『昭和100年。「日本のカイシャ」はどこへ行く?~KX(カイシャ・トランスフォーメーション)5つの課題』と題して開催された本イベント。昭和モデルの経営から脱却できない「日本のカイシャ」を、人生100年時代の会社=「“人”が主役の会社」へと変えていきたいと6年余にわたって活動してきた研究会の集大成となるセッションをお届けします。本記事では、明治大学専門職大学院グローバル・ビジネス研究科教授の野田稔氏が、日本の競争力低下や「失われた30年」の背景にある問題を指摘します。
日本のカイシャはどこへ行く?
野田稔氏(以下、野田):あらためまして野田から、「日本のカイシャはどこへ行く?」という話をさせていただきたいと思っております。今まさに、社会構成主義的なことから考えると会社というのは、ある種、みんなの思いの集合(体)みたいなものですから、当然、思いが変わると会社というものの姿は変わるはずなんですよね。
それをまずは歴史から押さえてみたいと思います。今この(スライドの)写真に出ているのは、東京通信工業からスタートしたソニーさんなんですね。

一番最初の1946年当時のソニーの本社。1980年代、1990年代の時の旧本社。そして今、品川にある新本社という、この3つの写真をあらためて眺めてみると、「あぁ、やはりソニーというものも変わってきたなぁ」なんて思うわけですけども(笑)。
これは実体のある建物ですが、実はそんなものではなくて。その会社というものに対して、中の人たちがどう思っていたかによって、実は会社が変わってきたんだというお話です。
まさしく戦後の焼け野原だった時に、日本人は会社というものを日本の戦争からの復興のための重要な道具だと捉えたんだと思っております。とにかくなにも無くなりましたから、ゼロからのスタートなわけですよね。なので、とにかく強くなって、利益を稼いで、国を富ませて、そして人を富ませる。
経営者と社員との給与格差が非常に低かった時代

野田:特に一番重要だったのが、この「人を富ませる」というところだったと思います。みんな貧しかったですからね。ですから、会社はお金を儲けていいんだ。市場は収益至上主義だ。ただし、その儲けたお金は社員に還元するんだという考え方が、ものすごく強かったと思います。その証拠に……ではないんですけれども、経営者と社員との給与格差が非常に低かった。
私の知っている、ある通信会社さんなんかは、新入社員と社長さんとの給与格差が5倍弱という、「え!?」と思うぐらいに低かった。でも「それでいいんだ」「みんなで豊かになればいいんだよ。そのための道具が会社なんだから」と、みんなおっしゃっていましたね。
そういうところですから、もうとにかく「だからお前らもがんばるんだ! 死ぬほど働け!」という精神論、根性論でいいかと。でもそれは何のためかというと「明日の夢なんだ!」と。明日を夢見て今日は我慢というのが、会社というものに対してあった、ある種の共同体だったと私は思っております。
根性論の組織から「合理主義」な組織に
野田:それが大きく変容してくるのが、1970年代の半ばだったかなと思います。みなさんかなり豊かになってきて、企業も強くなってきました。また、アメリカから入ってきた新しい経営論のようなものも徐々に浸透し始める中で、いわゆるアメリカンな企業像というものが少しずつ日本の中に入ってきた。まさに合理主義であり、功利主義であるということだったと思います。
「バカじゃ経営できないよ」「気持ちだけじゃダメなんだよ」、そのようなことが言われるようになってきたかなと思っております。第一世代の時は、そういう意味ではかなり乱暴で、アメリカの真似っこをしながら、ヨーロッパの真似っこをしながらやってきたわけですけれども。
そろそろ真似が効かなくなってくる中で、開発志向であったり、また、日本のマーケットにも限界がありますので「グローバルに出ていこう」なんてことが言われるようになったり、第一次のMBAブームが起こった時代でもありました。まさに賢い組織を作ろうということだったと思うんですよね。この傾向は、まだ続いていると思っています。
会社というのは儲けるためにあり、かつ、ロジカルで合理的で、戦略的に動くものなんだという考え方だと思うんですね。ただ、この企業像に対しては、昨今少し疑問が呈されるようになってきました。
まさに「新市場主義の弊害」ということが言われるような中から、「企業というものが、ただ単に利益を追求するだけでいいのだろうか」と。そんな話が出てきて、まさにSDG'sのような、社会に貢献することが企業の役割ではないかという議論が出てきましたよね。
CSR、Corporate Social Responsibilityも、すごくおもしろい流れを作っております。まさに強い世代、第一世代のCSRというのは、まず社会に悪いことをしないというのが(企業の)責任だと考えられました。まさに公害がいっぱい撒き散らされている時代だったので、公害を出さないという、悪いことをしないというのが企業に求められたんですね。
時代を経て企業も豊かになってくると、余ったお金で社会に貢献しようと。フィランソロピーブームなんてものもありましたけど、それが第二世代のCSRの考え方でした。
「社会貢献性」が重視される第三世代の組織へ
野田:しかし今、第三世代になろうとする中でのCSRの考え方はそうではなくて、積極的に社会に貢献することそのものをビジネスにするんだ。本業そのものが、社会貢献性がなきゃダメなんだということが言われるようになってきた。
そこで「私の第三世代が来たな」と思い始めました。実際には2000年になる前ぐらいからその傾向はあったんですが、残念なことになかなかここに踏み切れない現実があるのも事実だと思っています。
私はあのコロナというのは大変ツラい経験ではありましたけれども、あれによって、みなさん少し沈思黙考するような時間を得ることにより、社会像・企業像が我々の心の中で変化し始めたのではないかなと思っています。ですので、あえて第三世代のスタートを2021年と書いたのは、そういう意味なんですけれども。このへんから我々の思いも少し変わってきたかなとは感じています。
実は今回のKX(カイシャ・トランスフォーメーション:「カイシャの未来研究会2025」が2018年末の発足以来、6年間余にわたって研究を重ね、体系化、メソッド化してきた「人生100年時代の会社=「“人”が主役の会社」へと変えていく組織進化のプロセス)は、この第三世代企業に向かっていく我々の心を整えていくことではないかなと思っております。
逆に戦略的な考え方で言うと、第二世代までが古い昭和の会社であり、「KX」の目的は、そこから超えていくことにあるかなと思っています。ちなみに会社というのは、まさに中にいる人たちの集合体ですから、中にどんな人がいるんだということも非常に重要になってくるわけです。
「仕事はみんなで協力し合うもの」という前提が変わっていった
野田:会社と人との関係性、もしくは人と人との関係性がどうなっているのかにも目を向ける必要があります。第一世代は共同体ですから、もう団子のようになって、みんなでやるわけですよね。ですから、ワンセット自前主義的に、もう電話交換の方から、社用車の運転手さんから、全部正社員。まぁ、そういう時代ですよね。それで、ほとんど(の人が)有期契約ではなくて無期契約の運命共同体でした。
それが第二世代になると特にバブル崩壊以降、賢い会社がコスト削減とか、柔軟性の獲得ということから非正規化が進みました。そして専門家が大切にされるんだというところで、個というものをより際立たせていくような、そういう人事制度的なものであり、関係性になったと思います。けっこう典型的だったなと思うのは、やはり成果主義人事の導入と、それに伴うMBOの導入でしょうかね。
仕事はみんなで協力し合いながらするものというところから、一人ひとりがジョブをこなしていくという考え方に変わっていったのが、すごく大きかったと思っています。一面では、これは悪くはない意味があったとは思いますが、さて、どうでしょうか。そのやり方で本当にこれからもやっていけるのかというと、ちょっと違うかなと思っております。
第三世代に向けた、新たな人間と人間との関係のあり方。会社と人間との関係のあり方が模索されるようになってきたと思っています。
世界時価総額ランキング、トップ50に入る日本企業はトヨタだけ
野田:さて、もう1つの観点から会社を見なくてはいけないのが、やはり日本においては、ここ30年間の大きな変化ではないかと思います。この30年間、日本と日本企業に何が起こったのか。これを端的に表しているのが、今お見せしているこの資料ではないかと思います。

これは企業の時価総額の世界ランキングになります。1989年、まさしくバブル絶頂期だった時、(ランキングで)赤い丸が付いているところは全部日本企業なんですね。ほぼほぼ上位は日本企業が独占していたかたちになります。そこから約30年が経った2018年に至っては、相変わらず日本企業で入っているのはトヨタ自動車だけという状態になっています。
さらに言うと、上位を占めているのは、新しく生まれたIT系の企業がズラリというかたちですよね。あとは金融系でしょうかね。そういうかたちになっているのが非常に特徴的です。