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そもそもお金とは何か?をテーマにお金の成り立ちと、その思想的背景について(全3記事)

トップ100人とボトム40億人の資産価値は等しい––通貨の成り立ちから、お金が抱える構造的問題を考える

2017年10月18日、一般財団法人Next Wisdom Foundationが主催するイベント「まわるケイザイ大YEN会」が、東京都千代田区のLIFULL Tableにて開催されました。ビットコインをはじめとした仮想通貨やFinTechなど、近年注目を集めている「お金」の話。ほぼ毎日と言っていいほど触れるお金ですが、その本質について改めて考える機会はあまり多くありません。そこで、お金の歴史・現在・未来の3つのテーマを設定し、ゲストとともにお金の成り立ちから今後の在り方まで、余すところなく語り尽くします。第1部「お金の歴史」には、東京大学教授の黒田明伸氏と文化人類学者の竹村真一氏が登場。お金の原点を紐解きます。

国と国のお金の格差

黒田明伸氏(以下、黒田):先ほど竹村さん、世界中周ったということでしたよね。今、私が思っている非常に大変困ったことだなと思っている格差は、金持ちと資産のない人たちの格差も重要なんですけれども、国と国との間の格差ですね。

例えばドルで、15ドルとか10ドルを最低賃金とする。日本だと1,000円、できれば1,500円くらいにしたいですよね。最低賃金でこの床の掃除をする。バングラデシュあたりで床の掃除を8時間くらいする。この労働は同じ労働ですよね、バングラデシュの人がやろうと日本人がやろうと。

でもバングラデシュの通貨と日本の通貨で換算していくと、ちょっと正確な数字は出てこないですけど、30倍違うんですよ。同じ基本的労働なのになんでそんなに違う? 

それがバングラデシュの通貨と日本の通貨の国際市場における交換レートの強さ弱さなんですね。これって、別に日本の経済のソフィスティケートされた仕組みとバングラデシュの生産性の構造じゃないか、と考えたのは普通のいわゆるエデュケイティブな経済学者なんですけど、私はとてもそうは思わないんですね。

というのは、たぶん、100年以上前には金持ちと普通の人の格差はものすごかったけど、国と国との間で使っているお金が違うからレート換算が30:1になるなんてことは絶対ないんです。

だからそうやって中央銀行が出す紙幣が唯一のお金だっていうことが1930年代の世界恐慌の後、それからアフリカの国が独立し始めますけど、そういう動きになっていて、みんな中央銀行が出す紙幣が唯一の紙幣だということになって、でもその紙幣同士の国際交換価値はどんどん拡がっている。だからこれってまさしくお金の制度が作っちゃっている「世界的なアンジャスティス」と言っているんですが、これは正義じゃない。正義じゃない仕組みに基づいて世界の経済がまわっている、と考えています。とりあえず以上です。

未来ではクリーンな通貨を使うようになる

竹村:今非常に重要な、多様なお金がかつてもあったし、今もあり得るんだというお話で、ビットコインとかも決してお金のバーチャル化とかオンラインで、という話ではなくて、基本的に国が法定的に中央銀行とか政府が発行したお金以外に自分たちなりにお金を作り出し、そしてまたそれを流通させることもできるだろう、お金の民主化と言う人もいますけれども、そういう次元の話だと思うんですね。

ですから、単に技術とかインターネットとかバーチャルということではない、お金の多様性というところにぜひ、今日は話を聞いていきたいんですが、今お話を聞いていて1つ思い出したのが、例えばアメリカはニューヨーク州にイサカアワーという通貨がありますね。イサカアワーを使って、ドルを使わない。

アメリカ国民なんですけど、私はイサカアワーしか使わない、ドルを使わないという人の意図はなぜかというと、私はアメリカの外交政策に反対であるから、つまり自分の納めている税金が自分の意図しないこと、望まない殺人とか戦争に使われている、そういう使われ方をするお金で私は暮らしたくない。

あるいは、できれば納税に対しても別のかたちがあれば、ということをお考えだと思いますが、少なくとも、先ほども黒田さんがおっしゃった、自分たちがここでなにかやりたいことを実現するのに、国が発行したお金じゃなくてもいろんなかたちで交換とか経済活動ができるはず、その時にそのお金の選び方によって自分が望む世界を作ることにつながるのか、そうではないのか。

そういう観点で僕らはお金を考えることをしばらくしてこなかったかもしれないですが、つい最近まで日本にもいろんなお金があったかと思います。逆に、どんなお金を選べば僕らの望むような世界を作りやすいのか、あるいは最近はエネルギーの自由化で、例えば企業なんかも、あなたの企業が使っているエネルギーはクリーンですかというようなことが企業評価とか株価にも反映していくという時代が、まあヨーロッパではもうESDとかいろいろ当たり前になりつつある、日本でもそういうトレンドが出てくるでしょう。

さらにお金が多様化していくと、あなたの企業あるいはあなたが使っているエネルギーはクリーンですかというだけではなくて、あなたの経済活動で使っているお金はクリーンですか、というようなかたちで使っているお金の種類で、その活動の評価が分かれていく。それによって選ばれるか選ばれないかが変わっていく。そんな時代も可能なのかなという感じがしています。そういうお金の多様化の可能性ですね。

通貨に必要な流れやすさと流れにくさ

黒田:お金というか貨幣、通貨ですね。信用の方ではなくて、実際に流れている通貨の話ですけれども、歴史的にはっきり出てくる現象は、通貨はよく血の流れと例えられますけれども、僕はそれをなかなかポイント突いているなと思っています。お金って流れないと意味ないですよね。でも流れすぎるのも困るんですよ。

仮にここで1つ経済のまとまりがあったとして、突然なにかのきっかけでここで使っているお金がよその町にパッと抜かれていったら困りますよね。長く待っていたら戻ってくるかもしれないけど、それは血流と一緒で体は待ってくれないですよね。だから我々が、これがお金だ、というふうに慣れてしまって、ある日突然、これが儲かると思って外に持って行かれると、誰かが工夫してパッと代替物を出してくれたらいいですけど、そうじゃなかったらパニックになってしまう。

だからお金って流れないと困るけども流れやすくても困るなというふうに人類は分かっていて。流れやすいお金と流れにくいお金を必ず2つ使い分けていたらいいと私は思います。例えば、貝殻がインドとかアフリカでは20世紀までお金として使われていたんです。普通の市場とかでです。外国と交易しようと思ったら貝貨、貝殻なんか使ってくれないですから、その場合は銀貨とか他のものを持ってくるんですけれども。

貝貨ってちょっと買い物するにもものすごい量が必要なんです。例えばあるフランス人がエチオピアで旅行していて、馬でエチオピアの奥地まで行くと言っていて、馬が弱ってきて死にそうなので売ろうとしたんです。売ろうとしたら、現地の人は貝のお金しか扱ってくれないんですけれども、貝のお金で馬を売ろうと思ったらとんでもない貝貨が必要なんです。

そうしたら馬のお金よりも輸送費の方がかかってしまう。だから売れない。それくらい細々したお金が通用しているということです。これって馬鹿なことにも見えるけれども、これはお金が簡単に外に出ていかないようにしているという知恵なんですね。ただ、そういうふうにやっていくとやっぱり面倒くさいですよね。いちいち外に出て行くお金と、ここで出ているお金と使い分けなければいけないし。

そうするとどこかで交換レートがないといけなくて、どんどんフラクチュエートする、変動するんです。交換レートが需要と供給によって。そうすると両替商が儲かるし、2つだけだったらいいけれども4つ5つ6つともなるとやっぱり面倒くさいですよね。やっぱり生産性が低いかなと思ったりもするわけですけど、そこはバランスの問題で。

ただはっきりしているのは、そういう制度だと、国は戦争できないです。つまり、王様と王様の戦争とか、大名と大名の戦争だったら、まあそれはヤクザとヤクザの戦争と一緒ですからできますけれども、自分の国の税金を払っている人を動員してやる戦争というのはまずできないです。だから戦争をやろうと思ったら、まず貨幣を統一しなければいけないんです。

竹村:だから逆に、さっきのイサカアワーを使って経済活動をしている限り、そのイサカアワーが戦争に使われることはない、というバッファはあるんですね。

黒田:バッファ論ですね。

お金における構造的な問題

竹村:そうですね。さかんにお金の歴史、そもそものお金の成り立ちと歴史的背景というお題が出されているのでそちらにも寄せていきたいと思います。今の貝殻の話もそうですけど、先ほどから出ている、99パーセント以上を共有しているのがトップ100人以下の資産がボトム40億人の資産に等しい、という統計も出たりしている。

それなのに、格差が生み出す構造というのは、利子が利子を生んで、お金がなにも立体的なものを生み出していなくともお金の生み出す価値のほうが大きいというものです。

R(基本収益率)とG(経済成長率)の面、有名なピケティの著書にもありますけど、過去の資産が生み出す利益の増殖の方が、今の世代が生み出す価値よりも大きいというゲーム。もっと分かりやすく言うと、過去のゲームの勝者の方が必ず有利になるような、ある意味でアンフェアな構造のゲームになってしまっている、ということです。

そこで、利子という厄介な概念があって、黒田さんに利子の起源について聞いてみたいんですけれど。利子というのは、概念としては農耕社会が成熟して、ある程度人口が増えて社会が満たされた頃にはもうあったような痕跡が残っているそうです。

起源的に考えると米とか麦って10倍20倍、場合によっては50倍、現代の米って実は放っておいたら3,000倍くらいに増えてしまう、というくらいにすごくあれなんですけれど、要するに蒔けば増殖するわけですよね。

だから元本を提供して、それで増えた分、利子をとって返してもらうということから始まれば、当然自然が生み出す利子という概念としては、とても自然なかたちで出てくる。しかしそれが実は共同体のバランスを崩すような危険な要素があるのでけっこう禁じてきたというような文脈もあると思うんですが、そこのところをぜひ教えてください。

通貨の歴史

黒田:なかなか難しい問題だと思いますが、たぶん農耕社会じゃないと利子ってなかなか定着しないですよね。やっぱり春になにかを蒔いて、秋にはその10倍とか20倍のものが収穫されてそれを貯めることができるという社会でないと、利子というのはそもそも意味がないんだろうと思うんですけれども。

ただ、お金と利子の関係でいくと、利子って普通お金につきますから、1万円貸して2万円返す感じですけれども、別に米だって構わなかったわけです。一升の米を貸してニ升米を返すということでもいいわけなんですが、そちらの貸して返す利子は除いて、かつ宗教上キリスト教やイスラムは利子を禁止してますから、宗教上の意味で注意をしなさいということはあるんですけれども、そこは置いておいて、利子がある程度意味を持つようになってくるのはけっこう新しいと思うんですね。

せいぜい16、17世紀というかもっと後で、つまりそれより前って、例えば僕がこのバーの主人で、竹村さんがしょっちゅう来てくれるんでもうお金を受け取らないで黒板に勘定を書いておく。次に来た時に何かで払えということですが、この場合は、こういうことは世界中どこでもあるんですけれど、ほとんど利子を取らないんですよ。

貸す借りるということはずっとあるけれども、それに利子をつけるのが当たり前になってきたのはけっこう新しい現象なんですね。なぜツケでまわすかというのは、単に竹村さんが今貧乏だということではなくて、通貨ってけっこうまわらないんです。今は銀行があって、銀行の意味ってすごい大きいんですけど、ばらまいた通貨は必ずほとんど顧客から戻ってくる。例えば血は必ず体の下に流しても心臓が働いてどんどん戻ってくる。

それでも1960年くらいにイギリスが、それまで240ペンス1ポンドだったんですけれども100ペンス1ポンドに変えたんです。その時、鋳造が銀行に頼んで硬貨はどれくらい流通しているのか調べたんですね。硬貨って1935年発行とか1950年発行とか書いてますから、それと戻ってくる率を考えると、1ペンス通貨が何年流通しているかわかるんですよ。

それで測ってみたら驚いたことに100枚のうち2枚のお金は戻ってこないんです。そうすると、もしなんかの理由で通貨が追加供給されない、今ある通貨だけでやっていけとなったら100分の2が毎年目減りしていきますから、33年経ったら通貨半分になっちゃうんです。みんな銀行に口座を持っていてそうなるんです。

じゃあ銀行がなかったらどうなる? 間違いなくもっと100枚のうち5枚とか10枚とか戻ってこない。銀行ができる前って通貨ってとんでもなく戻ってこなくてみんなのところで止まっているものなんです。だから戻らないからなかなか現金って確保するのが難しいんですね。だから商売人は、どうしても通貨で払えなかったら収穫の後だと通貨が来るから待ってやるか、という感じになるんです。

通貨を弾力的にまわしてやることが可能になって、初めてそれに利子をつけるということに意味が出るようになってくるんですね。通貨がなかなかないとなると、通貨がくれるだけでもいいものですから、利子が利子を生むという体制は通貨がどんどんまわっていくようになっていった後の現象の話なんです。

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