
2025.02.12
職員一人あたり52時間の残業削減に成功 kintone導入がもたらした富士吉田市の自治体DX“変革”ハウツー
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司会者:本日は『世界で働く人になる! 実践編』発行記念の、著者・田島麻衣子さんによるトークショー&サイン会にお越しくださいまして、まことにありがとうございました。
登壇者をお呼びする前に、私から簡単に田島さんのご紹介をさせていただきます。
田島麻衣子さんは、日本生まれ、日本育ちの国連機関職員です。大学卒業後、世界4大会計事務所の一角を占めるKPMGに勤められました。その後、イギリスの大学院への留学などを経て、国連機関の職員となられました。
これまでにアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ラオス、アルメニア、エジプト、現在の南アフリカ、そして生まれ育った日本を加えまして、9ヶ国に住んだ経験をお持ちでいらっしゃいます。また、共に働いたことのある同僚の出身国は60ヶ国を数えるとのことです。
著書は、これが1作目になるのですが、2014年の12月に出ました『世界で働く人になる!』ですね。その後、『国連で学んだ 価値観の違いを超える仕事術』という本をお出しになっておられます。そして、今回出されました『世界で働く人になる! 実践編』、この3冊がございます。
それでは田島さん、どうぞ、よろしくお願いいたします。拍手でお迎えください。
(会場拍手)
田島麻衣子氏(以下、田島):こんにちは。田島麻衣子です。今日はみなさん、わざわざ来てくださって、本当にどうもありがとうございました。
せっかく寒い中でも来てくださったので、他では得られない話を、ぜひみなさんに受け取っていただきたく、今日はがんばります。よろしくお願いします。
(会場拍手)
私が今、働いているところは南アフリカといいまして、まったくの南半球で、来る前はノースリーブで生活をしていたのですが。本当に地球というのは広いなと思ってしまいます。
2014年の年末、私は『世界で働く人になる!』という本を初めて出しました。私の処女作です。
これまで本を書いたこともなくて、見よう見まねでやったのですが。それから約3年後に、新しい本を書くことができました。今回は実践編です。
みなさん、3年のうちにどんな人生の変化がありましたか? いろんなことが起こったのではないかと思います。出会った人たちや、仕事のことや、勉強のこと。私自身も、この3年、ないし4年の間に、働いた国が2個増えました。この間に2回も引っ越しをしています。
それから、この3年の間に新しい働き方として、在宅勤務と、モバイルワークという2種類のテレワークを経験しました。また、サバティカル休暇を取り、国連の仕事から短期間離れていたこともあります。ですから、いろいろな変化があったのだということを、みなさんに見ていただけるのではないかと思います。
ただ、いろんな変化がありましたが、共通している部分があります。それは、私の“世界で働く力ということに対する考え方”です。「世界で働く力とはなんだろう?」と、みなさんお思いになるのではないでしょうか。
まず、世界で働く力というのは、例えば「香港やシンガポールに、今日これから働きに行きます」ということなのかどうかということを、少し考えていただきたいと思います。
香港なり、シンガポールなり、どこでもいいのですが、そこの場に入った瞬間に、その人は「ローカル」になってしまう。そこで20年間働いたのであるならば、他の環境では働きにくくなる。そういった場合に、それは果たして世界で働く力なのかどうかということですよね。
では、世界で働く力とはどういうことかと言いますと、私は“生きる環境に左右されずに強く生きる力”なのではないかと思っています。南アフリカでも働きます、東京でも喜んで働きます。シアトルでも働きます。このように世界で働くとは環境に左右されない強い力なのだ、と私はこれまで9ヶ国に住んで、働いてきて、今はそのように感じています。みなさんはどうでしょうか?
もう1つ、私が書いたこの2つの本に共通していて、私が今でも信じていること。生きる環境に左右されないということは、自分を大きく支配している日本という枠組みが外れますから、“誰と一緒に働くべきなのか、なぜ働くべきなのか”ということが、もっともっと自分に迫ってくる。これは、より本質に近い働き方なのではないかと思っています。どうでしょうか?
そして、最後に、前作のときにも何度も言いましたが、これは決して先天的に親から受け継ぐものではありません。自分の意思で、1人でがんばろうと思ったことによって鍛えられる力なのだと私は本当に信じています。今もそれを思って生きています。
先ほど紹介いただきましたが、これまで住んで働いてきた国が9ヶ国あります。日本、それからアメリカ合衆国ですね。そしてイギリスとフランスとイタリアです。そのあとにラオスという国で働いて、そのあとイタリアに戻って働いた後、今度はアルメニア。すごく小さい国ですね。
(地図を指しながら)このトルコとイランの近くにある赤く示されたアルメニアという国に3年間住んで、その後、この本を執筆しながら、エジプトの首都カイロで働きました。次はアフリカ大陸を横断して、今は南アフリカで仕事をしています。同じ国連の仕事にフルタイムで関わっています。
どんな人生を送ってきたのか、今度は私の人生の時間を色で表してみました。そう、私は人生の4分の3は日本で生きて、生まれて、仕事をしてきた人間です。それまで海外に住んだことはなく、みなさんと同じように、ずっと日本で過ごしてきました。これは私の小さい頃の写真ですが(笑)、申し訳ない、ちょっとお目汚しですいません。
(会場笑)
みなさんと同じように、高校ではフェンシング部に入っていたのですが、「先輩怖いなぁ」などと思いながら、泣きそうになりながら朝練をやったり。
(会場笑)
「年功序列は厳しいなぁ」と、やはり、日本でやっぱりこうしたところを叩き込まれたという経験はすごく大きいです。先輩は絶対服従、歳が上の人に対してはものすごく敬うということを、かなり徹底的に体育会系で仕込まれました。
その後、大学も卒業して、やはり同じように日本で働いているのです。これは東京でして、飲み会なので何かみんなほろ酔い気分ですが。これは先輩たちで、みなさんと同じように人間関係に悩んだり、上司の方たちとどうやって接すればいいのかということについて悩みながら、「純ジャパ」として生きてきました。
その後、20代の後半になってから国連の機関に入りまして、それからはずーっと海外です。これはコンゴの難民キャンプを撮った写真なのですが、このときは毎日バケツ一杯の水が支給されるだけで、1週間ほどお風呂にも入れませんでした。
あと、これはネパールの山奥の子どもたちに会いに行って、彼らは毎日暮らしているので薄着ですが、私は体温調節がうまくできなくて、真っ青になっています。微笑んでいますが、無理してますね、これは。
(会場笑)
はい、次の写真はカイロで、こんな感じでおしゃべりをしていますが。今、南アフリカの同僚たちはこんな雰囲気でグループ写真ですね。
今は「世界で働く人になる」ことについてお話させていただいていますが、これまでの人生の4分の3は、ここまで紹介したとおり日本で過ごしてきた人間です。ずっとなにか白いお米と、あと梅干しがないととっても悲しくなります。
(会場笑)
ですから、この講演で最初に強くお伝えしたいことというのは、世界で働く力は誰もが磨くことができる力であるということ。それが第1点目ですね。
今日はこの時間を使って、2種類のことをみなさんにお伝えしたいと思っています。1つは、もし世界で働く力というものが自分の力で磨くことができるとすれば、そのために役立つ考え方としてはどんなものがあるのだろうかということ。この点については4つの考え方をご紹介します。もう1つは、世界で働くために役立つコツは何かということを、いくつかみなさんにご紹介したいと思っています。
まず、世界で働くために役立つ考え方。1つ目は“ストレス”です。これ、ストレスは悩ましい問題ですね。私も日本で働いていた時代を思い出すと、かなり「あぁ大変だなぁ、厳しいなぁ」と思いながら通勤をしていたことを思い出します。
国連に入ってからもやはり、ストレスがかかる仕事というのは変わりありません。それに対する耐性をつけるということは、世界で働くためにはすごく重要なことだと先輩や同僚たちから学ぶことができました。
まず、ストレスというと、私がすぐに思いつくのがイタリアです。イタリア人はいつもニコニコしていませんか? なにかこう、朗らかで、能天気と言っては悪いのですが、ニコニコしている。でも、実際にイタリアに住んでみると、普通の日本人は耐えられないのです。なぜかというと、電車が時間通りに来ませんから。
(会場笑)
やっと電車に乗ったと思ったら、今度は何の予告もなく追い出されて、そこから歩いて行かなければいけない。なぜかというと、工事をしなければいけないからだそうです。「だったら事前に教えて」と思いませんか? でも、それが普通。そして、電車から降りてバスに乗ろうと思っても、バスがストで動かないんです。じゃあどうするの? となる。雨が降ればマンションの天井が雨漏り。ガスも出てこない。こうしたことは最初、日本人の私にはとても耐えられないことでした。そこでどうしてイタリア人はニコニコしていられるのかと思ったんですね。
彼らはよくもまぁ、おしゃべりして、食べて、飲んで、陽気にワイワイとやっているなと。ある日、イタリア人の先輩から言われたことがあるのです。「マイコ、日本人って、真面目でいいのだけど、他の人から言われたことをぜーんぶ自分で真に受けて、それを抱え込んでしまう癖があるんじゃないの?」と。そのときに「あぁ、確かにそうかもしれない」と思いました。
この方はとてもおもしろい方で、知的で、大学の教壇に立って教えることも十分にできるような知性を持っている方なんですが、クリスマスになると、クリスマスツリーを家族のために、森に自分で切りに行っちゃうようなアクティブで、なおかつ情に深い一面も持ち合わせた方です。こんな彼に「すべて言われたことを鵜呑みにするな」と言われてしまったときに、確かにそうだなと思ったのです。
誰かに何かを言われて傷ついてしまうときというのも、よくよく考えてみると、その「傷ついてる」という行為を自分自身で許している部分があるのではないかと思ったりもするのですよね。すべてをガードするということはとても大変ですが、「言われたことをすべて吸収しない」と思っておくだけで、かなりストレスが気にならなくなるのではないかと思います。
2点目。これはですね、「どこかで“大丈夫、うまくいく”と信じることよ」と言われたのですが、これは中国人の先輩です。
カイロで働いていたときに、彼女はとってもニコニコしているんです。もう私が「締め切りが間に合わない!」と鬼の形相で机に向かっているときでも、いつもニコニコしているので、「ずいぶん能天気でいいなぁ」と、うらやましくさえ思っていました。
あるとき仲良くなった後、ランチを一緒に食べているときに、「私、ソマリアで昔働いていたことがあるの」と言われました。
みなさん、ソマリアというと、どんなイメージがありますか?そう、危険なイメージがあるのではないでしょうか。過去10年を振り返って見ても、多くの人道支援関係者が尊い命を落としています。彼女はそこで働いているときに親しい友人を失った経験を、私に話してくれました。これを自分のせいで失ったと彼女は考えているのですが、その時のことを乗り越えるというのは、とても彼女にとって大変な経験だったと教えてくれたのですね。
そのときに、常にニコニコしていて、私が詰まってしまって「もうダメだ」というときでも穏やかでいられる彼女というのは、もしかしたら、そうしたつらいことを乗り越える力があったからこそ、微笑んでいられるのではないかと思ったのです。
50代ぐらいの方なので、かなりいろんな人生経験をされていると思うのですが、その彼女に最後に言われた言葉が、「いい、マイコ。どこかで必ずうまくいくって信じることよ」というもの。とても胸に残っています。
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