早稲田大学日本橋キャンパスにあるファイナンス専門の大学院「ファイナンス研究科」を応援する卒業生の会として設立されたファイナンス稲門会。同会主催のセミナーに、中央大学ビジネススクール教授の犬飼知徳氏が登壇し、「企業アルムナイ」をテーマに講演。日米の最新研究をもとに、元社員と企業が「新たな価値を生む」関係について語られました。
「企業アルムナイ」を取り巻く最新研究と注目される背景
犬飼知徳氏:はじめまして。中央大学ビジネススクールの犬飼と申します。よろしくお願いします。
本日は「企業アルムナイ成功への示唆」というテーマでお話しします。「グローバルの経営理論に学ぶ」とありますが、「企業アルムナイ」という現象自体、まだ比較的新しいものです。そのため、世界的にも研究が始まったばかりの段階です。
本日は、アメリカの先行研究を紹介しつつ、日本における企業アルムナイの実態について、ソニー有志アルムナイ発起人で、中央大学客員研究員の高橋(龍征)さんと私の研究チームが行っている調査をもとにご説明していきます。
まず、日本企業では「企業アルムナイ」が人手不足対策や人材補完といった文脈で語られることが多いですが、より長期的・広範な視点で見ると、その重要性は今後さらに増していくと考えています。そのため、本日は経営学における位置づけをみなさんにご紹介したいと思います。
続いて、まだ先行研究は少ないものの、アメリカのトップジャーナル『AMR(Academy of Management Review)』にも関連論文が掲載されるようになってきています。このあたりの研究内容を共有しつつ、アメリカでの動向や、我々が注目している研究についてお話しします。
また、私たちは現在、財閥や丸紅、伊藤忠など日本の総合商社6社における企業アルムナイの比較研究を進めています。本日は、その調査結果も交えながら、学者の視点からお話しさせていただきたいと思います。
企業アルムナイは、ただの「出戻り採用」ではない
今お話ししたとおり、企業アルムナイは現在、「出戻り採用」の文脈で語られることが多いですが、経営戦略の観点から考えると、より広い視点で捉える必要があります。
自己紹介をすると、私は経営戦略論やグローバル経営戦略を専門としています。その視点から見ると、従来の日本企業は「コア人材」と呼ばれる人材を囲い込み、企業独自のスキルや能力を社内で育成し、それを競争優位の源泉とするのが勝ちパターンとされてきました。

しかし、みなさんご存じのとおり、近年の日本企業はグローバル競争力が低下し、人材の流動性も高まっています。さらに、環境の変化に対応するためには、企業独自の能力も継続的にアップデートしなければなりません。このような環境変化に適応する力を、我々は「ダイナミックケイパビリティ」と呼んでいます。
このダイナミックケイパビリティを高めるためには、企業が閉じた組織のままでは適応しづらくなります。企業の境界を越え、アライアンスやM&Aを通じて外部と連携することが求められます。これに関連する概念として「オープンイノベーション」があり、企業間の協業によって新しい価値を生み出す取り組みが進められています。
しかし、現実には多くの日本企業がこの変化にうまく対応できていません。例えば、社内ベンチャーや新規事業開発を進めようとしても、既存の事業部やビジネスモデルに引きずられ、自由度が制約されることが多い。一方で、外部のスタートアップと協業しようとすると、組織文化の違いなどからうまく機能しないケースも多く見られます。
こうした課題の中で、企業アルムナイは重要な役割を果たす可能性があります。一度、企業の文化や仕事の進め方を理解した人材が外部に出た後も、企業との関係性を維持しながら新たな価値を創出することができるからです。
今後の日本企業が競争優位を確立・維持するためには、アルムナイとの関係をいかに構築し、そこから価値を生み出せるかが重要になってくると考えています。
ですから、もちろん出戻りの人材採用も重要ですが、それだけでなく、一度外に出た企業アルムナイと元の企業がWin-Winの関係を築き、新たな価値やイノベーションを生み出せるかどうかが、我々の研究の注目ポイントとなっています。
“辞めたら裏切り者”の時代は終わる
この研究の流れの中で、アメリカの研究者である(エリン・E・)マカリウスが2023年に発表した研究があります。

これが、現時点での先行研究の中でも特にコアなものだと考えています。彼女の論文では、企業アルムナイのプロセスモデルが提示されています。

まず、一番左端のボックスは「離職」から始まり、右端のオレンジのボックスは「PSV(Post-Separation Value)」、直訳すれば「離職後価値」や「退職者価値」といった概念です。これは、離職後も企業とアルムナイの関係を継続し、良好に保つことで、企業にとって新たな価値を生み出せるのではないか、という仮説を示しています。
これについて詳しく話すといろいろありますが、日本の文脈で考えると、やはり2010年以降から状況が変わってきたと考えられます。外部労働市場や転職エージェントの整備が進んだことで、転職がより一般的になり、企業を辞めることへのハードルが下がってきたのが、この10年ほどの動きではないかと思います。
我々も総合商社をはじめとする企業のアルムナイに対してインタビュー調査を続けていますが、10年ほど前の日本企業では、「辞めるやつは裏切り者だ。二度とうちの会社の敷居をまたぐな」といった考えがまだ根強くありました。実際、今でもそうした価値観を持つ企業も少なくありません。
しかし最近では、一度企業を離れた人材に対する見方が変わりつつあります。この図でいう「退職管理」にあたる部分ですが、退職時の関係性を良好に保ち、「次の場所でも頑張ってね」と送り出すケースが増えてきました。こうした変化の中で、企業とアルムナイの関係を維持することで、新たな価値(PSV)が生まれるのではないか、という研究がアメリカでも進んでいます。
先行研究はまだ多くありませんが、マカリウスの2023年の論文は、企業アルムナイの包括的なプロセスを提示している点で非常に興味深いものです。特に重要なのは、退職時の感情が必ずしもネガティブなものばかりではない、という点です。

企業アルムナイと元の企業の良好な関係を築くためには、退職者が「会社を離れたけれど、まだ愛着がある」「実は今でも好きな会社だ」と感じていることが出発点となります。こうしたポジティブな感情がなければ、そもそもアルムナイとの関係は成り立ちません。このような状況はアメリカだけでなく、日本でも徐々に広がりつつあると考えています。
企業が管理できない“コミュニティ”としてのアルムナイ
もう1つ、我々が注目しているのは、企業アルムナイを社会的なコミュニティとして捉える視点です。
企業を辞めた人に対して、元の企業側が「戻ってきてください」と呼びかけても、それは業務命令ではなく、強制力を持ちません。また、「お金を出すから集まってほしい」というような報酬ベースの関係も成り立ちにくい。
つまり、企業アルムナイは、金銭関係でも権限関係でもなく、あくまで自主的なコミュニティとして成立しており、企業がどのように関係を築くかが重要になります。我々はこの点に特に注目しており、マカリウスの研究もそのヒントを示している点が興味深いと考えています。
ただ、このマカリウスの研究は、主語が常に企業側に置かれているのが特徴です。企業にとってアルムナイがどのような価値を持ち、そこからいかに利益を引き出せるか、という視点が強く、退職者側の視点がほとんど含まれていません。そのため、アルムナイが企業に一方的に搾取されているような印象を受ける部分もあります。

実際には、企業アルムナイは自主的に集まるコミュニティであり、そこに何らかの価値を感じるからこそ関係を維持しているわけです。企業側が一方的に管理したり、強制的に何かを求めることはできません。そのため、本来は企業アルムナイの当事者と協力し、共に何かを生み出していく視点が不可欠なはずですが、マカリウスの論文ではその視点が弱いと感じます。
もちろん、研究が始まったばかりであり、すべての要素を盛り込むのは難しいとは思います。ただ、こうした企業側視点の強さは、いかにもアメリカ的なアプローチとも言えます。一方で、日本の企業アルムナイはもう少しコミュニティ色が強いのではないか。この点に着目したのが、高橋さんと私の共同研究の発端です。