次々に生まれてくる意見のすべてに目を通し続けた彼女は、当時こんな感想を抱いた。「人間ってこんな酷いことを言えてしまうのか?」と。 しかし今、彼女が発信する情報は、以前のそれとは明らかに異なっている。多くの人に情報が拡散されていく中、ネガティブな意見がマジョリティを占めることはほとんどない。そして驚くべきことに、黎明期から現在までSNSの最前線に立ち続けた彼女は、数年前から自身に担当編集者を付けているのだ。 そんなハヤカワ五味は、今どんな価値観を持って自身の発信と向き合っているのか? そしてなぜ、発信が大きく拡散されても燃えないのか。その現象の裏に隠された無数の配慮とこだわりに迫った。

15歳:アメブロで注目と批判を浴びて……

ハヤカワ五味氏:私がインターネット上にハヤカワ五味として登場したのは、12年前とかだと思います。当時は、アメブロ全盛期。前提として、匿名文化だったので、顔出しもしていない。もし顔が出ても転載されないように、みんなロゴとか入れていて。始まりはそういう時代でした。

初期のブログは消したはずなんですけど、途中からのやつはあるんですよね。一番古いのは……2010年12月からありますね。すごくないですか! 画質がいろいろ物語っていますけど(笑)。

(当時ハヤカワ五味氏が運用していたアメブロ記事から引用)

当時の私は、ロリータ系のジャンルでアメブロを利用していたんですけど、投稿を重ねるうちに、TOP20ユーザーに入るようになっていたんですね。15歳とか高校生だったと思うんですけど。

そういう小さな成功体験はあったのですが、ある程度注目が集まると、絶対に一度は品定めをされるんですよ。自分の場合は幸か不幸か若かったのもあって、容赦なく差別的な用語が並びつつも、若いからと守ってくれる人もいるみたいな状況でした。

今ほどポリコレ警察(political correctness:政治的妥当性、公正などの意味)みたいなのもいないので、内容は今よりかなりきつかった。特にロリータ系は界隈として閉じられていたし、V系という大カテゴリの中のロリィタ系なので、コメントはかなり激しかったですね(笑)。

ただ、一方的に叩かれたわけではなくて、掲示板はアンチVS信者みたいな状態になっていて。「アンチは強いコメントをして、信者はそんなことを言うのはありえない」みたいな攻防戦が繰り広げられてて。人間ってこんな面があるんだ」って、高校生だった私は画面を見ながら震えてました(笑)。

18歳:アメブロで学んだ「3年ROMれ」という価値観

なので15歳の段階で、「自分の発信がいろんな人から見られている」という意識が芽生えていたのは大きいかなと思ってます。

例えば、フォロワー数が少ないと、「誰も見てないでしょ」という感じで不用意な発言する人とか多いじゃないですか。でも、絶対に見ている人は一定数はいて。あなたの発信に興味がなくても、不用意な発信を叩くためにいる人たちもやっぱりいるわけで。

フォロワーや拡散力に関わらず、前提として、そういった人たちに見られている。なので、燃やす材料を渡さない方が良いと思いますし、当時から結構そこを意識していました。そして、私がブログ全盛期を通じて得た価値観としては、ROMる文化かなと思っていて。

掲示板にしろ、モバゲーコミュニティの掲示板にしろ、不用意な発言をした人は「3年ROMれ」って言われるんですよ。要するに、「知識や配慮が足りてないから黙って見てろ」って意味なのですが、私はこの「3年ROMれ」ってけっこう本質だなと思ってて(笑)。

例えば直近だと、フェミニズムとかの文脈で燃えることって結構多いじゃないですか。それって3年とは言わないまでも、一旦ROMってどういう空気か見てから発信した方が良いところはあると思っています。

なので、"3年ROMれ文化”と、"発信はいろんな人に見られている意識”を持ち続けて、真っ当にやってきている感じです。

21歳:Twitterの異常な拡がりで得たモノ

タイムライン的には、ブログで発信していた数年後にSNSが浸透してきて、「炎上はメリット」みたいなことが言われ始めたと思います。一部の人がそれに気づき始めたのは6~7年前で、一般化してきたのが5年くらい前な気がしていて。

自分が「feast」という下着のブランドを立ち上げたのが2014年前後なので、その少し後に「炎上はメリット」というSNSトレンドがやってきました。

そしてfeastも、半ば炎上しながら有名になった部分もあって。当時、feastへの想いをまとめたツイートが、1万〜1.5万リツイートぐらいまで行ったことがあったんですよ。

今考えると、1.5万リツイートってまぁまぁあるじゃないですか。でも、当時ってそもそものTwitter人口が少なかったので、1.5万リツイートって、多分年間のホームラン級の規模感だったんですよ。「えっ、リツイート1万ってあり得るの!?」みたいな(笑)。

じゃあ何でツイートが燃えたかというと、「胸が小さい人は選択肢がないよね」という着想から下着を作って、その想いをツイートしたんですけど、「胸が大きい人も下着がないんだよ!」みたいなリプが多く寄せられて。

誰かを傷つけたり、道徳的なOUTで炎上したのではなくて、いわゆるクソリプ的な炎上ですよね。当時はまったく狙ってはいなかったんですけど。

でも、このツイートをきっかけにさまざまな媒体での出演や露出が決まって良いことも多くありました。ただ、そこまでツイートがバズっても、5〜6年前の炎上は、Twitter自体が規模として小さかったので、大きなマイナスがあったわけではありませんでした。

それに5年前とかは、「Twitterやってるんだ…キモッ」みたいな感じだったわけで(笑)。社会的な結びつきが弱かったわけですから、その中で燃えたといっても「別に社会的によくない?」って感じだったと思うんです。

でも、ここ5~6年でTwitterの利用率も急激に高まっていて、社会的な実績を示す存在にもなってきた。今と昔じゃ明らかに火力が違うわけです。これが前提であるので、いま有名になるためにTwitterで炎上するみたいな考え方はナンセンスだなと。

5〜6年前の状況であれば、「炎上して有名になるほうがいい」部分もあったのかもしれませんが、明らかにけっこう火力が上がっている現代でも、同じ価値観が一部で引き継がれている状況に関しては、「それは違くね?」と思っています。ほどよく燃えてこんがりじゃなくて、燃えカスになる可能性があるので(笑)。

22歳:異常なバズを経て、変わった価値観

ここまでを振り返ってみると、ブログ村時代も叩かれていたし、feastがTwitterでバズった時もけっこう叩かれて、それなりに言われてきたかなと思うんです。

そして、その時に怖いなと思ったのは、「発言していないことを作られること」でした。勝手に行間を読まれて、誰かの憶測や妄想で作られた言動が拡散されてしまう。そこに関しては、かなり怖いなと思ったし、バズった翌日は大学を休んでずっとエゴサしていました(笑)。

その時に、「こんな無慈悲なことを言う人間が、世の中にいっぱいいるんやな」と思って。でもそこに対して「もっと優しくしろ」とも言えないじゃないですか。

じゃあどうすれば良いかを考えた時に、重要なのは「議論する余地を与えない」とか、「燃やせる余白を減らしていく」ことだなぁと思って。feast時代にはそれを実践していました。

例えばfeastの例で話すと、「胸が小さい人は選択肢がないよね」を冒頭に持ってきて発信すると、「胸が大きい人だって困ってるんだ」ってツイートが多くなって炎上っぽくなってしまう。

その意見は、もちろんそれはそうだと思うんですけど、正直私に言われても……みたいな感じじゃないですか。他にも「私はDカップだから着れない」みたいな、ただ自分のカップ数を言いたい人とかも出てしまうわけです。

でも、落ち着いてエゴサして分析してみると、「一定のパターンあるな」って気付いて。そこで新しく意識するようになったのは、「対抗軸を作らないこと」です。

先ほどの例で言うと、「胸が小さい人は」みたいな表現を冒頭ですると、「胸が大きいのはいいな」みたいなニュアンスを含んでしまうんですよ。

そうじゃなくて、「胸のサイズでみんな困ってるよね」とか、「胸のサイズで何か規定されるのって嫌だよね」という感じの導入を付けると、どっちにも味方ってスタンスになれるじゃないですか。

なので発信する時は、できる限り対抗軸を作らない。もう少し転用して言うと「敵でないことを最初に示す」ことは重要かなと思ってます。

直近のTwitterを見ていて思うのは、自分のことを否定されていると感じると攻撃的になる人が多くなる傾向があるなと感じていて。

でもそれを「クソリプだ!」って片付ける必要はないと思っていて、自分の配慮次第でどうにでも回避できるよねと。無闇に敵を作って無駄に炎上しようとせずに、対抗軸をなくしたり、「味方です」というスタンスを示して、情報を発信することが大切なんじゃないかと思います。

24歳:常に完璧でミスのない発信は難易度が高すぎ問題

とは言うものの、多様な視点でのチェックが注意深く行われているような現代では、完璧に配慮した発信を毎日続ける難易度って、かなり高いと思っています。

正直、直近のnoteやツイートでも、そのまま出していたら燃えていたであろうものはありました。そこで数年前から、担当編集者に入ってもらっていて。

例えば先日、「feastについての過去大反省」みたいなnoteを書いたんですけど、もし担当編集者のチェックがなくて、シラフの私が書いた文章がノーチェックで公開されていたら、炎上していた世界線も全然あり得たと思います(笑)。

いま私の発信の担当編集とPRの部分でサポートいただいている村上さんって人がいるんですけど、取材で対応してくれていたのが最初の出会いで。

ありがたいことに、私は取材していただく回数が多いほうではあると思うんですが、村上さんはこれまでのライターさんの中でも、ずば抜けていいなって思って。上がってきた原稿もほぼノータッチの出来だったんですよ。

そもそも、私は書くのがけっこう速いので誤字脱字が多いし、クセが強くて読みづらさの閾値を超えていることもあって。アメブロとかTwitterをずっとやってきたので、すごくクセのあるトンマナというか。ずっとノリツッコミみたいな感じの長文になっちゃうんです。

なので、単純に編集の役割と、自分の発信が炎上しないようにチェックしてもらいたいと思っていたので、昨年出版した書籍の制作フェーズからガッツリ見ていただいています。

そして、実際に村上さんに入っていただいて一番大きいと感じているのは、「不調な時でもポジティブに文章を変換してくれること」というか。

自分の場合は、落ち込んでいる時とか、気分がすれている時に、けっこう卑屈で否定的な表現が多くなってしまう傾向がありました。自分的には配慮しているつもりなのですが、一歩間違うと誰かを下げる表現になっていたり、否定的で排他的な表現が出てしまうこともあった。

でも、村上さんに担当編集をお願いしてからは、自分が不調の時でも発信をポジティブに変えて発信していけるようになったし、配慮不足で炎上する可能性を大幅に下げることができていると思っています。

なので最近の私の発信は、最終的に2~3割くらいは村上さんの言葉になっていたりします。正確に言えば、全部私が書いているんですけど、2~3割くらい表現の変更として赤が入っている感じです。決して全部そうなっているわけじゃないんですけど。

24歳:発信は1人でやらなくてもいいんじゃないか

とはいえ、10年以上ハヤカワ五味として発信しているし、アメブロもTwitterもnoteも1人でやってきた。

自分の発信をより良くしてくれたり、悪い発信を指摘してくれる存在は必要だと思っていたんですけど、最初からスムーズに指摘を受け入れられたわけではなくて。

最初の方は、「村上さんがこうした方が良いって言ってるし、めんどくさいから、とりあえずそれにしとくか」みたいな感じでした。

でも3日後くらいに「やっぱりあっちにしといてよかったわ」と思うことがけっこう多くて。「あの表現はいらんかったな」とか「あれは一時の気の迷いだったな」みたいに後になって納得してきて。

「村上さんがいなかったら炎上してたかもなぁ」って表現もあったので、今はもう、「いやそれは違うだろ」と思いつつも、赤が入ってたら全部承認にしています。結局あとで「確かに!」ってなることが多いから(笑)。

総じて担当編集者については、かなり相性があるなと思います。ただ、私の場合は、どうしても発信したい想いを、リスクを下げつつ、より良くポジティブに編集してもらえるので、絶対に必要な存在だったと思っています。

あと、村上さんは私のTwitterをめっちゃ見ているので、「これ何か間違ってない?」とかも言ってくれるので、諸々を理解した上で、配慮に欠けている発信があったときに、指摘をしてくれる人が身近にいるのも大きいです。

前述したfeastについての過去大反省noteも、当初書いた内容はネガティブ表現が多かったので、恐らく読み手もネガティブになって、あんまりシェアされてなかったと思うんです。自分がネガティブな時に、同情してもらいたいような文章になっちゃってたんですよね。

でもそれって別に拡散性はないじゃないですか。別に同情したくて読んでいるわけじゃなくて、何か学びたくて読んでいるわけなので。そこらへんの無駄な感情を省いて、最善の表現に編集してくれる存在は心強いですよね。

(noteのスキ数は1,000に迫り、ホットエントリーも達成している)

25歳:担当編集者との相性と選び方

そもそもの編集者の選び方で言うと、自分に足りないものを持っている人の方が良いと思ってて。私の場合だと……公平性は……微妙だなぁ。「ダイバーシティとかフェミニズムに対しての理解みたいな部分を持っていて、自分に対して興味を持ってもらえるか?」みたいな部分を大切にしました。

加えて、私の場合はポジティブな表現が得意な人ですね。私の場合、基本的にネガティブの方が得意なんですよ。2ch時代とか、ブランド立ち上げ当初とかって、基本的にはネガティブ共感ムーブ系で。

もともとずっとメンヘラなので、「ネガティブなのでみんな共感して」というところで人を動かしていた側面があったんですけど、それって自分もきついしユーザーも偏ってしまう。

しかもネガティブ表現で人を動かすって簡単だし、エモいんですけど、あんまり良くないと思って。それもあってポジティブ表現だったりとか、「これは落ち込む感じの表現だな」というのをサッと抜いてくれる人が良いなと思って選びました。

なので、自分の複製みたいな人ではなく、自分に足りてないものを持っている人の方が良い気がします。

自分のコピーが増えても、発信数は増えるけど、文章自体は良くならないし、多様な視点やリスク回避もできないじゃないですか。先鋭化していくとか、尖っていくんだったら、自分と似ている人の方が良いと思うんですけど。

25歳:炎上と議論の分別を

最後に、早い時期からインターネットで他者と関わってきて思うのは、ネガティブで人を動かすって、わりと簡単だしクセになると思うんですけど、けっこう継続性がないってことです。

やっぱり10回とか100回はやれないじゃないですか。せいぜい5回ぐらい。ネガティブで人を動かす、同情してもらうカードって限りがあるんですよね。だから基本的にはそうじゃない方が良いなと思います。

あと、もう1つ伝えたいのは、「炎上」と「議論」は似て非なるものということです。議論を巻き起こすって、議題に対してYESもNOも含めてどっちも巻き起こること。

でも炎上って、基本的にもっと否定的というか。場合によっては対極の人、敵対している人から反応が来るものとかが多いですよね。

議論を巻き起こすこと自体はすごくポジティブで必要なことだと思うので、私も結構やります。ただそこも使い方が重要で、変に対立軸を作ってしまうと場合によっては炎上してしまう。

議論をしたいのに、配慮不足でクソリプがついて、それが人格否定とかになったら、もうそれは炎上になってしまう。そうしたら、解決したいことへの議論は何も進まないじゃないですか。

そうなると何のメリットもないと思っていて。あくまで炎上じゃなくて、議論を巻き起こすことに注目した方が良いと思うし、炎上していい時や炎上させていい時は、決定的に道徳から外れていることが起きた場合。いま、道徳バトルが始まっている側面もあるので難しいんですけど(笑)。

ただ間違いないのは、真っ当な議論ができるように対抗軸を作らない方がいいと思っています。敵対しなくても議論はできるし、意見が違うだけで敵ではない。そこを履き違えないべきだと思います。

25歳:誰も嫌な気持ちにならない配慮を

私としては、誰とも敵対せずに、ヘルシーな発信をすべきだと思うんです。なので、今でも炎上して有名になるほうがいいって価値観が、一部引き継がれているところがあると思いますが、環境の変化から考えると、無駄に対立軸を作って炎上させるのはナンセンスだよなと。

あとは、もう少しROMって自分の考えがまとまってから発信してもいいのかなって。たった1つの気の迷いで、社会的信用を一気に落とす可能性が十分にあるのが今のSNSなので。これは、私自身も注意していかないといけないんですが(笑)。

理想的には、対抗軸を作らずに、誰も嫌な気持ちにならないように配慮した発信で恩恵を得て、それを良い方向に使って欲しいですよね。そうすれば、SNSや発信を通じて多くのプラスを得られるんじゃないかと思います。

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