組織課題を丹念に読み解く調査&コンサルティング会社「ビジネスリサーチラボ」が開催するセミナー。今回は「話の途中にスマートフォンを見る『ファビング』が職場にもたらす影響」をテーマとしたセッションの模様をお届けします。ファビングが職場にもたらす深刻な影響について語られました。
対話中のスマホ操作「ファビング」
伊達洋駆氏:まず、「ファビングとは何か?」についてお話しします。対面での会話を行っている状況の中でスマートフォンを操作することをファビングと呼びます。スマートフォンを操作するということは、相手のことをないがしろにしているというか、無視につながるわけですよね。
ファビングは、電話の「Phone」と、無視するの「Snubbing」の2つの用語を組み合わせてできた言葉です。電話を見ることによって相手を無視してしまうという現象ですね。そういった現象をファビングと呼びます。
例えば、打ち合わせで部下が発言している最中に上司がスマートフォンを触るとか、あるいはスマートフォンを触りながら曖昧な返事を返すとか、そういったことが一例として挙げられるかもしれません。
もしくは、ランチタイムの会話中に相手の同僚がSNSをチェックするというような状況ですね。わりと日常に埋め込まれている現象の1つではないかなと思います。これがファビングです。ファビング自体は抽象的な概念ではなくて、私たちがよく目にする、あるいは知らず知らずのうちにやってしまうような行為ですので、そんなに目新しい現象ではないと思います。
ただ、ファビングという現象そのものは、歴史的に見ると浅いわけですよね。スマートフォンをはじめとしたモバイル機器がここまで浸透していなかった時代には、ファビングという概念自体が存在しませんでした。
ファビングという概念が出てきたのは、だいたい2010年以降だと言われています。スマートフォンの普及と同時に、ファビングという現象にも注目が集まり、研究も進むようになってきました。2010年代の半ば頃からファビングに関する研究が増えて、2019年前後に急増したという傾向が示されています。
現在では、さまざまな領域の研究者がこのファビングという現象にアプローチしています。心理学、コミュニケーション論、教育学、情報技術論など、学際的にこのテーマについて研究が進められている。それくらい、ファビングは身近であり、かつ多様な影響をもたらす行為になっています。
研究でわかった、ファビングが職場にもたらす深刻な影響
では、このファビングという現象が、基本的にどんな影響を与えるのかを、少し考えてみたいと思います。ファビングを測定するための質問項目を開発した研究があるのですが、そこで実証された結果が参考になるので、ご紹介します。
ファビングは単純な行為に思えるかもしれません。ところが、実際にはわりと深刻な結果をもたらすことがわかっています。100人以上の若者を対象にした調査では、対面でスマートフォンを使われる、つまりファビングが生じると、相手は「自分が放っておかれている」と感じる傾向があることが明らかになっています。

その結果、ファビングされた相手もSNSを利用しようとする傾向が強まったり、あるいは不安や抑うつ感につながっていく。つまり、心理的健康に対してもマイナスの影響があることが示されています。ファビングされることで「自分が放っておかれている」と感じ、メンタルヘルスにも悪影響が及ぶということなんですね。
なぜそんなことが起きるのかというと、自分が仲間外れにされている、大事にされていないという感覚になるわけですね。「仲間になりたい」「人と関係を良くしたい」というのは、人間が持っている基本的な欲求の1つです。ファビングは、この基本的な欲求を脅かす行為になります。
他に、「1回だけファビングされる」という条件と、「3回ファビングされる」という条件に分けて、その影響を探索した研究もあります。

ここまでの話から想像できるかもしれませんが、1回よりも3回ファビングされた参加者のほうが、やはり強い排除感を報告している。「自分がないがしろにされた」「排除された」という感覚が生じるわけです。
さらには、自己肯定感や自分の存在価値に関する感覚も低下することがわかっています。要するに、「自分は必要とされていないんじゃないか」とか、「自分がここにいる意味があまりないんじゃないか」と思ってしまうということです。
同じ研究の中で、「信頼ゲーム」という実験ゲームを行っているのですが、その結果も興味深いです。複数回ファビングされると、ファビングをしてきた相手に対する信頼度が低くなることがわかりました。無意識のうちに、相手のことを信頼できなくなってしまうんですね。
自分がないがしろにされていると、その相手に対して少なくともいい気持ちにはならない。そして、関係性もあまり良くならないということが見て取れるのではないかと思います。
多くの人が無自覚でファビングをしている事実
ただ、恐ろしいのは、ファビングをしている人自身に、「自分がファビングをしている」という実感が明確にあるわけではないということも実証されている点です。
例えば、こんな観察研究があります。学生にペアになってもらって、10分間会話をしてもらうというシンプルな実験ですが、やはり会話の最中にスマートフォンを触る、つまりファビングを行う人が現れるわけです。
会話が終わったあとにアンケート調査を実施して、自分たちのスマートフォンの使用について質問しました。そこでおもしろい結果が出ました。「自分はスマートフォンを使っていない」と回答した人がいたんです。ところが、観察記録を見てみると、実際にはスマートフォンを使っていたケースが複数あったんですね。
これって、なかなか考えさせられる結果ですよね。ファビングをしている本人は無意識のうちに行っている可能性がある。少なくとも、自覚的にやっていない可能性がある。記憶に残っていない可能性があるわけです。

みなさんも私も、誰かと話している時に、知らないうちにファビングをしているかもしれない。そして、自分がそれをしたということに気づいていないかもしれない。これは、まあまあ恐ろしい結果じゃないかなと思います。
スマホ操作は嫌われ、雑誌は許される理由
この研究の中で、さらに考えさせられる点として挙げられていたのが、「本人が自覚しているかどうか」は別として、「相手がスマートフォンを取り出した場面があった」ペア、つまりファビングが行われたペアでは、会話の親密度の評価が低くなるということでした。要するに、その会話を通して親密になれなかった、という認識が強くなるということです。
ただ、ここがまたおもしろいところなんですが、スマートフォンの「見方」がけっこう重要なんですね。勝手に1人でスマートフォンを見ている、というのがファビングですが、そうではなくて、一緒に画面を共有して「これ見てくださいよ」と言って一緒にスマートフォンを見るようなケースもあると思うんです。そういうケースでは、必ずしも会話の親密度が下がらないこともわかっています。
つまり、「一緒に見る」のはOKなんですね。「相手が1人でスマートフォンを見ている」という状況がNGなんです。
そこから少し延長した研究もあります。スマートフォンを見て無視される、つまりファビングされるという状況と、雑誌を読んでいて無視されるという状況を比較した実験です。スマートフォンでファビングされるほうが、より不満を感じたり、いら立ちを覚えたりする傾向があることがわかりました。会話中に雑誌をパッと見られるほうが、まだ許せるということですね。

なぜかというと、この研究では、雑誌を見ていると「何をしているか」がわかるんですよね。例えば、「情報収集しているのかな」とか、「学習しているのかな」とか、ある程度やっている内容が予測できる。かつ、それなりに有益な活動をしているんだろうな、と相手に思ってもらえるわけです。
一方で、スマートフォンを見ている時は、何をしているのかが見えない。ゲームをやっているんじゃないか、SNSを見ているんじゃないか、というように、相手の中でいろいろと想像が膨らんでしまう。結果として、「自分との会話よりも、そっちのほうが大事なんですか?」と思われてしまいやすいということなんですね。
ファビングで不快な気持ちになるメカニズム
別に、ゲームとかSNSを下に見ているわけではないんですが、要するに、スマートフォンを見るという行為がブラックボックス化されているんですよね。相手が何をしているのか、実のところわからない。そうなると、「大したことをやっていないんでしょ?」というふうに思ってしまうわけです。
そして、「大したことをしていないにもかかわらず、対面で会話をしているこのタイミングでそれを優先するというのは、自分との会話よりもそれを優先しているということなのか?」と捉えられて、不快な気持ちになる。そういったメカニズムが明らかにされています。
つまり、スマートフォンで何をしているのかわからないという点が、1つの要因になっている。そして、それが人間関係にも影響を与えるということがわかっています。例えば、同僚がスマートフォンに没頭していたり、触っていたりすると、会話が途切れ途切れになりますよね。その結果、交流が難しくなるといった不満が、インタビュー調査の中でも挙げられています。

とはいえ、この問題はなかなか難しい。例えばファビングをする背景には、ストレス発散のためにスマートフォンを見るとか、ちょっとリラックスしたい、リフレッシュしたいという気持ちがある場合もあるんですね。あるいは、相手との空間に少し気まずさがあって、沈黙が生じた時にスマートフォンに手を伸ばす、みたいなこともあるわけです。
そう考えると、ファビングは必ずしも“悪”だと言い切れるものではなくて、そこには何かしらの事情があるケースもあるということも、この研究の中では見えています。
ファビングを繰り返す人に現れる“共感力の低下”
さらに、ファビングが少し厄介なのは、相手がファビングをしていても、それを直接注意することがあまりないという点です。「ファビングをやめてください」「スマートフォンを見るのをやめてください」なんて、面と向かって言うことは、海外でも日本でも、あまり一般的ではない。
例えば、相手が5回スマートフォンに触ったとしても、そのたびに「触らないでください」と注意するわけではないですよね。いろんな理由があります。波風を立てたくないとか、相手の気分を害したくないとか。つまり、不満はあっても、それを言葉にしないまま済ませてしまう。
その結果として、ファビングが維持されていくことになります。注意されないので、改善されない。つまり、フィードバックがない。だから、自分がファビングをしていることに気づかないまま、習慣になってしまう。あるいは、知らないうちに行動として定着してしまう。そうなると、ファビングの悪影響が蓄積されていくことも十分に起こり得るわけです。
しかも、ファビングは、それを行う人自身にとっても、あまり良くない影響をもたらすことが実証されています。ここまでは、ファビングされた側に悪影響が及ぶという研究を紹介してきましたが、ファビングを行った本人の共感性や思いやりが低下してしまう、ということもわかってきているんですね。

実験的に明らかになっているんですが、ファビングの場面を多く経験する、つまりファビングを頻繁に行うと、他者に対して共感しにくくなってしまうんです。
つまり、社会的なスキルや対人関係の質そのものが、ファビングによって双方向から損なわれる可能性があるということです。ファビングは、した側にも、された側にも、人間関係を傷つけるリスクがある。どちらにとっても悪影響を及ぼす行為だということが、徐々に明らかになっています。