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Pepper元開発リーダー林要氏初著作 『ゼロイチ』出版記念イベント(全4記事)

「ひらめき」は作れる! 知識偏重な現代人に贈る、“無意識”の鍛え方

トヨタ自動車でスーパーカーやF1マシンの開発に関わり、ソフトバンクでPepperの開発リーダーを務めた後、ロボット・ベンチャー「GROOVE X」を立ち上げた林要氏。0から1を生み出すための考え方をまとめた林氏の初著作『ゼロイチ』(ダイヤモンド社)の出版記念イベントがDMM.make AKIBAで開催されました。正しいアイデアを出すために必要な無意識の鍛え方についてレクチャーしました。

正しくてもコンセンサスがとれていることはやるべきでない

林要氏:では、このようなスタートアップがやるべきゼロイチを見つけるために必要な考え方のフレームワークについてお話しましょう。これは受け売りなんですけどね。よく言われているのは、まずこのなか(スライド)で言うと、Wrong。

間違ったことをやっちゃいけないよねと。これ当然です。ここまでは誰でもわかると思うんです。

問題は、正しいことのなかでなにをやりましょうか、という話になります。実は正しいことでも「コンセンサスがとれてることはやっちゃいけませんよ」とこの表では言っています。いわば合理的なアイデア。正しくて合理的なアイデアって一見「やるべきこと」のように見えるんですけども、実はこれはやっちゃいけないとスタートアップでは言われています。

理由は、誰しも同じことを考えるんですね。誰しも同じことを考えるということは、それだけ競争が厳しくなってレッドオーシャンなので、それだけでも勝つ見込みが減ってしまう。なので、実は、世の中のコンセンサスはとれていないんだけれども、正しい。これをやることが大事だというのがこの表です。

なので、まず間違ったことをやらない。さらに「誰でもいいね」というような、正しすぎることもやらない。正しいことのなかで世の中のコンセンサス、みなさんが常識的に「いいね」と思えないようなこと、ここにスタートアップが立ち上がれる領域があると言われています。

そうすると、世の中に溢れているロジカルシンキングみたいな本の考え方とは、ちょっと違うアイデアの出し方が必要になってくるわけですね。いわば、世の中のコンセンサスがとれてないけど正しいアイディアというは、どれだけ理詰めで考えても、なかなか出てこないわけです。

コンセンサスはとれていないけど、正しいアイデアを出す方法。これは、いわゆる「ひらめく」なんですね。「ひらめく」というのは、「なにもしてない時にひらめくよね」ってよく言われますね。

「ひらめく」ためにはなにが必要か

だから、「なにもしなきゃひらめくんですか」というと、それは大間違いです。そんな都合のいい話はない。大事なのは、実はずっと考えていることなんですね。

ずっと考えている時間と、ずっと考えている時間の合間、ここが大事です。合間のなにもしてない時にひらめく。なので、基本はずっと考えている。だけれども、その合間のなにもしてない時にふっと気付く感じでひらめく。ずっと考えていてふっと気付く。

これは考え方のフレームワークではないですね。だから結果として、脳の鍛え方が極めて大事になります。今までなにもしてなかった人がずっと考えてて、ある時ふと気付くわけではないからです。

ここから先は完全に私のイメージになります。ひらめくフレームワークについての脳の仕組みは、科学的にはまだ解明されていないんですけども、私のイメージではこんな感じです、というのを説明したいと思います。

そもそも脳の構造を考えると、もともと脊椎動物では、脊髄に神経が一旦集約される構造になっているんですけれども、その原初の時はまだ脳は発達していなかったわけです。脊髄というのは、単に情報伝達するためだけの部分でした。

その神経の片方が徐々に肥大して脳になったわけです。進化の過程の初期の頃、魚になる前くらいの時に、脳幹という、ちっちゃい脳の種みたいなものができた。その後で、魚、は虫類と進化していく過程で、脳幹が肥大し、さらにその周りに大脳辺縁系ができてきた。

この大脳辺縁系には意識は存在せず、無意識の領域の脳です。真ん中のほうの古い脳ですね。大脳辺縁系のかたちというのは、初期の哺乳類から人間まであまり変わっていないです。僕らの脳の中心には、そういう意味で進化の途中で作られたものがそのまま残っているわけですね。

その上に、大脳皮質と呼ばれる部分が覆い被さっています。前頭葉とか部位毎に名前があるんですけど、全部まとめて、大脳皮質と呼ばれます。ここが大きいのが人間の特徴というのは昔、習ったことがあるかと思います。

この皮質がある程度以上大きくなると、意識が芽生えるんじゃないかというのが、最近の米国での仮説になっています。意識というのは、いわば、この脳の領域に点在していると言われています。意識の定義も非常に難しいので、意識の定義を明確にしないまましゃべると、それは違うとかいう議論が発生してしまうんですけれども、今回は受動意識仮説に基づく定義としています。

意識というのは、自分というものをちゃんと認識して、主語・述語を理解して、論理的に行動できるという部分。なかでもエピソード記憶と呼ばれる部分を司るのを今回は「意識」と定義しています。ここでロジカルシンキングをヒトは行います。

無意識の領域、ここというのは、ロジカルではなくて、意識である自分には理由がわからないような判断をするような部分になります。ここをもうちょっとメカニズム的にとらえてみましょう。

意識が決めたことでも、無意識に影響される

するとなにが起きるかというと、まず感覚。脊椎を通った感覚ですね。ここの感覚は、最初に無意識領域に入っていくわけです。無意識領域に入ったものが、さらに意識領域に情報を伝達して、意識領域が判断、論理的に判断して無意識領域に戻します。これ、脳の配置上、経路としてはそうしかならないわけです。

こうして最終的に、無意識領域がなんらかの行動を誘発します。この図表のおもしろいのは、例えば、自分が好きな人に「ありがとう」と言われたのと、嫌いな人に「ありがとう」と言われた時に、どういう差が出るかなと。

「ありがとう」という反応の情報は、耳や目などの感覚器から入ってくるわけですね。するとそれを受けて、無意識側は嫌いか好きかを判断します。これを情動といいます。

そうすると、その「ありがとう」という文字情報に好きとか嫌いのタグが付きます。そのタグが付いた状態で意識は情報を受け取ります。なので、意識側というのは同じ「ありがとう」であるにも関わらず、主観として好きか嫌いかにより、受け取る情報が変わっちゃうわけですね。

なので、意識というのは、極めて自分は冷静だと思っていても、そもそも無意識側からのインプットが違うので、主観に応じて実はぜんぜん違う対応をとっちゃう。自分は平等だと思っていても入ってくる情報が違うので、自然にしてると平等な判断ができないわけです。

「この人嫌い」とか「この人好き」といったタグ付けされた情報をもとにして、論理的に考えるわけですね。どう応対しようかと。例えば「自分は大人だから、嫌いな人にも『どういたしまして』って言おう」と決めたとしましょう。

そうすると、好きな人でも嫌いな人でも同じように「どういたしまして」と言おう、と意識は決めたにも関わらず、それでも僕らのアウトプットは変わっちゃうんですね。

なぜかと言うと、意識からは「どういたしましたって言おうね」と無意識にフィードバックをするわけですけど、フィードバックをした結果に、無意識はまたタグ付けしちゃうわけです。 

「どういたしましたって言おうね、嫌いな人に」とか、「好きな人に」と。

なので、結果として顔が引きつったり、思ったよりも満面の笑みになる。人が自分をコントロールできてない部分があるのは、こういう構造にあるかな、と考えています。

無意識を鍛えるために現場の感覚を肌で知る

僕らは意識の領域では自分をちゃんとコントロールしていると思っているんですけれども、実は意外にできてない。

すべての感覚は脊髄から無意識に入ってきて、その内の一部の感覚が意識に入ってきます。その時に感情の紐付けが行われます。そこから合理的思考に入ります。そして最後は、最終的なゴー、オア、ノーゴー、もしくはどうする、というのを無意識が決めます。

ゆえに、「もう起きなきゃ」と思っても起きれないとか。「飲んじゃダメ」と思っても飲んじゃうとか。「やっちゃいけない」って思ってもやっちゃうとか。そういったことはすべて、こういう仕組みだから起きちゃうことなわけですね。

話を戻して、「ずっと考えていてふっと気付く」というプロセスを司る脳をどうやって鍛えましょうか、という話に戻りたいと思います。

「ふっと気付く」で大事なのは、無意識領域なわけですね。ずっと考えていてふっと気付く。ロジカルシンキングじゃないので、無意識領域で気付くということが大事になってきます。

この無意識領域の鍛え方の話になるんですけれども。この絵で見ていただくとわかる通り、無意識にとって大事なのは、1番と3番のインプットなわけですね。アウトプットは出すだけなので判断には影響を及ぼさない。

それよりも自分のなかの「無意識」君に入ってくる情報をいかにリッチにするか。これが大事な部分になってきます。そうすると、1番の感覚から入ってくる部分、それから3番の意識による合理的思考から入ってくる部分。この2つのインプットを使って、無意識をうまく鍛えることが大事になってきます。

この1番のインプットをリッチにするのは、「やってみる」「失敗の感覚を知る」「成功の感覚を知る」。そうして、僕らはチャレンジした時に「これ以上やったら落ちる」というエッジがわかるんですね。自分がどこにいて、どこまでやったら落ちるのかというのを知るのは極めて大事なのです。

それから現場の感覚を肌で知る。現場の感覚を肌で知るというのは、結局、文字情報で省略化されてしまう、資料などで伝わらない部分をどれだけ自分で感じられるのか。これがすごく大事なことになってきます。

その文字情報以外の部分で感じる、失敗の感覚。「これやばそうだよね」というところをどれだけ経験できているのかが重要な部分になってきます。

ポジティブシンキングはなぜ重要なのか

もう1つが先の3番の論理的思考。まあ、結局、意識的な論理的思考は、無意識にとっても大事なんですね。合理的に考える。合理的に考えるってどういうことかと言うと、例えば自分が怖がっている時に、それをちゃんと客観的に見て「自分は合理的に考えれば怖がる必要がないのに、本能的に怖がっているよね」という判断ができるかどうかです。

これは「自分をメタ認知する」という部分にも近いのです。

なので、自分の感覚に合わせて、単にそれにあった論理を積み重ねるというのは一番やっちゃいけないことだと思っています。

土台となる感覚に対して、「自分の感覚というのはどうやって起きているんだっけ?」「なんでこんななってんだっけ?」というところをちょっと第三者的な視点で捉えて、その上で自分のその感覚の特徴、偏りを認識する、といった部分が大事かなと思っています。

それからもう1つ。意識的な思考で大事なものとして「ポジティブシンキング」があります。よく言われますが、「自分はできる」みたいなことを言うと本当にできるんだよという、一見は怪しい、自己暗示の魔法みたいな話がありますね。

あれは決してまったく合理性がないわけではなさそうです。「無意識」君にとっては先ほどの1番と3番がインプットなので、意識側がそうやって言うことは、「無意識」君に対する3番としてのインプット与える「できるんだな」というインプットを与えることになります。

ゆえに、ネガティブな考え方、ネガティブなインプットを「無意識」君にあんまりしてしまうと、無意識側としてはどうしてもちょっと萎縮してしまうわけですね。

先ほどのこの1番と3番。この2つがキーになることはおわかりかと思います。じゃあ、あと、この1番と3番をどういうバランスでやっていけばいいでしょうかというお話です。

現代人は知識偏重になっている

昔は「本を読みましょう」と……というか今でも言われると思います。ただ、私はちょっとそれだけでは足りなくなっているかなと思っています。

この右側のシーソーを見ていただくとわかりやすかと思います。

昔というのは、経験偏重だったわけですね。Webもロジカルシンキングもなにもなかったし。本すら読む機会が少なかった時代。ヒトは経験を頼りに生きてたわけです。

そういう経験偏重の時代には、整理された情報というのが足らなかったため、非常に有用だったと考えられます。本なんかを読んでそれを自分で論理的に整理をして、整理した考え方を無意識にフィードバックしてやる。

このように3番を増やすということをすることで、もともと経験偏重だった自分に対して、知識をちょっと入れてやることで、バランスがとれたわけですね。なので、知識さえ入れれば、ある程度は伸びたというのが昔かなと思っています。

現在は、テレビやWebなどで情報が非常に多いですね。知識偏重になっています。例えば、このなかでハワイって行かれたことある方います? ハワイ行かれたことある方、手を挙げてください。

(会場挙手)

ハワイに行かれたことある方はおわかりかと思いますが、行ってみると情報量が圧倒的に多い。

ハワイって、海外旅行に「今さらハワイなの?」みたいな話はあるわけですよ。だけど、行ってみるとハワイってすごいわけです。すごい情報量だし、すごいエンターテインメント。

ただ、Web情報などではそこはわからずに、「ハワイって日本みたいなところでしょう」「海外に行った感じしないでしょう」と捉えたりします。「海外っていったら、ヨーロッパとかそういうところがいいよね」みたいな話を、行かずに話してしまうというのが、こういうところです。

圧倒的に経験が不足しちゃっていて、知識が増えすぎてしまっている。社会人経験が短い学生さんだったり、新入社員の方だったりはとくにこの傾向が強いような気がしています。

知識を入れただけ経験を積む必要があるハードな時代

知識は非常に豊富です。Web情報も含めて豊富です。その知識ってなにかというと、抽象化された情報です。情報をそぎ落として、そのなかのコアとなる情報だけがWebや本には載っていて、それを吸収して知識が豊富になっているわけですね。

なので、例えば、映画と本を比べていただくと、映画のほうが圧倒的に情報量が多いわけです。本というのは、情報を文字に落とすべくすごく抽象化をするわけです。すごく抽象化をして情報が欠落しているんですけれども、名作の本を映画が越えられない理由というのは、実はその情報量の少なさにあるんですね。

情報量が少ないとなにが起きるかというと、読んでいる人にはキーポイント、キーフレームだけを与えられるので、人はその間を補完しちゃうんです。その補完の仕方が人それぞれ違うわけです。自分の好きなように補完してしまう。

ゆえに、本というのはそのスペースがあるので、自分の好きなような解釈ができる。みんな実は捉え方が違うんだけど、個人によって最適化するスペースがあるからこそ、名作は名作と呼ばれ続けるわけです。

映画というのは、全部説明しきってしまうので、そこの補完するようなスペースがない、というところが大きく違います。そういった意味で、本というのは、各人の経験によって補完される必要があるようなキーポイント、キーフレームの情報しか持たないわけですね。

その抽象化された情報という意味では、Webの情報も一緒です。補完された、抽象化された情報は心地よく頭に入るのですが、副作用はわかった気にだけなっちゃうこと。で、結果的にわかった気になって経験が不足しているというのが、最近ではないかなと思っています。

ゆえに、僕らというのは、1番と3番の両方をバランスよく積まなきゃいけないよねという意味で、今ではもう、知識を入れたらその分だけ経験を積まなきゃいけない時代なんじゃないかと僕は思っています。

Webで情報を知ってしまったら、その分そこに行くなり、それをやるなりということをやらなきゃ、頭でっかちになってしまうという、なかなかハードな時代といえます。

こうやって経験をちゃんと積むことで無意識を鍛えることが必要です。いろんなことを体を使ってやることは圧倒的な情報のインプットにつながるので、無意識というのが鍛えられます。1つのことだけをやるのではなくて、さまざまな捉え方をする。そういうことが大事なんじゃないかと思います。

例えば、私はたまたま3年とか5年に1度ずつ仕事を大きくスイッチさせています。最初は車の開発をやっていて、その後で英語もしゃべれないのにF1チームに行くということをやり、それから量販車のマネジメントに行く。

ここのすべての仕事、転職に近いぐらい内容が違います。前の経験がほとんど活きないくらいの経験をしました。それゆえに、こういう非連続なジャンプに比較的慣れていきました。

「車からロボットよく行けたね」ってよく言われるんですけど、僕にとっては、ここの車業界にいた時のギャップもここの車からロボットにいった時のギャップもたいして違わないぐらい大きかったですね。

こういう変化でも繰り返せば慣れます。そういう環境に自分を置いて経験を積むというのは、無意識部分を鍛える意味では、私はとても大事なんじゃないかなと思っています。

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