語学学習は「いかに自分の脳を騙すか」
サカモト:次が提案2なんですけど、「英語ができる=英語が話せる」って、僕はこれが我々の英語コンプレックス、呪縛の最大要因の1つだと思っています。目標がね、「話せる」じゃないですか。
例えば多いのは、「旅行に行った時とかに英語が使えるようになりたいんだ」っておっしゃる方がいるんですけど、我々の脳みそもけっこう賢いので、英語とかちょっとやったところで、「お前結局、それ使わないでしょ」って自分の脳にバレているんですよね。
(会場笑)
サカモト:だから僕、語学学習って「いかに自分の脳を騙すか」だと思っていて。「これは意味がある必要な営みで、大事なんだ」っていうことを、変な言い方になるんですけど、自分の脳にいかに思い込ませるかだと思っています。今英単語を覚えてもきっと明日使わないことが、自分自身にバレているわけですよ。
その中で、それを乗り越えていかないといけない。まして「じゃあちょっと旅行で英語圏に行った時に」って、何日行くんですか、いつ行くんですかと。しかも旅行の英語ってだいたい定型文なので、あれこそ翻訳ツールでいけるんですよね。
人間はそんなモチベーションのために本当に(努力)できますかっていうところで、できる方もいらっしゃるかもしれないですけど、我々のほとんどは難しいんじゃないかなと思いますよと。
もっと言うと、別に我々は話せなくていいんですよ。今日4月17日の平日の夜、ここに集まっているメンバーで「来月英語が使えないとまずい」という人はあんまりいない……すみません、いたら申し訳ないですけど。
目標は「英語がわかる」くらいでいい
サカモト:なので自分が提案したいのは、目標を「英語がわかる」というところにちょっと変えませんか? ということですね。

でもこれは別に、「話すことを諦めろ」と言っているわけじゃないんですよね。なんでかというと、実はわかるようになったらわりと話せるんですよ。だって、わかるんだもん。わかっていることの中から言えることを探してしゃべっていくだけなんですよね。
今、僕の次男が1歳半なんですが、小さい子を思い出していただくとそうだと思うんですけど、親とかきょうだいが言っていることはわりと理解しているじゃないですか。ただ、自分では言えない。
長男のことを僕らが「にいにい」とか「お兄ちゃん」と言ったら、次男も誰のことかわかっているんですよね。彼自身が長男を呼ぶ時は「イェイイェイ」と言うんです。彼の語彙では「イェイイェイ」しか出てこないんですけど、「お兄ちゃん」とか「にいにい」が自分の兄を指しているということを彼は理解しているわけです。
インプット中心の学習が有効な理由
サカモト:やはり基本的に「インプットの量に対して、ちょっとアウトプット」というのが、我々の現実ですよね。例えば「鬱」という漢字を書ける人はいらっしゃいますか?
(会場笑)
サカモト:あと「薔薇」「御伽噺」ね。僕は「鬱」と「薔薇」は書けないんですけど読めるんですよ。偉そうに言っていますね(笑)。
(会場笑)
サカモト:読めるけど書けないんです。あとは、我々はニュースの日本語がわかりますよね。時代劇もわかりますよね。スポーツの実況もわかりますよね。「じゃあ、今ここでスポーツ実況できるか? 侍の言葉をしゃべれるか?」と言われると、それはできないわけですよ。
だから基本的には我々はやはりインプットの情報量のほうが圧倒的にたくさん持っていて、その中の限られた自分たちの語彙で話をしている。というのが、言語の運用に関する我々の現実ですね。
なので、やはりインプットしたことがないものが出てくることはなかなかないですね。相当量のインプットが行われた後になると、インプットされたものを組み合わせて作ることができるようになるんですよ。
それは我々の日本語もそうじゃないですか。例えば小さい子が歩いているのを「てちてち歩く」とか。「てちてち」と習ったことはないですけどなんとなく伝わる、みたいな。適当に擬音語、擬態語を作るというのは、我々はできるじゃないですか。でもそれはやはりかなりのインプットがあるからこそ可能になるような複雑な技、高度な技なんですよね。
なので提案2なんですけど、インプット中心の学習で、本を読んで、わかる人を目指しませんか? というのが、自分がお伝えしたい英語の学習の考え方になります。