【3行要約】・効果的な学習環境づくりには単純な指示だけでは限界があり、コミュニケーション構造の設計が重要な課題となっています。
・学習効果を高めるには「1対n対n」の関係性構築が重要で、学習者同士をつなげることで育成者の負担も軽減されます。
・最初の関係性構築への投資は非効率に見えても、その後の学習成果と指導負担を考えると極めて重要な取り組みといえます。
前回の記事はこちら 「育成」における適切なコミュニケーションのかたち
仲山進也氏:そうしたら先に進めていきたいと思います。この本(
『アオアシに学ぶ「答えを教えない」教え方』)、「アオアシ本2」と呼んでいるんですけど、「お題設計アプローチ」と「1対n対nの実践コミュニティ」と「愚者風リーダーシップ」の3つがキーワードです。

「お題設計アプローチ」に入る前に、この「1対n対nの実践コミュニティ」から入りたいんですけど。
コミュニケーションのかたちにはいくつかあって、左側がいわゆるマスコミュニケーション。「1対マス」です。マスというのは塊(かたまり)という意味なので、塊に対して話しかけている感じ。相手の顔は見えていない状態です。
「1対n」は、1対1がn個ある状態。個別指導塾に生徒が3人いるみたいな感じですね。生徒同士は知り合いじゃないとか、知っていたとしてもあまりしゃべらない感じのかたち。
(スライドを示して)右側が「1対n対n」です。これは1対nももちろんつながっているんですけど、n同士がつながっている、生徒同士がつながっている状態です。
「答えを教えない教え方」とか、「育成する側がキャパオーバーにならずに済むかどうか」みたいな視点では、右側のかたちを作れるかがめっちゃ重要になってきます。
育成される側を「学習者」と呼ぶとして、学習者側がお互いに話しやすい状態ができていれば、「これどうやってやっているの?」みたいなことも聞けるし、「俺はこうやったらうまくいったんだけど」と気軽に話せるということが起こりやすくなります。

なので、今日もこのイベントが始まってから全員で名前を覚え合うということを25分もかけてやっていたんですよ。(※)
※イベントの冒頭で参加者の名前覚えを25分かけて行っていました。
(会場笑)
(イベント全体で)90分しかないのに25分もかけましたけど、やっておくことで、3人組で話す時もちょっと話しやすくなっていたと思います。
(会場うなずき)
名前覚えをやらなかった場合とは比較できないのでアレですけど、いきなり知らない人と3人組を組まされるのは、「俺、そういうのはちょっと苦手なんだけど」みたいな人とか辛いですよね……。僕もそういうのめっちゃ辛いので。
少なくとも名前を覚え合ったぐらいの感じがあれば、3人組でしゃべってと言われても、自分でもなんとかできるかなと。
この後に(ワークショップとして)いろいろやる時の取れ高の上がりっぷりを考えると、最初の投資としては必要な時間だなと僕は思えているので、やった次第です。
(会場笑)
大学院で実施したプログラムで起きたこと
以前、とある大学院でやっていた1年ぐらいのプログラムに関わったときに、印象に残ることがあったんです。(そのプログラムは)学生がグループでプロジェクトを進めるかたちで、社会人と新卒の人が交じっていました。
最後の打ち上げの時に、「1年間を振り返って一番難しかったことは何ですか?」って聞いたら、特に社会人側の人が、「会社だと上下関係がはっきりしているので、『これやっておいて』と言えば済んだけど、フラットな関係だと、どうやって仕事を進めていいかわからなかったのが一番難しかったです」と言っていました。メインテーマのデザイン思考とかシステム思考の手前の、チームビルディングの問題で困っていたんです。
だから、最初にこの「n対n」の話しやすい関係性を作れるかどうかで、1年間の取れ高がだいぶ変わってくるということをそこで痛感したりとかもしているので、25分かけましたという話です。
「教え過ぎ問題」から「教えなさ過ぎ問題」にぶち当たり、そして放置へ
ここから「お題設計アプローチ」の話に進んでいきます。本の「はじめに」に書いてある話なんですけど、例えば部活に後輩が入ってきたとか、マネージャーになってメンバーを見ることになったとか、人が教える側に回った時に、教え方を習って準備万端で臨める人って、ほぼいない気がします。

ということで、みんな教える側に回った時には、だいたい今まで自分が受けてきた教わり方、教え方でやり始めることになります。ほとんどの人は、長く教わってきた経験があるのが学校教育です。学校教育を受ける側だった時は「ずっと話を聴いているのは辛いな」「型にはめられるのは嫌だな」って思いながら受けていたはずなのに、なぜか教える側になるとあれをやってしまいがちになります。
熱心に教えれば教えるほど相手がだんだんしんどそうになってきて。「なんでできないの!?」などと言っているうちに、相手のやる気がなくなってしまうわけです。
または、1個教えてできるようになったと思ったら、「次はどうしたらいいですか?」って延々と答えを聞きに来る人になるだけ、要は依存されているかたちになってしまうとか。
こうして「教え過ぎ問題」という壁にぶち当たって、「他のやり方はないのかな」と探した時に、コーチングやファシリテーションみたいな本に行き着きます。それを見ると「答えを教えてはいけません。問うのです」「答えは相手の中にあるのです」とか書いてあって、「そうだったのか。(答えを教えてはいけないってことを)早く教えといてくれよ」と思ったりする。
(会場笑)
次の日から実践するわけですけど、昨日までは「こうしろ」って言っていた人から、急に「君はどう思う? 答えは君の中にあるんだよ」と言われても、相手はどうしていいかわからないのでポカンとしちゃう。
相手から、「こうですかね?」って返事がきたとしても、(自分の中には答えがあるので)「違う、そうじゃない」と言ってしまって。いつの間にか教える側が持っている正解探しをさせられるゲームが始まって、相手のやる気がなくなっていく。これが「教えなさ過ぎ問題」です。
または、「コーチングでは、こちらからは何も口を出してはいけない」と思い込み、相手がやっているのを見て、「あぁ、そうじゃないのに。でも口を出してはいけない」とどんどんモヤモヤが溜まっていき、それが爆発して、変な感じでキレてしまうみたいな。
こうして「教え過ぎ問題」からその対極の「教えなさ過ぎ問題」にぶち当たり、もうどうしていいかわからないからと、結局教え過ぎに戻ったり、放置になるみたいな。そこで、「その中間として、いいお題を作って渡すことができるようになると良いのでは?」という話になります。
「伝統的アプローチ」と「お題設計アプローチ」の違い
「答えを教える教え方」と「答えを教えない教え方」があるとして、答えを教えることを「伝統的アプローチ」とここでは呼んでいこうと思います。サッカーでキックを教える場合で考えると、伝統的アプローチはこんな感じです。
具体的なマニュアルっぽく教えて、指導する側が「そこはこうじゃなくて、もっとこう」と矯正をかけるわけです。
(一方で)お題を渡す側のアプローチとしてはこんな感じですね。例えば「カーブを蹴れるようになってもらうお題」ということで、「ボールとゴールの間に旗が立っているから、ここからボールが旗の右側を通る軌道でゴールを決めてください」みたいなお題を出します。

サッカーの例だとよくわからない方もいらっしゃると思うので、商品知識を教える場合で考えてみましょう。伝統的アプローチは「講義をしてテストをする」という、従来の学校の教え方っぽいやつ。
お題設計アプローチでは、実際に商品を使ってみたり、使ってくれているお客さんと話ができる機会をセッティングしたりして、「こういうポイントを押さえたかたちでインタビューしてきてください」というお題を出す感じですね。

この2つのアプローチを比較をしてみると、伝統的アプローチの場合は、言われたとおりに蹴れるようになったとしても、人によって体格、骨格、脚の長さ、関節の柔らかさ、足の甲の高さとかでいろいろ違うので、最適解は人それぞれにちょっとずつ全部違っているはず。なので、教わった蹴り方が自分にとっての最適解ではない。
そうすると、意識している時はできるけど、意識しなくなるとすぐ元の癖に戻っちゃうとか、忘れちゃうみたいなことが起こりやすい。
それに対してお題設計アプローチは、成功確率が高いやり方を試行錯誤しながら見つけていって、「おっ、この感じだとうまくいく確率が高いんだな」とつかめたときには、その人の最適解に近づいていることになります。
「自分でつかんだ答えは一生忘れない」という福田(達也)監督の名台詞があるんですけど、1回自転車に乗れるように試行錯誤をした人は、ずっと乗れる。急に乗れなくなるみたいなことは起こらない、あの感じに似た状態になります。
「愚者風(リーダーシップ)」とは何か
(スライドを示して)あともう1個、先ほど出てきた「愚者風(リーダーシップ)」とは何か、です。伝統的アプローチでは、教える側が何でも詳しくて、答えも知っている賢者風のほうがうまく進みやすくなります。賢者風ティーチャーです。
お題設計アプローチでは、「答えを教えてください」と言われても、「あなたの最適解は私にはわかりません」みたいになるので、愚者っぽい感じになります。
この最適解というのは、「カーブを蹴れるようになった時に、全員が中村俊輔みたいなフォームになっているわけないだろう」ということですね。中村俊輔が何なのかわからない方にはピンと来ないかもしれないですけど。