世界的ベストセラー『ザ・ゴール』の著者、ゴールドラット博士の息子である、Goldratt Group グローバルCEOのラミ・ゴールドラット氏。イノベーションに対する誤った思い込みを議論して、イノベーターが持つべき心得を学ぶ講演を開催。本記事では、スティーブ・ジョブズやオムロンを例に挙げ、「するべきこと」ではなく「やらないこと(Not to do)」を決める大切さを語ります。
イノベーションを創出するための「3つのフェーズ」とは

ラミ・ゴールドラット氏:講演の機会をいただきありがとうございます。私はラミ・ゴールドラット。ゴールドラットグループのCEOです。私の父、エリヤフ・ゴールドラットは制約理論(TOC)という知識体系を提唱しました。父の著書『ザ・ゴールー企業の究極の目的とは何か』を読んだ方もいらっしゃるでしょう。
当社には数百名のコンサルタントがおり、世界中で活動しています。そして企業の成長を妨げる重要な「制約(Constraints)」に取り組む支援をしています。イノベーションをより実現可能なものにするための支援もしています。
ブレークスルーを起こすには、夢を大きく持たなければなりません。高みを目指す情熱やインスピレーションが必要です。その一方で、地に足をつけた行動も必要です。夢みるだけでは実現できません。そのためには自社の事業の「制約」を考慮しなければなりません。
さらに顧客の持つ「制約」も考えなければなりません。「制約」を考慮しておかないと後々厄介なことになるからです。例えすばらしいアイデアを思いついても、単なる思いつきに終わることになります。せっかくのアイデアが、日の目を見ずに終わってしまうのです。
本日はイノベーションを実現するためのヒントや、みなさんに確実に身に付けてもらいたいマインドセットについてお話しします。これらのヒントをしっかり頭に入れて、自社のイノベーションや画期的なアイデアを生み出すのにお役立てください。

さて、イノベーションを創出する過程には、3つのフェーズがあります。1つ目は優れた価値を提供する能力を「構築する」フェーズです。優れた価値が提供できなければイノベーションは何の意味も持ちません。これが最初のフェーズです。技術、製品、それらを市場に届ける方法、これら3つを開発するフェーズです。
2つ目は構築した能力をもとに、いかに「収益性の高いビジネスを展開する」か。またはその周辺に大きなビジネスを構築できるかを考えます。付加価値をもたらすアイデアがあっても、それを取り巻くビジネスを展開したり、収益を得る能力を発揮しなければ、アイデアは絵に描いた餅になってしまうでしょう。
3つ目の「持続する」フェーズも重要です。高い価値を提供する新製品を開発し、ビジネスを構築できるようになると、これを継続し拡大することを考えなければなりません。小さな範囲に留まらず、世の中全体に影響を与えたいですよね。
次世代iPhoneが5パーセント軽量化しても、感動しない
能力を維持しつつ、どう成長すればよいでしょうか。取り組むべき「制約」はたくさんあります。まずはビジネスを構築し、収益化し、持続するのを妨げている重要な「制約」を特定します。
それらの「制約」に対して何をすべきかに焦点を当てます。「制約」を無視せず現実を受け止め、決して諦めないためにはどうするか。これからお話しするのは、「制約」をなかったことにしてしまうよくある思い込みについてです。
今日のプレゼンをきっかけに、誰にでもこのような思い込みがあることを理解し、思い込みの罠に陥らないようにしていただきたいのです。1つ目は構築フェーズでの思い込みです。「多いことはいいことだ」「あれもこれも実現しよう」と思っていないでしょうか?
イノベーションにはリスクがあり、成功の可能性が低いと考えて、数を打てば当たるとばかりにもっと新製品やアイデアを、もっと機能をつけて使用場面を増やそう、もっと多くの顧客を対象にし、ビジネスモデルを増やし、その中の1つでもうまくいくことを期待して次々と取り組みを増やし続けます。
うまくいきそうに思えても、現実はそうはいきません。製品や機能、市場セグメントをどんどん拡大させると、自らの首を絞めることになります。リソースの分散が起き、小さな価値しか生み出せず、ブレークスルーにはなりません。
すべてのリソースとエネルギーを革新的なものの創出に集中させていないからです。イノベーションにありがちなのは、小さな改善、機能、製品を追加し、ちょっとずつ付加価値を積み上げる方法ですが、これでは人々を感嘆させられないでしょう。

次世代iPhoneが5パーセント軽量化し、5パーセント高速化し、電池が5パーセント長持ちしてもそれほど感動しませんよね? みんなが驚嘆するようなイノベーションには「集中(Focus)」が必要です。比類のない価値をもたらし、漸進的ではなく、かつてないものを提供しなければなりません。
父が言ったように、集中は「するべきこと」ではなく「やらないこと(Not to do)」を決めること から始まります。「何をしないか」が明確に分かっていなければなりません。やみくもに追加し続けるのではなく、どう集約するか。どのアイデアを前に進めるべきかを明確にするのです。
新技術ありきで考えると落とし穴に陥る
スティーブ・ジョブズは「イノベーションとは1,000の案件にノーと言うことだ」と言いましたが、これは数多くのアイデアから光る少数を選ぶ難しさについて教えてくれます。良し悪しが分からないのではなく、「ノー」と言うのが難しいのです。
みんなを失望させたくないからです。社員、顧客、マネジャーの支持や協力が欲しいから、アイデアをどんどん取り入れてしまうのです。画期的なイノベーションを生み出すには「ノー」と言えなければなりません。
「それはやめておこう」「今はこちらに集中しよう」とは言いにくいものです。断れば相手が憤慨するとしても、ノーと言わなければなりません。「もっと多くの……」これは優れた価値を築けなくする思い込みなのです。

続けて、構築フェーズの2つ目の思い込みです。「革新的な最新技術をどう活かすかを考える」です。新技術、AIなどがイノベーションを触発する例が多くあります。AIであれもこれもできるんじゃないかと、つい前のめりになってしまうのです。
我々は技術からアイデアを得ています。これは悪いことだとは思いません。しかし技術を起点に、それをどう活用するか考えると大きな落とし穴があるのです。
気づかないと陥ってしまう落とし穴とは何でしょうか? 技術を起点にしてビジネスシーンや使用場面を考えると、とにかく技術ありきになります。これは現実にはうまくいきません。
例を挙げて説明しましょう。我々は銀行や製造工場などのデジタル化に多く関わっています。顧客はデジタル化すればラインが自動化でき、より効率的に生産できるようになると言います。
もちろんそれは事実でしょう。しかし実際はそれほど製品に需要がなく、それに気づいていないとしたら? より速く効率的に作っても売れないとしたら? これに気づかなければ、売れない在庫があっという間に積み上がってしまいます。
実際にこれを何度も目にしてきました。会社の業績に悪影響を及ぼしかねない状態です。そうならないためにも、技術のための技術ではなく、まず自社や顧客のビジネス上の「制約」から考えるのです。技術はそれを解決する手段です。
とある銀行のデジタル化の失敗例
技術をビジネスシーンや使用場面にうまく落とし込めたとしても、まだ課題があります。多くの場合、技術が付加価値を確実にもたらすために必須な業務プロセスを見直せていません。
例えば銀行のデジタル化プロセスを支援した時の例では、銀行は顧客により良いサービスを提供したいし、顧客は支店にわざわざ足を運ぶのは面倒だろうから、スマホのテキストメッセージで銀行とやり取りできれば便利じゃないかと考えました。
これは時間の節約にもなります。技術とアイデアの融合により、多くの付加価値が提供できると期待しました。しかし、メッセージのやりとりを現場の銀行員任せにしてしまったために、実際に運用すると返答に時間がかかり過ぎ、顧客を失望させてしまいました。
しかも、やっと返信できたとしても「来店してください」(という内容)になってしまったのです。新しい技術を最大活用するには、ビジネスシーンや業務プロセスに一貫性がなければいけません。
つまりイノベーションを実現したいのであれば、順序を逆にすることです。大きな価値をもたらせるビジネスシーンや使用場面から考えます。技術がどのように役立つかはその次です。この順序が大事です。順序を守れば問題はずっと少なくなります。
次のような思い込みも構築フェーズによく見られます。「イノベーションとは業界の常識をひっくり返すもの」という考えです。すると何か新しいものを作ることが目的になります。これの何が問題なのでしょうか?
イノベーションの目的を、何か新しいものを作ることだと考えてしまうと、従来とまったく違うすばらしいアイデアが浮かぶかもしれません。
しかし、それは自社の事業や顧客に対してたくさんの急激な変化を要求することになり、簡単には進まず、アイデア倒れとなってしまいます。目的は新しい何かを作ることではありません。イノベーションの目的は「かつてできなかった方法で重要な限界を取り除くこと」です。

最新だとか革命的だとかは重要ではありません。重要なのは、これまでできなかった方法で、顧客のもつ重要な限界を取り除いているかどうかです。イノベーションの成否はこれで決まります。重要な限界が取り除かれれば顧客に新しい能力を提供できます。改善とイノベーションの違いはここにあります。
今あるものをより良くするのが改善です。それも悪くはありませんが、いくら改善しても
そのうち誰も気にしなくなります。一方、イノベーションは限界を取り除くことによって、かつては不可能だったことができるようにすることです。
絵文字の種類を増やしてもイノベーションにはならない
Googleの登場と同時に、情報へのアクセスは格段に速くなりました。正しい情報かどうかはさておき、これは以前にはできなかったことです。イケアが家具販売で世界一の企業になったのは、顧客自身が家具を組み立てられるようにしたからです。
それによって、さまざまな家具を手頃な価格ですぐに入手できるようにしました。以前にはなかった能力です。これが違いを生むのです。
次は絵文字について考えてみましょう。絵文字が登場するとみんなが驚きました。「すごい! これだけで感情を伝えることができる」。今までにない能力です。たぶん古代エジプト以来でしょう。

しかし、絵文字を増やし続ければイノベーションになるでしょうか? より良いものを提供していますが、それはイノベーションではありません。
2021年のウォールストリートジャーナルによると、米国のスーパーにはヨーグルトが306種類あるそうです。しかし、もう1つ種類を増やしてもイノベーションにはなりませんよね。改善にはなっても新たな能力をもたらしてはいません。

仮に新しいヨーグルトがかつてない能力を提供するとしましょう。例えばカロリーゼロなのに、よりおいしいとか、健康増進ができるなど。今までにない能力が提供できれば、それはイノベーションでありブレークスルーになりえます。 何か新しいことをするのではなく、これまでにない方法で限界を取り除くことが重要なのです。