【3行要約】
・ドラッカーは「マネジメントの父」として有名ですが、実は人間性と精神性を重視した社会思想家でもありました。
・欧州ドラッカー協会シニアフェローに選出された紺野登氏は、ドラッカーの思想を「過去ではなく未来」の視点で再文脈化する重要性を説きます。
・経営者は経済だけでなく、人間のコミュニティのためにマネジメントを実践すべきだという原点に立ち返る必要があります。
欧州ピーター・ドラッカー協会の「シニアフェロー」紺野登氏が登壇
司会者:本日は多摩大学大学院 名誉教授の紺野登先生の講演にご参加いただき、ありがとうございます。本講演は、紺野先生が欧州ピーター・ドラッカー協会からシニアフェローの称号を授与されたことを記念して行います。シニアフェローは極めて限られた有識者に与えられる名誉ある称号です。
まず、紺野先生のプロフィールを簡単にご紹介します。現在は多摩大学大学院の名誉教授兼特任教授として、知識創造学やイノベーション、シナリオプランニングの講義を担当されています。あわせて一般社団法人Japan Innovation Networkのチェアパーソン理事、エコシスラボ代表なども務め、企業のイノベーション促進を幅広く支援されています。
また、世界的な経営学者である故・野中郁次郎 一橋大学名誉教授の研究パートナーとして、知識創造論に関する共著も多数あります。近年はビジネスエコシステムや、ドラッカーの思想とも関係する知識生態学の研究にも取り組まれています。それでは、紺野先生、よろしくお願いいたします。
紺野登氏(以下、紺野):みなさん、こんばんは。紺野登です。今日は「ドラッカー思想の未来」という重たいテーマをいただきましたが、肩の力を抜いてお聞きください。今ご覧いただいている写真は、ウィーン郊外にあるドラッカーの生家です。

ドラッカーはアメリカで活躍した印象からアメリカ人と思われることがありますが、実はウィーン生まれのオーストリア人です。
今日はそのドラッカーについてお話しします。
「経営の神さま」「マネジメントを生み出した父」と呼ばれたドラッカー
紺野:言うまでもなく、ピーター・ドラッカーといえば「経営の神さま」「マネジメントを生み出した父」と呼ばれ、まさに伝説的な存在です。『もしドラ』(
『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』)のように、一般の方々にも広く知られるようになりました。まさに経営グル(指導者)の先駆けと言えるでしょう。
ただし、今日はそうした話ではありません。過去のドラッカーの著作や、彼のマネジメント論を振り返るという内容ではなく、別の角度からお話ししたいと思います。
というのも、ドラッカーは自分自身のことを「ソーシャル・エコロジスト(社会生態学者)」と呼んでいました。社会全体を生きたシステムとして捉えようとする姿勢があったのです。経営やマネジメントも、その中の一部として位置づけていました。
そのため、晩年にはNPOの経営や社会のあり方そのものへと関心を広げていきました。多くの著作は「マネジメント」として知られていますが、1970年代の日本の経営哲学とドラッカーの思想が強く共鳴したこともあり、日本でも非常に広く読まれるようになったのです。
過去ではなく「未来のドラッカー」という視点
紺野:しかし今日は、過去ではなく「未来のドラッカー」という視点で考えたいと思います。そのために、まずは彼の原点に立ち返ることから始めたい。つまり、この生家を訪れるように、ドラッカーの本質にもう一度立ち戻り、そこから未来を考える試みをしてみたいと思います。
そもそも、なぜ私がドラッカーの話をしてよいのかと思われるかもしれません。経営学の父ともいわれる偉人について語る立場にあるのか、ということですね。少しご紹介にもありましたが、私がこうしてお話ししているのは、欧州ピーター・ドラッカー協会(The Peter Drucker Society Europe)から「シニアフェロー」という称号を授与されたことが背景にあります。

このドラッカー協会とは以前からご縁がありまして、さまざまなかたちで関わってきました。数年前には、右上の写真にもありますが、今年(2025年)に亡くなられた一橋大学の野中郁次郎先生が「Honorary Fellow(名誉フェロー)」として選ばれています。私は「シニアフェロー」として同じ枠組みに加わるかたちになります。ほかにもこれまで何人かがフェローとして登録されており、今年は私が新たに加わったということになります。
ウィーン発「ドラッカー・フォーラム」が目指すのは“マネジメントのその先”
紺野:この欧州ドラッカー協会を率いているのが、中央の写真にあるリチャード・ストラウブ氏です。彼は元・欧州IBMの役員で、引退後にこうした活動を始められた方です。どんな活動をしているかというと、主に年に1回「Global Peter Drucker Forum」という大きなイベントをウィーンで開催しています。
会場はウィーン中心部のホーフブルク宮殿です。歴史的な建物を舞台に、世界中から経営学者や実務家が集まり、議論を交わします。スライドの1枚1枚を細かくご説明はしませんが、毎年そうそうたる登壇者が集まる国際的なフォーラムです。

私自身も何度か参加しましたが、非常に多様でおもしろい人たちが集う場です。

参加者が議論を交わし、まさに知の交流が生まれる瞬間を感じます。今年も11月6日と7日にウィーンで開催予定です。もし関心があれば、みなさんもぜひ参加してみてください。
この欧州ドラッカー協会とは何かというと、ピーター・ドラッカーはアメリカ人ではなくオーストリア人でしたが、その思想には「マネジメント」を超える広がりがありました。

そこでマネジメントの進歩と次の展開を考えるために、数年前に亡くなったドラッカーの未亡人であるドリス・ドラッカーさんの支援を受けて、リチャード・ストラウブ氏が設立したのがこの協会です。
「米国のビジネススクールではドラッカーは読まれていない」は誤解
紺野:「グローバル・ピーター・ドラッカー・フォーラム」は、ドラッカー生誕の地ウィーンで毎年開催されています。この協会の特徴は、過去の著作をただ振り返るのではなく、その精神を受け継いで現代経営思想を再文脈化(Recontextualisation)する点にあります。つまり、著作を重視しつつも、さらにその思想を今の時代に展開していくことを目指しているのです。
一部では「アメリカのビジネススクールではドラッカーは読まれていない」と言われることがありますが、それは誤解です。ドラッカーは経営学・マネジメントの父としてアメリカでも高く尊敬されています。ただし、彼の思想は論理やデータ分析ではなく、人間的で実践的な教えを重視しており、分析中心になりすぎた最近のアメリカのビジネススクールの教育とは少し方向が異なっているのです。
いずれにしても、ドラッカーの業績と今後の可能性は、世界中で今なお注目されています。先週も東京でオーストリア大使館主催の「オーストリア戦略ビジネスサミット(Austrian Strategic Business Summit)」が開かれ、その一部として「ドラッカー・フォーラム」の特別セッションが行われ、私も登壇しました。

こうした活動を通して、ドラッカー・フォーラムは世界各地で思想の発展と交流を続けています。
ドラッカーが示した「経済だけでは社会は良くならない」という批判
紺野:今のは前置きになりますが、今日はそういう意味で、ドラッカーの過去ではなく未来を考えていきます。ただし未来を考えるには背景が必要です。いったん過去に戻り、ドラッカーがどのように生まれてきたのかに最初に触れたいと思います。
私は1990年代にドラッカーに直接お会いしました。イベントで来日された時で、たしか1994年だったと思います。メディアには「ドラッカー最後の来日」と書かれていましたが、その数年後にもまた来日されるほど、お元気な方でした。
彼は自分をソーシャル・エコロジスト、つまり社会生態学者と呼んでいました。経営も社会という大きな生態系の一部として捉える。そこで主語になるのは人間ですが、人間のエゴではなく、人間性(ヒューマニティ)や精神性(スピリチュアリティ)を重視します。
倫理と結びついた人間が経済や経営を動かすという立場で、アウトプットとしては経営学を提示しつつも、出発点は社会生態学にあります。
もう1つ、人間性・精神性の重視という点について。例えば当時のケインズ経済学が物や資源を基盤にしたのに対して、ドラッカーは人間の行動を必ず起点に置きます。
1939年、ナチス・ドイツが台頭していた時代に処女作
『The End of Economic Man(「経済人」の終わり)』を著し、ウィンストン・チャーチルが絶賛したことで知られます。そこで彼が述べたのは、経済合理性だけでは人間社会は機能しないということでした。
ナチス・ドイツは政府と経済界の連動が非常にうまくいっていた。経済が政治に飲み込まれていったがゆえに、経済だけでは社会は良くならないという批判を提示したのです。したがって、マネジメントは常に人間のコミュニティのために存在し、実践されるべきだと強調していました。
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