【3行要約】・知識の共有が業務効率化の鍵とされる一方、縄張り意識や競争心により情報隠蔽が蔓延するという問題があります。
・最新の組織心理学研究により、知識隠蔽は職場内で伝染し、離職意向を高めることが実証されています。
・管理職はメンバーと個別の信頼関係を築き、専門性を尊重する文化をつくることで、政治的な環境でも知識共有を促進できるようになります。
前回の記事はこちら システムやルールだけでは職場での“情報の出し渋り”は減らない
伊達洋駆氏:知識隠蔽に関するここまでの知見を踏まえて、知識が自然に共有される組織をどうつくるかに移ります。企業がまず着手しがちなのは、ナレッジマネジメントシステムの導入です。1990年代ごろにナレッジマネジメントが流行し、高性能かつ高額なシステムを自社開発・導入する動きが広がりました。あるいは、知識共有を促すために詳細なルールを整える方法もあります。
ただ、こうした「ハード」の対策だけでは、従業員の知識隠蔽はあまり減りません。ナレッジマネジメントシステムを導入しても、ルールを明文化しても、それだけでは人は動かないという結果が出ています。
理由は単純で、人間は賢いので抜け道を見つけますし、仕組みを形骸化させる術も心得ているからです。面倒だと感じればやったふりで済ませる、得にならなければ知識を共有しない、といった行動に流れやすいのです。
他方で、何が効くのかという点では、先ほどからの繰り返しになりますが、「文化」が重要だと示されています。とりわけオープンで協力的な文化が根付いている職場では、知識隠蔽が低くなる傾向が確認されています。

逆に、自分の雇用が脅かされる、降格の不安が強いといった経済的不安の高い職場では、身を守るために知識を隠そうとする力学が強まります。すなわち、知識共有を進めるには、共有しても損をしない、心理的安全性の高い文化づくりが要になります。
リーダーが率先して失敗談を語ることも有効ですし、1on1や面談の場で「他者に貢献した」「知識を共有した」行為をきちんと称える、といったきめ細かな対応も効いてきます。こうした積み重ねでオープンな空気を育てることが、結局いちばんの近道なのです。
情報が共有されない職場は離職意向も高まる
ここまでやや抽象度の高い話をしてきましたが、少しずつ具体化していきます。その前提として、この領域には見過ごせない、やや怖い結果も報告されています。知識隠蔽は伝染します。
先ほど触れた「報復したい」という感情の実証結果が示すとおり、誰かが隠し始めると、隠された相手も「出してくれないなら自分も出さない」と応酬する。いわば負の返報性が立ち上がるのです。
こうなると組織へのエンゲージメントは下がり、離職意向も高まります。知識を出さず、互いに情報共有しない会社に「残りたい」と思うほうが不自然です。
では、文化を協力的に変えれば万事解決かというと、そう単純でもありません。個人の経験に根ざしたノウハウ、いわゆる暗黙的知識の共有は、文化だけでは進みにくいという示唆があります。
学術界を対象にした調査では、論文のように文書化しやすい明示的知識は比較的シェアされる一方、教育の仕方や研究の勘所といった暗黙的知識は隠蔽されやすいことが確かめられています。

暗黙的知識はその人の競争力の源泉であり、言語化・伝達にコストもかかるため、出し渋りが起きやすいのは理にかなっています。
さらに、競争心の強さも影響します。もともと競争的な性格の人は、職場がどれだけオープンで協力的でも、自分の優位性を守ろうとして知識を隠す傾向が残る。これは暗黙的知識に限らず明示的知識でも見られます。
もちろん、協力を促す環境設計に意味がないわけではありません。明示的知識の隠蔽は抑えられますし、総体としての流通は良くなる。ただし、競争心が強い人にとって、競争力の核心である暗黙的知識は最後まで出にくい、という現実は織り込む必要があります。
結論として、知識隠蔽を減らし、自然に共有が生まれる職場を目指すなら、競争より協力が回る仕掛けを強めることが不可欠です。例えば個人目標よりチーム目標を前面に出す、意図的にペアを組ませて協力しないと完遂できないタスク設計を標準にする、といった運用です。
競争を煽れば煽るほど隠蔽が誘発される可能性がある。だからこそ、協力の設計で知識の流れをつくることが鍵になります。
共有が薄い職場でも挑戦は生まれる
とはいえ、そうした協力的な風土をつくるには時間がかかります。現実には「もう知識隠蔽が起きてしまっている職場」もあるでしょう。では、そうした職場では二度とイノベーションが生まれないのかというと、必ずしもそうではありません。知識隠蔽が存在していても革新的な行動を起こせる「抜け道」があることが研究から示されています。
知識隠蔽は基本的に、新しいアイデアを導入し実現するような革新的な仕事行動を阻害します。これは当然で、創造性の研究からも明らかになっているとおり、新しいことに挑戦するには知識の交流が不可欠だからです。知識が循環しなければ新しい試みは進みません。その意味で、知識隠蔽が革新的な行動を妨げることは筋が通っています。
ただし、ここで注目すべきポイントがあります。個人の学習や成長を重んじる「熟達風土」が職場にある場合、知識隠蔽の負の影響は大幅に軽減されることがわかっています。

つまり成長志向の文化があれば、知識隠蔽があっても革新的な行動は促され得るのです。
理由は明快で、同僚から知識を得にくい状況でも「学びたい」という意欲が働き、自ら外部から情報を獲得するようになるからです。その結果、他の経路でアイデアが生まれ、実現されていきます。
さらに仕事の進め方も重要です。とくに、自分で段取りやスケジュールを決められるなど仕事の自律性が高い従業員は、知識隠蔽という大きな制約の中でも、むしろ制約に負けずに革新的な行動を発揮できることが示されています。要するに、成長を重んじる風土と自律的な働き方の組み合わせがあれば、知識隠蔽の存在下でもイノベーションは可能だということです。
ですので、成長志向の風土と仕事の自律性を提供できれば、たとえ知識隠蔽が行われていたとしても創造性の低下を最小限に抑えられます。もしみなさんの職場ですでに知識隠蔽が起きているのであれば、学習や成長を重んじる風土をつくり、思い切って仕事を任せる、つまり自律性を高めていく方法が有効だといえます。
そのような環境では、他者から知識を得られなくても、自分の裁量と学習意欲によって道を切り開いていくことが可能です。その結果、知識隠蔽という制約をはね返すことができるのです。
“これは自分の仕事だ”という意識が情報の出し渋りを生む
さらに「そもそも知識隠蔽はなぜ起きるのか」を考えると、対策が見えやすくなります。心理的な要因の1つに「縄張り意識」と呼ばれるものがあります。これは、自分が持つスキルや知識、担当業務を「自分のテリトリー」と見なし、他人が関与することに抵抗を覚える心理状態を指します。縄張り意識が強いと、知識を求められた時に「自分の領域を侵された」と感じ、共有を拒む傾向が強まるのです。

その結果、知識を隠蔽することで協力を拒絶し、せっかく「助けてほしい」と求めてくれている人を遠ざけてしまいます。逆に自分がチームからサポートを得にくくなり、最終的には先ほど紹介した研究と同様、本人のパフォーマンスを低下させてしまうのです。
さらに深刻なのは、この縄張り意識が対人関係や組織における逸脱行動を増やしてしまう点です。具体的には会社の規則を意図的に破ったり、同僚への協力を怠ったりする行動が増える傾向があります。これは由々しき問題であり、組織にとっても大きなリスクとなります。
なぜこうしたことが生じるのかを、少し整理します。まず縄張り意識が芽生えると、それが知識隠蔽につながります。知識を隠した経験は「これくらい不誠実でもいいだろう」と心理的ハードルを下げ、規則違反など別の望ましくない行動にも波及しやすくなる。流れとしては、縄張り意識から知識隠蔽、そして不誠実な行動の増加、という悪循環が確認されています。
この厄介な縄張り意識に近い概念として、心理的所有感があります。自分が時間や労力を投じた対象に「これは自分のものだ」と感じる感覚です。仕事や、そこで得た知識に所有感が向くと、「自分の持ち物を他人に分けたくない」という抵抗が生まれ、結果として知識隠蔽に結びつきやすくなります。
ただし、所有感の矛先が組織そのものに向くケースもあります。「この会社は自分たちのものだ」という手触りが強まると、個人の利益だけでなく組織全体の利益を優先しやすくなる。すると「組織が発展するためなら知識を共有しよう」という判断が取りやすくなるのです。

つまり、個人の仕事や知識への所有感を、組織全体への所有感へと広げることができれば、知識は出やすくなる。ここから得られる示唆は明快で、所有感の対象を「私の仕事」から「私たちの組織」へとスライドさせる施策が必要だということです。