孫正義氏が憧れたゴッホの生き様
かつて、孫正義さんがテレビ番組でこんなふうに話されていました。「小学校の時、僕は画家にもなりたかった。ゴッホのような生き様が一番尊敬できる生き様で、世の中の常識とか関係なしに、自分が一番納得する、自分が一番描きたいものを描きたい。すばらしくでっかい夢だと思うんですよね。それがある種の自分の人生に対するビジョンだと思うんです」と。
ご存じのように、孫正義さんは実業家です。その彼が尊敬する人物として挙げるのが、ゴッホのように自分の信じる夢を追いかけた人物だということです。ご存じかもしれませんが、ゴッホは非常に貧しい暮らしをしていました。世の中に認められることもなく、それでも作品を作り続けた。しかし最終的には、その作品は永く残るものとなったわけです。
物やサービスが飽和してしまった今の時代に新しいものを作るというのは、本当に自分が好きでないとできません。誰かに言われたからやるというような動機では、なかなか成し遂げられない。スティーブ・ジョブズも「本当に好きでなければ続けられない」と語っていましたが、それはまさにそのとおりだと思います。
アート思考というと、例えば絵を見に行くことで養えるのではないかと思うかもしれません。でも、それだけでは足りない。受動的に絵を眺めているだけでは、物を生み出すところまでは至らない。鑑賞者でいるだけでは、新しいものは作れないということです。
新規事業をつくる人に求められるのは、能動的に自ら創り出すアーティスト的な姿勢です。もちろん対話型鑑賞や美術館に足を運ぶことは想像力を広げる助けにはなりますが、何度見ても自分が「描きたい」と思えるものがなければ、何も生まれないのです。
イノベーションに必要なものとしてよく挙げられるのは、クリエイティビティ(創造性)、ビジョン(方向性)、シンパシー(共感)、そしてパッション(情熱)です。これらは、イノベーションを起こした人が必ずと言っていいほど口にしています。
ただ、このパッションという言葉について少し深掘りすると、英語の「passion」にはもう1つ、「受難」という意味もあります。これはキリスト教における「パッション・オブ・クライスト(キリストの受難)」にも通じるものです。
本気でイノベーティブなことをやるというのは、それほどまでに大変なことなのだと思います。肉体的にも精神的にも苦しみを伴う。それでもやり抜くには、強い覚悟が必要だということだと思います。
事実→根拠→結論を導く「ロジカル思考」
ここまでのポイントをまとめると、アート思考とデザイン思考の違いは非常に明確です。

アート思考は自分軸。自分が本当にやりたいことに向き合い、自分が主人公の物語、いわゆるナラティブをつくっていく。問い、つまり「Why」から始まり、その問いから新しい正解を自らつくっていく、というのがアート思考の基本的な考え方の1つです。
一方で、デザイン思考は他人軸。お客さんの物語、つまりストーリーをつくっていくというアプローチです。ナラティブが内面にある自分の物語であるのに対し、ストーリーは他者のニーズに応えていくもの。既存の課題に対してどう改善し、誰かのために新しい正解を生み出していくかを重視するのが、デザイン思考の方向性です。
そして3つ目に、ロジカル思考があります。これはMBAなどで重視される思考法で、事実をもとに分析し、根拠から結論を導き出すというアプローチです。最も基本的な構造は、「事実 → 分析 → 根拠 → 結論」。

非常にシンプルですが、どれだけおもしろく、ユニークで魅力的なアイデアであっても、このプロセスがなければ人に伝えることができません。
「この事業をやりたい」「これをつくりたい」という結論があるとしても、それがなぜその会社にとって必要なのか、その理由を支える事実と根拠が必要になります。特に新規事業であれば、「だから何億円ください」といった提案に対して経営陣が納得できるような材料が求められるのが一般的です。
もちろん、企業によっては「とにかくやってみよう」というスタイルで進められるところもあります。ぶっ飛んだ経営者であれば、事業計画なんかいらない、とにかく自分がつくりたいものをつくるというスタンスで始められる場合もあるかもしれません。ただ、多くの企業や組織ではそこまで柔軟な土壌は整っていないのが現実です。
ですので、最低限のロジカル思考による説明や納得感の構築は、新しいチャレンジを実現するうえで欠かせない要素になってくると思います。
ロジカル思考だけではアイデアが枯渇する理由
ロジカル思考には良い点があります。説得力のあるアウトプットを出せるというのはその代表です。ただ、論理的に考えるということは、一番パイが大きいところ、すなわち最も合理的な選択肢を取っていくということになります。そうすると、誰が考えても同じ結論にたどり着く可能性が高くなってしまう。画期的なアイデアというのは、なかなかロジカルな思考からは生まれにくいのです。
もちろん、アイデアをロジカルに説明したり、実現したりする力は非常に重要です。「なんとなくいい」という感覚だけでは許されません。だからこそ、ロジカルに説明でき、ロジカルに作る力も求められます。
ここで出てきた3つの思考「アート思考、デザイン思考、ロジカル思考」を、意識して使い分けることが大切です。

「今はアート思考で自由に発想しよう」と考える場面もあれば、「本当にお客さんが求めているものか?」と問い直すデザイン思考の段階もあります。
市場に出回っているものを見ているだけでは、その先にある価値は見つかりません。だからこそ、内発的な動機に基づいて描く必要がある。本気でやりたい、命をかけてもやりたい、というくらいでないと続かないのです。
アート思考、デザイン思考、ロジカル思考を行ったり来たりしながら、自分の中でぐるぐる回していく。とはいえ、1人の頭でそれを完結させるのは難しいので、チームやマネジメントの力が必要になります。アート思考型の人材、デザイン思考型の人材、ロジカル思考型の人材、それぞれの強みを生かすことが大切です。
この3つの思考をメタ認知的に使い分けながら、まずはアート思考で、内発的動機をもとにアイデアを起点として自由に発想する。

アイデアを出し、ブレストし、次にデザイン思考で「本当に必要か」を観察する。あるいは、観察の結果からアート思考に戻ることもあるでしょう。
そして最終的にはロジカル思考で収束させ、実現可能性を探りながら事業計画としてまとめていく。このようにして3つの思考を行き来しながら、新規事業をつくっていくのです。