世界的ベストセラー『ザ・ゴール』の著者、ゴールドラット博士の息子である、Goldratt Group グローバルCEOのラミ・ゴールドラット氏。イノベーションに対する誤った思い込みを議論して、イノベーターが持つべき心得を学ぶ講演を開催。本記事ではネスプレッソやテスラを参考に、顧客認知の獲得方法などを語ります。
アイデアをビジネスに結びつけるためのカギ

ラミ・ゴールドラット氏:顧客自身が認識する以上に、顧客の「限界」について知る必要があります。顧客に対して、直に抱えている問題や望ましいことは何かを尋ねても顧客の口からは出てきませんが、我々には取り除くことができます。
我々の仕事は、顧客のもつ「限界」のエキスパートとなることです。そのためのツールはたくさんあります。今回はツールについては詳しく述べませんが、それらのツールを活用すれば、顧客も気づいていない「限界」を発見することができます。
「収益に結び付ける」フェーズの思い込みに移りましょう。ここまで3つの思い込みについて述べてきました。あれもこれも実現しよう。技術ありきで始めるイノベーションとは新しい何かを生み出すこと。これらの思い込みは第1フェーズに関連するものです。
優れた価値をもたらす能力を構築するフェーズです。次の思い込みは「収益に結び付ける」フェーズに関連します。我々のすばらしいアイデアを技術や新製品に落とし込み、価値、収益をもたらすことができるでしょうか。
このフェーズでの思い込みは何でしょうか? 「『すごい』アイデアを思いつくことがイノベーション」。 そう我々は考えがちです。すばらしい価値を提供する製品の開発がうまくいけばそれでよし。顧客が買ってくれれば市場を席巻できる。そう思い込んでしまうのです。
実際にすばらしい大きな価値を生むアイデアを思いつき、頼りにする人に力を貸して欲しいと相談しても頑として受け入れてもらえなかった。受け入れるどころか「ノー」と言われたりスルーされた。そんなことが何度もあったはずです。
すばらしい製品の開発に成功したからといって、顧客もそれを受け入れてくれるとは限りません。受け入れられない場合を想定しておくことが重要です。

アイデアをビジネスに結び付ける上での鍵となる「制約」は何か? なぜ想定しておくことが重要なのでしょうか? 実際に直面する前に何が「制約」となりそうかを十分理解していれば、開発する際にそれらを考慮に入れてあらかじめ克服しておくことができます。
これらの「制約」が生まれる場面はさまざまです。1つには価格やマージンの乖離です。顧客が支払う意思のある金額を考慮して望ましいマージンを得ることです。製品はすばらしいが、設定した価格を顧客が喜んで支払うかどうか確信が持てない場合です。
ネスプレッソやテスラに見る、顧客認知の獲得方法
ネスプレッソのコーヒーカプセルを例にお話ししましょう。1個あたりのコーヒーは何グラムかご存じですか? 3〜4グラム。小さじ半分です。ネスレ社が開発にあたって必死に考えたのは、どうすればカプセルの価値がコーヒーの量で評価されないようにできるかでした。
コーヒーの量で評価されると5セント以下になってしまいます。これではビジネスになりません。製品の価値と価格の比較基準をコーヒーの量に設定するのではなく、専門店で出すコーヒーに設定しなければなりません。
「このカプセルで専門店のコーヒーが味わえます」「しかもお値段は半分です」。このように比較されたいのです。新しい製品の高コスト要因を克服しなければならない場合もあります。
例えば最初のテスラ車はモデル3(ミッドサイズのセダン)ではなく、エキサイティングで洗練されたスポーツカーでした。なぜなら当時はバッテリーのコストが非常に高かったのです。
ゴルフカートならともかく、乗用車では無理という常識を打破するには大容量バッテリーが必要でしたが、価格が高過ぎたのです。そのため最初は高価格帯の市場をターゲットとしました。時と共にバッテリーコスト削減の努力が実を結び、より多くの顧客がテスラ車を買えるようになりました。
または見込み客を顧客に転換することが問題になるかもしれません。どうしたら見込み客に実際に購入してもらえるでしょうか? どんなに価値の高いすばらしい製品でも、顧客がすぐに購入してくれるわけではありません。
とりわけ何かを大きく変えてもらったり、すでにあるものを諦めてもらったりする場合はなおさらです。もう一つは顧客認知です。いかに多くの認知をどう獲得するかです。
すばらしい製品はみんなが欲しいと望むでしょう。しかし、どうすればより多くに認知されるのでしょうか? どのような販売チャネルが必要ですか? または先行優位期間が問題になるかもしれません。
あっという間に売れるようなすばらしい商品ならば、競合他社はすぐに真似するでしょう。これらの問題にはあらかじめ対策を打っておく必要があります。市場に出す前に対処しなければなりません。
開発段階から問題に対処し、適切な比較基準を設ける必要がありますし、イノベーションのロードマップを描いたり、製品やビジネスモデルに参入障壁を設けたりもします。イノベーションを成功させるにはこれらのことを考慮する必要があります。
イノベーションに必要な3つのガイドライン
「構築する」と「収益に結び付ける」の2つに関連する次の思い込みは、「慎重に計画すればするほどうまくいく」です。通常のプロジェクトについてはまさしくその通りです。建設やエンジニアリングなどのプロジェクトではこれがマネジャーの合言葉です。
「慎重に計画すればうまくいく」。既知の分野のプロジェクトであればそうかもしれませんが、イノベーションにおいては新しい何かを生み出し、未踏の地を歩かなければなりません。自分にしか見えないオアシスをめざして砂漠を横断しなければなりません。
みんなから「オアシスなんかない」と言われ、そこにたどり着く方法も分からないうえ、あちこちに障害もあります。計画を立てるだけで何も行動しなければ目標にたどり着くことはできません。必要な情報を得る唯一の方法は、一歩踏み出すことだからです。
開発に着手すれば必要な情報が得られます。つまり計画を完了した後になって仮定が間違えていたと気づくのではなく、いくつかのマイルストーンに到達する方法を計画し、そこに速くたどり着くほうが賢明です。マイルストーンまでの行程で方向性が正しいかどうか見当が付くからです。
歩いているうちに別の方向に向かう必要があることに気づくかもしれません。マイルストーンをどのように設計すべきか。そのガイドラインを3つ紹介します。

1つ目は「重要な不確実性を減らすことに集中する」。これが最優先であるべきです。どんなイノベーションでも、まず「何が分かっていないか」に着目するでしょう。一番重要な不確実性はどこにあるか?
それを明らかにしないと、すべてが崩壊する可能性があります。技術的な仕組みでしょうか? 顧客にどう接し、説得するかということでしょうか? 得られる利益の大きさかもしれません。
いずれにしても、重要な不確実性をなるべく早く明らかにして、最初のマイルストーンを設計します。なぜなら我々は、できることや分かっていることから手を付ける傾向があるからです。分からないことは先延ばしにしてしまうのです。
しかし、もしそれが最重要だったら、始めたとたんにすべてが崩壊してしまいます。どうか先延ばししないでください。
持続と革新を両立させるには
マイルストーン設計の2番目のガイドラインは、問題とチャンスに1つずつ取り組むことです。成功した起業家がもれなく身につけている重要なスキルです。すべてを解決しなくてもよいのです。
少なくとも今すぐ解決する必要はないですし、すべてのチャンスを追求しなくてもよいのです。どの問題に最初に取り組むべきか、どのチャンスを最初に捉えるか、意思決定する必要があります。1つずつ片付けます。同時にしようとしないでください。すべてを一緒にすると一歩も動かず、計画モードに留まってしまいます。
最後のガイドラインは、現在取り組んでいるイノベーションのコアの開発にできるだけ力を注ぐようにすることです。コア以外の部分を外部から調達し、それを自社に統合できるかを検討するのです。すべてを自社で開発しようとしないでください。
すべてを自社で開発しようとしても簡単にはいきません。やっと開発が完了しても 状況が変わってしまい、もはや意味がなくなっているかもしれません。
最後に、重要でありながら無視されがちな思い込みについて述べたいと思います。どうか注意して聞いてください。「持続する」のフェーズにある思い込みです。すばらしい製品を開発し、収益につなげられているとしましょう。製品の売上は順調で会社は成長しています。
順調で方向性が正しいからこそ、成長に合わせてリソースを追加すれば今後も成長し続けられるし、市場の拡大に対応できると考えてしまいませんか?
自社製品の持続的な成長のためには完全に理にかなっているように思えますが、ここには大きな誤りがあります。無視すると落とし穴に陥ってしまいます。
どんな誤りでしょうか? 持続フェーズに達したら開発をやめて、すべて型通りに実行すればよいというわけにはいきません。持続する仕組みづくりには時間がかかります。成長していてもイノベーションの創出を続け、非標準的な仕事をたくさんこなす必要がありますし、未開拓の領域に踏みこまなければなりません。
特に仕事が多様で非標準的で、実行方法もさまざまで反復性が低い場合に当てはまります。例えばスタートアップ、研究開発、高度なエンジニアリング、サービス業などです。
仕事をきちんと遂行するためには、エキスパートに頼る必要がある分野です。トップクラスのIT人材、トップクラスのエンジニア、トップコンサルタントなど、エキスパートは多様な仕事の扱い方、今後起こり得る新しい状況への対処法を知っています。
組織が大きくなった場合の対処方法

では組織が急速に拡大すると、エキスパートたちはどうなるでしょうか? 負荷で身動きがとれない状態に間違いなく陥ります。
「時は金なり 市場拡大のチャンス!」。エキスパートの手が空くまで待っていられないのです。過負荷になっているので、エキスパートの前には膨大な仕事が積み上げられています。
彼らの手が空くまで放置することはできません。従って経験の浅い人が、それらの仕事をすることになります。他に人がいないからです。エキスパートは超多忙ですから、経験の浅い人は、ほとんど指導を受けずに仕事をすることになります。イノベーションのスケールアップの経験がある方には身に覚えのある話だと思います。
この後どうなるか、ちょっと考えてみてください。経験の浅い人がほとんど指導を受けずに
仕事をするとどうなるか……。当然多くの間違いや、やり直しが発生するでしょう。さて、間違いを修正しなければならないのは誰ですか?
誰の仕事かは明らかですよね? はい。エキスパートです。でもそのエキスパートにはまったく余裕がありません。さらにミスの修正もしなければならず、ますます忙しくなっています。悪循環そのものです。この制約に直面している組織では、口をそろえて標準作業手順書(SOP)、プロトコルやマニュアルが必要だと言います。
みんなミスを犯したくないので「どうしたらよいか」と訴えます。今までSOPが存在しなかったのには理由があります。その理由を知るのにゴールドラットに依頼する必要はありません。誰がSOPを書くはめになるでしょうか?
標準作業手順がわかるのは? マニュアルの書き方を知っているのは? エキスパートです。多忙を極めている人たちです。例え彼らが書こうとしても仕事の範囲が多岐にわたるため、半分もカバーできません。
再び多くの間違いが生じ、現場にさらに負担がかかります。またしても悪循環です。どうしようもないと言うかもしれませんが、ミス、やり直しの悪循環が続けば、成功をすべて台無しにしてしまうほどの力があります。
非標準の仕事が多い環境でビジネスを成長させるには、エキスパートが「制約」であり、ボトルネックであることを認識する必要があります。