情報がなければ、人は空白を物語で埋めてしまう
ギャロ:パースで出会ったその彼は、その後ちょっとした友人になったんです。なにしろ私は彼の話を聞く中で、人生のことまでかなり知ってしまいましたから。
でも彼は、結局「考えるしかない状態」に置かれていたんです。空白を自分なりの物語で埋めるしかなかった。そしてその物語の中には、「偏見」が含まれていました。
私たちの多くも同じです。情報がない。だから考えてしまう。「これは偏見なのか?」「それとも、自分が悪いのか?」
では、職場で何かが起きて、「これは偏見かもしれない」と思ったことのある人はどれくらいいますか?「性差別かもしれない」「人種差別かもしれない」「年齢差別かもしれない」。ええ、かなり多いですね。私自身にもそういう経験があります。
それは本当に居心地の悪い立場です。だって、そんなことが職場で起きているなんて信じたくないから。自分がそうした不公平の対象になっているなんて、信じたくない。でも、情報がなければ、隠れた前提や、職場でしばしば見えないかたちで存在しているルールがわからなければ、そう解釈してしまうのも無理はありません。
ただ、ここではっきり言っておきたいのは、仕事というものは、時に、というよりしょっちゅう、本当に不公平なものなんです。
賃金の停滞。差別。ジェンダーバイアス。そしてAIの脅威。実際にAIが仕事を奪うかどうかだけでなく、「AIに仕事を奪われるかもしれない」という認識そのものが脅威になっている。
仕事を不公平に感じさせるものは、たくさんあります。そこに、下手なマネジメント、有害な職場環境、対立の回避が加われば、「自分は公正に扱われていない」と感じる人が大勢いるのも無理はありません。
この講演で、今日ここで「それを全部解決できます」と言えたらよかったのですが、残念ながらそれはできません。仕事というものは、壊れたままの部分を残し続けるでしょう。車輪のない車みたいなものです。
でも、私たちにはチャンスがあります。自分たちでコントロールできるものを変えるチャンスがあるんです。不公平なことや、巨大で圧倒されるような問題に直面した時、私たちは「自分でコントロールできること」に目を向けなければいけません。そして、みなさんがコントロールできるものがあります。それは「自分の声」です。
声を上げるかどうか。何かをより明確にするかどうか。その難しい会話をするかどうか。もちろん、自分が言いたいことをそのまま口にできない理由はいろいろあります。その話も後でします。でも、それでもなお、それはあなたが選べることなんです。
問題は、もちろん、それを実際にやるかどうかです。自分でコントロールできるとしても、私たちは本当に声を上げるのでしょうか?
声を上げるか黙るかは、いつもリスク評価の問題になる
ギャロ:少し前に、私はUberに乗っていました。運転手の運転がとても危険だったんです。車線に無理に割り込むし、周囲の車からはクラクションを鳴らされている。私は後部座席でじっとしていました。
私は「声を上げること」「言いにくいことを言うこと」「難しい会話をすること」の専門家です。だから、みなさんはきっと私がそこで、「すみません、もう少し安全運転でお願いします」と言ったと思うでしょう。
でも、違いました。私はその間ずっと黙っていたんです。なぜかというと、その場でリスクを判断していたからです。ここで声を上げたら、かえって自分が危険になるんじゃないか。相手が怒るかもしれない。もっと乱暴な運転になるかもしれない。夜遅かったので、車を止められて降ろされるかもしれない。そう考えて、私は黙ることを選びました。
私たちはみんな、「それだけの価値があるか?」と自分に問いながら、いつもこういうリスク評価をしています。声を上げる価値はあるのか。言いにくいことを言う価値はあるのか。フィードバックを伝える価値はあるのか。なぜ昇進できなかったのか。なぜ昇給しなかったのか。なぜその仕事を任されなかったのか。それを伝える価値はあるのか。
そして多くの場合、私たちは「言わない」を選びます。もっともな理由があるからです。だから、さっきみなさんが思い浮かべた「言えなかった話題」を、もう一度考えてみてほしいんです。なぜ、その時言わなかったのか。どんな理由を自分に言い聞かせていたのか。
さっきもいくつか出ましたよね。怖さ、不安、自信のなさ。でも、それ以外には何があったのでしょうか。上司を守らなきゃいけない、と感じましたか。同僚を売るようなことになる、と感じましたか。相手が悪く受け取ると思いましたか。
私はいつも、こういう声を聞きます。「相手は聞く気がない」「興味を持たない」「ものすごく気まずくなる」「何て言えばいいかわからない」。どれももっともな理由です。でも問題は、私たちはそれが本当かどうかを確かめないまま、「きっとそうだ」と思い込んでしまうことです。
社会科学の研究でも、私たちは、人とのやり取りにおいて、実際に起きるよりずっと気まずいものだと予想しがちだ、ということがわかっています。関係を傷つけると思い込んでいても、実際にはまったく逆のことが起きる場合もある。だから自分に問いかけてほしいんです。その理由は本当に現実なのか。それは言い訳なのか、それとも本当の理由なのか。
沈黙のコストと、発言のメリットを見落としてはいけない
ギャロ:私はエレイン・リン・ヘリングという専門家の仕事が大好きです。彼女は『
Unlearning Silence』という本を書いていて、LinkedInに本当にすばらしい投稿をしていました。私はすぐに「いいね」を押して、この講演で使わせてほしいとお願いしました。なぜなら、それは私たちの頭の中で起きていることを見事に言い表していたからです。
私たちはまず、「声を上げたら自分にどんなコストがあるか」を真っ先に考えます。みなさんも挙げてくれましたよね。気まずくなる。相手に伝わらない。事態が大ごとになる。会議の流れを止めてしまう。その施策が進まなくなる。いろいろあります。
一方で、「でも、黙っていればこんなメリットがある」とも考えます。会議はそのまま進む。関係も壊れない。自分が対応しなくて済む。そのうち良くなるかもしれない。どうせ相手は変わらない。
そうやって、とりあえず穏便にやり過ごせる、と考える。でも問題は、私たちが残りの二つをちゃんと評価していないことです。つまり、「黙っていることのリスク」。そして「声を上げることのメリット」です。
これが、みなさんに今日ここを出たあとに使ってほしい1つ目のやり方です。さっき思い浮かべた、その難しい会話について考える時に、私はみなさんに宿題を出します。覚悟してくださいね。
やってほしいのは、このリスク評価をひっくり返すことです。もちろん、声を上げるコストも考えるべきです。さっきのUberでは、私もそのコストを考えていました。でも、それだけでなく、「黙っているコストは何か」「声を上げるメリットは何か」も考えてほしいんです。
特に、あなたがリーダーであったり、組織の中で非公式な影響力を持っている人であったりするなら、黙るという選択には波及効果があります。周囲の人にも影響するんです。
周りの人たちも黙るようになる。「不公平なことを指摘するのは安全じゃない」「率直で正直なフィードバックは危ない」。そんな前提が生まれていく。そして、文化ができていくんです。文化は、チームや組織の中で一緒につくられるものです。あなたはそこで、「沈黙を大事にし、声を押し殺す文化」をつくり始めてしまう。それはとても危険な状態です。
表面上の平和は、組織をむしばむ人工的な調和になりうる
ギャロ:パトリック・レンシオーニは『
The Five Dysfunctions of a Team』の中で、これを「人工的な調和」と呼んでいます。みなさんもきっと、この人工的な調和に支配された場面を経験したことがあるはずです。
会議で、みんながうなずいている。うなずいて、うなずいて、会議が終わる。それで、そのあと廊下に出るとみんなが言う。「で、本当はどう思った?」「あれ、ひどかったよね?」。あるいは、みんな笑顔でいながら、心の中では、「本当にあなたと働くの嫌だな」と思っている。
そういう笑顔やうなずきは、一見すると心地よいし、物事も「円滑に」進んでいるように見えます。でも、人工的な調和にはたくさんの危うさがある。たくさんの弊害がある。たくさんの危険があるんです。
イノベーションが止まる。言われないまま消えていくアイデアがある。鬱積した不満がたまる。決して健全な状態ではありません。表面上は気持ちよく見えても、組織や文化を内側からむしばんでいくことがあります。
だからこそ、この人工的な調和は避けなければいけない。そのために、一人ひとりができることは、難しい会話に踏み込むことです。どうやるかはこのあとお話ししますが、その前に、人工的な調和に対する最良の解毒剤の1つを紹介したいと思います。それが「心理的安全性」です。
この言葉は、ハーバード・ビジネス・スクールのエイミー・エドモンドソン博士によって広く知られるようになりました。心理的安全性のある組織やチームは、人工的な調和がもたらすすべてのリスクに対抗する力を持っています。
心理的安全性は、中間管理職だけに背負わせてはいけない
ギャロ:もう少し深く入る前に、この会場で中間管理職の方はどれくらいいますか? つまり、組織の最上位ではないけれど、個人で完結する立場でもない方です。(会場を見て)かなりいらっしゃいますね。ああ、このライトを手で遮ると見える。はい、かなり多いです。
今、私がここで、「もっとフィードバックしなければいけません」「もっと声を上げなければいけません」と言っているのを聞いて、たぶん少しこんな気持ちになっているんじゃないでしょうか。
中間管理職は今、本当に厳しい立場にあります。目標を設定し、人を鼓舞し、評価をし、以前からある管理職の仕事を全部やらなければならない。やることは山ほどあります。それに加えて今は、チームの感情面のケアまで求められる。メンタルヘルスや燃え尽きの状態まで気にしなければいけない。
もちろん、これらはどれも大切なことです。でもそのぶん、中間管理職の役割はとてつもなく重くなり、時には本当に圧倒されるものになっています。
最近、ハーバード・ビジネス・レビューに掲載された記事では、新しい研究として、「中間管理職こそが、最も心理的安全性を感じられていない」という結果が紹介されていました。
これは理解できますよね。彼らには大きなプレッシャーがかかっている。上からは、「失敗してもいい」という手本が示されない。だから、自分は完璧でいなければならないと感じる。先ほど言ったように、組織の中で担っている役割も過大です。つまり、中間管理職にはものすごい圧力がかかっているんです。
問題は、中間管理職自身が心理的安全性を持てていないのに、どうして他の人たちのためにそれを築けるのか、ということです。しかもこれは強化し合う循環です。私たちがリスクを取り、声を上げ、難しい会話をすればするほど、その土台ができ、心理的安全性が育っていく。逆に、心理的安全性が高まれば高まるほど、私たちはより安心して難しい会話ができるようになる。
組織の「のり(糊)」のような存在である中間管理職が、その安全性を感じられず、リスクを取り、難しい会話をすることもできないなら、状況はどんどん悪くなっていきます。今まさに、そういう状態を経験している組織も多いかもしれません。
だから、手を挙げてくださった中間管理職のみなさんに、私はこう伝えたいんです。私は、みなさんの「やることリスト」をこれ以上増やしたいわけではありません。私が差し出したいのは支援です。必要なのは、サポート。トレーニング。失敗してもいいという許可。そして時間です。
もう1つ言いたいのは、この会場にいる全員に役割があるということです。個人プレーヤーでも、役員でも、創業者でも、全員にこうした難しい会話をする責任があります。
それを中間管理職だけに任せてはいけません。私たちは、中間管理職を支える必要があります。そのために、難しい会話ができる文化を一緒につくっていく必要があります。