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メンバーが育たない本当の理由:これからのリーダー・マネージャーの条件 - 良い策の前に、いま“やめること/始めること”(全4記事)

「メンバーのために」が危険信号になる時 組織モデル論争の前に見直したいリーダーの動機

【3行要約】
・組織モデルは「オーケストラ型」と「ジャズ型」が知られているが、どちらが優れているという単純な話ではなく、目的に応じた使い分けが重要です。
・筒井千晶氏は「ジャズ型が万能」という誤解が広がる中、統制や再現性が必要な場面ではオーケストラ型が有効だと指摘します。
・リーダーは「メンバーのため」と言いながら実は自分の不安からコントロールしていないか、指導と操作の違いを4つの視点から見極めることが大切です。

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組織のあり方の選択肢

筒井千晶氏:じゃあ1つ目の問いです。「あなたの組織で今弊害が生まれているとしたら、それはどんな弊害だと思いますか」。頭の中で何かいろいろ思い浮かんだこととかあると思いますので、「あぁそうか、自分はそんなふうに感じてたんだなぁ」とか、気に留めていただけるといいんじゃないかなぁと思います。



では2つ目のセクションに入っていきます。次は組織のあり方の選択肢というお話です。旧来型の脱却といったテーマで、組織構造の話もよく聞かれるようになったんじゃないかなと。

組織モデルのお話で、オーケストラ型・ジャズ型っていう2つの象徴的なモデル、これもけっこう言われているお話なんじゃないかなと思います。今日参加されている方の中で聞いたことがある方もいるとは思いますが、どういったそれぞれ特性があるのかを比べた表がこちらです。

オーケストラ型とジャズ型の特徴

(スライドを示して)オーケストラ型とジャズ型、音楽のオーケストラとジャズを、そのまま思い浮かべていただければ大丈夫です。象徴する価値としては、オーケストラ型は統制と再現性、ジャズ型は即興と対話という、それぞれの音楽の特徴そのものかなと思います。



これを、組織構造というかたちにすると、オーケストラ型は指揮者がいるので指揮者主導で、楽譜が≒マニュアルだとすると、そのとおりに動くピラミッド型と言われます。ジャズ型は、メンバーが対等でメロディ共有で動くネットワーク型。自由にそれぞれが動いて、でも1つの音楽を奏でている、そんな組織構造です。

求められる行動としては、オーケストラ型は正確な実行と徹底したルール遵守、ジャズ型が自律的な判断と柔軟な問題解決。これらが機能する場面ですが、オーケストラ型は変化が少なく定型化された業務、ジャズ型は変化が激しく予測不能な、試行錯誤が必要な業務です。

最後に、マネージャーの役割としては、オーケストラ型は指示・監督・統制度チェックで、ジャズ型はビジョン共有・支援、と言われています。なので、なんとなく時代の流れとしてもジャズ型のほうが合っているんじゃないか、ふさわしいんじゃないかと言われることが多くはなってはきてはいます。


「ジャズ型が万能」という勘違い

ただ、ありがちな勘違いとして、ジャズ型が万能だと誤解されがちかなという気がしています。自由度の高さばかりが注目されて、統制や再現性が必要な場面、組織・企業においては、そこが見落とされやすいんじゃないかなぁという点。

あと2つ目、統制が必要な場面も絶対あります。品質、安全、コンプライアンスなど。他にもあると思いますが、オーケストラ型が有効な場面も確実に存在はします。でもここの部分がなぜか削ぎ落とされて「やっぱりこれからはジャズ型だよね」と言われているような、そんな印象をとても持っています。

本来は、どちらかが優れているというわけではなくて、今のこの状況においてどの型が目的達成に最も適しているのか。そういう観点で見た時に今はこっちのかたちがいいかな、でもやっぱり今のこのチーム状況だったらこっちを選んだほうがいいかなと、そんなところから発想をしていく必要があるんじゃないかなと非常に感じます。



今回のセクションはちょっと短いですが、ここでまたみなさまに問いを投げさせてください。今のお話を踏まえて、「あなたの組織は目的に向かって奏でていますか」。どちらのかたちであっても、目的に向かっていれば、何か音を奏でているんじゃないかなと思います。



そういうことがされているのか、それとも今音がバラバラになってるなとか、ぜんぜん音楽になってないなぁとか、いろいろ感じることもあると思います。現状をちょっと見つめていただければいいんじゃないかなと思います。

「メンバーのために」の裏側にある本音

次のセクションに移りたいと思います。あなたは何をコントロールしようとしているのかという、ちょっとマネジメントスタイルに踏み込んだお話にはなるかと思います。よく「メンバーのために」というキーワードを使うと思いますし、私も使います。リーダー・マネージャーに求められることの側面として非常に大きいかなと思いますが、それは本当か? というテーマです。

「メンバーのために自分がなんとかしなければいけない」「自分がメンバーを動かさなければいけない。そうすることでメンバーを成長させることができるはずだ。そして、組織にも最善の成果をもたらすことができるはずだ」という言い方ですが……。



実際裏側では「メンバーを思いどおりに行動させよう」とか、「自分の判断こそ正しく、それがメンバーは理解できない。だからそれが最も効果的だ」とか「メンバーは放っておくとサボる、あるいは間違える。だからなんとしてもやらせなければいけない」という、発想になってしまっているところもあるんじゃないかなぁと思います。

なので、自分がメンバーのためにしたんだけど、裏切られるようなことをされると、「優しくしてやったのに」とか「目をかけてやったのに」とか、ちょっとそういう感情が湧き出てしまったりします。私自身もこれには身に覚えがすごくあります。人間なので、感情もいろいろ湧いてくるというところで、過去すごく思い悩んだこともあります。


「正しいリーダーであらねば」という強迫観念

メンバーのためとは言っているけれど、実際は何のためなのかというところをよくよく考えてみると、メンバーの自律的な成長だけではなくて、自分の期待する目先の結果、目先の成果を究極の目的としてないだろうか。自分の精神的な安定のためにコントロールしてないだろうか。結果的にあたかもそれをメンバーの成長のためだと思い込んでしまってはいないだろうかという点です。



もうそう思わないとやってられないぐらいの状態だとは思いますし、私も振り返ると、過去実際そういうふうに思ってしまったこともあるかなとすごく感じます。

ではなぜ思い込んでしまうことが起こってしまうのかというと、「正しいリーダーであらねば」という強迫観念がけっこう強いんじゃないかなと思います。完璧な成果を出さなければという理想像や恐怖にも似た気持ちが行動を歪ませてしまっているんじゃないかと思ったりします。

対話・理解・正解確信が「コントロール」に変わる瞬間

例えばどういうことかというと、一方的な対話です。対話って、本来双方理解し合うための手法ですが、相手を理解するんじゃなくて、自分の意思決定を伝達、実行させるためのものになってしまっていたり。

あとは理解の強要ですね。メンバーのずれを理解不足だと見なして、自分の言っていることを理解させようとする。本当にそれを強要するという感じです。これが1文字違って、許容というかたちであれば、ぜんぜん関係性は変わってくるとは思いますが、そうではなくて、自分の言っていることを押しつけるイメージですね。

あとは、正解への強固な確信ということで、自分の考えが正解だと強く信じて、メンバーの意見やずれを許容しないこと。自分の世界の中にいて、そこの世界の中にメンバーを連れてこようとするような、そんな行動になってしまっているんじゃないかなと思います。


リーダーの不安と「指導」と「操作」の境界線

これらの根源にあるのはリーダーとしての不安なのかなとすごく思います。当然不安はつきものですし、本当に困難な状態だったり、どうにもできないなぁっていった時には、自分を守ろうとしていろんな感情が湧き起こったりするとは思います。

そんな中で指導・指南する、つまりフィードバックするということと、コントロール・操作することの違いが認識できなくなっているんじゃないかと。

(スライドを示して)右側のイラストで、天使と悪魔が喧嘩をしていますが「メンバーのためだ」「いやいや、でも本当は自分の考えが正解だって言ってんじゃないの」みたいな、なんかちょっと喧嘩状態になってしまって、今自分がどういう状態なのかになかなか気づけなくなってしまっていることもあるんじゃないかなと。


「指導」と「コントロール」を区別する4つの視点

なのでぜひ、区別の視点を持っていただけるといいんじゃないかなと思います。指導・フィードバックとコントロール・操作の区別でいくと、まず1つ目の視点としては目的ですね。何かチームメンバーなりに指摘をする時に、なぜ指摘をするのか。指導の場合は、メンバーが今後の判断を改善するために適用する。コントロール・支配下に起きたい場合は、目先の失敗の責任を追及するために行う。こういう区別になります。

2つ目、自律性。指摘の後の行動を誰が決めるのか。指導の場合は、メンバーが自分で次の行動計画を立てることを促すような指摘の仕方をしています。コントロールは、リーダーが次の一手を決定して命令しているというかたちです。

視点3つ目が焦点ということで、指摘の内容は何かです。指導の場合は、行動の事実・結果について語っているのに対して、コントロールの場合は、メンバーの人格や意欲について決めつけてしまっています。

視点4つ目、動機。誰の期待に応えようとしているのか。指導の場合は、組織として、もしくはチームとして今すべきことの実現を求めているのに対して、コントロールは、リーダーが個人的にやってほしいことを求めてしまうと思います。


最も厄介なのは「動機」と「言動」のズレ

指導が良くてコントロールがダメという話ではなくて、どちらの状態にあるのかということをまず区別するっていうことがすごく大事だと思っています。なぜかというと、最も厄介な状態は、潜在的な動機と表面的な言動が異なっている状況だからです。例えば「今日から私が支配します」と言って支配的コントロールを行ったとしたら、当然(メンバーは)嫌だとは思いますが、違和感はないんじゃないかなという気がしています。

でも「メンバーのためだよ」と言いながら、やっていることが支配的な言動だったりすると、完全に裏目に出るんじゃないかなぁと思います。もしかしたらみなさんもこれまで、リーダー、マネージャーさんなど、上の方と接していてそう感じたこともあるんじゃないかなぁと。

「心の中では思っていることが違うのに、自分のためって言っているだけなんじゃないの」みたいに、そういうのってけっこう気づきますよね? 本当に潜在的な動機と表面的な言動が一致しているのか、それとも一致していないのか、接する側が感じ取ってしまうんじゃないかなと思います。

当然その状態でコーチングや傾聴や対話など、よく言われているテクニックを駆使しても、機能はしないかなと。

自分に都合のいいように利用できる。ないしは、そう思っているという動機を覆い隠せない、そんなふうになっちゃうんじゃないかなと思っています。(スライドに)赤字で書いてありますが、人は本質を見抜くので小手先のものでは動かない。本当にそのとおりかなぁという気がしています。

なので、まず、自分は今指導をするつもりなのか、それともコントロールしようとしているのかを意識をしてご自身で気づくことが何よりも大切かなと思います。



またみなさまに問いを投げさせてください。「あなたは何をコントロールしようとしていますか」。このあたり、いろいろなことに追われていたり、やらなければいけないこともあったりすると見失いがちだと思いますので、どこかで思いをはせていただけるといいんじゃないかなと思います。

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