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稲垣栄洋さんとザッソウ第1回 「雑って何?」を雑草の専門家と考える(全2記事)

“整理された新規事業”は、その時点で新しさに欠けている 新たなイノベーションを生み出す「雑草魂」の可能性

ソニックガーデンの代表・倉貫義人氏と仲山考材の仲山進也氏が、毎月さまざまなゲストを迎えて「雑な相談」をするポッドキャスト『ザッソウラジオ』。 今回は雑草の専門家である稲垣栄洋氏をゲストに迎え、雑談・相談の「ザッソウ」と、植物の「雑草」の共通点などに迫ります。第1回目の後半となる本記事では、「雑」という概念から生まれるアイデアの可能性を探ります。

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白黒つけないからこそ見つかる良さもある

倉貫義人氏(以下、倉貫):学問的には、いろいろと白黒つけることが科学というかサイエンスなのに、「雑」のままいくというのがおもしろいですね。

稲垣栄洋氏(以下、稲垣):そうなんですよね。「雑草って悪いものだから退治しなきゃいけない、防御しなきゃいけない」という感じなんですが、雑草がいろんな特徴を持っていたら、「その特徴って使えるかも」みたいな発想が出てくるじゃないですか。

「これはすごくたくましいから、このたくましさを使えないかな」とか、そういう発想の研究は日本が一番進んでいるんですよ。それはやはり「雑」という言葉だからかなって。

倉貫:そうですよね。「雑」に集めて置いといたほうがいい。これはビジネスの世界でも、がくちょとかとよく話すのは、きれいに整理して計画を立てても新規事業ってなかなか生まれなくて。

わりと雑に、何でもよく置いている状態で社員の人たちが活動していたら、そこから芽が出て「これは新規事業になるかもしれない」といって新規事業にしていくとか。

論理的に考えるとうまくいくかどうかわからないんだけど、みんなが「やってみたい」と言うからやっていたら、それが生き延びて事業になることってけっこうあったりしていて。

個人のやる気だけで始めたサービスがのちに事業化

倉貫:僕らの会社でちゃんと新規事業になったのは、前もお話ししたかもしれないですが、イシュランという病院検索のサイトのサービスを作っていて。これはがん患者さんが(医師や病院を探せるサイトです)。

今は血液がんとか、いろんな皮膚がんとかまで広がっているんですけど、最初は本当にがん患者だけのものだったのが、「いい病院を探しにくい」という知り合いの人がいて、それをなんとか助けたいといって始めて。

「これは商売になるかどうかといったらわからないしな。でも本人が『やりたい』と言っているしな」といって、最初はお金にも何にもならないけど、本当に「やりたい」という個人のモチベーションだけで始めたものです。

何人か集まってやり始めからずっと見守っていて、3年ぐらいしたら、そのサイトがけっこういろんなところからアクセスされるようになって、いろんな人が使うようになって、いろんな病院や医療関係の人たちからお声が掛かるようになって。

「あれ? これはビジネスになるかもしれない」ということで、今はちゃんと会社にして、ビジネスになってきているんですよね。

稲垣:すごいですね。

“整理されているもの”は新しさに欠ける

倉貫:最初に僕がきれいに整理して「新規事業を立ち上げるぞ」と言っていたら、「いや、これは絶対に儲からないからやめとこう」と言っていた気がするんだけど、本当に雑草魂じゃないけど、何も手を加えなかったほうが伸び伸びと育って、新規事業になったということがあって。雑に置いていたほうから出てくるのかな。

稲垣:そうですね。結局、整理されているということは、もう新しさに欠けているということでもありますので、整理できないことが新しさだったりしますよね。

仲山進也氏(以下、仲山):それはおもしろい。

稲垣:異業種交流だったり、企業間のコラボだったり、僕らの世界だと「学際的な」といって、学問の分野を越えてやりなさいと言われていて。結局「雑」のところを求めているような感じもしますよね。

倉貫:混沌としたところから(新しいアイデアが)出てくるなという感じが。

稲垣:なるほど。

倉貫:これはいつもの稲垣先生との話で、こっちはただビジネスの話をして、先生はただ草の話をしているのに、勝手にリンクしてくるというアレですね。

稲垣:(笑)。そうですね。おもしろいですよね。僕、本当に植物のことしか考えてないんですが、なんか話がいつも合っているんですよ。きっと真理は同じなんだということでしょうね。

仲山:今の「整理されているということは、新しさがもうなくなっているということである」というのは、けっこうハッとしますよね。

倉貫:うんうん。

分類をすると、人間はわかったような気になる

稲垣:自然界のものって本当に何の区別もないんですよね。例えば私のところから富士山が見えるんですが、じゃあどこまでが富士山で、どこからが富士山じゃないかって区別がないじゃないですか。みなさんが住んでいるところも富士山と地続きなので、「みなさんは今、富士山の裾野にいますよ」といったら、いるじゃないですか。

例えば、サルから人間が進化したと言われていますけど、じゃあどこまでがサルで、どこからが人間だったのかってわからないじゃないですか。サルのお母さんがいきなりホモサピエンス、人間、人類を産んだわけじゃないじゃないですか。

境目って本当はないんですよね。自然界は境目がないんですけど、それだと「いやいや、どこまで富士山かわからないんじゃ話にならないので、なんとなく区別をしよう」と。基本的に「分類」って、人間の脳がそれを理解するために、人間が都合のいいように作っているものなんですよね。

だから結局、分類されると人間ってわかったような気になるんですが、それは事実じゃなくて。分類されてないものもいっぱいあって、わかったつもりにさせるためのツールが分類という方法なので。

分類を一回忘れてみると、また違う見え方がするとか、また違う分類の方法も絶対にあると思うんですね。決められたものじゃなくて、その人の考えで「こう分けたほうがいいな」とか、結局分類って「その人がどう分けたいか」だけなんですよ。

倉貫:そうですよね。

稲垣:本当に。生物の世界でも。

「分類」をあまり信用しすぎないことも大切

倉貫:「分ける」という考え自体が人工的なものですね。

稲垣:はい。図鑑でさえも、昔と今とで分け方が違いますので。便利だから(分類を)使うんだけど、あまりそれを信用しないことが大事かなと思いますよね。

倉貫:そうですね。カモノハシとか、哺乳類なのか鳥類なのかわからないみたいな。

稲垣:卵を産みますからね。

倉貫:人類の人工的な分類だと、分類し切れない動物が出てくるというか。

稲垣:そうですよね。「哺乳類の定義っておかしいじゃないか」と言っても、別にカモノハシがおかしいわけじゃなくて、カモノハシはカモノハシとして生きているだけなので(笑)。

倉貫:そうそう。(実際に)いるじゃないですか、ということなんですよね。

稲垣:そういうことですよね。でも、「分類はこうだからおかしいじゃないか」「こうあるべきじゃないか」って、つい人間の世界ではやりがちになってしまうので。

倉貫:うわあ。やりがち。

稲垣:「いや、カモノハシが卵を産むのはおかしいから(哺乳類という分類は)やめとけよ」「これは哺乳類らしくないよね」とか。

倉貫:でも(実際に)産むからな、みたいな。

稲垣:やりがちじゃないですか。

倉貫:生き物として存在しているからね。

稲垣:そうですね。そういうところから一回解放されると、新しいものの見え方になる。別に「哺乳類だから卵を産んじゃいけない」というルールは何もないわけですよね。

仲山:ないない。確かに。

倉貫:存在しているからね(笑)。

稲垣:(笑)。そうなんですよね。

仲山:うわあ、めちゃくちゃおもしろいな。

稲垣:おもしろいですね。

倉貫:今、現代社会にめちゃくちゃ示唆がある話をしたんじゃないですかね。

仲山:(笑)。

稲垣:そうですね。

カテゴリーとは、人間が理解するための「道具」に過ぎない

稲垣:「多様性」とか「雑」といっても、人間は脳のキャパではそれをそのまま理解することはもうできないので、ある程度分類するしかなかったり、順位をつけたり、比べたりするしかないんですよね。人間の脳が理解するためにはしょうがないので。でも、それがすべてじゃないということですよね。

倉貫:そうですね。分類はステレオタイプで、カテゴリーというのは人間が生み出した、多様すぎるものを人間が理解するための道具としての概念でしかなくて。

先ほどのカモノハシの例もそうかもしれないけど、「人間だったら一人ひとり違う」というのって、効率化を求めすぎなければ、別に一人ひとりの違いに対応すればよいだけだし、一人ひとりを知っていけばよいだけなので。そこも「効率を追い過ぎない」みたいなところとけっこう似ているというか。

効率って、追いすぎることによって本当にいろいろ削ぎ落とされてしまうというか、効率のために分類をしなきゃいけないので、分類するといい・悪いが出てくる。

それこそ男性・女性と分けちゃうのは、そのほうが効率的だからやっていただけで、リアルの一人ひとり、一つひとつって、プログラム用語だと「インスタンス」と言うんですが、インスタンス一個ずつで見ていくと、ぜんぜん違ってよいなというか。

稲垣:そうですよね。

倉貫:今、そこに向き合えるぐらいの社会になってきているんじゃないかなというのは、なんかあるな。

自分自身にレッテルを貼らないほうがいい

稲垣:管理する人とか、それを扱う人は、分けたほうがわかりやすいので。例えば、大学なら理系・文系を分けるみたいに分けちゃうんですけど。でもその本人というか、一人ひとりが「俺、理系だから」「私は文系だから」というので自分でレッテルを貼らないほうがいいということですよね。

倉貫:そうなんですよね。管理の効率化のためだけにやっているので。

稲垣:そうですね。それだけのものなので。管理されている人は、別にそれは関係ない話ですからね。「自分は自分」というだけですよね。

倉貫:そう。ちょうどこの間、ある大学で経営の話をしてきたんですが、「ITの会社です。プログラミングをやっています」と言うと、「文系ですけど、プログラマーとかナレッジワーカーとかなれるんですか?」と。いやいや、文系とか理系って、別に生まれついてのものじゃないでしょう? みたいな(笑)。

稲垣:そうなんですよね。2つに分かれるものじゃないですよね。

倉貫:「『~だから』って言わないほうがいいんじゃない?」という話をちょうどしてきたんです。

稲垣:確かに、その通りですね。

「自分は何者か」という思考を放棄することの弊害

仲山:僕なんかは「何をしている人ですか?」と聞かれて、説明しても「よくわかんないですね」と言われるから、職業が「雑職」な感じがしますね。

倉貫:いや、本当にそれですよ。がくちょは雑職ですよ(笑)。

仲山:(笑)。

倉貫:雑職、新しいな。

稲垣:でもそれが本来の姿で、「自分は何々をやってます」と言う人も、本当に勝手にレッテルを貼っているだけで、それがすべてじゃないですものね。「自分はこういう職業だ」「こういう人だ」って分類されて、わかった気になっているだけですよね。実際はみんな「雑」で、みんな違いますものね。

倉貫:「自分はサラリーマンなんで」「自分は営業なんで」と言ったほうが考えなくて済むので、たぶん楽なんですよね。

稲垣:そうですよね。

倉貫:「自分は何者か」と考えなくても済むので、一定は楽のためではいいんだけど、楽を追いすぎたらそれ以外考えられなくなっちゃうので。

稲垣:そうですね。それはすごく便利なんだけれども、やはり新しいものを生み出す上ではちょっと邪魔になるかもしれないですよね。

“ザッソウ対談”で見えてきた「雑職」という概念

倉貫:考えないでそれだけやるって、それこそがくちょの「加減乗除」で言うと、「加」しかやらないというか、決めたら1個しかやらないみたいな感じがあるので。

稲垣:なるほど。

倉貫:いやぁ。「雑職」かぁ。

稲垣:(笑)。いいですね。

倉貫:「加減乗除」の最終形は「雑職」なんじゃないかという。今まで「加減乗除」の「除」がみんな一番イメージが湧きにくいと言っていたけど、雑職なのが「除」な感じがしてきたな(笑)。

仲山:「除」って、共通の因数がある状態で、その共通因数以外のものは「雑」ですよね。余りというか。「全部3でくくれます」という時に、3×2もあれば3×5もあれば……。

稲垣:なるほど。自分の基本の定数に対して因数があるということですよね。

仲山:共通でないほうの因数は「雑」という状態になるなと。

稲垣:すると、あとは何を掛け合わせるかになってくるということですよね。なるほど、おもしろいですね。

倉貫:おもしろい。「おもしろい」だけでもう30分経ってしまったので。

仲山:本当だ(笑)。

稲垣:「雑」だけで(笑)。

倉貫:まだ「雑草」までいってないですよ。「雑」だけです。

仲山:そう、まだ草までいってない(笑)。

稲垣:雑だけです。

倉貫:雑だけで盛り上がったので、次回、続きをまたお話しできたらなと思います。

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