2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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平田明浩氏(以下、平田):みなさん、こんばんは。今日はようこそおいでくださいました。写真映像報道部長を勤めている平田と申します。梅村くんとは、北京オリンピックのときに、僕がキャップとして現地で取材をしているときに、兵隊という言葉を使いますけれど、彼がカメラマンとして来てくれて、一緒にオリンピック報道をやった経験がある仲でございます。
リオオリンピックでは私が写真の担当デスクを務めておりまして、日夜、僕が昼夜逆転の生活をしながら、東京から彼にメッセージを送って、連絡を取り合っていたということでございます。
毎日新聞は編集部門で今回彼が取って、新聞協会賞は29回目の受賞になりました。これは国内最多の受賞です。写真・映像部門でずいぶん、過去にも取っていました。なかでも2000年以降で数えると、4回になります。
彼が取って5回目になるんですが、そのなかで、3回は震災についての報道です。パキスタン地震とか、東日本大震災、熊本の大震災で受賞をしておりますが、今回はスポーツ写真ということで、これは新聞協会が発足して以来、初めてスポーツ部門で受賞できたことです。要するに「地震の毎日」ではなくて、今回は「スポーツの毎日」で取ったということであります。
スポーツ写真で新聞協会賞を取ったという意義や意味合いとかは、また彼の方からも語ってくれると思いますので、今日は最後までご静聴いただいて、あとは懇親会もあると聞いておりますので、よろしくお願いいたします。
梅村直承(以下、梅村):みなさんこんばんは。梅村と申します。
今回この写真で賞をいただきまして、みなさんの前でお話をさせていただく機会をいただきました。
私は1977年生まれで、今年40歳になります。今、北海道でカメラマンをしておりまして、昨日東京に帰ってきました。向こうは10℃、こっちに来ると20℃ということで、汗ばむような陽気です。
今日、大学の恩師がいらっしゃっていて、まさかその人の前で話をすると思っていなかったので、さっき会って一層緊張しております。ちょっと話がたどたどしくなるかもしれませんが、お許しください。
まず、今回のリオ五輪でみなさんに最初に見ていただきたいのが、どのような写真報道を我々がしていたのか、と題したところです。
我々はさきほどの平田さんが日本でデスクをしていて、現地にはデスクをしながら写真を撮る山本さんがいます。そして私がキャップと言って、現場のみんなの雰囲気をまとめたり、いろんなことを取りまとめる立場でした。ちなみに、小川くんと、三浦くん、和田くんという3人の若いカメラマンがいまして、現地ではいい写真を撮っていました。
梅村:みなさんにはリオ五輪がどういうシーンだったか思い出していただきながら、写真を見ていただきたいと思います。
これは和田くんが撮った写真です。初日、三宅(宏実)さんがかなり腰が痛い状態で、あの寸前、競技場でもおそらく無理だろうと言われていました。が、見事成功して、銅メダルを取った時の、バーベルに抱きついて感謝してしているシーンです。この写真からリオ五輪が幕開けしたと言ってもいい競技です。
こんなことって起きるんだなってことが初日にありました。絶対腰が痛くて取れないだろうと思っていたんですけれども。
どういう写真が流れるかということをみなさん注目して見ていただきたいと思います。ちょっと日にちが前後しながら話をしていきます。
これは、(マイケル・)フェルプスという史上最高のスイマーが、今回五輪で競技から引退しました。そのフェルプスが、400メートルのリレーのときに若い選手が泣いているのを見て、涙を流していたシーンです。
これは私の写真なんですけど、目の前で、本当に最強だったフェルプスのほっぺに涙が出ているところが、すごく衝撃的なシーンだったんです。実は北京五輪のときに、フェルプスのことをヘルペスと書いて日本に送り続けていました。
(会場笑)
当時のデスクにすごく叱られた思い出があります。ずっと水泳を撮っていた人間としてはフェルプスの引退の場面、それも涙を撮れた、すごく印象的な場面でした。間近で撮ってきた写真の説明を日本に送れたというのも思い出になります。
そして7人制ラグビーです。まさかっていうぐらい日本が活躍して、もう一歩でメダルというところでした。本当に7人制ラグビーというのは写真が難しくて、7人がパッと走って抜けてきたところが写真にはなかなかならないんです。けれどもこれは三浦くんがすごく見事なトライの場面を収めています。
これは登坂(絵莉)選手です。初めて金メダルを取った場面、勝った瞬間です。こんなに迫るような喜びの場面があったことを、僕はあとで知ったんですが、小川くんというカメラマンが撮っていました。本当に鮮明に、満足感が伝わってきます。
梅村:同じレスリングですが、負けると思わなかった吉田(沙保里)さんが負けました。目のところを見てほしいんですけれど、涙が今にもこぼれそうな瞬間を、これも小川くんが捉えています。写真で見なければ、こんな場面があったとは気づかないような吉田さんの悲しみとか、悔しさが一枚に凝縮しているシーンでした。
銅メダルを獲得した日本女子卓球です。これは山本さんがデスクをしながら、現場で撮りました。本当に寝る間もなく一緒に2人で撮ってくれたんです。けれども、山本さんがずっと卓球にいたので、この日本の女子が可愛くて仕方がないと、途中から言い出しまして。娘さんがいるもんですから、ちょっと感情移入してきまして。
途中から、「僕はどうしても彼女たちを撮りたい」と言って現場に行ってくれたんですけれど、本当に声が聞こえるような場面を収めてくれて。銅メダルを獲得した試合の写真です。
そしてこれは体操でかなり活躍した白井(健三)選手が伸身ユルチェンコ3回半ひねり、「シライ2」を決めたところです。
これも小川くんがこの場所から何枚も撮って、あとで合成するとこのように綺麗に技が見えるだろうと、2年間研究し続けてモノにした写真です。15枚で構成しています。どのように体をひねっているのか、そのときどんな顔をしているのかがすごく伝わってくる写真だと思います。
梅村:これは100メートルを3連覇した瞬間のウサイン・ボルトです。こんな顔をしていたんですね、僕もまったく気がつきませんでした。
勝った瞬間、穏やかと言ってもいいような表情かもしれませんが、三浦くんはこの写真を撮るのに、とても工夫をして、この上半身を綺麗に撮っているのは、世界で三浦くんぐらいしかいないという穏やかな、それでも晴れ晴れとした瞬間の写真です。
そして地元ブラジルで最も期待されていた競技はサッカーと、もう一つがバレーボールなんですが、そのバレーボールも勝ちました。サッカーもPKで勝ちました。
そこでネイマール選手が山本さんの前に飛び込んできて、天を見上げて涙している瞬間です。これも目の前に彼が来ないとなかった瞬間です。山本さんはずっとサッカーを撮っていたんですが、それを捉えたすごく印象的な場面です。
梅村:このように、今見ていただいた毎日新聞のリオ五輪の写真報道は表情が気持ちいい。涙でも、その涙がどういったものなのか想像していただきたい。さきほどのボルト選手が三連覇を果たした瞬間、あんなに穏やかな顔だったんだという、選手の表情に迫るということを、我々はリオの現場で求め続けました。
それというのも、インターネットで五輪の動画配信がすすみました。みなさん、動画でスマホなどを使って簡単にリオ五輪をずっと見ることができます。
そんな時代だからこそ、写真を撮る場合は、写真を撮ることに携わる我々は、一瞬の表情や一瞬の動きを伝えられないかということをすごく考えて、そして東京にいた平田デスクにこういうのを撮りたいと出し続けました。
どうやって、写真の一瞬の力で競技や五輪そのものを伝えられるか。鮮明に、さきほどの登坂選手のガッツポーズのように美しい写真、躍動するような表情、美しい写真をどうやって伝えられるか? そのために可能な限り長いレンズを使いました。
これは200ミリの望遠レンズです。この200ミリの望遠の見える範囲と、600ミリで見える望遠の範囲は非常に違います。
200と600を比べると、200で広く見えるところが、600ミリでは非常に狭く見えるんですね。狭いということは、まわりで起こったことが見えにくい、非常に写真が撮りにくい。しかし、長く遠くを撮れるレンズで表情や動きに迫ることに、リオ五輪の期間を通じて我々はこだわりました。
我々は、どういう写真を撮ったのかをまずみなさんに見ていただいて、それから僕がどのようにこの五輪に携わったのかという話をさせていただきたいと思います。
梅村:さきほど平田さんに紹介していただいたように、僕が初めて携わった五輪は北京五輪でした。北京五輪のときは陸上を担当しておりまして、五輪というのは前半に競泳がずっと続きます。そのあと後半に陸上が続きます。
その間にいろんな競技があるんですが、たくさんの競技者が参加して最も注目されるのは、前半はやはり競泳、後半は陸上です。その2つが柱なので、長い期間取材をしなければならなくなります。
私は2000年に入社したのですが、当時からオリンピックの取材をしたい思いがあって、新人の頃から機会があれば陸上や水泳を取材してきました。そして念願が叶って北京五輪に参加できました。
北京五輪のときの競泳の目玉は北島(康介)選手でした。100と200の平泳ぎで金を取って、ここでもどうにか銅ということで、そのときさっきの平田さんと私で行きました。僕はサブで横から撮る、平田さんは正面から撮るという取材をしました。
この写真はどうしても忘れられなくて。北島選手が引退したときに、人生の中で一番思い出を振り返るレースは何か、と聞かれるとこのレースと答えました。日本人は200メートルは強いんです。100じゃなく200メートルならば、それだけ技術が反映されて非常に強い。
100メートルというのはスピード勝負だったり、体のもともと持って生まれたものがすごく影響するので、北島(康介)選手が100メートルで世界新を出して、しかも勝てるかというのは、ライバルも強かったので、すごく苦しいレースだったんですが、見事に世界新で、金メダルで、北島選手が平田さんと僕の目の前で今まで見たことがないガッツポーズをした。
この写真を撮って、こんなに五輪でアスリートたちの感情が、爆発するほど出るんだなと、すごく覚えています。
梅村:後半の陸上で登場して、全てを学ばされたのが、ボルト選手でした。北京五輪はアジアの大会だったので、当時我々、日本のメディアも新聞社もすごく良い場所で写真を撮ることができました。
その撮影ポジションについての話はあとでしようと思います。ゴール、フィニッシュをした正面に入ることができて、目の前にボルト選手が衝撃的な走りをした100メートルの瞬間を見ました。
そして200メートルはマイケルジョンソンという選手がもった不滅と言われた記録をボルト選手が北京五輪で破ります。多分、これほど喜んでいるボルト選手はこのあとなかったのかなという瞬間だったんです。中国で跳ねて飛ぶように喜んでいる瞬間でした。
この北京五輪を通じて、ますます五輪に惹かれるといいますか、こんなふうに世界最高のアスリートが目の前で感情を大きく出してくれる。それを写真で撮るということにすごく浸れました。また再び五輪を取材したいと思いがすごく強くなった体験でした。
さきほど話していた平田さんが、当時、北京五輪のキャップで取りまとめをしてくれていて。8年経ったリオ五輪には私も行くことができるようになり、今度は僕が現場を取りまとめるキャップという立場になりました。
キャップというのは、事前に現地を取材して、現地の治安だったり、現地の交通網のこととかを調べたりしながら、現地ではこういうふうに盛り上がっているよ、こういうことがありますよという下調べをします。
そのため、2015年の11月と2016年の大会の1ヶ月と1週間前に現地に入りました。つまりリオでは合計80日弱ぐらい取材をさせてもらったことになります。期間中の話です。
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