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CEO of Starbucks(全3記事)

米国スタバが全店閉鎖してまで取り戻したかったもの-ハワード・シュルツCEOが語る原点

スターバックスCEOのハワード・シュルツが、2011年4月6日にデンバー大学ダニエルズ・カレッジ・オブ・ビジネスにて行なった講演。米国のスターバックス全店を閉鎖してまで取り戻したかった、コーヒーショップにとって最も大切なものとはなんだろうか?

ビジネスの学校では使われない単語

ハワード・シュルツ氏:ありがとうございます。……なんてハイテクな椅子なんだ(笑)。

今日はこんなにたくさんの方にお集まりいただき本当に光栄です。他の場所にも100人くらいの人がいらっしゃると伺いました。どこにいるか分かりませんが、本日はお越しいただきまして本当にありがとうございます。8日間のうち今回は7回目となります。今週はいろいろなところへ行きましたが、今日が一番大規模です。本日はお通いいただき本当にありがとうございます。みなさんの期待に応えられるように頑張りたいと思います。

まず、普通にビジネスについて話すときとは違う単語を使いたいと思います。これは私が本を書いたときに目次にも使ったのですが、ビジネスの学校では使われない単語です。

それは愛です。

メモの漏洩が教えてくれたこと

私は30年ほどスターバックスにいました。会社への愛情で、1月に戻ってきました。2,000人以上の人が緑のエプロンをしています。会社を立て直すにあたって、彼らとその家族に対して私には大きな責任がありました。私は家族以外に、この会社ほど大事に思っているものはありません。市場での立場を取り戻すために最善を尽くしました。実際は簡単なミスの連続に苦しみ、地殻変動のような大きな経済危機を乗り越えなくてはなりませんでした。会社は問題が山積みだったのです。

以前、2007年2月に、それまでとは違ったあることをしました。会社の重役にメモを送ったのです。私が会社に対して心配していること、お客様を中心に置くためにすること、パートナーと呼んでいるスターバックスの従業員たちの価値を上げ、そして尊敬される人となってもらうためにできる、いろいろなことについてです。私はこれを2007年のバレンタインデーに送りました。

その何日かあと、自宅のドアを叩く音がしました。出てみると、メモの内容が社内の誰かによって外に漏れたと言われたのです。夜中メモの事で大騒ぎでした。メモは会社のマネージメントチームに対する告発文だと思われたのです。私はもう傍観者ではいられなくなりました。私は何年もCEOから離れており、私がCEOでないにも関わらず、問題の元になった誰よりも非難されました。

私はこのことについて、できるだけ包み隠さず本に書きました。私たちの間違いをモデルとして、それから学んでほしいと思ったからです。この15年、会社は魔法の絨毯に乗ったようでした。私たちが触ったすべてのものが、金へと変わりました。私たちが進出した全ての都市、全ての国、全てのプロダクトが、です。その中のどこかで、会社にウイルスが入り込みました。そのウイルスは、無敵だと思い込んでいたことへの、言わば反動でした。

誰も朝起きたときに、自分が無敵だなんて思いません。何でもできるだなんて思いません。しかし、あるメンタリティが会社の中で育ち始めました。成長と成功が、会社の失敗を隠し始めたのです。株の値段はとても高く、私たちの会社はウォール街の寵児だと人々は思っていました。会社はPE株の値段により、間違った指標を用い、評価するようになりました。

メモを書いたとき、私はそれを感じていました。崩壊に向かっていると思い、なにかが起きると思いました。メモが漏洩したために、改善が促進されたのは皮肉なことです。

幼少期のつらい思い出がスターバックスを作った

時間を少し戻します。私はスターバックスという会社を、まったく新しいビジネスモデルにしようと考えていました。コアバリューに基づいたビジネスモデルにしようと思ったのです。会社の利益と社会的な良心の、絶妙なバランスを保つようデザインしました。会社はとてもユニークな方法で作られました。理解が難しいと思いますが、そのユニークさは私にリンクしています。それは私のエゴや確信に基づくものではなく、私の幼少期に起因するのです。

私はニューヨークのブルックリンの、政府が資金援助した住宅地で育ちました。父の年収は2万ドルを超えることはなく、ブルーカラーの下層階級の家族でした。両親は96ドルを毎月寝室がひとつのアパートのために払っていました。なかなかつらい子供時代でした。

7歳のとき、うちに帰ると父がソファにいて、腰からくるぶしまでギプスで覆われていました。彼はパンパースの発明以前の、おむつの配達の仕事をしていました。彼はいろいろなひどい仕事をしていましたが、これは中でもひどいものでした。彼は氷で滑って、腰と足首をけがしましたが、1960年の労働者階級には保険も保障も何もありませんでした。私は7歳でアメリカンドリームの崩壊を目の当たりにしたのです。

私は両親の苦労を見てきました。見捨てられ、取り残される気持ちも知っています。そんなブルックリンの子供が、こんなに大きな会社の役員になることができたのです。そればかりでなく、自分で大きな会社を作ることができたのです。その立場になったとき、その7歳のとき経験が、何かにリンクしていなければならないと気付きました。

私は父が働きたかった、しかし働くことのできなかった会社を作りたいと思いました。ほぼ26年前、スターバックスは健康保険などがパートタイムの従業員にまで完備された、アメリカで最初の会社になりました。これは大きな大きな社会貢献でした。でも会社はお金を失い続けました。目まぐるしい変化ですが、今日のスターバックスの利益は2億5600万ドルです。会社全体で、あの緑のコーヒーが、大きな利益を上げているのです。

ウォール街と共犯になることの意味

ウォール街の投資家たちが、小売業やレストラン業界の健康度合いを測る一番のは指標は、同一店舗売上高と呼ばれています。聞いたことがありますか? それは頭痛の種でした。その測定基準は私にとって最も重要なものではなかったからです。それは前年の売上とのパーセンテージを計算するものであるので、これは少なくとも1年以上の会社でしか使えません。

先ほど間違った指標を用い、評価してきたと言いました。私たちはウォール街と共犯になりました。人道的に許される限り、同一店舗売上高の信者たちに餌を与えることでした。私たちは時間あたりの売上を計算し、時間当たりの決済を計算し、成長のために手を尽くしたのです。

以前からの店の成長とともに新しい店も出しました。何をするにもお客様を中心に置くことのバランスがとれていれば、それ自体は何の問題もありません。しかし、このときはそうではありませんでした。

私は会長としてマネージメントチームをサポートしたかったし、CEOを手伝いたくもあったのですが、私には何の力もありませんでした。そして状況は悪化していきました。だから2008年の1月に会社のCEOに戻ったのです。喜んでくれた人もいましたが、多くの人は委員会を撃ち殺すべきだと言いました。彼らはマネージメントができるプロのCEOを求めても、創設者に戻ってきてほしくはなかったのです。

しかし、私は激的な経済危機が起きる前に戻りました。そして経済危機が起きてからは、スターバックスは過剰な広告塔になりました。マクドナルドはカフェづくりの広告費に1億5000万ドルをつぎ込むと発表しました。ウォール街はこれでスターバックスは終わりだと言いました。メディアはこれに飛び付き、お客様も私たちを疑うようになりました。ひと月で株価は暴落し、10ヶ月もしないうちに210億ドルの損失のただなかにいました。深刻な事態でした。

失った愛を取り戻すために

経済危機を乗り越えることと、会社を立ち上げることはまったく違うことです。会社を立ち上げるときは希望に満ちていますが、経済危機を乗り越えるとき、その逆風は凄まじいものです。道を示してくれるものはなく、計画の青写真もありません。私は友達に片っ端から電話をかけて協力を求めましたが、正直に申し上げまして、誰一人としてアイディアがある人はいませんでした。

その後、私は会社で実際何が起きているのか議論しました。私は今や再びCEOです。議論の度に、事態は私の想像より悪いことが分かっていきました。出会った中で最も厄介な問題は、店舗へ行ってコーヒーを飲んだとき、コーヒーがアートと愛とロマンスを完全になくしてしまっていたことが分かったことです。

そこで私は全く新しい試みをすることにしました。それを発表したとき、人々は私を撃ち殺したいと思ったものです。私は全ての店舗を閉店すると宣言しました。北米の11,000店全てです。トレーニングをし直すために。想像できますか?

競合他社はそれを血の臭いを嗅ぐために使いました。彼らはスターバックスが完全に混乱して混迷していると宣伝するためにそれを使ったのです。ウォール街はトレーニングのために閉店するなんて、皆株を手放すべきだと言い放ちました。メディアは私たちを葬り去りました。社内でも自信喪失するものが多く出てしまいました。私はこの危機の中で学んだことは、リーダーにとって一番大事なのは状況がどうであるかということに関して正直で忠実で透明で自信を持っていることであるということです。

原点に立ち返って、私たちがなぜコーヒーのために存在するのかについて考えない限り会社を再編することはできないと分かっていました。だから私たちは215,000人をトレーニングし直すことにしたのです。

そうしてこそ、完璧な一杯のコーヒーを淹れるための愛を実現できると考えました。しかし、全米中の経済は回復しておらず、未だ危機のままでした。会社は経験したことのない売上のマイナスでした。

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