ピーク・エンドの法則には適用の限界がある
ここまでピーク・エンドの法則についていろいろな角度から紹介させていただいたんですが、ピーク・エンドの法則というのは従業員の経験、まさにEXですよね。そういうものを考えていく上で、非常に重要な切り口を提供してくれています。
ただし、これは万能なツールというわけではないんですね。ピーク・エンドの法則にはやはり適用の限界があります。どういう限界があるかというと、長期的で複雑な経験になってくると、ピーク・エンドの法則が必ずしも当てはまるわけではないということが、今までの研究の中で明らかになっています。

例えば長期休暇を調査した研究があるんですが、長期休暇中に毎日「今日の幸福度はどうですか?」といったことを毎日調査していくんですね。そして、休暇後に全体の評価を尋ねる。「今回の休暇はどうでしたか?」と尋ねていくわけです。
この長きにわたる休暇について、いろいろなことがあるわけですね。その休暇中、いろいろな経験をするわけです。その長い休暇の中でピーク・エンドの法則が仮に成り立つとすれば、一番幸福だった経験、つまりポジティブなピークと、ネガティブなピークもそうかもしれないんですが……。あと最終日というエンド。このピークとエンドが最後の全体的な評価を決めることになるはずですよね。

ただ、実際にこの研究を行ったところ、少し違う結果が出てきたんです。ピークとエンドの幸福度が、全体の評価とはそんなに強い関係が示されなかったというのが、この研究の中でわかったことです。
むしろ印象に残る1日や、あるいはふだんとはちょっと違うような1日の幸福度みたいなものが、全体の評価とよく関連しているということが明らかになりました。長い経験になってくると、記憶に残った象徴的な瞬間、印象や、非日常、予想外の出来事の評価が、実は影響を及ぼしてくる可能性があるということです。
短くて、ある程度区切りのある経験に適用される
そのように考えてくると、ピーク・エンドの法則が適用されるのは、短くてある程度明確な区切りのある経験であると考えることができるわけで、そういうふうな経験においてはピーク・エンドの法則が成立しやすいわけです。

例えば会議において、あるいは個人面談において、(その時間が)有意義だったと後から思い出せるかどうかは、例えば最も議論が深まった瞬間とか、あるいは会議の最後の締めくくり方みたいなところで決まってくる可能性があるわけです。
半日や1日の研修を行う時にも、この研修の全体の満足度みたいなものに対して、例えば最も役に立つと思ったワークの経験、いわゆるピークですよね。
もう1つが、最後の質疑応答であまり良くない雰囲気になるケースもありますよね。それだと駄目なんですよね。質疑応答やまとめで良い雰囲気になると、研修全体の満足度が高まる可能性があるわけです。
あるいは、みなさん仕事のさまざまなところでプレゼンテーションをする機会があると思うんですが、単発のプレゼンテーションも短期的な経験なわけです。その場合、最も印象に残るようなインパクトのあるスライドや、それから締めの一言みたいな部分で、そのプレゼンテーションの評価が左右される可能性があると言えます。
そして退職の手続きも、(かかる時間としては)そんなに長くないわけですね。ここもけっこう印象を形成するわけです。手続きの中で例えば感謝を伝えられたかどうか、温かく送り出してもらえたかどうかといった、エンドの設計が求められるのかなというところです。
中長期的で複雑な経験には非日常的な出来事が重要
つまり、このピーク・エンドの法則というのは、短くて、ある程度区切りのある経験に対しては当てはまってくるんですが、長期的で複雑な経験については、ピークとエンドだけを意識していてもなかなか難しいということが言えます。

つまり別のアプローチが求められてくるということなんですが、例えばある会社で15年間の経験をしました。その15年間の中で、いろいろな経験をしているわけです。そういった長期的なキャリア経験みたいなものって、ほんの一瞬の特定のピークだけでは、やはり決まらないわけですね。
その中では、まさに非日常的な出来事というのがむしろ重要になってくるということが言えます。

中長期的な関係性・中長期的な経験で、後から振り返った時にそれを「良い経験だった」というふうに評価してもらうためには、象徴的な瞬間というのを作れるかどうかが重要になってくるわけですね。
ピークやエンドだけではなくて、それに対して少しインパクトを及ぼすような、あるいは少し非日常的な経験みたいなものを織り交ぜていくことができるかどうか。

もっと言い方を変えると、何か記憶に残るような物語を作れるかどうかが重要になってくるということですね。
「あの時大変だったけど、みんなで乗り越えたよね」といった経験や、あるいは「プロジェクト成功後の打ち上げの時、おもしろかったよね」といった経験が長いプロジェクトなどになってくると、むしろ全体に対して(良い)評価を決定づけていくことにつながっていくということです。
従業員体験を考える時には記憶のデザインも必要
本日はピーク・エンドの法則というものを取り上げさせていただいたんですが、このピーク・エンドの法則というのはなかなか力強い効果を持っている法則ではあります。
従業員体験を考える時は、だいたい経験をいかにデザインするかっていうことを考えるわけなんですが、実はその経験のデザイン、体験の質だけではなくて、体験に関する記憶のデザインもやっていく必要があるわけですね。
体験自体が楽しかったとしても、記憶があまり良くないと、結局記憶のほうが影響しますよというお話を途中でさせていただいたかと思うんですが、むしろどういうふうに記憶してもらうのかという記憶のデザインをきちんとやっていくのが、従業員体験の質、つまりEXを実現していく時には重要になってくるわけです。
ピーク・エンドの法則は記憶のマネジメントのヒントになる
少し振り返らせていただくと、私たち人間の記憶というのは、経験が持っている、例えばネガティブな時間の長さやポジティブな時間の長さ、あるいは平均的なポジティブな感情などではなくて、最も感情が動いた瞬間、つまりピークですよね。もう1つが、最後の瞬間というエンドに、記憶の評価が影響されやすいということがわかりました。
これがピーク・エンドの法則なんですが、特にポジティブな記憶というのはエンド、つまりポジティブ・エンドが大事ですというお話と、それからネガティブな記憶・感情というのは、ネガティブなピークが影響を及ぼすというお話をさせていただきました。ポジティブ・エンド、ネガティブ・ピークが要注意ということですね。
ポジティブ・エンドは作り出していきたいものです。そしてネガティブ・ピークはできるだけ大きくさせたくないものになってきます。これを押さえるだけでも、さまざまな経験のマネジメント、記憶のマネジメントのヒントになるかなと思います。

こうしたメカニズム、ピーク・エンドの法則がわかってくると、人事、それから職場マネジメントに関するさまざまな施策とか取り組みに対して含意があるんですよね。
例えば、日々の会議をどういうふうに締めくくっていくのか。もしかしたらみなさん、今日この後に打ち合わせを行うかもしれません。その時にどういうふうに締めるのか、あるいは部下に対してフィードバックを行う時の方法についても含意があると思います。それから、退職手続きについても含意があると思います。
いろいろな場面でピーク・エンドの法則というのは機能しているので、それに先立って意識して記憶をうまくマネジメントしていくような働きかけができないと、せっかくいい体験を提供したとしても、記憶はそうではないということになってしまいます。そうなってしまうと残念ですので、きちんと意識していく必要があるかなと思います。
従業員のエンゲージメントを高め、より良い組織づくりを
私がお話しさせていただいたピーク・エンドの法則、適用の限界はあるにはあるんですが、活用できる場面は日常にさまざまあるはずですので、できればポジティブな記憶、つまり良い従業員体験の記憶が意図的にちりばめられた職業生活になるように、環境をうまくデザインしていく必要があるのかなと。
そうすることによって、従業員のエンゲージメントを高めて、より良い組織づくりをやっていけるのではないかなと思います。

というところで、私からの講演は以上で終了とさせていただきます。