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「Female Entrepreneur Summit」(全4記事)

「マザー・テレサがITを使ったらどうなる?」奥田浩美氏が考え続けた、テクノロジーと人の幸せな関係

2016年6月25・26日の2日間にわたって、「人類の多様性と共感」をテーマにしたカンファレンス「SAMURAI ISLAND EXPO'16」が開催されました。セッション「Female Entrepreneur Summit」では、モデレーターを務めるサムライインキュベート・矢澤麻里子氏の進行のもと、アイスタイル・山田メユミ氏、ウィズグループ・奥田浩美氏、エニタイムズ・角田千佳氏の女性起業家3名が会社を立ち上げたきっかけを紹介しました。本パートでは、奥田氏が3回の起業を通じて一貫している自身のミッションを語りました。

ウィズグループ・奥田浩美氏の起業家人生

矢澤麻里子氏(以下、矢澤):ありがとうございます。奥田さん、(起業した理由とその背景について)どうですか?

奥田浩美氏(以下、奥田):まさにその時代の生き字引みたいなんですけど(笑)。最初の起業が1991年で、次が2001年で次が2012年なんです。

最初の起業は、私はもともと起業家になんてまったくなる気がなくて。もともとインドの大学の大学院でマザー・テレサの研究をして帰ってきて、なぜかITに入った経緯なので(笑)。起業家になりたいなんて思ってなかったんですね。

ただ、1989年にITの世界に入ったときに、ITがものすごい速度で人の幸せの進化を速めているということを周りのすごい研究者たちが言っていて、そこにものすごい時代の波みたいなのを感じて、「マザー・テレサがITを使ったら、どんなITが生まれるんだろう?」みたいなことを考えちゃったわけです(笑)。

ものすごい速度で社会が変わるかもしれないみたいなことを考えて。ちょうど1991年当日は、次から次へと技術が発展して、まだインターネットという言葉で呼ばれる時代じゃないころにすでに私はその世界にいたので、いつもいつも「良いことを行う人の手にITが与えられたらどうなるんだろう?」ということを考えていました。そこから25年考えてやっているのです。

そういうことを実現しようとすると、おそらくふつうの会社では「は?」と言われることなのでしょうが(笑)、そういうことに導かれて最初は起業しました。

2回目の2001年の起業はまさに本当に私の読みが当たり、1990年代にものすごい速度で事業がのびて、「奥田が歩いた後は草木も生えない」と言われた時代を過ごしてきたんですけども、ふと35歳になってたんですね。

アメリカ型の、シリコンバレー型の事業として付けてもらったお金をガンガン増やしていくみたいな事業をやって、後ろに草1本生えないと言われても「じゃあ私の幸せってどうなるのか?」というので子供を産んでみたんですが、ボーイズクラブが作ってきた社会背景と自分の子育てが一切両立できないような2001年という時代に起業しました。

保育園がないとかそういうこと以前に、前例がない。どう起業すればいいのかということがあるので、前につくってきた拡大型の事業を止める意味の、壊すという意味での起業が2001年起業のウィズグループです。

つまり大きくなって拡大していたものを1回崩して、子供を育てながら、社会にいいことしながら起業するというのは、どういうことなんだろうというのを始めたのが2度目のウィズグループ。

地域の社会課題を背景につくった「たからのやま」

3回目はこれに味を占めて(起業しました)。私は5年前に介護を引き受けることになりまして、両親のいる鹿児島と東京の行き来をして、月に4日くらいは鹿児島(にいます)。育児、介護、会社2つ、会社もう1つみたいな状況のなかで「やっぱり世の中にはITをまったく享受してない人がいるな」と思って地域の社会課題を背景に作ったのが、(株式会社)たからのやまです。

たからのやまは、東京からほとんど見えないニーズとか、そもそもニーズなんてない状況から人々の社会課題を切り出すだめに作った会社なので、3回とも起業の経緯がぜんぜん違うのですが、私のなかでは1本道筋ができている。そんな経緯です。

矢澤:ちなみに最初の「マザー・テレサがITを使ったら」は、すごいおもしろい発想だと思うんですけど。

奥田:そうですね。最初にこのITの世界で出会った人たちがティム・バーナズ=リーとかスティーブ・ジョブズとかビル・ゲイツだったので、その人たちとマザー・テレサのつながり……まだご存命だったので、そんなにぶっとんだ考えじゃなくて、「つながったらどうなるんだろう?」と妄想したわけです。

インドで社会に対するリーダーみたいなのを学んだところに、ITが目の前にあって「これだ!」と思って。

今でも、「いいことのために(使える)ITってなにがあるんだろう?」ということをいつも考えていて。たぶん、これは一生の私のライフワークで、きっと後1、2社作ったとしても、ここの延長線上にあると思います。

矢澤:こうして生きてきて、また需要が出てきて?

奥田:そうですね(笑)。

ご近所お手伝いコミュニティ「ANYTIMES」立ち上げの経緯

矢澤:参考になります(笑)。ありがとうございます。角田さん、いかがでしょう?

角田千佳氏(以下、角田):今のお話を聞いて、マザー・テレサの研究をもっと深く聞きたいなと(笑)。私も起業するつもりはぜんぜんありませんでした。

もともと子供のころから開発途上国の人道支援だったり、持続可能なまちづくりの事業だったり、そうした仕事に関わりたいとずっと思っていました。それが小学生のときから始まって、大学、社会人の初めのころまでそう思っていて、そういう勉強をしてきました。

当初、選択肢としてあったのが、開発援助というと国連という選択肢になってくるので、国連のユネスコだったり、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)で国際公務員として働くのがいいのかなとずっと思ってたんですけれども。

実際にいろいろボランティアをしたり、関わったり、話を聞いていくなかで、グローバルで意味のある仕事はできるけど、柔軟に自分の考えを形にしてやっていくには難しい部分がある。できるとしても公務員なので、時間がかかってしまうということも感じたんですね。

自分の場合だとこうしたいな、ああしたいなとか、こういうまちづくりとかできるんじゃないかと、いろいろアイデアがあったので、だったらその事業を立ち上げるという選択肢もあるんじゃないかなというのを途中で感じました。

そして、自分の場合はそっちが向いてそうなので、事業を立ち上げようと考えました。

実際にやろうとなると、私はずっと東京の同じところに生まれ育っていたので、いきなり開発途上国に行ってもなんのリレーションもないですし、信頼もまったくないと。

そして、身近なところでまちづくりできているのかと考えていったときに、むしろ日本でも別の多くの社会問題があると。

高齢者や共働き世帯が増えることで、日常のちょっとした手助け需要が増加してきたりとか。なのに地域での助け合いの仕組みは希薄化してきていて、大きな問題になっていると。

一方で、雇用市場の問題というのも出てきていて、多様な働き方というのが求められていた。「この辺の問題は一気に解決することができるんじゃないかな? まずは身近な日本でまちづくりをしていくべきなんじゃないかな?」と感じました。

まず日本で事業を立ち上げて、それを将来的に開発途上国の援助につなげていけたらと。それで、2013年に起業しました。

矢澤:ありがとうございます。ちなみに、サービスを立ち上げるときに、今のエニタイムズみたいなものがほしいという声はあったんですか?

角田:ほしいという声はたぶん自分自身なんですけれども、大学生までは実家で暮らしていて、ご近所さんとの付き合いがすごいあったんですね。周りも一軒家で周りのおじいちゃんおばあちゃんの世代でも、みんな知っているような関係性だったんですけれども、いざ一人暮らしをしてみると、周りの近所の人に挨拶しても気まずい顔をされたり、助け合う以前の問題だったりして……。

そういう状況で寂しさを感じたり、なにかあったときは、誰に助けてもらうかというと友人に「ごはんをご馳走するから、ちょっとお願い」と頼んだり、便利屋さんによく頼んでたんですね。家具の組み立てとか。

でもそれは、もっと近所にできる人、そういう業者さんじゃなくても個人の方でいっぱいいるんじゃないかと思ったんです。

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