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「アートのない世界」で人は生きられるのか?(全4記事)

「働かざるもの食うべからず社会」は持続しない 脳科学者が説く“無駄”の意味

人類が獲得した最も重要な力であり、繁栄をもたらした「想像力」。人は何万年も前から目の前にないものを想像して物を作ったり、絵を描いてきました。もしアートが存在しない世界だとしたら、人はどうなってしまうのか? 世界有数のキュレーターである長谷川祐子氏、脳科学者の中野信子氏、株式会社スマイルズ代表取締役社長の遠山正道氏が登壇し、多様性を保持することの大切さについて語りました。

無駄なものが許されない集団は滅びる

中野信子氏(以下、中野):もう1つ、「祝祭」ということの意義ですね。これって、個体がただ命を永らえて生き延びるためだけだったら、必要ないかもしれない。しかしながら、集団が集団として生き延びるためには必ず、絶対に必要です。無駄なものが許されない集団は滅びます。

長谷川祐子氏(以下、長谷川):もう一度言ってください、先生。

中野:ああ、大事なところですからね。無駄なものが許されない集団というのは滅びます(笑)。

遠山正道氏(以下、遠山):上司にも聞かせたいですね。

(会場笑)

中野:そうか。確かに、遠山さんがやっていることは、そういう意味では非常に先駆的ですね。遠山さんの試みとは対極にある、無駄なものが許されない社会というのは、「働かざる者食うべからず」の社会ですね。

「働かざる者食うべからず」の社会というのは、何か。目に見える、目先の利得の大きさ、効率のよさを追求するという戦略を是とする社会です。それ以外の寄り道を、無駄であり悪とする。短期的には、確かに「働かざるもの食うべからず」のほうが、ほかのやり方よりもずっと迅速に華々しい成果を上げることができるでしょう。集団同士、国同士の実戦なら、そのやり方のほうが勝利により近いかもしれない。

けれども、そのやり方をいつまでも続けることは難しい。サステイナブルではなく、適応的な期間は非常に早く終わりを迎えます。利得の大きさや効率といった単調な目標だけを重視するパラダイムは、たった1つの要因で滅びてしまう社会を作り上げかねない、という脆弱さがある。

私たちは、こんなコストをかけてまで、有性生殖をやっているわけですから、やっぱり多様性を保持する方向にいないと滅びてしまう種なんだということは、ちょっと考えれば自明だと思うんです。多様性を保持できない集団はもう、その都度、歴史の中で滅びていっていますよね。

遠山:本当に上司に聞かせてあげたい。

(会場笑)

現生人類と滅んだネアンデルタール人の違い

中野:(笑)。多様性が保持できなくて滅びた集団の例は、ちょっとレイヤーは違う話になるかもしれませんけれど、ハプスブルク家ですね。遺伝子の多様性を失って、最後は遺伝的な疾患で滅びた。

長谷川:それも、やっぱりウイルスなり遺伝的な病気で感染すると、それで全部が途絶えてしまうという。

中野:文化的にもそういうことが起きただろうと。おそらく、集団には「無駄を許す」ことを、象徴的に行う必要があるんです。その作業をやっている集団とやっていない集団では、やっている集団のほうが生存適応的であっただろうと考えられる。それが祝祭が残ってきたことの意義、淵源だろうと。

イスラエルの研究チームが、約5万5000年前には現生人類はネアンデルタール人と共存していたという説を発表しています。しかし、やがてネアンデルタール人のほうはその数を減らし、集団としては滅んでいきました。現生人類とネアンデルタール人には、いったいどんな違いがあったのか。

最近発表された、東大と名古屋大学博物館などの合同研究チームによるリサーチでわかったことですが、約4万年前、西アジアでネアンデルタール人と現生人類がそれぞれ集落を作り、近くに居住していた。しかし、現生人類の遺構からだけ、あるものが見つかったんです。

それは、食用にならない貝の貝殻でした。彼らの居住地は内陸乾燥域です。そして、その貝は、そこから数十キロ離れた紅海でしか採れないのです。

この研究のほかにも、現生人類の特徴として、海岸からかなり離れた場所で貝殻が見つかることは知られていますが、その貝殻がどうやら象徴としての役割を果たしていたということが興味深いところです。

象徴品として用いていたという行動が何を意味するのか。ものと交換するための貨幣としてなのか。もっと別の象徴品として、装飾に使われたり、地位や権威を表すものとして使われたりしていたのか。

いずれにしても、非常におもしろい。「食べられる」という目先の利益でなく、「美しい」という感覚を価値を持っていたということを、これらの発見が示しているからです。つまり、「美しい」を価値として採用した集団のほうが、現在も生き延びているというわけなんです。

普段とは違う空間・環境に身を置く大切さ

遠山:その非生産的なものによるカタルシスというのは、お二人それぞれにあります? 年に一度のカタルシスというのは?

長谷川:年に一度のカタルシス?

遠山:なんだかそれをやらないと、まずいと思うんですよ。滅びていくと思うので(笑)。

(会場笑)

長谷川:そうですね。カタルシスを得るためには、普段とは違う空間や環境に自分の身を置くことが大切だと思います。日常を振り切るための環境としても、アマゾンというのは最適でした。本当に7年ぶりくらいで行きましたが、最後には、ジャングルで周りが何も見えないところをガイドの背中だけを信じて歩いていく、という。なんか「コブラの香りがする」と言われて立ち止まるとか。

あとはダイビングですね。海もわけがわからない場所ですね。魚や水中生物はまったく別のスピードで動いているので。そういうことを年に1回、必ずやっています。

遠山:そもそもブラジルに行かれたのは、特段理由があってというよりも、理由がないぐらいの感じで?

長谷川:アートのリサーチで行きました。現地の人たちの生活の知恵や美意識が近代化の中でどのように変化しているのかを調べるということです。でも、年に1回は、そういう制御できない場所に自分を置いてみることで、自分がいかに傲慢で弱くて、自分を守れない存在であるかということを再認識する。場所や彼らから多くのことを感じたり学んだりします。

だから、山籠りみたいなものでもいいと思います。なにかそういう体験を通して自分の体に思い知らせないと。自分の意識や感覚がうまくリセットできないという世界を感じ取るセンサーがどんどん鈍くなってしまうという感じはあると思います。特にアートの仕事をしていなくとも自分の感覚の鈍化についての危機感は必要かと思います。

「苦手な人とのコミュニケーション」から得られる学び

遠山:なるほど。中野さんは?

中野:私ですか? 「ちょっと苦手な人としゃべる」という。

(会場笑)

遠山:おぉ〜(笑)。それはちなみに……?

中野:あの、ちょっと……これWebに載っちゃうんですよね?

遠山:載ります。ははは(笑)。

中野:まぁ、いいかな。メディアに出るというのは、意外と私にとってそういうハードルになっている部分があってですね。

予期しない人がその場にいたりすると、もちろん会いたかった人もいるんだけれども、「あっ、この人ちょっと苦手かな」という人がまれにいるんですね。ごくまれにね。

(会場笑)

でも、そういう方とどういうふうにコミュニケーションをしたらいいかなと考えることが、すごくおもしろいというか。別に生きていくためだけだったら、そういう人は避けて通ればいいので、目先のことだけ考えればまったく無駄なんですけれど、長期的に見ればとっても学びがあったりするんですね。

もしかしたら、その学びは何にも生かされないかもしれない。けれども、非常に刺激的でおもしろいものなんですよ。その楽しみは、私はちょっと手放せないなと思っています。刺激的ですね。

遠山:わかりました。すみません、私に同じ質問をしてくれますか?

(会場笑)

アートに関わることで、社長業から自分をリセットする

長谷川:はい。遠山さんはカタルシス体験というか、1年に1回でも何か自分をリセットすることってありますか?

遠山:めっちゃ優等生的な答えで「アート」ですね。

(会場笑)

ビジネスをフィールドにしていて、芸術祭などにスマイルズという会社が作家として作品を出しているんですね。これはなかなか説明がつかないわけですよ。私、社長で株主ですけれど、うまく説明できん。

ちなみに、最初に越後妻有の「大地の芸術祭」をやった時に、我々はビジネスがコンテキストだから、あえて記者会見を無理やりやったんですね。その時に「今は理解されないけれども、5年後には『あの時スマイルズがアートをやっていてよかったね』と言われるようになりたいなぁ」って言ったんですよ。今4年目ぐらいで。

でも、もはやスマイルズとアートって切れない感じになっているなと思っています。だから、「じゃあ、それはなんなの」ということを問うための、このカンファレンスだったりするのかもしれませんけれどもね。「非生産的なことがなければ滅びる」ということだったんですね。今日、学びました。

(会場笑)

人類は、集団を作って生き延びるほかない存在

長谷川:先日の中野さんのお話で、たった1人ではアートは成立しないと。1つの社会やコミュニティがあって、アートは成立するという話をされていましたね。

中野:ちょっと繰り返しになっちゃうんですけれども、個体が生き延びるためだけなら、アートはおそらく必要ないだろうと思います。

だけれども、人類って、実は1人だけ生き延びても意味がないんですよね。私たちは有性生殖をするし、少なくとももう1人異性がいないと子どもは作れない。つまり、子孫が続いていかない。

それで、さらに言えば、人間は非常に脆弱な肉体を持っているので、1人で戦って勝てるような種ではないんですね。残念ながら、猛獣と戦って勝てるような強さはほとんどの人は持っていないし、逃げ足も遅いし。まぁ、そういうことができるのは、武井壮さんぐらいじゃないですか(笑)。

(会場笑)

そうなると、集団を作って生き延びるほかにないんですね。武井壮さんは男性ですけれども、子どもを作るのは今のところ女性であって、妊娠して、子どもを孕んで、しかも子育て中の子どもがいたりすることもある。これではとてもじゃないけど、外敵と肉体的に戦える状態ではない。

現代社会なら事情は変わってくるでしょうけれども。インフラも整っているし、もっと未来になればもしかしたら子育てロボットとかできてですね(笑)。なんか全部機械化されて、なんなら子どもを人工子宮が産んでくれるようになったら、ずいぶん事情も変わってくるかもしれません。

が、まだそういう状態ではない。そうなると、いまだに我々は、集団で自衛し、子孫を残すことを念頭に置きながら、社会を形成して生きなければならない状態に置かれている。

アートを必要とする存在のほうが適応力が高い

中野:この時代に都市生活者として生きていると、とってもいろんなことが自分の意志ひとつでコントロールできるような錯覚があるでしょうし、もしかしたらあまりピンと来ないのかもしれない。

本当は警察も自衛隊も水道もガスも電気もコンビニも宅配も、誰かの力に頼っているのだけれど。都市インフラがすごすぎて、自分ひとりで生きていけるような感じが強くなってしまう。そういう思考ですと、まぁ、究極的には「普段の生活にはアートなんていらないよね」というところに行きついてしまうんでしょうね。ここに来られた方は、そうじゃないかもしれないけど。

ただ「アート」という言葉も定義が曖昧ですよね。ちょっと自分の生活とは縁遠いものというふうに思っている人もいるかもしれない。でも、人類の存在にとっては必須のもので、個体の生存と種の保存と、その間の均衡を調整するものというふうに捉えるとおもしろい現象が見えてくるんですよ。

3,000年ぐらい歴史を回すと、アートのある集団とない集団では、アートのある集団の方が適応的だということがわかるでしょう。先史時代の例を尋ねなくとも、ない集団のほうが長期的に見て脆弱であることは容易に予測がつくはずです。

遠山:では、先ほどの質問をもう1回繰り返すと、「『アートのない世界』で人は生きられるのか?」という質問に対しては、まず「ノー」ということですね。そこをもうちょっと補足ありますか?

中野:補足するともっと長くなります......。

(会場笑)

現代人にとってのアートの価値

遠山:わかりました。先ほどの質問をお二人からお聞きしたんですが、わりと概念的だったり、古い人類の歴史からの考察だったと思います。

もうちょっとキュッと現代に。今の現実の中で「アートがないと生きられない」「アートがあるからこんなに自分たちはがんばれる」とか、そのへんの(お話があれば)……。

みなさん、今日はアートになんらか興味のある方が集まってきていただいているとは思うんです。でも、相変わらず「アートってなんだっけ?」という感じがあると思うので、そのへんを現代に引き戻していただいて。

長谷川:そうですね。お見せしたこのスライドは、昼間から午後のセッションでお話に出た、石上純也さんの現代美術館でやったプロジェクトです。

「四角いふうせん」というテーマで、本当に立体が浮いてるんです。これは中が薄い鉄骨の構造になっていて、外がアルミで貼ってあって、要は4階建てのビルディングが浮いているという状態を示しているんですね。

中にヘリウムが入っていて浮いている。そのビルディングに当たる巨大な立体の表面が周りをリフレクションしながらゆっくり回るという、ちょっと信じられないようなもので。「建物ってこうだよね」という概念を変えてしまう。空間体験を変えるということが、石上さんにとっての建築の概念なので。

それで、これは最後まで浮くかどうかは、ヘリウムを入れてみないとわからなかったんですけれど、まぁギャンブルのようなものにいつも付き合わされていて。アーティストと仕事をすることは「動物使い」または「ギャンブル」とも言えるかもしれません。どちらに向かって、どこまで走っていくかわからないということで。

まぁ、そういう動機ですよね。やっぱりワンダー(驚き)ですね。自分たちの見知っているものが変容することへの驚き。

空間の概念を変容させるアート作品

遠山:これ(「四角いふうせん」)、ご覧になった方いらっしゃいます?

長谷川:だいぶ前のやつですが。

遠山:これは本当に静止しているのがすごいですよね。

長谷川:それはそれはゆっくりと動いています。

遠山:ゆっくり動いてね。でも、これ言っちゃうとあれですけど、ちょっと下がペロッとなっちゃってたりして。あのへんの芸術が……(笑)。

(会場笑)

長谷川:ご愛嬌で(笑)。

遠山:ははは(笑)。でも、本当に痺れますね。僕は石上くんの(作品の)中で一番素敵だなと思いますね。これは一応、建築ですか?

長谷川:はい、建築という概念で。これは空間の概念を変容させることだと彼は言っています。非常にはっきりとした考え方を持った人ですね。

遠山:はい。じゃあ先ほどの質問で、「現代においてアートが何を与えてくれるか」ということで言えば、空間の概念を変容させることが可能であると。

長谷川:もう1つは、やっぱり知っているものをどう変えていくのか、変容させるのか、という。1つのワンダーですよね。驚き。

遠山:なるほど、確かに。誰も思いつかないものを現実の形で目の前に突きつけるのは、本当にすばらしいと思いますね。

長谷川:この作品ですと、ゆーっくりと回るので、ある意味で見ていて癒されるような、安らぎとメディテーションを与えてくれるので。なんだか丸の内のオフィス街に勤めている人が昼休みにわざわざ見に来たという、嘘のような話があるんですけど(笑)。

遠山:なるほど。

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