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『取材・執筆・推敲』(ダイヤモンド社)刊行記念トークイベント「取材・執筆・推敲、そして「発表」!! ——生きるための教科書『取材・執筆・推敲』を使いこなすために——」(全7記事)

漫画家やイラストレーターに「名コラムニスト」が多い理由 日本トップクラスのライターが考える、伝えることの“本質”

代官山蔦屋書店にて、『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』(ダイヤモンド社)の刊行記念イベントが開催されました。本セッションでは、著者・古賀史健氏と担当編集者・柿内芳文氏、そして東京工業大学でメディア論の教鞭をとる柳瀬博一氏のトークの模様をお届けします。本書は「書く人の教科書」でありながら、「生きるための教科書」でもあると語る柳瀬氏。本記事では、古賀氏がライターになったきっかけや、柿内氏の編集者としての根源にある「裏側への興味」が語られました。

映画監督の道をあきらめたのは、「言い訳の余地」があったから

柳瀬博一氏(以下、柳瀬):(前回の「取材」の話に加えて、)そこでもう1つ重要な「観察」の話が出てるじゃないですか。僕がこの本で一番おもしろかったのは、古賀さんが本当は映画監督や漫画家や絵を作るクリエイターになりたかったという話。なんでならなかったんですか? 

古賀史健氏(以下、古賀):(笑)。まず漫画については、人物を描くのは好きだけど、背景を描くのが本当にめんどくさかったんですよ。

柳瀬:4コマだったらいいんじゃないですか。

古賀:(笑)。まぁそうですけどね。背景とか洋服とか小物を描くのがまったくだめで、人の顔を描くのは大好きだという。周辺を描くのが苦手だったんですよ。

中学ぐらいに映画監督になりたいと思って、実際に学生時代映画を作ったりもしたんですけど、映画ってチームワークじゃないですか。

柳瀬:そうですね。

古賀:その中での一番偉い人として指揮を執るんだけど、なんというか、言い訳の余地がいっぱいできるんですよね。特にアマチュアでやっていると、役者はどうせ演劇部の友達とかだし、照明とかも満足な機材があるわけでもないし、音楽もフリー素材的なものを使うしかないし。

もしこれがプロの役者さんでプロの機材があって、音楽もオリジナルのものがあったらもっとよくなるのにみたいな、言い訳の余地がいっぱいあるんですよ。

柳瀬:ああ、うまくできないことに対する言い訳。

古賀:それが自分でやっていてなんか許せなくて。あきらかに自分の実力不足で失敗してるのに、いろんな言い訳しちゃってるなと思って。

一番言い訳ができない分野ってどこだろうと思った時に、小説とか文章を書くことだなと思ったんです。自分一人で完結するものなので、あいつが悪いこいつが悪いって、周りのせいにできないじゃないですか。それで映画の道をあきらめて、物書きになりたいなと思いました。

ライターという職業は、最初は腰かけのつもりだった

柳瀬:この本を読んでおもしろいなと思ったのは、そのくだりの中で、僕自身はわりと空っぽだって話を書いていますよね。なんと言うんでしょう。映画監督は確かにチームだけど、例えば小説家も一人でできる。

古賀:そうですね。

柳瀬:ライターではなく小説家になろうとは思わなかったんですか? 

古賀:「ライターってすばらしいよ」って言いながら本当に申し訳ない話なんですけど、当初は本当に腰かけのつもりでやったんです。

就職しないわけにもいかないし、とりあえず小説を書きたいと思ってるんだから、ライターの仕事ぐらい左手でできるぐらいじゃないとだめだろうなと思って、出版社に入ったんです。でもやってみたら、ライターの仕事が予想外におもしろかったんですよね。

柳瀬:予想外におもしろかった。

古賀:もちろん小説もいつかやってみたいなって思いはずっとあったんですけど、でもちょっとライターってバカにできないぞ、と。めちゃくちゃ奥が深いし、やればやるほど難しくなっていくし。やっていくうちにライターのおもしろさに目覚めていった感じですね。

ライターは、自分の言葉に置き換える「翻訳」の仕事

柳瀬:なんでこの話をするかというと、小説や漫画、映画やゲームに共通するのは、ある種の「神様」ですよね。偉いという意味じゃなくて、完全な空想の……。

古賀:その世界の。

柳瀬:クリエイターですよね。この本では、一方でライターは「書く」のではなくて「つくる」と書いています。

ライターがつくることと、例えば小説や漫画やゲームや映画がやっている、ワールドをつくること。どこが一緒でどこが違うのかなというのを、すごく聞きたいんですよ。

古賀:そうですね。なんの例えが一番わかりやすいのかな……。やっぱり、この本の中でも書いている「翻訳」という言葉が大事だと思っていて。今、Googleの自動翻訳機能とかいろいろありますけど、あれが翻訳なのか通訳なのかというと、違うと思うんですよね。

やっぱり翻訳家の方が、対象の言葉や原文を自分の中で血肉化させて、ある意味自分の言葉で置き換えている。英語を日本語に置き換えるのが翻訳じゃなくて、原文を自分の言葉に置き換えているんですよ。翻訳家がやっている本質のところって、言語の違いじゃないと僕は思うんですね。

柳瀬:英語の話を日本語にするんじゃなくて。例えばここにいるチェコスロバキア人の科学者の話を、たまたまここに知らない言葉があるから翻訳するけど、本質的には、この人の言ってることを「換える」。

古賀:私の言葉にする。それが僕の考える翻訳なんですよね。

柳瀬:だからそこにいる方が日本人であっても、翻訳しなきゃいけないということですね。

古賀:そうなんです。僕がふだんやってる、インタビューをしてそれを言葉にするというのは、例えば堀江貴文さんにインタビューをして、堀江さんの本をつくる、堀江さんの文章を書くという時には、僕は堀江さんの翻訳者になるんですよね。

堀江さんに限らず、それぞれみんな言葉の癖ってあるじゃないですか。言葉が足りないこともあるし、1と10だけしか言わなかったりとか、きつい言い方をしたりとか。

それを全部咀嚼した上で、こう言ってくれたらもっといいのにとか、僕はこう理解しましたとか、こうしゃべってくれたらきっとみんな堀江さんのことを好きになってくれますよとか、そういう感じで「翻訳」をしているイメージです。

漫画家やイラストレーターに「名コラムニスト」が多い理由

古賀:だからもし、僕が英語なら英語の語学力が高ければ、外国の人を同じかたちで翻訳するだろうし。僕はたまたま日本語しかできないから、日本人の言葉を日本語に。柳瀬さんの言葉を、僕の言葉に翻訳するとか、そういう作業をやっている。そこには絶対クリエイティブな要素が、「私」が溶け込んじゃうものだと思っているんですよね。

柳瀬:これは物語の宇宙をつくるのとはまた別ですよね。

古賀:そうですね。目の前にある世界を、別のものに置き換える。その意味では、物語をつくる人というよりも、画家みたいに目の前にある風景をキャンバスの中に落とし込むような、そういうクリエイトに近い気がしています。

柳瀬:今の古賀さんの話を聞いて気づいたんですけど、昔から画家・漫画家・イラストレーターは、往々にして名コラムニストだったりエッセイストですよね。東海林さだおさんだったり、赤瀬川原平さんだったり、南伸坊さんだったり、西原理恵子さんだったり。今の話とちょっと通底しますね。そもそも絵を描くこと自体が、ある種の世界の翻訳ということですね。

古賀:うん、うん。世界をデフォルメしながら翻訳して、もっと伝わりやすくもっとインパクトのあるかたちにするのが漫画の基本だと思います。

柳瀬:そっか。同じ富士山が、見る人によってぜんぜん違う絵になるということは、翻訳家によっても、実は伝え方が違うわけですね。

小説家でもライターでも、編集者は才能の“タケノコ”がみたいだけ

柳瀬:柿内さんは編集者として、例えば小説の担当ってされたことありますか? 

柿内芳文氏(以下、柿内):僕は小説だけはないですね。

柳瀬:やってみたいと思ったことはありますか? 

柿内:まったく思わないです。

柳瀬:ないですか。なんで? 

柿内:いや、やれとなったらやりますよ。わざわざやりたいという気がないだけで、別に僕、そもそもやりたい欲求が何もないっていう。

柳瀬:(笑)。

柿内:目の前に課題があればやりますという感じですね。

柳瀬:なんでこの話をしつこく聞くかというと、今の宇宙をつくる話でわかったんですけど、ライティングはむしろ絵を描くのに近い「翻訳」なんだなと。「翻訳」と「世界をつくる」という2つの重要なコンテンツがあるとした時に、間に挟まっているエディトリアル、「編集」もまたそれぞれのコンテンツをつくる部分の重要なポイントじゃないですか。

この編集の役割は違うのか一緒なのか、僕も小説をやったことないのでわからないんですよ。わからない者同士で話してもあれなんですけど、どうなんでしょうね。

柿内:そうですね。素っ頓狂なことを言っているかもしれないですけど、変わらないんじゃないかなと思いますけどね。別に僕が世界をつくるわけじゃないので、その世界をつくる人の才能というか。僕は(才能の)“タケノコ”が見たいと言っているだけなので、一緒ですね。

柳瀬:あー、そっか。編集者にとっては“タケノコ”を見せてくれればいいんだ。

編集者の根本にある「裏側にはなにがあるの?」という興味

柿内:もう1つ、さっきの取材の話で古賀さんがマイクを向けられる話をしましたが。僕も映画はよく観るんですけど、マイクを向けられるなんてふうに考えながら観たことは一度もないんで(笑)。

柳瀬:ない? 

柿内:むしろ僕には、映画を観た後でも基本誰かに伝えたいことはあんまりないんです。でもやっていることは近いんですよ。能動的に世界と対峙して、なんでだろう? と取材をやっていると思うんで。それは編集者になる前からやっていたし、なった後もたぶん意図的にやっているところもあって。

じゃあその古賀さんと自分の違いはなんだろうなと聞きながら思っていたら、僕はどちらかと言うと、終わった後にどういうふうに人に説明しようか、伝えようかという発想はぜんぜんなくて、「裏側に何があるの?」という興味がすごくあるんだなと思って。

川辺に石があって、裏を覗いたらフナムシがびっしりってことがあるじゃないですか。「あ、裏にフナムシがいた!」みたいな。

柳瀬:(笑)。 

柿内:僕の場合、だいたいの原体験が全部映画になっちゃうんですけど、5歳の時から映画館に行っていて。小学校の時ずっと読んでいたのが、ジョージ・ルーカスのILM、インダストリアル・ライト&マジック(特殊効果の制作会社)の本でした。

柳瀬:一番最初の。懐かしいですね!

柿内:あと、パンフレットとかを読むのが好きで、たぶん一番好きな読み物は小説でも漫画でもなくて、映画のパンフレットだったんです。この映画がどう作られたかということが書いてあって、その感動した映画の裏側に、こんな世界があるのか。世の中、目の前の現象の裏にはなにかあるんだという。それが僕の根本的な興味なのかもしれないと、今初めて自分でも思いました。

編集者気質とライター気質の“入れ子現象”が起きている

柳瀬:柿内さんはむしろ、徹底的な自分に対するクエスチョンの人ですね。

柿内:そうです。だから、僕はそれを誰かに伝えたい気があんまりないんです。

古賀:かっきー(柿内氏)が映画を見た後は、ずっとこういう映画だったって話をされますよ?(笑)。

柳瀬:伝えたいという気がないと言いつつ、してるじゃん!(笑)。 

柿内:それはたぶん、裏側になにかあるという僕の独り言に近いわけですよね。

柳瀬:あぁ~、おもしろいですね。僕が聞いてて逆だと思っていたのは、普通、わりとライターとか作家とか、書く人がひたすらやっている時に編集者の人が来て「で、どうなの。どうなの」みたいなイメージですよね。

今聞いてたら入れ子というか、けっこう古賀さんの中に編集者気質があって、柿内さんの中にライター気質がありますね。案外おもしろいですね。

柿内:そうかもしれないですね。小説の話でも同じかなと思って。やっぱりその小説を生み出しているものの源泉に何があるんだろうということに興味はある。

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