【3行要約】
・「なぜ伝わらないのか」その理由は、知識が豊富であるほど初心者の視点を想像できなくなる「知識の呪い」にあります。
・研究によると、専門家ほど初心者の作業時間を過小評価する傾向が強く、これは経験による作業の自動化が影響しています。
・ビジネスや教育の場では、この「知識の呪い」を自覚し、相手の立場に立った丁寧な説明を心がけることが効果的なコミュニケーションの鍵です。
伊達洋駆氏の自己紹介
伊達洋駆氏:本日は「伝わらない理由は『知りすぎている』から:知識の呪いとそのメカニズム」と題して、今から1時間にわたってセミナーを行います。あらためまして、株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役の伊達と申します。
「はじめに」ということで、まず私自身の自己紹介から始めさせてください。私はもともと神戸大学大学院経営学研究科で、研究者としてのキャリアを歩んでいました。大学院在籍中にビジネスリサーチラボという会社を立ち上げて、現在に至っています。

ビジネスリサーチラボですが、「アカデミックリサーチ」というコンセプトを掲げて、データ分析や研究知見を基にしたサービスを提供しています。

具体的には、企業人事向けに組織サーベイや社内データ分析のサービス。それから、HR事業者向けには組織サーベイや適性検査の開発支援、ならびにHRサービス開発に際したコンサルティングも行っております。

私個人としても、今までいくつか本を出させていただいています。近いところですと、『なぜあなたの組織では仕事が遅れてしまうのか? 職場で起こる「先延ばし」を科学する』『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』『EXジャーニー ~良い人材を惹きつける従業員体験のつくりかた~』。このあたりは、2024年下旬あたりに出版しました。いろいろなテーマがあるんですが、特に得意としているのが、組織における人の心理や行動に関するトピックになります。
組織マネジメント・人材教育を難しくする「知識の呪い」
本日ですが、「知識の呪い」をテーマに掲げてセミナーを行わせていただきます。

みなさん、職場の中でこんな感じの光景を見たことはないでしょうか? 経験豊富な先輩がいる。その先輩が、新人に対して仕事を教えている場面です。先輩が「これくらいはわかるだろう」と思って、説明を省略してしまっている。しかし、新人はよくわかっていない。
あるいは専門知識を持つリーダーが、他の部門のメンバーに対して説明を行っている状況があります。そのリーダーが専門用語を使っていて、相手が困惑してしまっている。これに近いような場面を、一度どこかで見たことがある方がいらっしゃるかもしれません。

こうした現象は、職場の中で決して珍しくないですが、専門的には「知識の呪い」と呼ばれていて、ある特定の心理的メカニズムとして注目されています。人は一度学んでしまうと、その学びを得ていない人の視点を想像するのが、なかなか難しくなってしまう傾向があるんですね。

この「知識の呪い」と呼ばれるものは、組織をマネジメントしていく上でもそうですし、人材育成を行っていく上でも、ちょっと難しくさせる現象なわけですね。なので、この「知識の呪い」について理解を深めていくことによって、本日は組織の中でコミュニケーションをより効果的なものにしていくためのヒントを得ていただければと思います。
「知識の呪い」の定義
本日、私からの講演はだいたい45分~50分ぐらいを予定しているんですが、大きく分けて5つのパートに分けて説明をさせていただきます。

それでは、最初のパートに入っていきましょう。まず、今回のテーマになっている「知識の呪い」とは、いったいどういうものなのかについて説明していきます。
「知識の呪い」はこのように定義できます。「ある分野について、豊富な知識や経験を持つ人が、その知識を持たない他者の理解レベルを正確に推測できなくなる現象」のことです。わかりやすいですよね。いろいろ詳しくなってしまった人は、素人の目線を持てなくなってしまう。そうした現象のことを「知識の呪い」と言います。
知識を手に入れることは普通いいことですよね。ところが、それが呪いとなってしまって、知識を持たない人について、なかなか推測が働きにくくなってしまう。このような現象のことを「知識の呪い」と呼びます。
「知識の呪い」についての研究知見
「知識の呪い」はさまざまなかたちで表れると思いますが、例えば職場の中で管理職が、「部下がもっと理解できているんじゃないのか?」と過大評価してしまうとか。あるいはベテラン社員が、「新人はもっと学べているんじゃないのか?」と学習の進度を見誤ってしまうといったかたちで、「知識の呪い」は表れてくるわけですね。
「知識の呪い」についての研究知見を少し紹介したいと思います。複雑な作業の課題を与えたといった実験です。専門家の人たち、その課題に対してある程度経験している人、初心者に対して、初心者がこの複雑な作業課題に対して取り組んでいく時に、「どれぐらいの時間がかかると思うのか」をそれぞれ推測してもらうんですね。
よく知っている人、まあまあ知っている人、ぜんぜん知らない人が、「ぜんぜん知らない人が課題を解く時に、どれぐらいの時間がかかるのか」を推測していくわけです。おもしろいんですが、どのグループも基本的には、初心者の人たちが実際に課題に取り組むよりも、短めに時間を見積もる傾向がありました。
ただ、実際の時間と推測した時間の乖離が一番大きかったのが、専門家だったんですね。すなわち専門家は、「もっと早くできるだろう」と過剰に思ってしまっていたという結果が出てきました。
専門家ほど正確な判断・推論が難しくなる
このメカニズムについては後ほど詳しく説明したいと思うんですが、簡単に言うと、長年経験していることだと、慣れている人にとっては作業のステップが自動化されているんですよね。
その結果、初心者がどこにつまずくのかとか、どういったところが難しいのかを想像するのがなかなか難しくなってしまうんですね。初心者の人にとって、ある課題に取り組んでいく時に戸惑いを感じたり、試行錯誤をしたりすることは当たり前だと思うんですね。
ところが熟達してしまう、ひとたび専門家になってしまうと、そういったところが「これぐらいだったら簡単にいくんじゃないのか?」「順調に進むんじゃないのか?」と思い込んでしまう傾向にあります。ですので、実際に初心者が取り組むよりも短い時間で想定してしまうことが、専門家においては起こってくるわけです。

ただおもしろいのは、初心者自身も「自分はこれぐらいの時間でできるだろう」という見積もりをしているんですが、その見積もりが甘いんですよね。つまり、短めに想定しています。例えば、本当は5分ぐらいかかる課題であっても、「2~3分でできるだろう」と思っているわけですね。
これはこれでなかなか興味深い現象なんですが、経験がまったくないとなると、それはそれで、作業がどれぐらい難しいのかとか複雑なのかが、十分に把握できないんですね。「意外と簡単に終わるんじゃないのか?」と思ってしまって、短めに見積もりを出すということも同時に明らかになりました。

ただしここで注意が必要なのは、初心者も短めの想定をしてしまうんですが、その短めの想定よりも、専門家による想定のほうがもっと短いということなんですね。専門家のほうがより一層、「初心者はもっと簡単にやるだろう」と思ってしまうということです。
こうした現象は、なかなか皮肉な結果と言えると思います。というのは、専門家は知識を蓄積している人たちですよね。知識を蓄積することは、通常いいことだと思われがちなんですが、他方で、それが正確な判断・推論を難しくさせてしまう。「知識の呪い」という現象からは、そういった側面が見えてくるかと思います。