【3行要約】・「諦め」が蔓延する職場では、同質性への執着や変化への恐れから 閉じた生き方を選ぶ人が増え、組織の活力が失われています。
・高橋氏と山中氏は「対話のスタンス」が共有されていない現状を指摘し、 違いを楽しむ姿勢や互いに変わり合う覚悟の重要性を強調しています。
・これからの組織には「コミュニティシップ」という場への愛着を土台に 自然と生まれるリーダーシップを育む環境づくりが求められています。
前回の記事はこちら 前提の違いから始める対話
高橋克徳氏(以下、高橋):諦めって言葉なんだけど、やはり自分自身を諦めちゃっていないかなって一番気になるんですよ。「こういうやり方のほうがいいし、楽だし、安心できるし、これが続けばいい」とどこかで思っているんだけど、これからの未来を考えた時にそれが続く保証って誰もしてくれないんですよね。
人口減少もそうだし、いろいろ環境がどんどん変わっていって、仕事のやり方だけじゃなくて生き方も含めてどんどん新しいことを考えなきゃいけない時代に入ってきているのに、目の前の今のやり方をしっかりやっていくことが自分が守ってくれるとか、自分の居場所をしっかり維持することだと思ってしまうと、ある時急に自分のやる仕事が変わってしまったり居場所をなくしていくというね。
だから、僕は、つながって開いている生き方と閉じていく生き方で、やはりリスク管理という意味でも大きな違いが出てくるんじゃないかなという感じがします。その上で、結局何を僕らは今考えなきゃいけないか問われているんでしょうかね。
人、企業、社会といろいろな立場から考えられると思うんだけど。なんでしょうね。
山中健司氏(以下、山中):やっぱりこれからのつながり方みたいなものを問い直さなきゃいけないのかなと思っています。
私もアサヒビールという会社にいて、なかなか最初は厳しい環境で育ってきた人間なので、やはりそういうふうにメンバーに関わってしまう部分もどっかであります。ただやはりそういう昔の関わり方は、今やってもたぶん合わないとは思います。
どうしても日本人って、同質性を求める文化がすごくあるなと思っていて「自分はこうだから、あなたもこうだよね」みたいな関わり方でいくとたぶん合わないのかなと(思います)。
これだけいろいろな価値観があって、多様化していく中でのつながり方をアップデートをしていくことが、経営者にも、マネージャーにも、メンバーにも問われている気がしています。
高橋:もうちょっと詳しく言うと、どういうことですか?
山中:昨今いろいろな企業とご一緒させていただくと、経営者の方は対話が大事だとけっこう言うんですけれども、そもそも対話って何? みたいなところの問い直しがすごく大事だと思っています。
対話とは、自分が持っている意見とその前提と相手が持っている意見とその前提に違いがあるのは当然なんだというスタンスに立つということですよね。お互いの前提を出し合いながら重ね合いをして、新たな道を見つけていくのが対話だと思います。
対話をしようとする時に、今一番大事だなと思うのは対話のスタンスです。先週、平田オリザさんという劇作家の『対話のレッスン 日本人のためのコミュニケーション術』という本を読んだ時に「そうだな」と思ったことがあります。
対話というのは、お互いに出し合いながらもお互いが変わりあうという姿勢のもとにやっていかなきゃいけないよという。
じゃあその変わりあうという姿勢で本当に対話が今企業の中でできているのかというと、どうしても自分の前提で、相手を見ちゃうところがあるので、なかなかそこは難しいかもなと(思います)。そういう対話の姿勢を変えたつながり方みたいなものかなって今、考えながらしゃべりました。
自分なりの“楽しさ”を見つける
高橋:うん。青木さんは?
青木美帆氏(以下、青木):そうですね、「問われていることはなんだと思いますか」と聞かれて、すごくなんか難しいなぁと思ってしまったんですけど。個人的には、やはり楽しむことがすごく重要なんじゃないかなと思っています。
「みなさん、仕事楽しいですか」と聞いてみたいです。じゃあ楽しくってどうしたらいいんだろうみたいなところになってくると思うんですけど、楽しむためには「自分なり」を見つけられるかどうかがポイントになってくるかなと思うんですよね。
先ほどもちらっとお伝えしたんですけど、私が新卒で入った会社は週5で飲み会があったり。あとは「みんなでこうしましょう」という研修があったり、みんなで一緒にぎゅってやることがけっこうありました。それはそれで辛かったという記憶はあるんですね。
そして、コロナで人との距離ができました。リモートでずっとやっていると孤独だなぁとなったり、本当に困った時に「あ、ちょっとどうしよう」みたいになったり。「隣にいたら聞けるのに」みたいな困りごとがちょっとあったり。
自分がどれくらいの距離感でコミュニケーションを取れると安心したまま楽しんで仕事ができるのかとか人間関係を作れるのかというのを、常に自分の中でトライアンドエラーしながら見つけていく。それが見つかっていけばいくほど、目の前の仕事がちょっと楽しめたり、安心感がちょっと高まったりしてどんどんいい循環が回ってくるのかなぁとは思います。
みなさん今諦めモードがあったり、「仕事はもういいんだ」とシャットアウトしてしまっているところもあるかもしれませんが、いったんちょっと楽しもうという意識が持てるか持てないかというのはすごく大きな違いになるのかなと思います。
山中:すごく大事な感じはするんですけど、それ1人で見つかるのか……。
高橋:「楽しもうよ」って言っても難しい。
青木:そうですよね。周りに巻き込まれていろいろ感じながら「ちょっとここは違う」とか「ここはこうだった」みたいなのを見つけていく部分もあるだろうし、自分の感覚をきちんと自分で拾っていって自分なりを見つけていくのも大事だと思います。やはり人と関わることを諦めないことと、自分に集中する時間を持つのは大事になってくるのかなとは思います。1人じゃ難しいですよね。
高橋:難しい。いろいろなテーマが今ネガティブになりがちだと思うんですよね。さっきの「生産性上げろ~!」とかね。逆に言うと、人口減少社会の中なのに、「売上どんどん成長だ~!」と言われるわけですよね。
でも、それをネガティブに捉えたら、たぶん本当にネガティブな気持ちとネガティブな意見しか出てこない。それをポジティブに変えていこう。売上とか利益って言っているけど、どういう人たちが幸せになるのかということを考えたり。置き換えながら対話をしていくのも、すごく大事な気がするし。
“スタンスの共有”が対話の前提になる
高橋:山中さんがさっき対話のスタンスと言ったけれど、結局今必要なことって、お互いが不満を言いつつ何かを解決していこうということよりも、違っているものを持ち寄っていろいろな発見があって、それが楽しいなと思える、違い自体が楽しくなるような対話。それがスタンスだと思うんですけど。そのスタンスが共有されていないから、いくら対話しようと言っても、うまくいかないよね。
山中:今、めっちゃ難しいんですよ。
青木:(笑)。
高橋:難しい。
山中:今、少年野球のコーチと保護者会の会長をやっているんですけど、お父さんとかが、それぞれ前提が違う中で好き勝手言うからね。もうめちゃ大変……ごめんなさい、愚痴になっちゃった。
高橋:わかる、わかる(笑)。
山中:スタンスがお互い揃っていないと、あれって本当に難しいなって思っています。
青木:難しい。
高橋:そう。だから、それぞれがそれぞれの立場で、よかれと思って言ってくれているわけだから。だからそれは尊重したいよね。
山中:確かに。
高橋:「そうだよね、そうだよね」って。背景も知りたい。じゃあ、みんなが共有したいものってなんだろうね。例えば、お父さん、お母さんと、監督、子どもたちの中でみんなが一番共有したいことってなんだろうねと言ったら、なんなの。
山中:子どもの成長が、目的として大事だと思うんです。やり方はそれぞれあるからそこも話さなきゃいけないんだけど、何のためだったっけから落として、重なりを見つけていくことがすごく大事だなと思います。
お題目化するパーパス
山中:企業でも対話の前に自分たちが何のためにやっているのかであったり、自分たちの部署の存在意義みたいな話を意外としていないことが多くて。自分たちはどんな価値を提供していくのかを、部長、課長、メンバーも含めて、重ね合うことが必要なのかなという気もします。
高橋:パーパス経営みたいなところで今もすごく悩んでいる会社があるんだけど。「会社が決めました。みんなに対して、エンゲージメント高く働いてください」と言うけど。
会社のメッセージって、イノベーションとか、ちょっと先を行って未来を切り開く系みたいなメッセージが多いんだよね。でも、現場で営業をしている人たちからすると、ちょっと遠いというか。むしろ自分たちとは乖離しているところを求められる。
高橋:結局、そこでまた対話ができないんですよ。だからなんとなく、お題目になってしまう。これもやはり違う気がする。だからこの職場で一緒に働く仲間として、何を一番大事にしたいんだっけ。何を一番大事なスタンスとして、共有していきたいんだっけと対話することが大切。
それは職場ごとに違うかもしれないけれど、全部集めて1つの絵にしてみたら「みんないいこと言ってるね」っていう。いいことを言っているし、そういうことをきちんとできる会社ってすごくいいじゃんって思えるみたいな。
対話の仕方もマネジメントの仕方もやっぱり相変わらず上からドンなんですよ。仕組みを作ってドーンとか、上から方針を出してドン。
この会社を一緒に作るという発想をみんなに広げていかないといけない。そうしないと、与えられているものが良いか悪いかだけで判断をして心がつながらないなと言って閉じていく人を生み出しちゃうんじゃないかなという気がします。