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『取材・執筆・推敲』(ダイヤモンド社)刊行記念トークイベント「取材・執筆・推敲、そして「発表」!! ——生きるための教科書『取材・執筆・推敲』を使いこなすために——」(全7記事)

飽きるほど読んではじめて、自分の文章を“客観”できる 『取材・執筆・推敲』著者が語る、最後の「推敲」の役割

代官山蔦屋書店にて、『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』(ダイヤモンド社)の刊行記念イベントが開催されました。本セッションでは、著者・古賀史健氏と担当編集者・柿内芳文氏、そして東京工業大学でメディア論の教鞭をとる柳瀬博一氏のトークの模様をお届けします。本書は「書く人の教科書」でありながら、「生きるための教科書」でもあると語る柳瀬氏。本記事では、企画書を書く時のポイントや、「推敲」をする上での考え方などが語られました。

企画書の良し悪しの判断基準は、自分が読みたい企画書かどうか

柳瀬博一氏(以下、柳瀬):次は、今日の前半の話と重なるような質問です。「私は製造業で開発企画の仕事をしています。ユーザーのニーズを汲み取って、製品の企画に反映させる。その点ではライターの仕事と近いと思います。企画書を書く時のポイントを、3つ教えて下さい」。

古賀史健氏(以下、古賀):企画書の書き方か。僕はユーザーのニーズって基本的にわかり得ないものだと思うんですよ。

柳瀬:そもそも。

古賀:なので、本の内容と近いんですけど、やはりユーザーは自分なんですよね。自分が使って気持ちいいかとか、おもしろいかというところでしか、いい悪いの判断はできないので、自分にとってどうであるか。

企画書も上司がどう喜ぶかとか、同僚がどう見るかって、他人の目を気にすると思うんですけど、そうじゃなくて。自分がどういうものを読みたいのかとか、企画書のフォーマットも含めてですけど、例えば企画書が5枚も10枚も続いていたら嫌じゃないですか(笑)。

柳瀬:ですね。

古賀:できれば、ペライチで収めてほしい。そういった読者としての実感を大事にしながら、自分が何を読みたいのか、どういう判断がしたいのかとか、そっちで考えるのが一番いい気がしますけどね。

柳瀬:本の中でも、ライターはまさに「自分自身が一番自分に対して厳しい批評家じゃないといけない」と書いていますよね。

古賀:そうですね。

柳瀬:あらゆることが、そうということですよね。厳しい客がいないと。

企画書をいかに書かずに、企画を成立させるか

柳瀬:柿内さんはこの質問いかがですか。

柿内芳文氏(以下、柿内):企画書ですか? 

柳瀬:ええ。企画書が嫌いな柿内さんですが。

柿内:書かないほうがいいんじゃないですかね。

古賀:(笑)。

柳瀬:(笑)。企画書を書くなということですね。

柿内:いかに企画書を書かずに生きていくかに頭を使うことですね。

柳瀬:企画書を書かずして、企画を成就させないといけない。

柿内:そういうことですね。企画書を書かないのに、なぜか動き出す。

柳瀬:ああ。禅問答のようですけど。

(一同笑)

柳瀬:質問者の方は個別具体的に考えてください。

ライターの学校の応募課題は、「新型コロナが変えたもの」

さあ、これはいい質問だな。「この本を教科書としたライターの学校で、生徒さんを募集されています。その応募の際の課題に込められた思いをお聞きしたいと思います」。

古賀:ああ。応募の課題は、課題作文を1つ設けていまして、「『新型コロナウィルスが変えたもの』というタイトルで書いてください」と出しているんですね。

なぜそのテーマにしたかというと、例えば「東京オリンピック・パラリンピックについて」とかだったら、オリンピックやパラリンピック、あるいはスポーツ全般に興味があるかないかによって、書けるものの濃度とか熱量も変わってくるじゃないですか。

誰にとっても身近で、誰もが考えたことがあるはずだというテーマはなんなんだろうなと考えた時に、「コロナ」はこの1年間、どういう立場の人でもなにかしら自分の身に降り掛かってきて、考えて、何かしているはずなので。

それをテーマにエッセイを書くこともできるし、ジャーナリスティックに調べた原稿を書くこともできるし、コラムにすることもできる。どんなスタイルでも構わないから、その1つのテーマがあればなんでもできる。しかも、みんなが切実に自分なりのなにかを持っているはずのものなので、「新型コロナが変えたもの」というタイトルにしています。

柳瀬:1人残らず全員に平等に降り掛かった課題ですもんね。

古賀:「学生時代の思い出」とか「私の恩師」とかいうテーマだったら、恩師がいない、思い当たらない人と、恩師とものすごくいいエピソードを持っている人と差が出ちゃうので、そういう差が出ないような課題にしました。

柳瀬:これは実際どんなのが来るのか、ちょっと見たいですね。

古賀:そうですね。もういくつか届き始めています。

編集で大事なことは、「文脈」と「強さ」

柳瀬:素晴らしい。柿内さんにも質問が来ていますよ。柿内さんの言葉で「編集で大事なことは、文脈をつくること。その強度を強くすることだ」と聞いたことがあるそうです。「この本を編集する際に意識した文脈って何ですか?」とあります。

柿内:僕は文脈の強度を強くするという言い方は、たぶんしていないと思うんですけど、言うとしたら、「文脈をつくる」というのと、「強さ自体をつくる」。

柳瀬:強さ自体。

柿内:その2つです。文脈と強さは、ちょっと違う概念なんですよ。

柳瀬:なるほど。

柿内:文脈は単純な話、やはり古賀さんからいただいたお題の「教科書」。結局、ずっと教科書ってなんだろうなというところですよね。

柳瀬:教科書とは何か。

柿内:それでさっきの『英文解釈教室』のところ

柳瀬:伊藤和夫までいく。

柿内:あれが教科書だったらとか、さっきちょっと話に出たILMのジョージ・ルーカスについての8,000円する大型本も、当時の僕にとっての教科書だったなと。必ずしも教科書と書いているから教科書じゃない、教科書であるとも限らないじゃないですか。

自分なりにつかめるものがあると、おのずと結果が見えてくる

柿内:まず「教科書」という言葉って、最近多用されすぎていて。

柳瀬:何でも「教科書」と言いますよね。

柿内:特に出版でも、「ナントカの教科書」と付けたら、なんでもそうじゃないですか。コーヒーの教科書、焙煎の教科書、手帳の教科書、ガラスの教科書、なんでもできます。なんでも成り立っちゃって、安易に使われすぎているんですよね。

柳瀬:はい。

柿内:それに対する抵抗感も見えてきて、それでも教科書と言えるものって、一体何をクリアしたら言えるんだろうなと。教科書はどういう成り立ちによってできたのか、どうすれば教科書と書いていなくてもみんながそれを教科書と思うのか。逆に、教科書と書いてあっても教科書と思わないのか。

文脈の話は時間もアレなんでしないですけど、そこをずっと考えていたので、結局、どうこの本があるべきか、どこに置かれて、どういう読まれ方をするべきなのかという流れをつくることに通じたのかなと思って。

柳瀬:うーん。

柿内:結局、「教科書とは何か」と考えることなのかなと思います。

柳瀬:そうすると、一番入り口の課題設定の部分を考え抜くということですよね。

柿内:そうですね。常に本をつくる時は、「目の前のこれは一体何なんだ」と。もちろんテーマがあって、構成があって、原稿があるわけですけど、ちょっと一歩引いて、これは一体何なんだろうなと考え出した時に、自分なりにつかめるものがないと、あまり先に進めない。逆に自分なりにつかめると、例えばコピーとかタイトルとかが、おのずと結果として見えてくるんですよね。そういう感じですかね。

「推敲」の飽きを突破すると、手に入れることができる「客観」

柳瀬:ありがとうございます。最後にもう1つぐらいいきましょうかね。どれにしようかな、古賀さん、最後になにか1つ、この中で答えてみたい質問はありますか?

古賀:そうですね。「ご自身で最終形の原稿にする際、さまざまなチェックをされていますが、最後の最後の判断基準はございますか」。

柳瀬:まさにこの本の最後の「推敲」の部分ですね。

取材・執筆・推敲 書く人の教科書

古賀:推敲に関しては、何回も読んでいるうちに飽きてくるんですよね。

柳瀬:(笑)。

古賀:作業にも飽きるし、書かれている原稿にも飽きてくるし、空でも読めるぐらいになっちゃうんですけど。その飽きをもう一歩突破すると、「これ、本当に俺が書いたのかな」というところまで行くんですよ。

毎日鏡を見て自分の顔に飽きちゃったみたいなものなんですけど、それをずっとやっていると、ふとショーウィンドウに映った自分の顔にびっくりするとか、スナップ写真に撮られた自分の顔にびっくりするみたいな、自分が他人に見える瞬間が、原稿にもあって。「これ、本当に俺が書いたんだっけ」みたいなある種の「客観」が手に入れられた時に、自分がまったく問題ないと思えるかどうかですね。

柳瀬:うーん。

古賀:これは自分が悪戦苦闘してたどり着いた原稿じゃなくて、最初から完成形としてここにあった原稿だと見えたら、それで完成です。

柳瀬:本が自分じゃなくなるということですね。

古賀:そうです。自分じゃなくなって、自分が書いたとは思えないし、最初からこのかたちでここにあったとしか思えない。そういう原稿になるかどうか。

推敲は“川の流れ”を整える作業

柳瀬:僕も編集者と自分の本を書くのでわかるんですけど、実際本を出した後に客観的になる時はありますけど、出す前でそこまでいくのって、けっこう大変ですよね。

古賀:大変ですね。

柳瀬:時間かかるし。

古賀:推敲は相当大変です。たぶんカッキーがよく知っていると思うけど、僕の推敲は面倒くさいですね。

柿内:そうですね。逆にここまで推敲する方もなかなかいないので、僕としてはめちゃめちゃおもしろいんですよね。

柳瀬:けっこう変わります?

柿内:変わります。もちろん、わかりやすく全ボツして書き換えるみたいなこともありますけど、ちょっとした微調整によって印象がまるで変わったり、リズムが一気に回転しだしたり。「ええ!? なに、この魔法」みたいな。

でも、前とどこが変わったんだっけって、一瞬わからなくなるんですよね。だけど、前に読んだ時は心の動きがここから加速してほしいのになんかちょっと留まっていると感じた部分が、ザッと流れ出した。イカダがちょっと止まっていたのが、一気にグワッと行くような感覚があって。見比べると、「あ、ここをこう変えただけなんだ」という、不思議な感覚。

古賀:やり取りをしていると、例えばA、B、C、Dというパートがあったとして、僕が書き直したのがBだったとする。でも彼がもう一回読んだ時、「Aのところ、本当によくなりましたね」って、まったく触っていないところを言ったりするんです。Bを変えたからAの印象も変わっちゃっていることがあるんですよね。

柳瀬:川の流れですね。こう流れていて、ここに淀みができているけど、淀みをいじるんじゃなくてこの流れをせき止めている石をどけることによって、サーッと流れて、水がきれいになる感じですね。

柿内:だから同じことを言っていても、おもしろく見えたり、つまんなく見えることがあるわけです。

柳瀬:しかも、この淀みを変えるんじゃなくて、この石をどけたり、逆にちょっと瀬をつくったりとか。

古賀:そうなんですよ。原稿の真ん中らへんのなにか一文を変えるのは、そこを変えているんじゃなくて、やはり全体を変えていることなので。その目を持って何回も読み返さないといけないし、書き直した度に、この分量であっても、もう1回頭から読まなきゃいけない。

柿内:本当に大変でしたよね。

古賀:(笑)。

「いいものが書けたな」ではなく「なんかきれいなものがある」

柳瀬:聞いてゾッとしますけど。本を書いている時に、1回ゲシュタルト崩壊することがありませんか?

古賀:あります。あります。

柳瀬:一体もう何を言って書いているんだか、自分でもわからなくなる瞬間。

古賀:迷子になっちゃう瞬間。わかります。あります。

柳瀬:でも、それでも推敲して自分のものになってという、さらに先の先の話ですよね。

古賀:そうですね。自画自賛とも違うんですよね。「ああ、俺、本当にいいもの書けたな」ということとも違う、なんかここにすごくきれいなものがあるという。

柳瀬:え、俺がつくったの? 忘れてたわみたいな。

古賀:そうです。そうです。

柳瀬:そこまでいって、こういうふうに本になります。

古賀:(笑)。

柳瀬:じゃあ、時間も大幅にオーバーしましたけれども、この辺りでそろそろ、『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』のイベントを終わりたいと思います。本当は著書の『国道16号線』の話をしようかなと。

国道16号線: 「日本」を創った道

古賀:そうなんです。

柿内:この話を1時間くらいするのかと思ってました。

柳瀬:すみません。おまけです。そういう本をちょっと書いたわけなんですけど、またの機会に(笑)。

導入の「ツアー」で勝利を決めた『国道16号線』

古賀:1分間だけ僕の感想をいいですか?

柳瀬:はい。

古賀:僕が福岡の出身だからなんですけど、『国道16号線』という本は、いかに地方の人に16号線を「俺の道路」と思ってもらうかが勝負だと思うんですよね。

柳瀬:です。

古賀:僕なんかも、若い頃は16号線がどの道路かパッと理解ができなかったので。そこさえできてしまえば、その後の歴史の話とか地形の話とかカルチャーの話って、もうある意味柳瀬さんの独壇場だし、ライフワークだし、おもしろいに決まっていて。導入でいかに16号線を日本全国の人たちが共有してくれるかが大事で。

この本の導入は、1章の頭のところでツアーをするじゃないですか。

柳瀬:ツアーします。

古賀:ねぇ! やっていることは、はとバスなんですよ。「右手に見えますのは○○です」なんだけど、はとバスじゃなくて、ちょっとマツダのユーノスとかに乗っている感じで、FMラジオのナビゲーションを聞きながらドライブしている感覚。あのドライブをみんなに共有させたことで、もうこの本の勝利は決まったなと。

柳瀬:ありがとうございます。

古賀:あの段階で読者は、福岡に住んでいた僕も、絶対に絵を共有するんですよね。絵と、そこにある文化を共有しちゃうんで、そこから先はいくらでも読み進められる。導入が違う始まりだったら、ぜんぜんこの本は違った仕上がりになっていたと思います。

冒頭に“ラジオ番組”を作るアイデアは、担当編集者から生まれた

柳瀬:あれは編集者である新潮社の足立真穂さんのアイデアでもあるんです。入り口が、ある種のラジオ番組なんです。

古賀:そうそうそう。ラジオなんですよ。

柳瀬:この本の冒頭がまさに映画の予告編だとすると、これはどちらかというと、冒頭に16号線のラジオ番組を作った感じなんですね。

古賀:感覚がカーラジオなんですよね。

柳瀬:どちらかというと、ちょっと平たいオープンカーに乗って、チンタラ走っているような。

古賀:そうそうそう。

柳瀬:ありがとうございます。

古賀:その感覚が素晴らしかったです。この導入をつくれたのは、もうそれだけで大勝利だと思いました。

柳瀬:僕の本の話になっちゃいますけど、編集者の足立さんというキャッチャーがいてくれるのがデカいですね。

古賀:そうなんですね。

柳瀬:ちゃんと柿内さんのお家の近所にも16号線があります。

柿内:僕も、16号と共に生きてきた。

(一同笑)

柿内:町田生まれ、町田育ちなので。

柳瀬:帯も、町田のご近所住まいだった三浦しをんさんに。

柿内:ああ、そうですね。対談もされていましたし。

柳瀬:そうなんです。すいません。最後におまけとして、ボーナストラックのボーナスを。

(一同笑)

柳瀬:失礼をいたしました。ということで、みなさん。『取材・執筆・推敲』は、書く人はもちろんですけど、1億2千万人、全日本で生きている人にとって役に立つ本でございます。もしかしたら亡くなった方でも読みたい人がいるかもしれないですけど。ぜひ、1周、2周、3周、4周して、まさに手垢が付いてボロボロになるまで使っていただきたい教科書ですね。

古賀:そうですね。

柳瀬:ということで、古賀さん、柿内さん、長時間どうもありがとうございました。

古賀・柿内:ありがとうございました。

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