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ポストコロナ時代の未来(全4記事)

自分の死を見つめることで充実する“生の密度” コロナの時代に考えるべき、人生で本当に大切なこと

「ポストコロナ時代の未来」。2020年、オンラインにて開催されたIVS(インフィニティ・ベンチャーズ・サミット)でこのテーマについて、特定非営利活動法人ジャパンハート 最高顧問/ファウンダー/小児外科医 吉岡秀人氏、福聚山 慈眼寺 住職 大峯千日回峰行大行満大阿闍梨 塩沼亮潤氏、書道家 武田双雲氏が語りました。モデレーターはWEIN挑戦者FUND 代表パートナー/Co-Founder 溝口勇児氏が務めます。

「荒ぶる武士」のような気持ちで行う、千日修行

武田双雲氏(以下、武田):みなさん、はじめまして。書道家の武田双雲と申します。この度は、みなさんご参加ありがとうございます。ふだんは、書道家として活動していますが、裏ではいろいろ歌ったりふざけたり、下ネタを言って人生遊び尽くしております。

今日は、僕が尊敬するお二人、吉岡さんと亮潤さんとお話ができるなんて、贅沢な機会をいただいて、本当にIVS愛してるぜ、ベイベー。

(一同笑)

武田:亮潤さんに、聞きたいんですけど。

塩沼亮潤氏(以下、塩沼):はい、どうぞ。

武田:何回も聞かれたと思うんですけど、千日修行の時って、言葉にもしするならどういう感情で修行されているんですか?

塩沼:侍。

溝口勇児氏(以下、溝口):双雲さん、ごめんなさい。あいだ入っちゃっていいですか。僕の声聞こえますか? 割れていますか?

武田:割れているね。

溝口:じゃあ双雲さん、しばらく仕切りをお願いします。

武田:はい。大丈夫です。

塩沼:まずは私と2人で。

武田:亮潤さん、侍というと。

塩沼:もう荒ぶる武士のような、命の1つや2つ……という感情で。自分ともう1人の幼子のような、小さな小さな子どものような2人の人間が同居する感じで歩いていましたね。毎日が命がけの連続ですので、楽しい気持ちもあるんですけれども。内面的にはものすごくピュアで自分の心を磨いていこうという、2つがありましたね。

子どもが目の前で死ぬのを見ると、人生は変わる

塩沼:吉岡先生とは、今日初めてお話をさせてもらいますけれども。先生の活動は、よくお伺いしています。実際に今、海外に行ってみなさんにボランティアをしている。そういう活動というのは、どのくらいの数になるんでしょうか。

吉岡秀人氏(以下、吉岡):主に東南アジアの国々なんですが、特に5歳以下の子どもたちがたくさん死ぬ国々なんですね。例えば、僕が初めて海外で働いた国はミャンマーなんですが、その時たぶん1995年だったんですね。当時の平均寿命が52歳とかで、日本の戦前みたいな感じですね。そういう平均寿命が低い国というのは、5歳以下の子どもが大量に死んでいるんですよね。

ミャンマーとかカンボジアとかラオスは経済が非常に遅れていて、医療環境が悪い国の子どもたちのために活動しています。

塩沼:実際には誕生してから10歳までになる人数というのは、どれくらいなんでしょうか。

吉岡:どうなんですかね。国によって人口が違いますし、例えばミャンマーというのは、日本の半分くらいしか人口がいない国なんですけれども。おそらく出生率が高いもんですから、日本と同じくらいの数の子どもが生まれている可能性がありますね。それが大量に死んでいるという状況だと思います。おそらく、日本の10倍くらいは死んでいるんじゃないかなと。

日本は今、世界でも死ぬ率が一番低い国の1つですから、10倍以上の子どもたちがミャンマーでもカンボジアでも死んでいると思いますね。

塩沼:悲しいですね、本当に。同じ地球で生きているのに、私たちの国では安心して大人になる確率が高いですよね。

吉岡:そうですね。だから、数でいうとそういう感じの理解なんですが、例えばそういう子どもたちが1人でも目の前で死ぬのを見ると、人生は変わりますね。本当にリアリティを持って、自分より弱い人たちが傷ついたり、亡くなったり、病気で倒れたりしていく。例えば、僕は今55歳なんですけど。7歳の子どもが亡くなったら、僕のところまで47~8年あるわけですよね。

塩沼:はい。

吉岡:この間にたくさんの思い出もあるし、良いことも悪いことも全部経験したんですけれども、それが全部「この子は持てないんだな」と感じるんですよね。そうすると、非常に悲しい気持ちになるし。そういう経験をたくさんしてきたと思います。

塩沼:なるほど。コロナのような状態になると、現地では今までと同じような活動なのか、それとも変わってくるのか。

吉岡:活動のポテンシャルはかなり落とさないといけないんですね。ミャンマーやラオスはもう国際便の就航を一切止めましたので。国境も陸路も塞いでいますので、外国からは一切侵入できないようになっていまして、そうなるとできないです。カンボジアは今のところまだ入れる状態なので、細々とですけれどもしています。

ただ、入ったら隔離されたりとか、日本からたくさんの医療のチームが難しい手術のために入っていたんですけれども、手術ができなくなっていて。数ヶ月待ちみたいな感じになってしまうんですね。それで、いろんな手術をこなせるのが僕だけしかいないので。

日本のチームというのは、大学のチームであったり、子どもの病院のチームであったりするんですけど、日本の病院があるもんですから入っていけないんですよね。自分のところの病院のことがあって。

僕だけフリーですから。例えば、6月に行ってきたんですけど、1ヶ月で150件くらいの手術を。子どもの癌とか、そういうのを含めてやらなければならなかったという状況ですね。

自分の死を見つめたことで濃くなる、生の密度

塩沼:私もなるべくそういう人たちが1人でもお幸せに暮らせるような世界になればと思って、17歳、18歳くらいの時には修行を志してそれを達成してというよりか、さらに先。1人でも多くの人たちが安全で安心な暮らしができる。そんな地球になればいいなと思って、それだけは心の中に思って修行してきたんですけれども。

私は自分で志して厳しい環境に追いやって、贅沢で尊い時間を預かったんですけれども。本当にもう自分が「これじゃ死ぬかな」というような「この先前に進めるかな」という極限な状態に追い込まれるほど、感謝の気持が湧いてきて。

私は目の前に1つのおにぎりがあることに「これを食べられることが幸せなんだ」という、そんなことを何度も何度も厳しい険しい山の中で思ったんですけれども。

お話に聞くと、今、日本には笑みが少ないと言われていますよね。大変な後進国の国に行けば行くほど、ライフラインも整っていないし不自由なのに、それでもみんな笑みが溢れているということを聞きますけれども。吉岡さんの周りでもそういうことはありますか?

吉岡:やはり死というものから生を見直さなければ、生の密度は上がらないと思うんですね。だから、亮潤さんも自分の死を見つめたので、それほど生が密度が濃くなっている。感謝の心が生まれていると僕は思うんですね。

塩沼:はい。

吉岡:日本で今、コロナが流行ってみんなが動揺しているのは、その死というものを受け入れていないからだと思うんです。死というのはやはり誰にでもやってくるものですし、すぐ隣に昔はあったし、そういうことは日常的に起こる。「次は自分の番かもしれない」という覚悟とは言わないまでも、そういうものを許容するというんですかね。

死というものを、頭で考えるんじゃなく感じることができて初めて、生の密度は違ってくると思うんですね。

これは医者をやっているから感じられるわけではなくて。ある心臓の循環器内科の医者が、たくさんの心臓(の病)で亡くなる人を見送って。でもある日突然、自分が拡張型心筋症という難病にかかるんですね。

塩沼:はい。

吉岡:知り合いの看護師さんのところに入院したお医者さんは、わんわん泣いていたというんですよ。なんで泣いていたかというと「今までたくさんの死を見送ってきたけれども、自分がなってみて、初めて死というものについてわかった」と言っていたらしいんですね。今まで何もわかっていなかったと。

翌日亡くなったらしいんですけど、いつも死を見ているからといって、自分と関係ないものとして扱ってしまうと、そのお医者さんみたいになりますし。

だけど、僕は感じられると思うんですね。これを感じることができれば、きっと生の密度はぜんぜん違ってくるし、生が充実していくんじゃないかなと思います。

コロナで気づいた「大自然の中で生かされているという感覚」

塩沼:こんなに便利で豊かな先進国にはなったんですけれども、初めてコロナという状況に置かれて、人としての本能的な部分に改めて気づくきかっけになったような気がするんですけれども。

吉岡:そうですね。僕も本当にそう思います。「あなたの人生にとって、何が本当に大切なんですか?」ということを、今までは現在進行形でいろんなことが進んでしまっていたので、なかなか立ち止まってみんなが考えられなかったような気がします。

良くても悪くてもそのまま進んでしまっているので、その加速度にみんなが負けていたというんですかね。でも、一度止まらないといけなくなって、初めてもう一度足元を見られたというんですかね。そういう感じはします。

塩沼:人という観点で見ていくと、私は仏教で言う入り口から「人間はどうやって生きていったらいいのか」ということを考え、アプローチしてきた人間なんですけど。2500年前にお釈迦様が「人間はオギャーと産まれた瞬間に、もう4つの避けられない、ままならない世界に包まれているんだ」と。それは「生、老、病、死」ですね。

生まれてきて、年老いて、病になって、死ぬということは、もう生きとし生けるもの、これは避けられることがない。どう努力しても現実なんだと。もう諦めなさいと。諦めるということは「明らかに見極める」ということなんですよね。

吉岡:はい。

塩沼:言偏に帝国の「帝」と書いて「諦(たい)」をやめる。これは、1つのこの「諦」と書いて悟りという字でもあるんですよね。だから、その4つの苦は受け止めなさいと。ただ、それにプラスして、よく「四苦八苦」と言いますけれどもさらに4つの苦しみがあると。

ざっくり言いますと、欲しい物がなかなか手に入らないとか、嫌な人と会ってしまう苦しみとか、自分の愛する人との別れがあるという苦しみ。4つ目は人生思いどおりにはならないということ。

良いことも悪いことも半分半分なんだということを、すでに2500年前の生きた人も現代の人も変わらずにオギャーと産まれた瞬間に、我々は定めとして人生という修行がスタートするわけですよね。

吉岡:はい。

塩沼:ただ、本当に産業革命以降、世の中はどんどん便利で安全で安心に暮らせる方向に機械化が進んで、コンピューターを使ってこのように場所が違ってもみなさんでミーティングができるという、ありがたいことなんですけれども。

「より豊かに、より快適に」という気持ちが過ぎると、人間はどんどん気まま我儘になって、足ることを知らなかったり、相手を思いやることを知らなかったりという傾向が強かったと思うんですよね。

コンピューターによって本当にいろんなものが快適になって、でも小さなウイルス1つで我々は手も足も出ない。そういうことによって、まさに大自然の中で生かされているという感覚に、改めて気づいたような気がしますけれどね。

吉岡:そうですね。

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