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「人間拡張技術」の第一人者が教える 想像を超えて 未来をつくる アイデア創出法【暦本氏 ご講演】(全4記事)

スティーブ・ジョブズも社員に求めた、「パッと説明」する能力 主張を簡潔に「言語化」することの重要性

業界業務の経験豊富な「その道のプロ」に、1時間からピンポイントに相談できる日本最大級のスポットコンサル「ビザスク」。そのビザスク主催のセミナーに、ユーザーインターフェース研究の世界的第一人者で、『妄想する頭 思考する手』の著者・暦本純一氏が登壇。本記事では、暦本氏が興味を持った黒澤映画や『暮しの手帖』の共通点や、研究論文で問われる4つのポイントなどが語られました。

スティーブ・ジョブズの都市伝説

暦本純一氏(以下、暦本)もう少しブレイクダウンします。

例えば、これ(下部の「表情を持つテレプレゼンシステムを作った」)は、実際は3次元の顔の形のディスプレイを使ったテレプレゼンスシステムがClaimでした。

「立体顔に表情を投影すると、遠隔地の人に視線が正確に伝達できる」になってくると、それは本当かどうか判定ができるし、もし本当だったらアイコンタクトのあるテレプレゼンスシステムができるので、価値があるという意味でClaimになったと言えます。

言語化とClaimという意味では、今紹介した事例でわかるとおり、これらは全部ほぼ1行です。特殊なツールを使っているわけでもまったくありません。よく発想法で、いろんなチャートやなんとか図法など、複雑なことをされている方がいますが、私はほぼ言語化だけです。1行で書いているだけです。

1行で書けるということは、たぶんやりたいことが刈り込まれていて明確、クリアであるからだと思います。さっきの「人に優しい」とか「次世代」とか「新しい」とか、そういう言葉を全部取り除いても新しいかどうかわかるかが、言語化のテストになります。

有名な例で、スティーブ・ジョブズがApple社のエレベータに乗り合わせた時にたまたま社員がいて、「君は何の業務をやってるの?」と言った時に、エレベータを降りるまでにちゃんと説明できないとクビになるという都市伝説があります(笑)。

たぶん当時のApple社は、社屋が3階とか4階ぐらいしかなかったので、エレベータに乗る時間は非常に限られていたわけです。そのぐらいの時間でパッと説明できるかということです。

言語化する行為そのものが「思考」

あとは、言ってみて初めてそれで良いかどうかがわかることもあります。最初に戻って、「俺も思いついた」とか「俺も考えていた」という時には、言っていなかったと思うので。自分で書いてみると、意外にそのアイデアではなかったとか、そこまでちゃんと考えていなかったこともわかります。

1行書いてみるだけで、自分の考えのふわっとしているところが逆にわかったりする。あるいは、書くことでもっと発想が展開していくこともあります。頭の中の考えを書き写すというよりも、書き出すという、言語化する行為そのものが「思考」なわけです。

もちろん、自分で書き出して自分でわかるという、メモ帳につけることも大事ですが、他の人を説得できるかどうかもアイデアには大事なわけです。

例えば、「こういうことやりたいです」と予算をとる時に、「それって結局どういう企画なの?」の、「結局どういう」が言えるかどうか。「次世代のプロジェクトをやりたいんです」ではなかなかわからないわけです。そこが刈り込まているかどうかなので、言語化できることは他人に伝えることの原点になると思います。

あと、図を描くのも非常に重要です。図はどちらかというと、どのようにして作るかというHowのほうが得意で、なぜそれをやるかというWhyはけっこう難しいですよね。

例えば、もう構造がわかっていて「この電源をここにつなげます」という構造の図解などは非常にダイアグラム(図表)でできる。でも、そもそもなんでそんな回路を作るかという理由は、言語にしなければならないので、図と言語を併用したほうがいいでしょう。

あと、よく「言語化できない良さがある」と言いますが、テレパシーで会話できる人はいません。言語化の努力を放棄する言い訳にはならないんですね。その先に言葉では言えないことがあるのかもしれませんが、まずは言語化できているかどうかが、ベースラインとしてあります。

理系の論文的で、ロジックが明確な黒澤映画

ある有名な映像作家の言葉で、「テーマは理屈ではなく、形の分かるもの、ハッキリ形の見えるもの……これらは少ない言葉で言えるのが特徴で、言葉数が多くなるのは表現でなく説明になる。だから自分はどれも一口でいえるものを設定してきた」というものがあります。

これはどなたの言葉かというと、黒澤明監督ですね。黒澤さんと一緒にやっていた脚本家、橋本忍さんの書いた本(『複眼の映像』)に出てくる、黒澤さんの発言です。

黒澤映画は、たぶんClaimがめちゃめちゃ明確ですね。例えば、『七人の侍』は、「百姓が侍を7人雇い、襲ってくる山賊と戦い勝利する」。『生きる』という映画だと、「あと65日で死ぬ男」みたいに、テーマがほぼ1行で書き尽くされていて、それをどのぐらい魅力的に展開できるかという、極めてロジカルです。

私から見て黒澤映画は、ものすごく理系の論文的です。ロジックが非常に明確で、全部そうやって作られているのがわかりやすいんです。このように、ぜんぜん分野の違う方も同じようなことを言ってます。

「不確実は許すが曖昧さは許さない」という、カーネギーメロン大学の金出武雄先生の言葉があります。

例えば、「目標として『高齢者が楽しく幸せに暮らせるようにしたい』はダメ」。これは例えば研究提案ではダメという意味ですね。「それは希望する結果であって、タスクや能力として具体的に何をすればいいのかはわからない、言えていない」とおっしゃっている。

そうではなくて、例えば「『認知的な機能の衰えた高齢者が、これができなくなったらこれをできるようにする』と、具体的に何ができない人をどう支援するかの目標と能力を具体的に規定することが大事」と。

これは研究なので、これからやることについてしゃべっています。できたことについて言うのは簡単です。たぶんアイデアや研究、企画は、これから作ろうとすることに対して何か言わないといけないんですが、その時にも、「楽しく」とか「幸せ」のような曖昧なことは言わずに、「不確実であってもこういうことをしたい」と、具体的なターゲットを言えるかどうかが大事です。

これも日経(クロステック)で、たぶんまだWebで検索できると思いますので、ぜひ読んでいただきたいと思います。

暦本氏が興味を持った、黒澤映画や『暮しの手帖』の共通点

一方Claimでも、例えば先ほどのアイデアのように、複数の指でインターフェース操作をするみたいなものは、提案型というか発明型です。リサーチクエスチョン型や調査型もありますよね。サイエンスでも、あるいは社会の中でも、それはすごく重要だと思うんです。Claimとしては「何を調べたいか」が極めて切り込まれてることが重要だと思います。

例えば、これ(次のスライド)です。

これは研究書でも企画でもなく、たぶん第2世紀なので今から50年ぐらい前の、有名な『暮しの手帖』の広告です。『暮しの手帖』の編集長の花森安治が書いたコピーですね。「天ぷら油とサラダ油はじつはおなじものではないだろうか」。これ電車の中吊り広告だったらしいんですけど、これを聞いたら驚きますね。

やっぱリサーチクエスチョンが大事なのは、まず問いかけに驚きがあって、「えっ、まさか?」とか、「もしそうだったら大変じゃん」というのが、リサーチクエスチョンとしておもしろいと。

当時、実際に天ぷら油とサラダ油は缶のパッケージがちょっと違うだけで、サラダオイルは価格を高くして、中身は同じものを売っていたと判明したらしいです。そういうリサーチクエスチョンがある。

同じかどうかを考えるとしたら、成分分析とか実験はできそうですよね。だから、この問いかけに対する実験手法もある。あと、「同じものではないだろうか」といったら、答えは「イエス」か「ノー」みたいに極めて曖昧性がない。これは非常にすごいリサーチクエスチョン型です。

ちなみに、私は個人的に小学校の頃になぜか『暮しの手帖』にハマっていました。今思うと、こういうのを読んで「ああ、すごい」と思ったのが、研究者になる原型だったかもしれません。

先ほどの黒澤映画とか『暮しの手帖』みたいに、私がすごいと思っているものは、極めて曖昧性がなく、切り込んでいて、クリアで、形容詞でぜんぜんごまかしていないところは同じなのかなと思っています。

研究論文で問われる、4つのポイント

(スライドのタイトル)『Claimが決まると初めて判定できる』は、研究だと、論文を投稿すると、査読者(評価する人)からいろいろ指摘を受けたりします。

受ける指摘は、だいたいこんな感じです。「なんでそれをやるの? 意味があるの?」「できたとしてそれ使う人はいる?」のように、価値があるかということ。

あるいは、「それってもうすでに似たことをやっている人がいますよ」が新規性。あとは、同じではないけど他に似た方法があって、それでもほぼ同等のことができるのではないかという類似や比較。そして、「そうやって良くできているように書いてあるけど、本当に動いているの? ちゃんと証拠はあるの?」という、根拠や評価、再現性があるかということ。

研究だとだいたいこの4つを突っ込まれて、4つをクリアすると、論文や採録といって、出版できるわけです。

ただ、私も評価したことがありますが、Claimが曖昧な論文は、要するに何がやりたいかがぜんぜんわからない。そうすると、査読者に「この論文はいったい何がやりたいのかちゃんと書いていない。わからない」と書かれてしまう。

あるいは、査読者(評価する人)がなんとなく想像して、「これはこういうことをやりたいんだろうけど、それはダメ」みたいに、自分がやりたいことと関係ないことに対して評価されてしまうようなことがあります。

Claimが決まることは、良きにつけ悪しきにつけ、評価もはっきりしてくる。良いか悪いかについても判断できるし、あるいは、自分でそれを読み返した時にも判断できるということですね。

「ああ、いけそうかな」と頭の中でモヤモヤと考えているだけだと、実はここまでシビアな評価はしないと思うんです。言語化することによって初めて、自分でも他者にもシビアでいることができるかなと思っています。

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