ソニックガーデンの代表・倉貫義人氏と仲山考材の仲山進也氏が、毎月さまざまなゲストを迎えて「雑な相談」をするポッドキャスト『ザッソウラジオ』。今回は株式会社クラシコムの代表取締役・青木耕平氏がゲストに登場。「希望」をテーマに、諦めずに目標に取り組む上で意識したいポイントを語り合います。
向こうからいいものがやってくる可能性
青木耕平氏(以下、青木):(前半で、未来がわからないことから生まれるワクワク感の話を受けて)そうなんだよ。チームビルディングの時、ゲームをやるじゃん。俺が大っ嫌いなやつ。みんなで……。
仲山進也氏(以下、仲山):体を動かすアクティビティ?
青木:そう。俺が大っ嫌いでぜんぜん協力的じゃないのに、喜々としてやるやつが絶対1人か2人いるじゃん。あの感じが、曖昧性の向こう側にある福音なんだよね。「えっ、俺、ぜんぜん協力していないのにめっちゃやるやつがいるから勝手に進んでいく」みたいな。
霧の向こう側に良い状況があるもんだなという体感を持てることが、希望する上ではすごく重要だし。
さっきの保守の話じゃないけど、曖昧性のいい部分、つまり自分が世界に対して努力したり関与したりしていないのに、向こうからいいものがやってくる可能性が、原理的には必ずあるんだよな。
仲山:あると。でも、昔の青木さんだったら「この体を動かすゲームをやってください」というお題が出ても、やらない選択をしていたけど、みたいな。
青木:そうそう。しないと思う。なんだけど、参加はする。なぜなら、自分が嫌で何にもしなくても誰かがやる可能性って一定あるし、だとしたら最高すぎるので、参加はする。だから絶望していないというか、希望しているということだよね。
困難だけど、実現可能性がある目標
仲山:世界が差し出してきたお題を受け取れるキャパが広がったみたいなことですよね。
青木:広がったことによって、本当に幸せな経験ができたと思うんですよ。世の中的によく言われる、いわゆる予測不可能性も、ちゃんと分解して考えると悪いことばかりじゃないよな、みたいな。
しかも、神学者のトマス・アクィナスは希望の定義について、「将来の困難な善、つまりまだ実現していない、実現が難しい、良いことが得られると確信して願望する態度のことを希望といいます」というふうに言っているんですよね。これってつまり、困難なことじゃないと希望にならないという意味なんですよ。
仲山:そうですね。
青木:僕、今、ドーミーインにいるじゃないですか。そうしたら「夜は大浴場に行って、サウナに入ろう」は希望じゃないですよね。
仲山:予定ですね。
青木:予定、予測できる気持ちいいこと。だけど、希望ってそういうことじゃない。どうやっていいかわからないことを望んでいないと希望にならないから。日本ってこんなにおいしいものをちょっとお金を出したら食べられる。みんなほぼほぼ暖かい家で寝られるのに、「希望がない」って言っているんですね。実現が難しそうな何かを思い描くのがムズくなっているからじゃないですかね。
倉貫義人氏(以下、倉貫):一方で、トマス・アクィナスが言うのは、困難だけど実現可能でないといけないんですね。
青木:そうそうそう、そうなんです。
倉貫:実現可能性がない困難なことは、絶望になっちゃうので。
仲山:そうですね。
青木:そうそう。
倉貫:そのさじ加減を維持し続ける……保守をリードする立場のトップマネジメントがやることは、希望を見せ続けることじゃないですか。
青木:そうそうそう。
倉貫:それをしないと革新されてしまう……。
青木:そうなんですよね。
倉貫:とした時に、例えばみんなで希望し続けるための何かがないとできないというか。希望だけだと見せかけのもの、その時々のものになってしまうんじゃないか。
誰かが達成した事実が希望になる
仲山:それこそチームビルディングのアクティビティで、「これ、無理じゃない?」って思うような目標があるじゃないですか。あれでよく起こる出来事としては、「これ、達成できた人はいるんですか?」って聞いて。
僕らファシリテーター側が「いますよ」って言って、できるってわかったとか。あとは、TBP(チームビルディングプログラム)の時は1グループでやるけど、人数が多かったら2グループとか3グループでやることがあるんです。「この目標は無理じゃない?」って思っていたけど、誰かが成功したのを見たら、みんな絶望していたのが急に希望を持てる状態になって、達成できることはよく起こるので。
またチームビルディング的に言うと、サッカーって、いわゆるバルサ(※FCバルセロナ)的な、みんなでボールをきれいに回しながら主導権を握って勝つスタイルって、憧れなんですよね。あれが希望なんですよ。
青木:希望だよね。
仲山:みんな憧れるんだけど、11人がチームビルディング的に全部すり合っていないと実現できないから、やったとしても点を取られまくるしぜんぜん勝てない。だから途中で絶望して、元の守って守ってカウンターみたいなやつに戻ってしまうことが繰り返されていると思って。
青木:確かに。だから、さっきの宇田川さんの。
仲山:『企業変革のジレンマ』。
青木:3つの見通しの立たなさのうちの、不確実性とか多義性みたいな、答えがわからない課題だということ自体が、希望そのものみたいな。
「希望外れ」という言葉はない
仲山:あと、正解もないということですよね。
青木:そうそう。だから、不確実性は希望の障害どころか、不確実性のないところに希望なんか生まれないということ。
仲山:まさに「希(※まれ)」な「望み」ですもんね。
青木:そうそう。わかってきたことなんですよね。さっきの仲山さんが言ってくれたような、トータルフットボールを希望しているんだけど、うまくいかないから絶望して、みたいな話があるじゃないですか。
これを希望、絶望って言うからごちゃごちゃになるんだなというのもあって。希望に似た言葉で「期待する」とか「期待を持つ」とは、ほぼ同じ使い方をするんですよ。
期待は、常に前提として期待を持つための理由があるんですね。例えば、(先ほどのサッカーの例で言えば)同じようにやっていた別のチームができたから期待できる。
仲山:今日はドーミーインで大浴場に入れるという期待を。
青木:「入れる」も期待ですよね。そうそうそう。だから、期待は理由を当てにして何かを望んでいる状態なので、期待外れという言葉があるじゃないですか。でもね、「希望外れ」という言葉はないんですよ。
倉貫:そうね。
青木:そう。ということは、希望には理由が必要なくて、期待には理由が必要。だから希望外れはないけど期待外れがある。
倉貫:しかも期待は他者に向かっている。主体ではない感じがしますよね。
青木:そうそう、まさに。
「どうなるんだろう?」と楽しみながら待つ
倉貫:自らできるものではないと思っている。ドーミーインのサウナが壊れていたら期待外れだけど、これは、個人で何とかなるものではない。
青木:そうなんですよね。だから、期待はかなったり外れたりするものなんだけど、希望は「希望すると決める」という態度なので、まさに内発的なもの。
倉貫:そうですね。
青木:ある種、自己完結的なものだし、だからこそ期待の理由が見つかるまで待てる。可能性が高まるわけじゃないですか。だから、トータルフットボールなんて無理だと思っても、「いやいや、ワンチャン、いつかあるんじゃない?」という態度でずっと待っていると、突然、黄金時代みたいなすごいやつが集まったり。
倉貫:だから、希望は態度なんですね。
仲山:諦めないというのと似ていますよね。
青木:諦めない……。
仲山:そこに到達する可能性とか選択肢はまだあるはずだと思えるのは。
青木:諦めないという言葉って、どっちかというと自分の努力とかと関係してくる印象があって。
倉貫:「がんばる」みたいな。
青木:そう。だから、さっきのトマス・アクィナスの定義。将来の困難な善が得られることを確信するみたいな態度で、頭に「神の助けにより」って書いてあるんですよ。神の助けによって将来の困難な善が得られることを確信するという態度なんだけど、期待の種みたいなものが向こうから来る感覚。
仲山:あれですよね、他力。
青木:他力、まさに。
仲山:自力じゃなくて。
青木:なんか、「諦めないぞ」みたいな感じよりも「どうなるんだろう?」って楽しみにしながら待っている。「もう信じるって決めちゃったしな」みたいな。
曖昧な状態を受け入れることが、諦めない姿勢につながる
仲山:僕、「諦める」の語源は、「明らかにしてやめる」だ、みたいなことを聞いたことがあって。
青木:なるほど。
仲山:たぶんそれは、今の自力・他力で言うと、自力ではもう無理だと明らかにしてしまってやめる感じ。
青木:確かに、確かに。だから、諦めないって、明らかにしない態度なんだよね。
仲山:そう。だから、曖昧なままの状態を受け入れるのが諦めないことにつながりやすくなるし。
青木:そうだね。おもしろい、おもしろい。
仲山:他力待ちみたいなね、態度になりやすい。
青木:そうそうそう。だから、そういうものなんだと思うと「どうなるんだろうな?」みたいな感覚に近い態度。例えば「チームにメッシが入ってきた」みたいなことが他力的に起きて。
倉貫:希望し続けていたら、それを受けられる可能性は出てくるという。
青木:そうそう、そうそう。
倉貫:いや、これまだあと3時間話せると思いますが、もうそろそろ。
仲山:青木さんが行かなきゃいけない時間になった。
倉貫:ドーミーインのチェックアウトが近づいているということで。
(一同笑)
倉貫:やはり2025年は準レギュラーとして、あと2回ぐらいは出てもらわなきゃいけないなと。
仲山:本当ですね(笑)。奇数月とか偶数月レギュラーみたいなね。
倉貫:はい。思いましたが、最後にちょっと、青木さんに感想だけいただいて。
青木:いや、普通こうやってゲストで出る時って、僕が1人でワーワーしゃべっちゃうとバランスが悪くなるし、気を使うところもなくはないんですけど、今日はマジで、1個も気を使わなくて言いたいだけ言っちゃった感じです(笑)。
倉貫:「いやいや、僕らもそれを聞いて思ったんですけど」というのを、3人で被せ続けるだけの(放送)。
青木:楽しかったな。
仲山:またやりましょう。
青木:ぜひ。準レギュラーなので、少なくとも1年に1回ぐらいは呼んでほしいかなという。
倉貫:2025年はもうちょっといきたいなと思います。
青木:はい、ありがとうございます。
倉貫:ということで、今回のゲストはクラシコムの青木さんでした、ありがとうございました。
青木:ありがとうございました。
青木さんとのザッソウを振り返り
(青木氏が抜けて、クロージングトーク)
倉貫:お疲れさまでした。
仲山:お疲れさまでした。
倉貫:どうでしたか?
仲山:安定の青木さんのトークですけど、個人的には、権威はあるけど権力を使わないという、ファシリテーター型リーダーシップの言語化がだいぶおもしろかったと思います。
倉貫:それ、「がくちょ」的な発見だけど、僕らも聞かせてもらって、「確かにな」って。発見したのはがくちょですけどね。
仲山:(笑)。でも、あの話にならなかったらそこの着想は……。
倉貫:そうね。そこにつながるとは思わなかったですよね。
仲山:やはり「ザッソウ」の醍醐味ですね。
倉貫:ですね。僕らがしゃべっている時、ファシリテーションという言葉が出てくるとはまったく思っていなかったから。
仲山:もう、イヌとかネコと、ファシリテーションとチームビルディングの視点でしか聞いていないから、そうやって裏側で自分のキーワードと青木さんの話を整理できましたね。
「野望」は自分だけのもの、「志」はシェアするもの
倉貫:今日、メモをいっぱい取っていなかったですか?
仲山:メモというか、出てきたキーワードがあるじゃないですか。今の第3回も、希望とか熱望とか、志望とか期待とか。あと、前に青木さんと2人でしゃべった時に、「野望とかもありますよね」みたいな話をしたんですけど。
田坂広志さんの「志」と「野心」の違いという話。だから「志望」と「野望」ですよね。野望・野心は、自分が達成、実現できないと意味がないこと、望み。全国を統一したいとか、『信長の野望』みたいなやつですね(笑)。野望は誰かが統一したら駄目なんですよ。
倉貫:そうね、そうね。
仲山:自分が死んじゃったら意味がない。
倉貫:確かに。
仲山:志は、自分の代で成し遂げられなくても、それを(誰かに)託して、そういう世の中に近づいていく。今日のキーワードだったら、希望を持ちながら死ねば、志としてはOKみたいな感じ。
倉貫:そうですね。
仲山:みたいな言葉がいろいろあって、おもしろいなっていう。
倉貫:僕らは言葉で遊んでいますからね。
仲山:(笑)。そうです、そうです。
倉貫:こんな言葉遊びって、日本語じゃなかったらできるのかな?
仲山:わからない、どうなんだろう?
倉貫:日本語が大好きすぎて英語ではできないですけど。
仲山:日本語の解像度が高い分野はありますよね。
倉貫:ありますよね。言葉の表現が多いところもたぶんあるから。
仲山:だって、それこそ志とか野心って、ambition。
倉貫:ambitiousってなっちゃう。
仲山:どっちの意味かはわからない。
倉貫:視座、視野みたいなのも、英語だとperspectiveしかない。言語野の中の概念的な言葉の組み立てで遊ぶことをよくやっていますね。これは何の仕事なのかという気もしますが。
知的好奇心を満たす「雑談」を楽しもう
仲山:(笑)。でもそれこそね、AIが仕事をしてくれるようになると、人類は暇になるわけで。
倉貫:こういうのは、AI、めちゃくちゃ得意ですよ。
仲山:でもね、AIにはそもそも知りたいという内発的動機がない。
倉貫:そうですね、ないからね。
仲山:暇を持て余した人間がこういう話をし始めて、「おもしろいね」みたいな時間の使い方をするというのは、「ザッソウ」は重要な暇潰しなのでは。
倉貫:暇を持て余した人類にとっての大事な……。
仲山:遊びですよね。
倉貫:遊びになるのが……「ザッソウ」はそうなる可能性がありますよ。
仲山:ありますね。
倉貫:社会がそうなるまでザッソウラジオを続けていくしかないですけど。
仲山:(笑)。
倉貫:シンギュラリティが起きて、人類が暇になるまで「ザッソウ」を続けていけたらいいんじゃないかなと。
仲山:そういう世界が来ることを希望しながら。
倉貫:希望しながら。
仲山:(笑)。終わりましょうか。
倉貫:終わりましょうか。おもしろかった。
仲山:(笑)。倉貫さん的に「ここ」っていうのは?
倉貫:「いやぁ、密度濃かったな」という。第1回に何の話をしたのかも忘れてしまうほどですけど、でも一貫して、同じスタンスの話をしていますよね。
最初の話で、OSが近い話の中から言語化し続けて。最後の「希望する」がただの態度ということは、人間が決められるということなんですよ。
仲山:自分で決められる。
倉貫:それこそ希望のある話だなと思いましたね。
仲山:「他力を引き込むための準備は最善を尽くしておけば、そのうち」みたいな希望があれば、絶望する必要がない。
倉貫:ないし、それは誰かが決めるんじゃなくて自分で決めていいんだというのが、希望のある話だなと思いました。
ということで、ザッソウラジオでは、みなさんからのメッセージや質問、相談、ご感想をお待ちしております。お聴きのポッドキャストのザッソウラジオのプロフィール欄に掲載されているフォームからお気軽にお寄せください。
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仲山:はい。
倉貫:また来週。
仲山:ありがとうございました。
Podcastはこちらからザッソウラジオ「 『希望』とは何か 」