【3行要約】・組織づくりでは優秀な人材採用が注目されていますが、「優秀だが価値観が合わない人」が最も危険という落とし穴があります。
・木下勝寿氏は実体験を通じて、価値観の不一致は個人の問題だけでなく、組織全体のパフォーマンス低下につながると警告しています。
・リーダーは採用時に能力だけでなく価値観の適合性を重視し、組織の理念を明確に示すことが重要だと説いています。
前回の記事はこちら 組織を破壊する「採用してはいけない人」
木下勝寿氏:「組織の仲間に入れてはいけない人」を紹介したいと思います。まず、そういう人が入ると、戦力にならないだけだったらぜんぜんいいんですよ。既存の組織を壊してしまう人がいるので、これは絶対に避ける必要があるんですよね。組織をつくったことがある人は、みなさんけっこう経験していると思うので、ご紹介したいと思います。
絶対に入れてはいけない人というのが、「優秀で価値観が合わない人」。表の横軸が「価値観が合う」「価値観が合わない」、縦軸が「優秀」「優秀ではない」というのがあるんですけども、ここに◎、○、×、△と付けています。

組織をつくった経験がない人が、たぶん一番入れてはいけないと思うのは、優秀ではなくて価値観が合わない人。これが一番ダメだと思うと思うんですね。でも、実はそうじゃないんですよ。優秀だけど価値観が合わない人。これが一番ダメなんですよね。
優秀で価値観が合う人が一番ベストですし、価値観が合うけども優秀ではない人が2番目なんですけども。「優秀で価値観が合わない人」が、「優秀ではなくて価値観が合わない人」よりも悪い理由は何かというと、影響力があるということなんですね。
優秀ではなくて価値観が合わない人というのは、戦力にはなっていない状態です。影響もないので限定的なんですね。ところが優秀で価値観が合わない人というのは、影響力があるということなんですよ。この人は優秀で成果を出したりするんですけども、他の人たちが成果を出せなくなったりすることがあるんですね。
「優秀で価値観が合わない人」が最も危険な理由
例えば「努力しない」「ネガティブなことを言う」「協調性がない」とか、優秀で価値観が合わない人。こういう人はいくら優秀でも、まず個人商店みたいな感じなので、組織としてのシナジーがぜんぜん生まれないんですよ。
この人自身は、自分で最低限1人分の成果は出せます。ところが、この人に影響を受けた、他のそこまで優秀じゃない人というのは、ただ単に努力しない人、ネガティブな人、協調性がない人になって非戦力化していくんですね。これがどんどん広がっていくと、成果が出ない組織になっていきます。
よくあるのが、ベンチャー企業とかは少人数で全部やるから忙しい。忙しいので、自分で考えて自分でやってくれる、自走してくれる人が欲しいんですね。いちいちこっちが指示をして、あなたはこれをやって、あなたはこれをやって、ちゃんとできているかどうかとチェックして、とやるんじゃなくて、自分で考えてやってほしい。なので多少価値観が合わなくても優秀で自分でやってくれる人を採用しがちなんですよ。
ところが、この人が入っちゃうと、逆に組織がまったく成長しなくなるんですね。こういう人は、どれだけ忙しくても、どれだけ手が足りなかったとしても絶対入れてはいけないというのは、ある程度組織をつくった人は、みんなたぶん経験していると思います。
「価値観が合わない人」は2種類に分かれる
一方で、価値観が合わない人は実は、本当に合わない人と、合わせる能力がない人の2種類に分かれます。本当に価値観が合わない人というのは、そこまで(問題は)起きにくいんですよ。なぜかというと、影響力は多少あるとは思うんですけども、周りから見ると単に「ちょっと変わり者だね」という感じで終わる場合もあります。

ところが、合わせる能力がない人というのは、自分の価値観が絶対正しいと思っちゃっていることが多いんですね。自分と周りの価値観が違う時に、「なぜみんなはそのような価値観なんだろう?」と考えを巡らすことができなくて、「自分が絶対正しくて、周りが間違っている」と思っちゃいます。
こういうのを周りに働きかけていっちゃうと、組織がめちゃくちゃになっていく。個人プレイはできても、チームプレイはぜんぜんできない。なので5~6人のチームの時に、この人が1人で活躍している時はいいんですけども、50人、100人になっていっても、この人はたぶん(成果を)1人分しか出せないんですよ。ぜんぜん優秀な人じゃなくなってくるんですね。
(組織が)大きくなってくると、チームプレイができる人しか成果は出せなくなってきますので。個人のフリーランスでやっている人が組織に入って活躍できなかったとかもあります。そういう人は価値観を周りに合わせることができない場合が多いんですね。組織でやっていく際には、こういう価値観が合わない人、もしくは合わせられない人は、どれだけ優秀だったとしても絶対入れないほうがいいと思います。
「多様性」のある小さな組織は、ただのバラバラ集団
一方で、現代は「多様性」と言われるんですけども、多様性というのは一体感があった上で、多少の多様性ということなんですね。多様性、多様性とけっこう言っていますけども、大きな会社が多様性と言うのはぜんぜんいいと思うんですよ。組織としての一体感があった中で、ちょっと自由度があるのはいいんだと思うんですけども。
小さな組織で多様性と言ったら、ただのバラバラ集団です。個人が組織になっていくことを根本的に理解するのに一番わかりやすいのが、人類が国家をどういうふうにつくってきたか。ここを理解すると、個の人間が組織になっていく中で、どういうことが必要かがわかってきます。
人類はバラバラの原始人でした。特にルールもなく、食べ物を奪い合ったりしていました。ある時、王政というものができました。王様が現れて武力で支配していくことで、王政国家ができました。
個人の自由を廃して、法治国家ではなくなり、王様自体がルールです。この1つのルールに強制的な権力で従わせることで、組織統制をつくっていきました。これによって、自由度はないんですけども、1人ではできないようなことをやる。「稲作をやりましょう」とか、「狩りをやっていきましょう」みたいな感じのものを王様がつくっていく。
これを統制しているのは、全部ある意味暴力だったり、武力だったりします。最初に原始人を統治するには、「ルールをつくってやっていこうぜ」では無理だったんですよ。無理やりやっていく必要がありました。人類というのはこうやって王政国家をつくってきました。
そこから、いろんな国の歴史がありますけども、社会主義国家ができました。「組織統制下の中で全員が平等に働いて、最低限働いていきましょう。平等に富を得ましょう」みたいなものが、共産主義というかたちになってきた。

王政国家を経て、「みんなで組織でルールに基づいてやると、ある程度個人でやっているより大きなものができるよね」とわかった状態だから、共産主義ができてきたんですね。これをわからない状態で突然やっても、「嫌だ」という話なんですよね。社会主義という構造で、全員が同じルールで、全員が同じように働き、同じ成果を得るとなってきました。
ここで、最低限の国民のリテラシーができてきました。そこから民主主義もしくは自由主義というものができたんですね。最低限のリテラシーが整った上で、自由競争が行われました。これによって、さらに発展していくみたいな感じですね。
小さな会社は社長がルールを決めるべき
社会主義・共産主義の場合、「全員ががんばっても一緒」「サボっても一緒」というところでいくと、みんな最低限は働くんだけども、最低限しか働かなかった。ところが自由主義になったことによって、「俺はもっとがんばるぞ」とか、「僕はがんばらない」ということで、競争が出てきて伸びてきた。こういうふうに発展しています。
「多様性」といわれるものはどこでできるべきか? 民主主義・自由主義になってからなんですね。小さな組織というのは、まだ王政でやらないといけない場合もあるんですね。社長1人とアルバイトばっかりの時は、「ここでみんなで話し合ってやりましょう」と言っても、ぐちゃぐちゃになります。だから、社長が全部ルールを決めてやらなければいけない場合があります。
社会主義的にも、「ルールに基づいてやっていきましょう」とやっていって、ルールを守れるような人たちがそろった段階で、多様性を取り入れていくということですね。最低限のリテラシーがない中でいきなり自由主義になると、単なる原始人の世界に戻ります。
例えばアメリカという国は単独でできたのではなくて、世界の中でアメリカというのがつくられてきたものなんですけども。アメリカというのは、いきなり自由でやっていました。イギリスだったりいろんな国からやって来た人たちが、最低限のルールを持った上では来ているんですけども。
一部それが行き届いていないところで、アメリカではドラッグ漬けのエリアとか、貧困エリアみたいなものがありますよね。日本ではあり得ないような世界がある。ちゃんとしたリテラシーがないところで自由主義がはびこると、こういうことになってきます。