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尾原和啓氏インタビュー(全1記事)

コロナ禍を生き抜ける企業・個人の条件は? IT批評家・尾原和啓氏が説く、新時代の価値指標

評価経済や共感ベースの経済活動が注目を浴びるようになってから数年が経ち、いまそれらに代わる新たな動きが少しずつ見られ始めています。なぜこのような変化が起こっているのか、次にくる経済のキーワードは何なのか。IT批評家の尾原和啓氏が、近年の価値観の変容を背景に解説します。(取材:ログミーBiz編集部)

シンパシー、コンパシー、コンパッション

――本日はオンラインでインタビューさせていただきます。よろしくお願いいたします。

尾原和啓氏(以下、尾原):はーい、よろしくお願いします。

――頭の上に載っている猫がかわいい!(笑)

尾原:これね、「Snap Camera」っていうアプリでいろんなのが表示できるんですよ。楽しいでしょ?(注:現在Zoomからは使えなくなっています)

――私もアプリを入れてみます! それではさっそくですが、本題です。最近「共感経済は古くなってきたのではないか」「これからは応援経済だ」といった趣旨の発言を見かけます。

尾原:うーん、なるほど。

――ここ10年ほど言われてきた評価経済・共感経済から、新しい節目に入っているのではないかなと感じました。尾原さんは、その辺りをどうご覧になっていますか?

尾原:共感経済とか信頼経済とかいろんな言葉があるんですけど、たぶん解像度が細かくなってきたという話だと思うんですよ。

だから、日本語でざくっと共感経済と言っちゃうと、それは残っている。だけど英語で言うと、共感ってsympathy(シンパシー)とempathy(エンパシー)と、compassion(コンパッション)という種類があるんですね。

――シンパシーとエンパシーと、コンパッション。

尾原:いわゆるシンパシーにはもうみんな飽きたという話で、エンパシーだったりコンパッションに移ってきたという話だと思うんですよね。最近言われ始めてきている「応援経済」にも近い話なんですよ。

苦しみに寄り添って共に行動する「コンパッション」

尾原:ちなみにシンパシーとエンパシーとコンパッションの違いってわかりますか? というか、コンパッションって言葉は聞いたことあります? 

――聞いたことなかったです。

尾原:日本語でいわゆる共感という言葉が、英語だと、シンパシーのときとエンパシーのときと、コンパッションのときがあるんです。

それぞれ分けて話すと、シンパシーというのはシンクロするエモーションなんです。だから感情に同調するということなんですよ。だから、「悲しいね」「困ったね」って一緒に言うこと。

それに対してエンパシーというのは、感情移入。だから、もう相手の立場に立って「ああ、こういうときはこうしたいよね」となることなんです。

一方、コンパッションというのは、accompany with passionなんです。要は、相手の苦しみとか痛みに寄り添って、一緒に歩いていくということなんですね。

「悲しいね」と感情が揺れ動く意味では、人間って一緒に泣くとその場では気持ちいいんですけど。やっぱりシンパシーとエンパシーって、なにも変わらないんですよ。本当は苦しみとか痛みがわかったうえで、「じゃあ、どこにいくの?」ですよね。

――それは大事ですよね。

尾原:この、「じゃあ、どこにいくの?」というのに「一緒にいく」というのが、コンパッションなんですよ。

――なるほど。

困っている人を助けるだけでは根本的に変わらない

尾原:だからそういう意味で言うと、単純に「商品を発注しすぎた! 困った、助けて!」(注:一時期見られた、発注ミス等により大量在庫を抱えてしまった店がそのことをTwitter上で発信し、それを見たユーザーが購買によって助けるという動き)みたいなのはエンパシーなわけですよ。初期のころのクラウドファンディングは、「困っているから助けてあげようよ」というものがエンパシーとして流行ったんですけれども。

「誤発注の人を助けてあげた」「ああ、よかったね」。それはそれでよかったことなんだけれども、それって別になにも変わらないわけじゃないですか。

――そうですね。

尾原:それに対してコンパッションがなにかと言うと、応援経済の文脈に入ってくる。「コロナでこんな苦しい状況にある。でも俺はこの苦しいときだからこそ、次にこういうことをやるきっかけだと思うので、こういうことをやっていきたいんだよ。だから一緒に歩いてくれないか」なんですよ。

――はい。

尾原:それはコンパッションという語源にすべてが入っていて。さっき言ったように、コンパッションというのは、accompany with passionなんですね。accompany withは、寄り添って歩くという意味です。

そして、パッションは苦しみや痛みというのは単なる悲しい、つらいという感情でもあるけれども、「自分が成し遂げたいことに対して、自分の身を焦がしてでもそこに向かって歩くんだ」という意味でもあるわけですよ。

こういう人たちを応援する。もっと言うと、こういう人たちと一緒に歩くということがコンパッションだったりするんですね。

コンパッションが生まれる条件

尾原:この話をするんだったら、この動画を見るのが一番早いかな。

ナタリー・ギルバートという当時13歳の少女がNBAの試合で国歌斉唱するシーンです。歌い出すんですけど、途中で歌詞が出てこずストップしてしまうんです。

……というのがコンパッションなんですよ。もしこれが失敗に終わったとして、後で「いや~私もつらかったよ」って言うのは、シンパシーだったりエンパシーなんですけど。

だけど、あの男性がパッと歩いて行った。彼がとった行動がコンパッションなんですよね。慰めるわけでもなく感傷に浸るわけでもなく、スッと側に行って彼女が「つらい、やばい、どうしよう」とかいろんな気持ちで葛藤している横で、寄り添って一緒に歌ってあげることによって、彼女は歌い切ることができた。

――Twitterの誤発注の例も、行動を伴って助けたのかなと思いました。これってコンパッションには当てはまらないんですか?

尾原:Twitterの誤発注って、ある意味失敗をして、それに対して助けてあげたっていうだけじゃないですか。その裏側に何かを成し遂げるというパッションは特別なものはないでしょ?

――あー、なるほど。そういう条件があるんですね。

尾原:ナタリー・ギルバートがここで歌うことというのは、ここにパッションがあるわけです。彼女が地元の決勝戦で歌う。「国命を負って歌う」というパッションを持った行為の中で傷つき、倒れかけたときに、一緒に歩いてあげる。

――ということは、例えばクラウドファンディングの場合って、そのプロジェクトが何を目指しているのかによって、そもそもコンパッションが発生し得る条件があるものとないものがあるっていうことですね。

尾原:そうですね。やっぱりそこはパッションに基づいているかどうか。そのパッションの裏側は、ミッションに紐付いているかどうかなんですよね。パッションは「自分が今、自分の身を焦がしてでもやりたいこと」で、ミッションは「自分がそれをやらねば自分ではない」というもの。

そこに根差しているときに人は動くし。さっきの国歌もそうですけど、寄り添っていった男性が最初に歌ったら、自然とみんな周りが一緒に歌い始めて、やがて合唱になっていく。一緒に応援したくなる。そこに違いがあるんです。

別に一時的に誤発注に対して助けてあげることがダメなことではないんですよね。ただ言い方は悪いんですけど、ここから先はどちらのほうが応援してる側にとって実りがあるかっていう話なんですよね。

応援している側も力をもらう。明日自分も同じつらさがある中で歩いていこうと思う。ないしは、自分も自分の中にあるパッションを思い出して「やっぱり自分も歩かなきゃな」と思う。それがコンパッションなんです。

エンドルフィンからオキシトシンへ

――応援される側だけでなく応援する側も力をもらうというのは、どういう仕組みなんでしょう。

尾原:これは脳科学的にも解説できて、人間に限らず、哺乳類は他者のためになにかするということがDNAの中に刻み込まれた生き物です。

幸せホルモンと言われるオキシトシンが、他者にいいことをしたときに出るし。もっと言うと感動的な動画を見たときにも、オキシトシンって出るんですよ。しかもこのオキシトシンが出ると、人間というのは他人を受け入れやすくなったりとか、違う人を受け入れやすくなったりとかするんですね。

ある種今までの文化って、どっちかと言うとエンドルフィン文化でした。エンドルフィンは、肉を食べてビールで乾杯すると、グワっと出るものなんですよね。こういうのって一時的にはめっちゃ気持ちいいんですけど、エンドルフィンってもっともっとほしくなるんですよ。だから際限がないんですね。

それに対してオキシトシンというのはじわっとくる喜びで、自分も誰かに優しくしたくなるという満足感とともに人につながって連鎖していくものなので。

これは僕の『モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書』という本でも書いたんですけど、ないものをあるにするっていうことが昔の正しいことだったんですよね。昔はなにもかもなかったから、「物を増やしていこう、数字を増やしていこう」っていう時代だった。

モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書 (NewsPicks Book)

だけどもう、今はないものがなくなっちゃったんですよ。世の中に。当たり前だけど経済ってどっかで頭打ちしてくるし。気付いたら2050年には地球2つ分のリソースがないと僕たち全人類は支えられないっていうところまで、使うものを増やしちゃった。むしろ僕たちは「これからどうやってコンパクトにスマートに生きていくのか」と、時代が転換したんですよね。

エンドルフィンで生きることよりも、オキシトシンで生きることのほうが大事だとなってきていて。この時代背景には、そういうことがあるんじゃないかなと思います。

なので、(頭の上の猫を指して)この子を見るとちょっとオキシトシンが出る(笑)。

――そうですね(笑)。

役に立つことより、意味があること

――例えば、実際の経済活動に当てはめて考えてみると、これまでのエンドルフィン的な経済活動とオキシトシン的な経済活動は、具体的にどういった違いがありますか?

尾原:単純に言っちゃえばエンドルフィンっていうのはもっと欲しい、もっと広げようなんですよね。それに対してオキシトシンというのは支え合って一緒に生きよう、あなたも応援するし、私も応援されるっていうものなんですよね。

あと、もう1つ文脈があって。去年くらいから山口周さんが「役に立つ存在より意味がある存在が生き残る」という言い方をしていて。結局役に立つものって……例えばスマホが一番わかりやすいですね。

iPhone Xになって広角のカメラが付いたじゃないですか。5年くらい前は「ついに◯◯万画素を超えた!」とか言っていたけど、今画素数なんかどうでもいいじゃないですか(笑)。確かに広角写真を撮れることは嬉しいけど、iPhone3から4になったときの「やべぇ!」っていう感覚と、iPhone Xからその先ってあんまりもう変わらないですよね。

――確かに。

尾原:情報社会ってコピーが簡単だから、簡単に真似できちゃう。そうすると機能がいくところまでいく。ある程度のところまで来ちゃったら、役に立つことってそんなにいらなくなる。こういうのを限界効用って言うんですけど。

そうするともう安さ戦争の中に埋もれてしまうわけです。それに対して山口周さんは「役に立つことにはもう限界があるけど、意味があるということには限界がない」と。

例えばわかりやすい話で、なんで僕たちがAppleを大好きかというと、別に役に立つからじゃないんですよね。Appleの製品を使うことによって、Think different、つまり「世界をほんの少しでも良くするために表現する人たちを応援していく」というスティーブ・ジョブズのパッションを買っているわけですよ。

こういうのって、コロナの時代だからこそ大事になってくるんですよね。役に立つだけの存在だと代替可能だから、誰も助けてくれない可能性があるわけです。

でも、意味がある存在ってかけがえがないから、なにかあったときに助けてあげようと思える。「この苦難が2ヶ月で終わるのか2年続くのかわからないけど、あなたの未来が僕にとってはかけがえないから、あなたを支えたい」っていうのが、自然と生まれるわけですよね。

やっぱり変化の時代で、先がどうなるかわからない時代であるからこそ、あなたにとって「役に立つからじゃなく意味があるからあなたにいてほしい」と言ってくれる人が何人いるのか。そういう応援経済が大事だと思うんですよね。

強い主人公ではなく「パッションの主人公」

尾原:さっき言ったように、コンパッションってaccompany with passionじゃないですか。companyっていう言葉は、もともとaccompanyからきた言葉なんですよね。

――へー!

尾原:companyの語源はラテン語で「一緒にパンを食べる」という意味の言葉からきていて、compassionの「自分たちのパッションを持って、痛みも背負いながら一緒にやり遂げようぜ」という意味はcompanyにも通じるところが多くあると思います。

いまは、パッションを持って一緒に歩ける仲間を作る流れになってきている。漫画が『ドラゴンボール』から『ワンピース』に変わったのと一緒ですよね。『ドラゴンボール』まではひたすら悟空が強いんですよ。でも『ワンピース』だとルフィって確かに強いけど、パッションじゃないですか。「俺は海賊王になる!」。そこに比較選択はないわけですよね。

でも彼は欠点だらけで、そこにをずる賢いナミがいたり。僕はワンピースの中だとウソップ系なんですけど、調子いいことばっかり言ってるけれども最後の最後で逃げない。ちょっと相手の隙をつくみたいなキャラもいて。

弱さを補完し合いながらお互いがパッションを持っていて、でも一番パッションの強いルフィのパッションとを一緒に歩いて行く。ドラゴンボール世代からワンピース世代への変わり方っていうのが、今の応援経済を表していると思うんです。

数を追う評価経済から応援ベースの社会へ

尾原:なぜ、あえて「仲間」ということを強調するかと言うと、評価経済の良さと副作用があって。

評価経済って要は、評価として信用の資本が貯まっていく。資本が貯まると、その資本を使っていろんなことができるようになる。人から信用されると新しいチャンスがもらえて、新しいチャンスの中でまた新しい信用がもらえる。またその信用を使って、もっと大きな舞台と仲間と一緒になる。そうやって、資本が資本を呼んでどんどん大きくなっていくっていうイメージがあるから、それはすごくいいことなんだけど。

それを「資本」と言ったせいか、なぜか人はフォロワー数を追いかけちゃったりとか。いいねの数を追いかけるようになっちゃったんですよね。フォロワー数って「あれ、右肩上がりじゃなきゃいけないんでしたっけ?」っていう話で。

でももっと危険なのは、お金は誰からもらっても10円は10円だし、1万円は1万円だけど、フォロワー数はぜんぜん違うんですよね。僕に意味があると思ってフォローしてくれる方と、適当にフォローしたらフォローバックもらえるかもしれないと思っているフォロワーは、ぜんぜん違うわけじゃないですか。いいねもまた然りです。

僕らはついつい「数を多くすればいい」と刷り込まれて生きちゃっているから、数から降りなきゃいけないと思うんですよ。本当の応援社会、本当の信用社会、信頼社会っていうのは、フォロワー数が1万人になることじゃなくて。「あなたになにがあってもあなたの冒険を一緒に歩みたい」という仲間が何人いるか。これが本当に大事なことで。

それは、応援する側も応援される側もハッピーになれるという、コンパッションだから。「数から降りて、あなたに意味を感じてくれる人と、応援し応援されるっていう関係をどう作っていくんですか?」と、時代が変わっていってるんじゃないかなと個人的には思うんですよね。

――なるほど。

尾原:こういうコロナみたいに先が見えないときだからこそ、数ではなく「あなた」に意味を感じて、冒険を一緒に歩む仲間を大事にするっていうことのほうが、重要な社会になっていくんじゃないかなと思うんですよね。

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