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これからの学校に求められること。 不登校はダメなこと?(全9記事)

7年半引きこもっていた少年が、なぜ起業を決意した? 地方創生仕掛け人・小幡和輝の半生

不登校は本当にダメなことなのでしょうか? 大阪・心斎橋にあるスタンダードブックストアで 『不登校から高校生社長へ』の出版記念イベント「これからの学校に求められること。 不登校はダメなこと?」が開催されました。登壇したのは約10年の不登校を経験し、高校3年生で起業した小幡和輝氏と、通信制・定時制高校を対象にキャリア教育事業を行う認定NPO法人D×Pの今井紀明氏。モデレーターはスタンダードブックストアの中川和彦氏。引きこもりだったという小幡氏と、通信制・定時制の教育現場を見続けている今井氏は「不登校」をどう捉えているのでしょうか。

起業家2人が話す、学校と不登校

中川和彦氏(以下、中川):どうも、みなさんこんばんは。スタンダードブックストアの中川と申します。雨で足元の悪い中にお集まりいただきまして、ありがとうございます。

知り合ったのが数年前で、いつくらいだったかな?

小幡和輝氏(以下、小幡):そうですね。2年くらい前ですね。

中川:2年前くらい知り合った、小幡和輝くんです。和歌山大学に通っている小幡くんがクラウドファンディングで本を出版しようということで、それがもうすぐできるわけなのですが。本の経緯やご自身のこれまでの生い立ちのようなものを話していただけますでしょうか。

小幡:生い立ち(笑)。

中川:それを少しここでお話しして、それから学校や不登校と話をしていきたいと思っております。そして、今日はゲストとして今井紀明さんに来ていただきました。そして僕自身は脳天気に生きてきた人間なので、その視点やこれ(ビール)を入れながら進めていきたいと思います。

小幡:いきなり、さすが(笑)。いいんですか?

中川:僕らがコーヒーを止められているからビールで、というような感じです。みなさんといろいろとコミュニケーションをはかりながらやりたいということなので。質疑応答というと固くなりますから、なんとなくインタラクティブな感じでいきます。

困難な状況に陥っている若者を社会につなげる事業

中川:それでは今井さんから自己紹介を。

今井紀明氏(以下、今井):わかりました、では軽く。改めまして、みなさんこんばんは。認定NPO法人D×Pの今井と申します。僕はですね。(この写真が)きれいに撮られていて逆に恥ずかしいのですが。

そうですね、通信制・定時制高校のことは、みなさんご存知ですよね。勤労学生が勤めながら高校卒業に向けて動いているといった印象があると思いますが、現状はだいぶ違っています。今は通信制高校だと高校中退経験者が7割、不登校の経験者が4割もいて、定時制には加えて経済的な困窮家庭が多くいます。

(ドリンクを片手に)乾杯ということで。

中川:ぜんぜん打ち合わせもできていない(笑)。

今井:そういったところで年間1,000人くらい、1年生から単位認定されている「総合的な学習」の授業で大人と最低1ヶ月ほど関わり、授業外ではカフェを開いたり部活動をしたり、就労相談に乗ったりして最終的には就労までをつなげるのが、うちの事業モデルとなっています。

こういった分野を「若者支援」といいます。社会的に困難な状況に陥っている若者を社会につなげるというのが事業の内容になります。とくに今、関西4県と札幌でやっているのですが、ボランティアが250名くらいいます。カリキュラムを学校も持っているのです。23校ほど提携していて、大阪では4割くらいの学校と提携していますね。今、起業6年目で、スタッフが23人くらいいて、だいぶ広がってきました。

僕が小幡さんとつながった理由は、もともとネットで名前は知っていた。

小幡:Twitterですね。

今井:そうそう。定時制高校出身で、なにかめちゃくちゃ伸びているということを聞いていたのですが。喋ったきっかけが、VALU?

小幡:そうですね、最初はVALUです。

今井:そうしたきっかけで出会いました。僕自身も、もともと4〜5年間くらい引きこもっていた経験があり、引きこもりでいろいろあった人間だったことが、今の起業につながっています。その話はおいおいしたいと思います。とりあえずそういうことで、よろしくお願いします。

中川:ありがとうございます。

「和歌山で輝く人」の意味合いで付けられた名前

小幡:では、僕の自己紹介ですかね。小幡和輝と申します。

ふだんは和歌山県和歌山市にいるのですが。和歌山の一番上の方にあって、ここから1時間半くらいの距離のところにいます。今は大学生です。和歌山大学の観光学部というところに通っています。

和歌山のことがすごく好きなんですね。自分が生まれ育った町なんですが、その町がすごく好きで、和歌山をもっと良くしたいと思っています。「和歌山を輝かせる」が僕のキャッチコピーです。僕の名前の下の「輝」は、和歌山をもっと輝かせるという意味からの「輝」で、それを名前に置き換えて「和輝」と。

中川:へー、ご両親の思いが込められていると?

小幡:両親は「和歌山で輝く人」「人の和の中で輝く人」、つまり「集団」ですね。そうした意味合いでつけてくれたのですが、けっこう名前は大事だなと思っています。今振り返ると、かなり名前の通りに生きていると思いますので。

そうしたことから、いろんなことをしています。イベントを作ったり、プロモーション企画を作ったり、商品を作ったり、和歌山のためにいろんなかたちで活動をしています。

例えば、1つ紹介すると、今年6月に和歌山にある世界遺産の高野山で「地方創生会議」というイベントを企画しました。47都道府県全部から地方で動いている人たちに和歌山へ来ていただいて、みんなでこの日本の、地方創生の未来を語るというイベントです。

これがけっこう話題になって、Twitterのトレンドで1位になったりもしました。あとは、和歌山市の観光協会のアドバイザーとして行政にも関わっています。民間と行政という立場から今の和歌山を盛り上げていこうということで、今仕事をしてます。

7年半の不登校期間

小幡:そして僕は、もともと不登校でした。その経験がずっとあって、中学3年生までほとんど学校に行っていないんです。

中川:いつから?

小幡:そもそも早くて、幼稚園からもう合わなかったんですよね。幼稚園の初めから、小学2年生の中盤くらいですかね。その4年半くらいは行ったり行かなかったりが続いていました。そこから中学3年生までなので、7年半くらいは思いっきり不登校。ざっくり10年くらい行ってなかったです。中学は2回しか行ってないので、本当にほぼ行っていませんね。

今井:10年くらいというと、すごく長いね。

小幡:そうですね。

今井:ツッコミどころ満載ですけど(笑)。

小幡:僕は今23歳なんですけど、(不登校期間は)ひたすらゲームをしていましたね。

中川:人生の半分がそうなんだ?

小幡:そうですね。まぁ、なにを持って引きこもりや不登校というのかということはありますが、本当に最初の時点から違和感がありました。

小学2年生の中盤までも、別にずっと行きたくなかったわけではありませんが。どちらかというと「行きたくて行ったか」というよりは「行かないと怒られる」など、行かないことによるデメリットの方が強かったので、がんばって行っていたような感じです。

だから小学2年生の中盤くらいから限界が来て、どんどん行かなくなってきたのです。そこから不登校期間が長くなってきて、7年半は完全に行っていないですね。

中川:完全に?

小幡:何回行ったかな? 本当にもう数えるレベルですよね。

中川:へー。

小幡:それぐらいです。

不登校中の3万時間はゲームに費やした

小幡:(不登校期間中は)ひたすらゲームをしていました。3万時間くらいゲームをやっていますが。

中川:ゲーム、すごいな。

小幡:そうなんです。僕は『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』は、ほぼ全部クリアしていますね。『戦国無双』ってゲームわかりますか?

今井:有名なゲームなの?

小幡:そうです、あれはたぶん5,000時間くらいやっていました。

中川:普通はクリアしないの? 俺、ゲームはぜんぜんやったことがないからわからない。

小幡:用意されたストーリーを終わらせると、一応クリアなんですが。

今井:おそらく全クリ(全部クリア)していると思うんですよね。

中川:あー。

小幡:ドラゴンクエストは何回もデータを消して、またイチからやり直し。

中川:点数を競うゲームというのは?

小幡:あ、それもあります。点数を競うゲームもあります。『モンスターハンター』というゲームを紹介すると、まずモンスターがいて、それを自分のプレーヤーを操作して倒す。倒した時点でクリアになるんですが、僕の中では「何秒で倒すか」が重要でした。クリアはできて当たり前で「何秒で倒すか」が大事。そこは自分との闘いになるのですが……。ゲームの話をすると長くなるので。

中川:でも、ゲームをやっている人たちからすると、すごいと思われる人なんだな。簡単に言うと。

小幡:そうですね。いろんな全国大会にも行っていました。和歌山では、とくにゲーマーとして有名でした。

中川:有名なんだ?

小幡:『遊戯王』というカードゲーム、わかります? 遊戯王カード。

中川:存在は知っているけど。

小幡:あれは僕、和歌山で一番強かったんです。カードゲームは本当にハマって、和歌山の大会で優勝しまくって、全国大会に行ったりとか。

中川:生き生きとしている(笑)。

ゲームのほかに囲碁も……

小幡:囲碁も2回くらい全国大会に行きました。

中川:囲碁もそうなの? それなら練習と言うかあれはパソコンで?

小幡:囲碁はそうですね。家でネットのハンゲームというサイトで遊んでいました。部活もちょっとだけ、囲碁もそのときは人が少なかったのですが、先生が「せめて部活だけでも」ということで学校へ行ったりもしていました。

中川:中学のとき?

小幡:そんなにたくさん行ってはいませんが。家のネットで打つというのが基本です。

今井:すごいね。そこまでやっていたんだね?

小幡:そうしたらけっこう強くなって。

中川:すごいね。

今井:その話はだいぶできそうだね?

小幡:(笑)。ゲームはそうですね、めちゃくちゃしてましたからね。

中川:俺、今思い出したけど、自分で話せて良かったと思う。

小幡:(笑)。

中川:彼と僕はトークする機会はあったのですが。みなさんご存知かどうかはわかりませんが、キングコング西野さんの弟子のような人で「ホームレス小谷」という人がいるんです。その人が遅刻したおかげで、あるイベントで僕と彼が話をする予定だったのですが5分くらいで終わってしまって。「よろしく」「ごめん、次のトークに行かないとね」と言って僕はその場を退席せざるを得なかった。今思うと、すごい。

小幡:2年前のイベントがようやく復活する感じですね。

中川:ごめんなさい。今話の腰を折ったので、もう少し続けてもらって。

小幡:そんな感じで、超ゲーマーみたいな時代がありました。

定時制高校での出会いが転機に

小幡:高校は定時制高校に行ったんですね。そもそも僕の従兄弟も不登校なんです。だから、学校に行かなかった時代に従兄弟とずっと遊んでいたりしていて。あとは、適応指導教室という学校に行っていない子たちが集まってちょっと遊んだり、勉強するような場所があり、そこの子たちも来だしたり。だから、あまり定時制高校に行くことには違和感なかったです。

中川:それはどうしてなの? 定時制高校ではなく、普通のお昼にやっている高校に行けなかった理由はなにかあるの?

小幡:それは絶対に無理でしたね。

どう言えばいいかな。僕が生まれたのは湯浅町という人口1万人くらいの町で、小学校から高校くらいまであまりコミュニティが変わらないんですよね。

中川:ああ、そうなんだ。

小幡:だから、僕のことをそもそもそういった目で見ている子たちと同じクラスや学年に居続けることになるから(学校へは)戻れない。そもそも勉強についていくのもしんどい。あとは、トラウマじゃないですが、昼の学校にすごく……。

中川:あぁ、はいはい。

小幡:定時制の夜であれば、全体的にみんなそもそも学校が苦手でこっちに来ていることだし、先生もそういう前提で扱っているので「まぁいけるかな」と。

中川:なるほど、うん。

小幡:実際に行きだすとですね。まぁ、なんだかんだいろいろなことを喋り出しますし、先生ともいろいろな出会いがあったりする。そこからちょっとずつ……なんていうんでしょう、明るくなってきました。学校に行くのもちょっとずつ。

中川:なるほど、では定時制高校はわりと楽しかったの?

小幡:そうですね。楽しかったですね。

大きな出会いとしては、高校2年生のときに出会った子がすごくがんばっていて。学校に来て、部活をやって、生徒会をやって、アルバイトもしていたその子が、自分でバンドを組んで本格的にライブしている。そういうスゲーがんばっているやつがいたんです。それで、すごく憧れたんですよね。その彼がやっているイベントを手伝う機会があったのが1発目の大きな出会いでした。

そうやって、外部で自分たちが企画をしてイベントをするというのが、スゲー楽しそうだと思って。これを自分で、もっともっとやりたいと思った。その手伝いを1年くらい続けて、高3のときに今度は自分でなにかをしたいと思うようになり、イベントを立ち上げてみた。そうするとやっぱり楽しくて、「このまま仕事にできればいいな」と思ったことから会社にしました。

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