PR2025.11.27
数理最適化のエキスパートが断言「AIブームで見落とされがちな重要技術」 1,300社が導入した「演繹的AI」が意思決定を変える
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山口周氏(以下、山口):あのね、僕は究極のリスニングのイメージがあって、それは河合隼雄先生なんですよ。つまり僕は、リスニングはアクティングではなくてビーイングであると思っていて。
河合隼雄先生がタクシーに乗っても、タクシーの運転手さんから河合隼雄先生は見えないんです。だから、「表情が大事」「頷くのが大事」とか、いろいろとみんな言うんですが、運転手さんからは見えないの。でも、河合隼雄先生は究極のリスナー。何が起こるかというと、運転手さんが自分の話をするのに夢中で、伝えた行き先がわからなくなっちゃうことが何度もあったんです。
篠田真貴子氏(以下、篠田):すごいですね。
山口:1回あったんじゃなくて、もう何度もある。だから、それだけビーイングとしての「聴く」レディネスというのか、「あ、この人は聴いてもらえる人だ」という何かが、たぶん全身から出てるんだと思うんです。
篠田:それ、いい話だ。メモっちゃおう。でも、聴くってそうなんですよ。よく「聴き方を教えてくれ」みたいな、まさに今言われたようなやり方の話になるんです。
山口:アクティングとしての「聴く」。
篠田:そうそう。それも大事なので別に否定はしません。これはエールの代表の櫻井(将)さんが言っていて、彼も『まず、ちゃんと聴く』という本を出しているので、そこに詳しく書いてあるんですが、まさに(聴くこととは)その「やり方」と、河合隼雄先生を極北とする「あり方」の掛け算なんですよね。
掛け算とはどういうことかというと、やり方をどれだけ頭に入れても、あり方がずれてたら台無しです。それだと、ぜんぜん聴くことに近づけませんよということなんだろうなと思って、今の話をうかがっていました。それはすごいですね。
山口:すごい。
篠田:「この人といて安心なのかどうなのか?」と、私たちは無意識にお互いについて常に気にしていて、「大丈夫かな」「大丈夫かな」ってやっているのが、群れとしての動物の我々の性質なんですよね。それと「聴いてもらえている」という実感は、極めて近いところにあるというお話なのかなと思って聴いてました。おもしろいね。
山口:篠田さんってダライ・ラマに会ったことあります?
篠田:ないよ(笑)。あるんですか?
山口:いやいや、僕もないんだけど。ダライ・ラマのかなり近くにいた人からも似たようなことを言われたことがあって。彼女はアメリカ人で、そんな英語はないんだけど「サッチネス」っていう言葉があって。
宗教家のイエスもきっとそういうところがあったんだと思うんですが、もうなんというかサッチネス。「あ、これだ」という感じだったらしいんです。
篠田:すご! いいな。
山口:目指せ、ダライ・ラマっていう(笑)。
篠田:(笑)。
山口:そのレベルだと、ぜんぜん手が届かない。河合隼雄とダライ・ラマというので言うと、あとは前野(隆司)先生……。まぁいいや、(しゃべりすぎるので)次にいきましょう。
篠田:(笑)。「ダライ・ラマに会ったことある?」っていうのは、すごい問いかけだったな。こんな質問してくださる方、山口さんしかいないです(笑)。
多治川綾乃氏(以下、多治川):1問目からありがとうございます。
多治川:では、次の問いを聴いてみたいと思うんですが、今度は「『聴いてもらう』側に求められることは?」というのをお聴きしたいです。
篠田:これはスライドを用意してるので、ちょっと紹介してみてもいいですか。特に仕事をしてるビジネスの環境だと、一見すると聴いてもらうことって、なんか受け身な感じの印象がどうしてもあると思うんです。私はやっぱり、「自分が動けるように聴いてもらう時間を自らデザインする」という領域があると思っているんですね。
山口:聴いてもらう時間。
篠田:そうそう。聴いてもらうということは自分が話すので、話すという動詞を使うと、普通は仕事の場面で話してる時って、相手に動いてもらいたいから話すわけじゃないですか。
仮に相手が上司であって、その上司に報告をする時であっても、「報告を受け取って、あんたが正しく私に指示してよね」という期待のもと伝えてるわけです。「基本、動いてくださいね」という願いのもと、私たちは人に話してる。
だけど(スライドの)右にあるように、例えば愚痴を吐き出してスッキリする、要は捨てることだって、それで動き出せればいいわけだし。あるいは思考や感情を整理する。さらには前半で話したように、自分の考えの兆しに気がつくのは発見。
これが話すことで出てくるということは、仕事の場面で言うならば、仕事の話じゃなくて仕事に向き合う自分の話をする。何の話をするかをバチッて決めるというか、しゃべっているうちにだんだんこれ(テーマ)が生成される。「こういう場を意図して持ちましょう」っていうことはできるんだと思うんですよね。
自分が主体的に動けるようになる一歩手前には、「自分は本当は何に動きたいんだっけ?」ということを言葉にして自覚する必要があって。その自覚に至る1つの方法として、聴いてもらうというのがあるんじゃないかなと思っております。
篠田:このテーマ(「聴いてもらう側」に求められることは?)に戻ると、そういう領域があるねと知っていること。知っていれば、必要な時に「ちょっと聴いてもらっていい?」と言うことができる。英語の口語表現で「Let's talk something through」という慣用句があるんですが、それって初めから終わりまでいっぺんしゃべってみるということです。
例えば悩んでる友だちや同僚に対して、「Do you want to talk it through?」、つまり「初めから終わりまでちょっとしゃべってみる?」という投げかけをする。実はわりとよくある慣用句表現なんですが、それにぴったり合う日本語はないなと思って。この表現がある英語圏の人は、まさに聴いてもらう時間を能動的に作ることがしやすいなと思ってました。
山口:なるほどね。これ、聴いてもらう側ってことはしゃべる側ですよね?
篠田:しゃべる側。
山口:……僕、そういう意味でいうと、あんまり聴いてもらってないかも。
篠田:どうぞ、いつでも聴きますよ。ここからは周さんの話を聞く時間。
山口:「自分が聴かなきゃ、聴かなきゃ」ってそれなりには意識はしてるんですが、じゃあ自分が聴いてもらってるかどうかっていうと、やっぱりね……。あとは、なんと言っても夫婦関係。とにかく聴いて聴く。結婚してもう25年近く経ちますから、やっぱり聴くね。
篠田:銀婚式ね。
山口:「今日はこういうことがあった、ああいうことがあった……この人はこんなひどいことを言って……」「つまり結論こうだよね?」って言うと、「なんであなたは『大変だったね』って言えないの!」ってなるわけですよね。
「あぁ、そう。いやぁ……そりゃひどい……」とか言いながらずっと聴いておくと、いろいろな意味で非常にいいということがわかりまして。これもさっきの話に戻るわけですが、「聴く」ということが家庭内ですごく重要なコンピテンシーである。
じゃあ夫婦関係でも、「なんか今回のクライアントが理不尽でさぁ」って(仕事の愚痴と)同じように言ってるかというと、あんまり僕は言ってない。独白してない気がしますけれども、どうですかね。僕はVoicyをやっているので自分で独白してるんですが、あれでけっこう救われる側面はあるかもわからないですね。
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