AIを使いこなすカギは「自分を知る」より「向き合い方」にある
門:他にご質問はありますか?
話者2:AIを使いこなすというところで、自分を知ることは必要なのかなって、ちょっと興味が湧きました。
門:AIを使うことに対して、自分をより良く知っておくことは必要かどうか? 必要ですか?
宇野:わかりません。
(会場笑)
門:素直で好き(笑)。
宇野:すみません。本当にぜんぜん考えたことがなかったです。私自身はけっこう新しいものが好きなので、生成AIが出てきた時も本当に使いまくりました。今も、いろんなサービスに課金しているので、課金地獄みたいな感じになっています。
だから自分は、AIをすごく使いこなしている人間だと思っているんですね。実際、平均よりはそうだとは思います。
ある時、20代前半ぐらいの方と一緒にお仕事をしたことがあったんです。その方もAIをすごく使ってやっている方でした。私にとっては生成AIって、その時は、ちょっとした便利なツールや道具の一種だったんですけど、その方にとっては、本当に相棒、すごく信頼できる相談役と考えていて、向き合い方がぜんぜん違うなって思ったんです。
ただ、間違っていることでも「AIが言っているから」という感じで、違う方向に行ってしまうなと感じた時もありました。だから、そこは「自分を知る」じゃないですけど、やはり自分がどういうふうに接するかによって、本当に使い方が変わってくるだろうなとは、すごく思いますね。
門:上手に使える人ほど、自分のことがより早くわかっていく感じがするんですよね。
自己対話やメタ認知など、自己理解がすごく大事だと思っているんですけど、それって結局「周りの状況と比較した時に自分はどうか?」じゃないですか。
親ばかだと自分の子どもが天才だと思ってしまうけど、「8万人いるうちの3万位です」とか言われると、なんとも言えない気持ちになる、みたいな(笑)。これ、メタ認知じゃないですか。そういう現在地点を、いかにうまく把握できるか、という使い方ができると、すごく自己理解が進むんだろうなって思います。
さっきの質問の背景の意図をちょっと考えると、依存性にちょっと危機感を持っているというところを少し感じるので、たぶん本当にそこなんだろうな。依存性との兼ね合いかなって思いますね。
宇野:そうですね。
話者2:ありがとうございます。
「ウチとソト」は、日本人が生きる“世間”の構造
参加者3:ありがとうございます。「ウチ」と「ソト」のお話をされていたと思います。少し興味があって、もう少し詳細を教えていただければなと。
門:あぁ、世間の話ですね。ウチとソトの話は、世間の話なんですよ。
阿部(謹也)先生という方がいらっしゃいます。その方が書いた『
世間学への招待』という本はすごくおもしろいです。
あと、何だっけな、佐藤(直樹)先生。佐藤先生の本にも書かれているんですけど、世間って呼ばれるものの中で、我々日本人はすごく生きていると。エレベーターで人に話しかけることは、ぜんぜんできません。これは、やはり世間という同属性の中でいないとやばい、という感覚があるからなんですよね。
集団から外れたら終わり、世間が生む同調の圧力
門:これは、とある先生から聞いただけなので、全部がそうとは思ってほしくないんですけど、今の大学生が先生に対してめっちゃ冷たいという話があるんですよ。学生が先生に対して、「なんかイケていない」と無礼を働いてくる。そのくせ周りの学生に対しては、すごく丁寧に接する、という投稿があって、それは完全に世間だと思っています。
学生は、学生もその集団の中から弾き出されたら生きていけない、みたいな感覚があるんですよね。仲間外れにされたら終わり、という不安がある。だから、日本のいじめ方もそうなんです。集団で1人をのけ者にする。1対1でぶつかるのではなく、「集団の側」が1人を外に出すかたちになる。これが、いわゆる「世間」なんですよね。
ムラ社会の名残が、現代に“ひずみ”として残っている
門:世間には4つの要素があって、1つは呪術性、もう1つは時間です。どれだけの時間を共有しているか。ほかにも上下関係など、いろいろあります。それらはもともと「ムラ社会」から来ています。ムラ社会というのは、近代以前、江戸時代などに典型的だった共同体のあり方ですね。
わかりやすいのが長屋のシステムです。長屋って、みんなが同じ場所に住んでいるじゃないですか。そこで、もし1人が余計なことをしたり犯罪を起こしたりすると、全員が連帯責任になる。そうなると、「じゃあ、お互いに監視し合わなきゃね」という機能と、「監視し合う代わりに助け合わなきゃね」という機能がセットで働くんですよね。
でも今、現代は「監視し合わなきゃね」しか残っていないんですよ。あんまり助け合っていないんですよね。なので、世間というものが、ひずみでねじれて残っているのが今の世の中だと思っています。
それがウチとソトの概念です。一緒に共同生活するパートナーみたいな感じだから世間の内側の人たちはめちゃくちゃ守るし、すごく大事にする。自分も守られるし、それをやっていれば相手にも守ってもらえる、という状況が昔はありました。
それが、仕組みとしては崩れたのに「概念だけ」が残ってしまった、という話なんですよね。
近代化が進む中で、いったん「近代家族」みたいな考え方が入りかけた。けれど、それが社会全体としては十分に根づき切らないまま、昔の「世間」の感覚だけが残った。結果として、「世間の論理」と「近代家族っぽい形」が混ざった日本式のやり方になって、今はそこがひずみになって、めちゃくちゃ大変になっている。
この「世間の内側=ウチ」と「外側=ソト」を強く意識して振る舞う構造のことを、ここでは「ウチとソト」と呼んでいる、という整理です。
AIはこの「ウチとソト」をどう揺さぶるか
参加者3:ありがとうございます。そこにAIが関わってきた時は、どんな感じなんですか?
門:そこにAIが関わってきた時に、この概念をどう覆せるか。これは、たぶん次の組織の話にもつながると思います。
会社もやはりウチとソトなんですよ。日本人の紹介の仕方って「何々会社の営業部の人です」じゃないですか。海外は逆なんですよ。「何々をやっています。何々です」。最後に「何々会社に勤めています」って言うんですよね。
(海外では)職種のほうが重要なんですよね。何をやっているかのほうが重要。だから海外はめっちゃ転職しやすいんです。横に移動しても年収もそんなに変わらないんです。
でも日本は、大企業に所属しないと年収が上がらない、それもやはり、もともと残っているムラ社会とか「タテ社会」。タテ社会も、帝国主義時代の軍国組織の作り方が、そのまま会社に投影されているので、そのようになっているんですよね。
現代に来て、そこが残りながら、ひずみにひずんでいる。なので、「上手に西洋思想の考えも取り入れながら、東洋思想性も戻したら、ちょうどいいんじゃない?」「東洋哲学を学んだら?」と僕は思っているんです。
西洋の論理と東洋の感覚を持ち替えながら生きる
門:自分で瞑想をしているんですけど、すごくちょうどいいですもん。ロジカルシンキングも、確かにスイッチングで使えるし、でも時にこういう直感的な話もできるし、すごくちょうどいい場所に置けるんですよね。
日本人はそのアンバランスなところにいるのがすごく上手です。言語で見てもそうなんですけど、日本語ってめっちゃ抽象度が高いし、中途半端な言葉をいっぱい持っているんですよ。「仕方がない」とか「もったいない」とか。外国にはそういう概念ってないんです。
そういう中途半端性、曖昧性を日本人はすごく上手に持てるので、「それをそのまま適用したら?」とめっちゃ思っています。ダブルスタンダード、トリプルスタンダードで、いろんな基準をいっぱい持って、「時にはこれ、時にはこれ」みたいな感覚で生きるのがすごくいいんだろうなと思っていて。
世間を壊すより「所属を増やして薄める」
門:話に戻ると、世間みたいなものを壊すのは、たぶんちょっと難しいと思います。なんでかというと、世間を壊しちゃうと、日本人の孤立性みたいなものも失わせることになってしまうから。
日本人って、自分の中に神さまが住んでいないから、個人性みたいなのは持っていないんですよ。個人性みたいなのを持てない代わりに、そういう集団性に人格を帰属して生きているんですね。そっちに帰属させて生きているんですよ。この集団の中で生きられる人格形成、という感じで作っている。
なので、そういう意味では、世間性みたいなものを失わせるのはちょっと難しい。難しいんですが、解決策としては、複数のコミュニティに所属するのが一番早いんだろうなと思います。
小スケールのコミュニティに、いっぱい所属する。3つ、4つ同時に所属すると、たぶん一番ちょうどいいんだと思います。家族、会社、別、別、別……ってやると、本当にちょうどいいんだと思っています。
AIは「気を使わない関係」と「翻訳者」になり得る
宇野:AIっていう文脈で考えると、人間同士の場合って、お互いに気を使いながら「この人とうまくやっていけるか」とか「この人とちゃんとコミュニケーションを取れるか」みたいなところが当然あると思うんです。
一方で今のところAIに対しては、まったく気を使わなくてよくて、どんな性格の人でも自分が好きなように接することができると思っています。
さっき人格や個性みたいな話もあったんですけど、もしそういう方向にAIが進化していくとしたら、人によっては「このAIとは馬が合わない」とか、そういったものって出てくるかもしれないなとちょっと思いました。それが1つ。
もう1つ、最近ちょっと思っているのは、人間同士で思想とか、信条とか哲学とかがまったく違っていて、コミュニケーションの取りようがない場合、そこが戦争に発展したりすることもあると思うんですけど、もしかしたらそこをAIが取り持ってくれるんじゃないかな、って思っています。
お互いに発想がまったく違うので、直接ぶつけると絶対にけんかになるけれども、間にAIがいることで、うまくそれを翻訳してくれる可能性はあるのかな、とちょっと思っています。
AIが「間に入る」ことで、会話そのものが空洞化する危うさ
門:それ、事例で見ましたよ。上司からのメールをAIに入れて「うまい返信を書いて」と作らせて送る。すると今度は、その返信を受け取った上司も、同じようにAIにメールを食べさせて「うまい返信を送って」と作らせて返す。
結果、人間同士が会話しているように見えて、実態はAI同士が文章を生成して往復しているだけになる。だからこそ「結局、何をしとるんだ?」という話ですね。
宇野:使い方によっては、本当にもうコミュニケーションを放棄している感じですけどね。
門:(笑)。そうですよね。場合によっては、そういうのはぜんぜん使えると思うんですけど、全部をそれにしちゃうと、やはりコミュニケーション性みたいな、大本の根幹をなくしちゃうので、ちょっと危ないよな、と思ったりします。
宇野:そうですね。本当に、社会から孤立していってしまいますよね。
門:いやぁ、そうそうそう。
宇野:自分の殻の中に閉じこもってしまうというか。
門:そうなんですよ。すごくおもしろい質問をいただいて、ありがとうございます。